このブドヴァ編では,2013/12/18(水)朝ブドヴァ新市街のホテルで朝を迎え,周囲を少し散歩し,ブドヴァ旧市街に行きハーバーや城壁,聖イバン教会(別名聖ヨハネ教会),聖三位一体教会,聖サヴァ教会などを見物したときの写真を載せました.
ブドヴァはアドリア海に面したモンテネグロの街.温暖な気候で,他の欧州諸国と較べて物価も安いそうで,古くから人気のリゾート地であるそうだ.
12/18(水)朝,ブルースターホテルで目覚めた.窓を覗くと快晴だ,ついている.新市街にはびっしりと建物が建っている.間近に山が迫り,平地が狭いのだろう.なお新市街とは言っても,結構歴史を感じさせる建物がある.
通りを歩いてみると,住宅だけでなく小さなホテルもたくさんある.写真のようにささやかなカジノの看板を掲げたホテルも見える.
ブドヴァは徹底してリゾートの街だそうで,多数の市民はその関連産業に従事しているそうだ.また,ホテルは新市街も含めて無数にあるが,トンの付くような大きなホテルはあまりなく,殆どは小規模で,家族経営の民宿クラスも多いという.
下は,ブドヴァ新市街での写真
バスでアドリア海に面する旧市街に行った.ボートやクルーザーが係留されたハーバーは,人出も疎らで海も穏やかだ.これが夏であればもの凄い人で埋め尽くされるという.まあ,いまこんなところをぶらついている私たちは物好きと言う他ないであろうが.
湾の向こうに山が見えるが,モンテネグロ(Montenegro=黒い山)の意の通り,果たして黒いであろうか?う~んそう言われれば,そうかな~?
旧市街には城壁が残されている.ブドヴァは紀元前5世紀にはフェニキア人が住んだというとても古くからの歴史があるそうだ.以降古代ギリシャや古代ローマの領土を経て,中世になるとスラヴ人に支配され,次にヴェネツィア共和国の支配が1442~1797年,350年もの長い間続いたそうだ.そしてその頃,これらの城壁はオスマン帝国の侵略から守るために築かれたということだ.
その前の鐘はなんだったかな~?
石造りの建物が小径を挟んでびっしりと建てられている.勘の悪い私には迷路のようだ.堅固な造りであるが,1979年の地震では甚大な被害を蒙り,復旧には10年間を要したそうだ.
写真で上海の看板が見える.中華レストランであろう.これまでコソボ,マケドニア,アルバニアの街を眺めてきたが殆どアジア系やアフリカ系の人やレストランを見かけなかった.さすがここは古くからのリゾート地なので中国人が進出しているようだ.
左側,鐘楼尖塔のあるのが聖イバン教会(St. Ivana church),別名聖ヨハネ教会(St. John church)と呼ばれるそうだ.7世紀の古い教会跡に,15世紀になって建立されたカトリック教会だそうだ.因みにイバン(Ivana, Ivan, Iwan)はヨハネ(John)に対するスラブ系の表記だそうだ.ついでに他の発音/表記を見ると,英語:ジョン(John),仏語:ジャン(Jean),独語:ヨハネス,ハンス,ヨハン(Johannes),スペイン語:ファン(Juan),ポルトガル語:ジョアン(Joao),伊語:ジョヴァンニ(Giovanni ),....などとなるそうだ.
真ん中の聖三位一体教会(Church of Holy Trinity)はセルビア正教の教会で1804年建立と比較的新しいようだ.モンテネグロは多くの民族が暮らすが,およそ半分がモンテネグロ人,半数がセルビア人ということだ.入り口のモザイク画に描かれた人の表情は優しい感じだ.
右の聖サヴァ教会(Church of Saint Sava)は2世紀頃の古い教会跡に,12世紀に建てられたそうだ.渋い色あいの小ぢんまりした佇まいが海との対比で美しい.聖サヴァは数日前見物したペーチ総主教修道院建立に関わったセルビアで代表的な聖人であり,ここも当然セルビア正教の教会であろう.
まあこんな冬にビーチに来る人はあまり居ないと思われるが,ビーチカフェの店員はちゃんとテーブルを並べ始めた.まだ朝だが,陽が高くなるとお茶や食事に座る人たちが結構あるようだ.夏になると湘南海岸のようになるらしい.
夏のリゾート客はお隣のセルビアはじめ,ヨーロッパ内陸から大勢来るが,イタリア人は特に多いそうだ.イタリアはアドリア海対岸で,同国に同じような気候環境のビーチリゾートが幾らでもありそうなのに,と訊いてみたら,イタリアより物価が圧倒的に安く,滞在費が少なくて済むためだそうだ.
さてその気候であるが,7月の平均気温が27.9℃,その頃の海水温が24.7℃,一番寒い1月の平均気温が8℃で年間晴天日が230日だそうだ.ヤシの木が生育し,リゾートにもピッタリということだ.おまけに上述のように滞在費が安く済むのは鬼に金棒であろう.
下は,ブドヴァ旧市街での写真
ひと通りドヴァの街を歩いた後,バスに乗って街を離れ,北のコトルに向かった.