メジュゴリエMedjugorje

このメジュゴリエ編では,2013/12/19(木)ドブロヴニク観光後,ボスニアヘルツェゴビナのネウムに入り昼食,その後内陸のメジュゴリエへ行き,メジュゴリエの聖母マリア出現で有名という聖ジェームス教会を訪れたときの写真を載せました.


メジュゴリエ付近のGoogleマップ

メジュゴリエはボスニアヘルツェゴビナの南部,モスタルに行く手前に位置し,大きな街道から逸れた農村地帯にあった.

ネウムへgo to Neum

ボスニアヘルツェゴビナに入る

ボスニアヘルツェゴビナに入る

ドブロヴニクから暫く走るとボスニアヘルツェゴビナ国境に達し,ごく短時間で出入国手続きが終わり,ボスニアヘルツェゴビナに入る.

ボスニアヘルツェゴビナの沖合は長く突き出た半島が横たわり,自然の防波堤となっている.で,波はなく,魚かカキか何かよく判らないが,多分養殖のためのブイが列になって浮かんでいる.

少し先になるが発電用風車が半島の丘に見える.無人であろうから騒音問題を生じることなく風車には持ってこいであろう.


ネウム(Neum)に到着し昼食

ネウムに到着し昼食

ボスニアヘルツェゴビナ唯一アドリア海に面するネウム(Neum)に到着した.殆ど内陸のボスニアヘルツェゴビナにとって唯一の海への玄関口で,貴重であろう.住民は歴史的な周囲環境の関係からクロアチア人が多いそうだ.

私たちは下にスーパーマケット,上にレストランを備えた旅行者には好都合なお店に入った.スーパーもレストランもユーロが使えるが,ボスニアヘルツェゴビナはおよそどこでも可能なようだ.確かリゾットだったか?にばかに甘いデザートで,下のスーパーでワインなど買ってみた.手頃な価格で,味ももち論並みであった.


下は,ネウムへ行くときの写真

ネウムへ行くときの写真
ネウムへ行くときの写真 ネウムへ行くときの写真 ネウムへ行くときの写真 ネウムへ行くときの写真 ネウムへ行くときの写真 ネウムへ行くときの写真 ネウムへ行くときの写真

メジュゴリエへgo to Medjugorje

プライベートビーチのある住宅

プライベートビーチのある住宅

ネウムを出て少し海岸線を行き,再びクロアチア(今度は本土)を短区間通過し,またボスニアヘルツェゴビナに入る.ネウムからそのままボスニアヘルツェゴビナ領土内を通って内陸に行く道路がないのだそうだ.そんな訳で2度に渡り,出入国を繰り返すのであるが,西ヨーロッパのような完全フリーパスではないもののごく簡単に済ませてくれる.

で,ネウムの後,まだ少し海岸を通るのだが,写真のようなプライベートビーチを持っている住宅がよくある.沿岸は砂浜は少なく,多くは岩場のようであるが,波は低く,打ち寄せる心配はあまりないのかも知れない.


ネレトヴァ川河口近くの広い畑

ネレトヴァ川河口近くの広い畑

再びボスニアヘルツェゴビナ領に入って来て,山を下るとこのような広い畑が広がっている.モスタルから流れ来るネレトヴァ川(Neretva)の形成した河口州であるようだ.なお同川河口はこのちょっと先,クロアチア領土のアドリア海に注いでいる.

この平野では果樹や穀物が多いようで,水路が縦横に張り巡らされ,畑がまるで浮島畑のように見えるところもあって面白い.


メジュゴリエの途中までネレトヴァ川沿いを北上

メジュゴリエへネレトヴァ川沿いを北上

メジュゴリエへの道は,途中までネレトヴァ川沿いを走っている.ネレトヴァ川この辺りの流れは比較的緩やかで,周辺の農地に水を供給しているようだ.メジュゴリエに着くまでの間,あまり大きな都市は見られず,主要産業は農業かな~と思われた.


下は,メジュゴリエへ行くときの写真

メジュゴリエへ行くときの写真
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メジュゴリエMedjugorje

メジュゴリエの街に到着した

メジュゴリエの街に到着した

バスはメジュゴリエの街に到着した.人口4000人くらいという小さな街(村)で,主にクロアチア系民族が住むという.何の変哲もない村であったのだが,1981年の『聖母マリアの出現』以来,徐々に注目されてきたそうだ.まあ,私たちのような野次馬もある程度来るであろうが,カトリック信徒の巡礼者が多く訪れるそうだ.

そのため街にはホテルや巡礼者向けショップ,お土産店などが並んでいるようだ.


メジュゴリエの周囲は農村地帯

メジュゴリエの周囲は農村地帯

メジュゴリエの街の周辺は農村地帯だ.緩やかな起伏のある畑の周囲には丘や低い山が連なっている.畑作や家畜の農家が多いのではなかろうか.

さて,1981年6月24日夕刻,そんな丘の一つで村の16~18歳の少年6人が遊んでいると,両手で幼子を抱えた聖母マリアが現れたそうだ.そしてあくる日再び同じ場所を訪れると,雲の間に光輪が出て,そこに立つ聖母マリアを見付けたそうだ.そして子供たちが神に祈りを捧げると聖母マリアも一緒になって祈り,その後語りかけてきた,ということだ.

現在6人うち4人はこの近くに,一人は米国に,一人はイタリア在住で,皆家庭を持ち(つまりカトリックなので非聖職者)で普通の生活を送っているということだ.

そして聖母マリアの出現は,2013年現在既に30年余り経った今日も続いており,6人の中の一人は今も毎日現れることを認識し,またある者には一年に一度だけ現れるそうだ.そうした継続的出現と聖母マリアからのメッセージは,世界中から巡礼者を呼ぶそうで,しかも年々増加傾向にあるという.


メジュゴリエの聖ジェームズ教会(St. James Church)

メジュゴリエの聖ジェームズ教会

メジュゴリエのカトリック教区ができたのは1892年で,直ぐに聖ジェームズ教会(St. James Church)の建設が始まり1897年に完成したという.当時としては目を疑うほど美しい建築だったが,弱い地盤に建てられたため,直ぐに亀裂が入ってきたそうだ.そして第一次大戦直後から新しい建設構想が練られ,1934に建設が始まったが完成は1969年だったそうだ.

完成当時,この村(教区)の人口に較べてとてつもなく過大だとの批判があったそうだ.ところが現在は巡礼者が多くなり,これでもとても手狭になったということだ.

教会の前では大きなクリスマス飾りの工事中だった.作業しているのは,これまで罪を犯し更生施設にいる青少年とのことだ.なるほど.


メジュゴリエ聖ジェームズ教会の聖母マリア像

聖ジェームズ教会の聖母マリア像

聖ジェームズ教会礼拝堂の右側に聖母マリア像があり,ここでお祈りしていた人が居られた.

聖母マリア出現に関わる教会なのでやはり特別なのではなかろうか.庭にもできて間もないという白いマリア像があった.またその周囲の建物の多くは巡礼宿だということだ.


メジュゴリエ聖ジェームズ教会の野外礼拝所

聖ジェームズ教会の野外礼拝所

巡礼者が増えたので大きな礼拝堂でも入りきれなくなり,外にたくさんのベンチを並べて,ここでミサが執り行われることになったそうだ.まあ,随分な席数で驚くばかりだ.

巡礼者は国内からはもち論であるが,世界中から集まり,一番多いのはイタリア人だそうだ.


下は,メジュゴリエ聖ジェームズ教会での写真

メジュゴリエ聖ジェームズ教会での写真
メジュゴリエ聖ジェームズ教会での写真 メジュゴリエ聖ジェームズ教会での写真 メジュゴリエ聖ジェームズ教会での写真 メジュゴリエ聖ジェームズ教会での写真 メジュゴリエ聖ジェームズ教会での写真 メジュゴリエ聖ジェームズ教会での写真 メジュゴリエ聖ジェームズ教会での写真

------------ 異説もあり ------------

以上『聖母マリアの出現』に関わる事柄であるが,一方これを全てインチキとする説も多いという.いやそれどころか,この上位の教区,はたまた最高位のバチカンまでもがメジュゴリエのマリア説を否定する,とのちゃんとした声明を出しているのだそうだ.そうした否定側の人たちは,6人の幻視者及び教会関係者は早い話,金儲けのためいろいろでっち上げているに過ぎない,と言っているようである.

------------ 他での事例 ------------

同行のカトリック信徒の方に,他にもこうした『聖母マリアの出現』例があるか訊いてみた.すると世界のあちこちにあり,日本でも秋田の修道院で,1973年にそこの修道女の手の平に十字架型の傷(聖痕)が現れ,聖母マリア像から度々涙が流れたという事例があるそうだ.涙に関しては複数の人が見たという.こちらはメジュゴリエと違って教区司教によって正式に認可された数少ない聖母マリアの出現例だという.


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