コトルKotor

このコトル編では,2013/12/18(水)ブドヴァ観光後アドリア海に沿いコトルへ行き,コトルの街を歩き,武器の広場,ピマ家の館,聖トリフォン大聖堂,聖ニコラス教会,聖ルカ教会,フランシスコ会修道院サンタクララ教会などを眺め,再びバスに乗りコトル湾沿岸を走ってセントジョージ島や聖母マリア教会を望みながら北へと向かったときの写真を載せました.


コトル付近のGoogleマップ

コトルの街はアドリア海の二重になったコトル湾の奥側の湾の,そのまた最も奥に位置している.そのためアドリア海が荒れてもさほど影響なく天然の良港となっているようだ.

コトルへgo to Kotor

コトルへ向けてアドリア海沿岸を走る

アドリア海沿岸を走る

ブドヴァを出るとバスは北上した.コトルまでの間,最初は殆ど山の間を通るが,そのうちアドリア海沿岸を望むようになる.海面は穏やかで,濃紺が美しく映える.


コトル湾に入る

コトル湾に入る

やがてコトル湾に入ってきた.ボートや少し大きな漁船が係留されている.


コトルに到着

コトルに到着

バスはコトルに到着し,駐車場からコトル旧市街の城門に向かって歩いた.城門近くにインフォメーションブースがあり,コトルのガイドさんが待っていてくれた.どうぞよろしく.

またその前のオープンカフェでは,平日であるに拘らず結構賑わっている.年寄りはあまり見かけず,子育て中の女性などが多いようだ.


下は,コトルへ行くまでの写真

コトルへ行くまでの写真
コトルへ行くまでの写真 コトルへ行くまでの写真 コトルへ行くまでの写真 コトルへ行くまでの写真 コトルへ行くまでの写真 コトルへ行くまでの写真 コトルへ行くまでの写真

コトルの街歩きwalk in Kotor

コトル旧市街の武器の広場

武器の広場

アーチ型の城門をくぐったところにある広場.縁に大砲など置かれているが,武器の広場と呼ばれるようだ.その昔ここで武器を整えて,出陣したのであろう.

さて背後の山であるが,その稜線に沿って城壁が築かれている.山だけでもかなりの防御になりそうだが,さらに念入りな防衛手段を構築した訳だ.途中には教会のような建物も見えている.場所からして修道院であろうか?

さてコトルに関する記録は古代ローマの時代まで遡るという.しかし大きく発展したのは10世紀,コンスタンティヌス7世の頃からで,11世紀になるとローマ化された有力なダルマチア都市国家の一つになっていたそうだ.そしてその後はオスマントルコやヴェネツィア共和国の支配下になったこともあったそうだ.

時代は下り近代になると,ハプスブルク君主国,次にオーストリア帝国の支配下になったりしながら,1918年にユーゴスラビアの一部となり,コトルと呼称されるようになったそうだ.ただその後も周辺の都市同様多難で,イタリアへの併合,二次世界大戦後のユーゴスラビア社会主義連邦共和国内のモンテネグロ社会主義共和国化などを経て,現在の市場経済体制のモンテネグロの街になったと云うことだ.


コトルの細い路地に石造りの建物

細い路地に石造りの建物

この朝見てきたブドヴァ旧市街とよく似ている.細い路地の両側に石造りのかなり頑丈そうな建物が密集している.ただ地震の発生地帯であり,1979年大地震では旧市街の半分は被災し,100人以上の死傷者が出たそうだ.

道を挟んだ2つの建物の間に鋼鉄の支え棒が渡されているところもある.片方の建物が倒れて,他方が将棋倒しになるのを防ぐためだそうだ.


コトル旧市街の17世紀ピマ家の館

17世紀ピマ家の館

コトル旧市街にはとても古い建物が多く,臙脂色に統一された案内板がそれぞれの建物に掲げてある.例えばこのルネッサンスバロック様式という建物にはPalace of Pima family 17th C.と掲げられている.17世紀ピマ家の館と云ったところであろうか.この古びてはいるが当時の貴族の生活様式が伝わる間取りなど,大変ユニークだそうで,建築史的に価値が高いという.ピマ家の子孫から,コトル市に寄贈され,現在は市が管理し,補修などを行っているそうだ.こうした例は幾つもあるそうだ.日本では明治村など,古屋を集めてきて保存するケースがあるが,ここでは元もまま保存ということのようだ.


コトル旧市街のシーフードレストランで昼食

コトル旧市街のシーフードレストランで昼食

コトルには海も港もあるので魚貝類は豊富なようだ.旧市街のこのレストランで昼食を食べた.確かヤリイカを焼いたものとかで,なかなか美味しかった.お店は小さく,シートはちょっと狭かった.


下は,コトルの街歩きでの写真

コトルの街歩きでの写真
コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真
コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真 コトルの街歩きでの写真

コトルの教会churches in Kotor

コトルの聖トリフォン大聖堂(Cathedral of Saint Tryphon)

聖トリフォン大聖堂(Cathedral of Saint Tryphon)

コトル旧市街は狭いが,教会がいっぱい建てられている.その中で最も有名とされるのがこの大聖堂で,コトルの守護聖人トリフォン(またはトリプン)を祀ったカトリック教会だそうだ.オリジナルは809年に建てられ,後の1166年ロマネスク様式で再建されたという.

2つの鐘楼があり,左には建立年の「809」が,右には1200周年記念の「2009」のプレートが嵌めこまれている.


コトルの聖ニコラス教会(Serbian orthodox church of St Nicolas)

聖ニコラス教会(Serbian orthodox church of St Nicolas)

屋根上の横線2本の十字架が正教会系であることを示し,実際セルビア正教教会だそうだ.1909年建立であるが,更地に建てたのではなく,以前在った教会が19世紀末に火災で焼失し,その跡地に再建されたということだ.教会は更地に建てるものではなく,必ずそれまで何らか由緒ある場所に建てるものだと添乗Kさんが教えてくれた.またこの建物は新しいがビザンティン様式建築だそうである.

聖ニコラス(Sint Nicolas:270頃~345年)はキリスト教の司教で,また神学者でもあり,海運の守護聖人とされているそうだ.コトルは海の街であるから,海運の守護聖人とは深い縁がありそうだ.なおサンタクロースと同一人物という説もあるそうだが,定かではないようだ.


コトルの聖ルカ教会(Church of St. Luke)

聖ルカ教会(Church of St. Luke)

上2つと較べて少し柔らかそうな印象だがロマネスク様式と呼ばれるそうだ.上記聖堂の少し後,1195年にカトリック教会として建立されたそうだ.ただ17世紀半ばに,セルビア正教の教会に変わっていったという.しかしカトリックも完全に排除するという訳ではなく,19世紀までは両者の祭壇が共存していた時代もあったそうだ(現在は正教のみ).

なお聖トリフォン大聖堂が大被害を受けた過去2度,1667年と1979年の大地震に耐えたそうで,ロマネスク様式は頑丈な造りということなのであろうか.


もう一つの聖ニコラス教会

もう一つの聖ニコラス教会

川縁に建つこの教会もまた聖ニコラス教会であるそうで.1909年建立であるが,やはり更地にではなく,17世紀半ばからあった旧聖ニコラス教会の跡地に建てられたそうだ.


コトルのフランシスコ会修道院サンタクララ教会

フランシスコ会修道院サンタクララ教会(Franciscan Monastery of St. Clara)

ベネディクト会の女子修道院の左隣に建てられている.外見はごくシンプルであっさりしている.オスマントルコの襲撃を恐れ,自ら破壊したフランシスコ会女子修道会の修道院後に,再建したという.教会は聖クララを守護聖人として祀っているそうだ.


サンタクララ教会の礼拝堂

サンタクララ教会の礼拝堂

この教会は内部をよく見せて貰った.精緻な彫刻や絵画でいっぱいだ.例えば写真は主祭壇であるが大理石の彫刻など目を見張るばかりだ.

こうした立派な内装は,当時の貿易商など裕福な信徒を多く抱えていたために可能だったとのことだ.


下は,サンタクララ教会内部の写真

サンタクララ教会内部の写真サンタクララ教会内部の写真サンタクララ教会内部の写真
サンタクララ教会内部の写真サンタクララ教会内部の写真サンタクララ教会内部の写真

以上コトルの街は『コトル地方の歴史的建造物と自然(Natural and Culturo-Historical Region of Kotor)』1979年,ユネスコ世界遺産世界遺産ロゴ(文化遺産)に登録されている.『自然』の言葉が含まれているが,文化遺産だけのようだ.

コトル湾bay of Kotor

コトル湾の東側を辿り北へ

コトル湾の東側を辿り北へ

コトル見物を終えるとバスに乗り,コトル湾沿いの道を北に向かった.山は沿岸まで迫っているので,途中の村々の住宅は岸に貼り付くように建てられている.当然道路もまた同じように海岸線に沿って走っている.


コトル湾に浮かぶ島の教会

コトル湾に浮かぶ島の教会

暫く走ると湾内に近接した2つの島があった.左側,木立のあるのはセントジョージ島(Saint-George island)で,赤い屋根は修道院だそうである.ここには修道僧しか上陸できないそうである.

右側の青いドームに青いキャップの鐘楼の建物は聖母マリア教会(Church of our Lady)で,島は聖母マリア岩礁島(Our-Lady-of-the-Reef island)と云うことだ.

静かな海面に,淡く浮かぶが如く在る様は墨絵のようで,美しい.


コトル湾の海面は実に静か

コトル湾の海面は実に静か

コトル湾の海面はとても海とは思えぬほどに静かだ.水面に映る風景も全く揺らぐことなく,正しくミラーのようだ.湖でもなかなかここまで静かになることは多くなかろう.


コトル湾のフェリー発着場

コトル湾のフェリー発着場

ここから対岸のコトルへの近道へ往復するフェリーが定時運行している.前回2011年に訪れたときは往きも帰りもバスごとこのフェリーで渡った経験がある.その方が時間が短くて済む.ただバスで遠回りするのも海岸の景色が眺めることができるので結構楽しい.


下は,コトル湾沿いを進むときの写真

コトル湾沿いを進むときの写真
コトル湾沿いを進むときの写真 コトル湾沿いを進むときの写真 コトル湾沿いを進むときの写真 コトル湾沿いを進むときの写真 コトル湾沿いを進むときの写真
コトル湾沿いを進むときの写真 コトル湾沿いを進むときの写真 コトル湾沿いを進むときの写真 コトル湾沿いを進むときの写真 コトル湾沿いを進むときの写真

さてこれでコトル見物は完了した.この後はクロアチア(の飛び地)に入国し,ドブロヴニクに向かう.


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