プリシュティナPristina

このプリシュティナ編では,2013/12/13(金)朝イスタンブルを発ったTK-1017便がコソボ共和国の首都プリシュティナへ到着するまで,プリシュティナ空港から郊外の風景,プリシュティナの街の写真を載せました.


プリシュティナ付近のGoogleマップ

プリシュティナはコソボの首都.コソボはセルビア,ロシア,中国....等々未承認国あるため,このGoogleマップでもセルビアとの国境が破線で表示されている.

プリシュティナへfly to Pristina

TK-1017便は順調にプリシュティナへ

前ページで記したトルコ航空TK-1017便は順調に飛行を続けた.1時間半程度のフライトだが,ちょうど朝飯時なので,朝食を出してくれた.ホテルで貰った弁当も食べたのだが,それはそれとしてまた食べた.一般に朝食に多いハムやソーセージはなく,ターキーを添えてあるのがトルコ航空らしい.トルコも,向かう先のコソボもイスラム国なのでハラールフードになっているのであろう.味はトルコ料理にしばしば使われる変わった調味料とかなく,オリーブは若干塩分がきついもののごく普通で美味しかった.

TK-1017便(A319)キャビン風景TK-1017便の朝食

フライトは順調で,着陸前にキャプテンの放送が流れた.プリシュティナの現在の気温は-3℃と云うことで,出発前の-17℃よりは相当上がった.あ~良かった!


プリシュティナに近づき晴れてくる

プリシュティナに近づき晴れてくる

イスタンブルをから1時間余りは濃い雲に覆われ,地上を見下ろすことは叶わなかった.しかしコソボのマケドニアとの国境山岳地帯辺りに入る頃になると,見事なほどに雲がなくなり,美しい雪山を望むようになった.素晴らしい!


プリシュティナ上空も晴れて住宅街を望む

プリシュティナ上空も晴れて住宅街を望む

山を越えるとコソボ領内(セルビアは認めてないが)である.そして程なく、コソボ共和国の首都プリシュティナ上空に至った.高度を下げると畑に散らばる赤い屋根の住宅がよく見える.住宅の密度は比較的密ではないように思う.ビニールハウスや銀色ドームのモスクも見える.

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国時代プリシュティナの人口は10万人程度で,アルバニア人70%,セルビア人15%,そして他民族だったそうだ.それが1996年~1999年コソボ紛争で多くのアルバニア系住民が殺害され,また紛争終結後はセルビア人が虐殺され,急速に減少し,2004年にはアルバニア系が98%を占めるに至ったそうだ.またコソボ全土では現在アルバニア人92%,セルビア人5%,諸民族3%ということだ.つまりコソボの現在はアルバニア人が圧倒的に多いのだが,セルビア人にとってコソボはセルビア発祥の地,セルビア正教の聖地であり,手放すわけにはいかないのだそうだ.NATOの空爆を経てNATO軍(と国連)の平和維持活動でコソボ紛争は一応収まって,いや抑えているが火種が消えた訳ではなく,現にロシアや中国などの大国を含め,コソボを承認していない国は多い.なお承認国はNATOや日本など,国連加盟193国のうち105国であるそうだ.


プリシュティナ空港に到着

TK-1017便はほぼ定刻の08:20に到着した.やはり快晴で,限りなく嬉しい.機を降りると,気温も上がっているようで,少なくとも氷点下は下回らないであろうと感じられた.12月のヨーロッパは曇天と覚悟して来たのだが,嬉しい誤算だ.

入国審査では何の目的で?と訊かれ,薄いインクのスタンプを押してくれた.後日入国予定のセルビアのパスポートコントロールでこのスタンプがあると,その上に『無効』のスタンプが押されるそうだ.私の場合は,見つからなかったのか,そのまま残った.薄くてよく見えないが.

プリシュティナ空港プリシュティナ空港出口

プリシュティナ空港出口を出るとガイドZさんとドライバGさんがベンツの大型バスを伴って迎えてくれた.Gさんはツアー全行程を,Zさんはこの日13日を案内してくれるそうである.どうぞよろしく.なお,コソボには観光インフラが未整備なためか二人共お隣マケドニアの人で,バスもマケドニアの会社だそうである.

プリシュティナ郊外suburbs of Pristina

プリシュティナ郊外,平地や緩やかな丘陵をバスが行く

平地や緩やかな丘陵をバスが行く

プリシュティナ空港からはデチャニ修道院見物のため西へと向かった.デチャニまでは95kmの距離で,プリシュティナ郊外からの平地や緩やかな丘陵を進んだ.大まかには畑が殆どを占め,たまに家畜が見える.実際主要産業は農業だそうで,特定の地方では亜鉛鉱山はじめ鉱物資源が豊富だそうで,経済成長を助けているという.

ただヨーロッパ最貧国の1つであり,国外居住縁者からの送金で暮らす世帯も極めて多いそうである.なお国外居住縁者からの送金に頼るのはコソボに限らず,他の旧ユーゴ諸国や,中東諸国にも多い.


プリシュティナ郊外の村のモスク

プリシュティナ郊外の村のモスク

赤い屋根,白い壁の農家住宅が多い.構造的にはコンクリート柱と床,柱間にレンガを嵌め込んだ造りが多い.暖房に木材が多く使用されるそうで,概ね煙突も備えているようだ.

上述のように人口の多くはアルバニア人,そしてその殆どはイスラム教徒(僅かカトリック教徒も)なのでモスクもよく見かける.モスクは比較的小型で簡素な造りが多いようだ.墓地や,町村の戦士の慰霊碑も頻繁に見かけるが大半はイスラム形式で,ペーチ市の近くでは十字架のクリスチャン形式墓地もあった.


PEJAビール工場

PEJAビール工場

ペーチ市(Pec:セルビア語)の別名はペーヤ(Peja:アルバニア語)で,この街の手前に大きなPEJAブランドの工場があった.イスラムのアルバニア国でビール製造とはちょっと不思議な気がしないでもないが,大変結構なことだ.夕食で飲んだが美味しかった.他の方もこの後訪れる各国のビールと飲み比べても一番ではなかったのでは,との専らの評価があった.

何れにしてもコソボはイスラムの戒律に対して緩く,誰もが普通に飲んでますよ,とガイドZさんが話してくれた.それはそれは結構なことだ.


プリシュティナ郊外の高速道路

プリシュティナ郊外の高速道路

現在西のアルバニアとプリシュティナとを結ぶ高速道路の建設はかなり進み,2014年中には完成見込みだという.アルバニアは今年2013年が丁度建国100年となるそうで,その記念事業の一つとしてアルバニア側及びこのコソボ側にも資金供与して進めているらしい.アルバニアには,コソボなどバルカン半島に点在する同胞の住むエリアをまとめた大アルバニア国をいずれ打ち立てたい,と云う遠大な構想があるそうで,コソボの高速道整備もその一環ということだ.

アルバニア自身も最貧国クラスと言われるそうだが,やはり自国のアイデンティティ維持や権益拡張には相当気合が入っているものと感じられる.コソボは現にセルビアやロシアなどのセルビア支援国からすれば存在そのものが否定されているわけで,大変な状況なのだが,何とかまた戦争に入るのは避けてもらいたいものだ.


プリシュティナ郊外NATO軍の平和維持活動本部

NATO軍の平和維持活動本部

プリシュティナ郊外にはNATO軍の平和維持活動本部というのがあった.実質的には2008年のコソボ共和国独立宣言の前から存在していたのではなかろうか.なお,NATO軍は多国の兵で構成されているが,例えばこの後見物するデチャニ修道院に向かう道路の検問所ではドイツ兵士が,修道院入り口ではイタリア軍兵士が武装し,警護していた.そうした場所は撮影禁止である.


下は,プリシュティナ郊外での写真

プリシュティナ郊外での写真
プリシュティナ郊外での写真 プリシュティナ郊外での写真 プリシュティナ郊外での写真 プリシュティナ郊外での写真 プリシュティナ郊外での写真
プリシュティナ郊外での写真 プリシュティナ郊外での写真 プリシュティナ郊外での写真 プリシュティナ郊外での写真 プリシュティナ郊外での写真

終わりの写真の道路標識のように,表示言語はアルバニア語とセルビア語の併記が原則だそうだ.次のマケドニアのキリル文字と違って,どちらもラテン文字表記であるのは助かる.このような高い場所の標識は大丈夫だが,歩道などの標識はしばしば片側,多くはセルビア語表記が削り取られケースが目立つそうだ.まだまだ対立が収まっていないのがよく判る.

また村の戦没者慰霊碑などに見られるように,コソボ国旗flag of Kosovoではなく,赤いアルバニア国旗flag of Kosovoが掲げられているのも目立つ.コソボ人の祖国はあくまでアルバニアなのであろう.

プリシュティナの街city of Pristina

プリシュティナ4:15PM,ほぼ真っ暗

プリシュティナ4:15PM,ほぼ真っ暗

ペーチの街(別ページ)を見物し,バスはプリシュティナの街に戻ってきた.写真は4:15PM,ほぼ真っ暗だ.北海道くらいの緯度で,もっと西のパリとかと同じ時間帯に属しているので,陽の位置は早くシフトし,おまけにほぼ冬至であるし,その結果早く日が暮れるのであろう.

で,この後首都プリシュティナの比較的小ぢんまりまとまり所在した各種行政機関や博物館,オスマントルコ時代からのモスク,ビルクリントン元米大統領の銅像,カトリック教会(僅かだがアルバニア人信徒住むそうだ),セルビア正教会(だったような?)....などバス巡りしたのだが......暗くてよく分からず.写真もなしで残念.なお街路は一国の首都としては概して暗めだ.


コソボ承認国国旗を掲げたプリシュティナのHotel Victoryフロント

コソボ承認国国旗を掲げたHotel Victoryフロント

暗くてよく見えないのですごすごとプリシュティナのHotel Victoryにたどり着いた.フロントにはコソボ承認国国旗が掲げられている.承認国は増加中で2013年現在国連加盟193国中105ヶ国に達しているそうだ.非承認の中国に対して,国連加盟国ではないが台湾が承認という.旗は105より少ないので宿泊客の多少も絡めてあるのであろう.

ところでコソボの国旗flag of Kosovoは珍しいことに領土の形が描かれ,一寸たりとも削られはしないぞ,といった決意が窺えるようだ.白い6つの星は居住6民族,つまりアルバニア人,セルビア人,トルコ人,ロマ人,ゴーラ人,ボシュニャク人の調和と団結を....だが,まあそれは建前で,本音はアルバニア人の......とも聞いた.

さてキーを貰って部屋に入ってみて驚いた.端から無かろうと思っていたのだが,ちゃんとバスタブが備えられ,熱い湯で満たせた.ローブも架かっている.むしろこの後巡る街のホテルより良かったと思う.なおイスラム圏のホテルだけあってテーブルにはメッカの方向を示すキブラが貼られていた.またイスラム規範に基づくらしいが,ゴミ箱がバスルーム以外には置いていないのはちょっと不便だ.


シンフォニーレストランで夕食

ホテルの部屋で寛いだ後,ちょっと離れたシンフォニーという名のレストランにバスで出掛けた.店内にはワインなど普通に並べてある.戒律の緩さを改めて納得し,安心する.塩っぱいチーズに生野菜の後,メルルーサ料理を出してくれた.上述のPEJAビールも頼んでみたが,なかなかイケた.

シンフォニーレストランサラダとチーズメルルーサのソテー
↑シンフォニーレストラン↑サラダとチーズ↑メルルーサのソテー

コソボに海はないが深海魚メルルーサはお隣のアルバニアかマケドニアから来るのであろうか?今年2月パタゴニアのラゴグレイホテルでもメルルーサ料理が出てちょっと感心したものだが,またしても少し驚かされた.他国では割りと一般的な魚なのかも知れない.


プリシュティナで再開予定の地域暖房施設

再開予定の地域暖房施設

夕食から戻り,ホテルで一夜が明け,12/14(土)朝,寒いが表に出て周りを眺めてみた.Hotel Victoryの屋根には何故か自由の女神像が載せられている.誰にも知られている形態なので広告塔には持ってこいであろう.

ホテル横の巨大な煙突は,旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国時代に稼働していた地域暖房設備(大型ボイラー)だそうである.最近西欧のさる企業がこれを買収し,近いうちに稼働再開の予定があるそうだ.電力とのコージェネとかであれば効率的であろうが,暖房だけでは.....どうなんでしょう?


プリシュティナの朝,快晴なれど霞が架かる

快晴なれど霞が架かる

さて集合住宅の多い方角に目を転じると,まだ朝焼けの名残りの赤味を帯び,雲は無く日本晴だ.ただモヤか霞みが架かったように空気が白んでいる.こうした様相はこの朝だけでなく,今回回った南バルカンのどこでも同様に見えた.比較的工場は少ないし,車も特段多いようには見えないので,大気汚染ではなく自然現象ではないかと感じられたが.....実際どうなんだろう?


プリシュティナの朝,通勤の人たち

プリシュティナの朝,通勤の人たち

ホテル近くのバス停では通勤の人達が来ては散っていく.普通の路線バスに加えて,タクシーやワゴン車の相乗りで行く人が多い.いや寧ろバスより多いように見える.中年~老年より,20,30代くらいの若い人たちが多い.人口構成も多分そうした割合なのではなかろうか.

人々の服飾はシックと言うか,地味と言うか....三原色のようなも派手な色は少なく,若い女性でも黒っぽい装いが主流のように見える.まあ,これがこの地方の文化なのであろう.


下は,プリシュティナの街での写真

プリシュティナの街での写真
プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真
プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真 プリシュティナの街での写真

さて朝ごはんの後はバスでデチャニ行きだ.


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