このオフリド編では,2013/12/15(日)ビトラの街を見物した後,途中のレストランで昼食をとり,オフリドへと向かった.オフリドに入ると,街を歩き聖クリメント像を眺め,丘に上りオフリド湖を望み,古代ローマ円形劇場,サミュエル要塞,聖ソフィア大聖堂,聖パンテレイモン教会,聖ヨヴァンカネオ教会などを眺め,やがて夕刻のオフリドの街を眺めつつ下り,バスで宿泊のホテルに入った.このページではそんな日の写真を載せました.
オフリドの街は,アルバニア境界のオフリド湖マケドニア側沿岸に位置するマケドニア正教の聖地.
ビトラの観光の後,昼食のレストランに入った.魚料理だったかな.
庭にはグミより少し大きいくらいの赤い実を付けた木があった.ガイドDさんが,『xxxの実で,ジャムを作ります』と教えてくれた.摘んで食べてみたら,ジャムだった.へえ~木に生ったままジャムになるんだ~感動した.xxxはやはり失念してしまった.
暫く丘陵を走ると前方にアルバニア国境の雪山が見えてきた.ちょっとこの写真で入りきらなかったようだが,山の手前左手には大きな湖が見えた.目指すオフリド湖ではなくプレスパンスコ湖(Prespansko)だそうで,マケドニア/アルバニア/ギリシャ3国国境に位置しているようだ.
村の道路脇でりんごを並べて販売している.箱を傾げて商品が遠くからも見易いようにしている.寒いので早く売れるといいですね.
サンタさんが窓から侵入しようとしてる.キリスト教文化圏ではこの時節の風物詩だ.ドロボーと反対に,物を運んできて置いていってくれるので大歓迎であろう.
オフリド少し手前でバスは停まった.標識を見ると,ビトラから66km来たようである.
私達の白いベンツバスは6軸タイヤの大型車だ.一人何席も専有できるので楽だ.通しのドライバGさんは大変だが.Gさんはマケドニアの方なので,夕べだけは自宅で明かし,そして私達にはワインを持ってきてくれたのである.
少ししてオフリドに入ってきた.通りの丘の上には城壁らしきものが見えている.多分到着後訪れる予定のサミュエル要塞であろう.
下は,オフリドへ行くときの写真
オフリド街外れでバスを降りた.キリル文字とラテン文字併記の標識で,更に絵文字も加えられ分り易い.コソボのアルバニア語とセルビア語併記は何かと争いになるようだったが,ここではマケドニア語と英語の併記のようで,多分そうした問題は起こらないであろう.
なお,この標識によれば電話は警察が192番,消防は193番のようですね.各国違うもんですね.
この日は12月15日,オフリドの街では一応クリスマスマーケットが開かれていた.クリスチャンの多い街の市にしてはひっそり,ささやかな印象だ.
こちらも随分ささやかな焼き栗屋さん.手押し車の上の栗の数はほんの僅かで,ちょっと気の毒なような....日本の焼き芋屋のように大音量でがなり立てることが無いのには好感が持てる.
ここはオフリドの目抜き通り,オフリドの聖クレメントオフリドスキー通り(St. Clement of Ohrid Street)と呼ばれるのではなかろうか(多分).綺麗な石畳のあまり広くはない通りの両側に各種ショップが並び,人々が行き交っている.歴史を感じさせるなかなかいい街並みだ.
オフリドは人口4~5万人の小さな街であるが,オフリド湖畔にあって,かつては365もの教会があり,マケドニアの聖地であったそうだ.10~11世紀にブルガリア帝国の首都になり,ブルガリア正教の大主教座が置かれ,現在も同系統のマケドニア正教の大主教座があるという.
通りを真っ直ぐ下るとオフリド湖のボート乗り場に至る.高々1000m程度の距離であろう.
通りを下り,湖の少し前に来ると『オフリドの聖クリメント(St. Clement of Ohrid)』ブロンズ像があった.手に持っているのはオフリドの街の模型で,街の守護神であることを示しているのであろう.スコピエのページで記したが,一般にキリル文字は聖キリルと聖メトディウス(Sts. Cyril and Methodius)の兄弟によって考案されたとされるそうである.そしてその発祥はここオフリドとされるそうだ.一方オフリドの聖クリメントは,キリル文字の原案を作り,また改良を行い,スラブ語での説教やキリル文字での著作活動に多大な功績があったようだ.
オフリドはマケドニアで代表的な観光地で,この通りにも幾つかお土産店があった.客寄せサンタも頑張っている.ただ今はオフとあって,あまり客足が伸びる様子はない.
下は,オフリドの街での写真
キリスト教(正教)の街であるが,ちゃんとモスクのミナレットも見えている.私達はキリスト教会が集中する旧市街だけを見物して回ったのだが,実はオフリド新市街に行くと寧ろモスクが多いのだそうだ.500年以上オスマン朝の支配を受けたし,湖の対岸はアルバニアであるし,アルバニア系住民も多いのであろう.
旧市街の坂道を少し行ったところにあり,11世紀建立(このときの模型庭にあり),後の増築でオフリド最大の教会だそうである.石と瓦の実にどっしりした造りだ.11世紀建立とは言っても真っ更な土地に建てられたのではなく,その遥か昔,古代ローマ時代のバシリカとかがあった場所に建てられたようだ.そんな証にコリント式柱の基礎が回廊に残されていた.
この名を冠した教会は,例えばブルガリアのソフィアとか,イスタンブールのアヤソフィア(Hagia Sophia(トルコ語)=St. Sophiaの意)とか,あちこちにあるそうだ.アヤソフィアは当初キリスト教会として建立されたが,後にモスクに転換され,現在に至っている訳だ.現に塗り込められたペイントを剥がすと下にマリア像などが現れた.
この教会もまたオスマン帝国支配下ではモスクに転用されたことがあるそうだ.内部は,撮影できないが,フレスコ画は結構残っていた.モスク転用時塗られた漆喰を剥がし,修復したそうだ.
ところで今観ている側が一般の人たちの出入口で,回廊のある右側に正門があり,司祭など特別の人だけ出入りするのだそうだ.なお正面側には階段上ベンチが据えられ,夏にはコンサートが開催されるということだ.
元々は古代ギリシャのころ造られ,ローマ時代に,例によって剣闘士が猛獣と戦えるように改修されたそうだ.現在は夏にしばしばコンサートが催され,賑わうそうだ.
この辺りの住宅は眼下にオフリド湖を望み,素晴らしい.つまり高級住宅街だそうだ.
10世紀末~11世紀初め頃,ときのブルガリア帝国皇帝,オフリドを首都に定めたサミュエルによって築城されたという城砦.丘の上に立つ山城で,周囲は石をセメントで固めた強固な城壁で囲まれている.大きさとしては大きくはないが,山城であるので攻めにくかったのではなかろうか.但し,囲まれてしまった後の籠城には適さないかも知れない.
私達はあまり時間がなかったので,下からタクシーに分乗し,途中円形劇場などに立ち寄りながら城塞まで上ってきた.そして,階段で城壁に上るとオフリドの街とその前に広がる湖が見渡せた.城塞近くは白い壁,赤い屋根の戸建て住宅が多く,離れると集合住宅が目立ち,その辺りが新市街であろう.
現在見えているのは極めて新しいが,実は崩壊したオフリド最古の教会の上に復元されたものだそうだ.オリジナルの基礎部分には鉛シートが敷かれ,その上に石とレンガをセメントで固めた構造の新しい建物が建設されている.鉛シートは元の部分によく倣い,圧縮強度も十分なのであろう.
鉛シートの脇には『Mesieval Church SS Clement and Pantelemon 9th-15th centuries』と記されたプレートが嵌めこまれていた.なので9~15世紀の間には聖クリメントとパンテレイモンの教会があったのであろう.
正面玄関上のモザイク画が聖クリメント,右横玄関上のモザイク画が聖クリメントとパンテレイモンであろうか?キリル文字で解らないが....
なお教会の前にはかなり広い古代遺跡があり,現在調査継続中ということだ.また教会左手に建設中建物は新設の私立大学だそうである.
1290年の建立で,一度14世紀に火災に遭い壊れたが,長いこと隔てた1968年に再建されたそうだ.素朴で落ち着いた色彩がオフリド湖畔というロケーションにマッチし,なかなかの景観を見せてくれる.オフリド湖対岸はアルバニアだが,向こう1/3程度がアルバニア領になるそうだ.
なお聖ヨヴァンカネオ教会のカネオ(Kaneo)はここの村の名で,聖ヨヴァン教会はあちこちに在るので,区別するために付けているそうだ.なお聖ヨヴァン(St. John)はイエスの12使徒の1人ということだ.マケドニア語発音のヨヴァンは日本ではヨハネ,英語ではジョン,...という感じになるようだ.
下は,オフリドの丘での写真
なおこの日見物した辺りは『オフリド地域の自然遺産及び文化遺産(Natural and Cultural Heritage of the Ohrid region)』として1979年~1980年に世界遺産に登録されている.
丘にはタクシーで上ったが,下りは歩いた.さほど遅い時間ではないが既に夕闇がせまりつつあった.大通りに近づく手前の路地を通ると,2階,3階を上にいくに従い道にはみ出す建物が建てられている.サフランボル(トルコ)とか,ベリコタルノボ(ブルガリア)旧市街で見られる住宅の形式によく似ている.いずれもオスマントルコによって作られた街並みだそうである.
大通りに戻ってきた.すっかり暗くなった.まだクリスマス前だが,50%引きセールとデカデカと掲げられている.普通クリスマスを過ぎると,大幅値引きが多いのだが,他の店に先駆けて売り上げるというビジネスモデルでしょうか.
前日に引き続きガイドして下さったDさんとはここでお別れした.私達はバスでホテルに向かい,Dさんは路線バスで住まいのある首都スコピエに戻るという.どうもありがとうございました.
バスはオフリドのHotel Belvedereに到着した.ロビーには所狭しと各種骨董品,楽器,クロック,カメラ等々,が置かれている.オーナーの趣味であろうか.薪の暖炉も赤々と燃えている.
部屋に入ると既に暗くなっていたが,オフリド湖が望めた.ただしエアコンの効きは不十分で,夜がふけると少し寒い.片方のベッドから毛布を引っ剥がして,2枚掛けして凌いだ.
夕食はここのレストランで,ドライバGさんに頂いたワインを飲みながら頂戴した.メニューは何だったかな....
下は,オフリドの夕べの写真
さてこれでオフリド見物は終わった.明日は国境を越えアルバニアのベラートへと移動だ.