このクルヤ編では,2013/12/17(火)午後バスでフシャクルヤを経てクルヤの街へ行き,そこで昼食後クルヤ城址を見物.そして再びバスに乗りアルバニアとモンテネグロの国境に至り,モンテネグロに入国し,ブドヴァのホテルに着くまでの写真を載せました.
クルヤはティラナの北にある小さな街で,中世にはアルバニアの都であり,英雄スカンデルベクの拠点であったそうだ.
バスはクルヤの街の手前,フシャクルヤ(Fushe-Kruje)に入ってきた.クルヤの山の麓の街,クルヤ下街というか,元街というか,そんな意味のようだ.フシャクルヤ背後の山はクルヤ山(Mt. Kruja)で,クルヤ城址のあるクルヤ本街はその中腹にあって,ここフシャクルヤから斜面を上ったところに位置している.
中世の頃から,この2つの兄弟街は協調して発展してきたということだ.
フシャクルヤには元米大統領ジョージブッシュ氏のブロンズ像があった.ブッシュ氏もバス旅行の際トイレ休憩でここに立ち寄った.....まさか.ただ2007年6月に立ち寄ったのは確かで,対セルビアNATO軍の一員として,応援に訪問したのでしょうか.コソボのプリシュティナにクリントン元大統領の像があったのと同様の意義かな.またブッシュブロンズ像のみならず,ブッシュ通り,ブッシュ広場,はたまたジョージブッシュカフェまであるそうで,気合が入っている.
フシャクルヤを過ぎて,山道を登り始めた.いろは坂のようなカーブが続く.途中男の子がオリーブの木の下で七面鳥(ターキー)と遊んでいた.いや,世話していたのかも知れない.この七面鳥は,あと一週間と迫ったクリスマスを果たして乗りきれるだろうか?さもないと男の子に気の毒だ.
坂の途中にはクルヤの,アルバニアの英雄スカンデルベグの像が据えてあった.クルヤはスカンデルベグの街なのだ.
バスは登り,クルヤ山中腹のクルヤの街に近づいてきた.ここに城を構えれば,背後からは先ず攻められることは無さそうだし,前方からも斜面であるから容易には近づけないであろう.
一方先程の元街フシャクルヤは平地にあるので,食料生産や武器供給などで,クルヤを助けたのではなかろうか.
クルヤの街のパノラマホテル&レストランに到着した.丁度クルヤ城址への入り口に位置している.私達は先ずここで腹ごしらえすることになった.
これが昼食の内容だ.パエリアに焼きチーズだったか?チーズは確か塩っぱかったかも知れない.そうしたチーズはよくあるから....
下は,クルヤへ行くときの写真
パノラマホテル&レストランで食べた後,門をくぐると高いミナレットが見えた.モスクに至る小径にはTiKA援助の修復事業説明書が掲げられている.これによればKruja Murad Bey Camiiと記されている.Murad Beyを引いてみると,オスマントルコ帝国領エジプトの領主(1750~1801年)で,勇猛果敢な武力で知られた人だったそうだ.緒戦勝ち抜いたが,晩年エジプトに上陸してきたナポレオン軍に破れたという.
何れにしてもオスマントルコ時代のモスクであることから,トルコ政府,TiKA(Turkish International Cooperation and Development Agency)が修復援助している訳だ.なおこのモスクはバザールの中に建っているので,通称バザールモスクとも呼ばれているようだ.
石畳の狭い通りの両側に伝統的な店舗が並んでいる.今は観光客相手のお土産品店や骨董品(半ばガラクタ)が多いようだ.通りは丸石舗装で緩やかな勾配もあり,特に雨になれば滑り易すそうだ.で,変わったことに,道の真中に一段低い溝が設けてある.雨水を流すのであろう.普通こうした機能は脇の側溝で,というのが通り相場であろうが,意表を突く『真ん中』とは面白い.
バザールを抜け坂道を上ると城門があった.石積み構造であるが,江戸城などと比べると比較的小さい石で,若干迫力に欠く.ただ石は小さいが漆喰で固めてあるので,機能的には江戸城並みであろう.
門を抜けたところにもお土産の露店が並んでいた.時節柄疎らな観光客の数より,多いようでちょっと気の毒だ.
高い塔は物見台であろう.その手前の屋根の架かった石囲いは古いキリスト教会跡だそうだ.石囲いを仔細に観てみると,微かに壁画が残っていた.風前の灯火のように見えるが,大丈夫か?
さてこのクルヤ城であるが,中世の1190年,アルバニアで最初に自治権を得たアルバノン公国,後にアルバニア王国になったときの都が置かれたところだそうだ.15世紀初めオスマン帝国の侵攻があるが,スカンデルベグが1443年から亡くなる1468年までの間,3度に渡りオスマン軍と対峙し侵略から守ったという.つまりクルヤ城がスカンデルベグの本拠地で,中世アルバニアの中心だった訳だ.
私達は入らなかったが,城址には立派なスカンデルベグ博物館が建てられていた.国一番の英雄なのでそれに見合う博物館であろう.
クルヤ城址からはクルヤの街が一望できる.攻め入ってくる敵の監視もやり易かったであろう.それにしてもこの日もまた天気が良くて嬉しい.
下は,クルヤ城址での写真
クルヤ城址の見物が終わり,私達のバスはモンテネグロ国境目掛けて再び北に向かった.牧草地では丸々と肥えた羊たちが草を食んでいた.ここの辺りの羊は名前は知らないが,白い大型種が多いようだ.
果物がメインだが,ニンジンとキャベツも加わっている.こうした露店ではなぜか特にニンジンが一緒に販売されているのが多く,面白い.
北へ北へと国境への道は続いた.アルバニアの街道沿いには看板が異常に多い.まあそれで何か支障があるということも無かろうからいいか.
川があった.壊れた鉄橋の上で2,3人の男が釣り糸を垂れている.この辺りだとマスとかであろうか.
そして丘の上には城壁のようなものが見えている.いつの時代のものか,ここにもお城があったようだ.
時計は4時を廻り,暗くなってきた.前方にはモスクのミナレットがシルエットで浮かび上がってきた.モンテネグロとの国境は間もなくであろう.
モスクの後,アルバニアの出国,モンテネグロ入国を済ませ,バスは北上を継続した.程なくアドリア海沿岸となった.既に陽は落ち,沿岸の街には疎らに灯が灯っていた.
そして少し行くとブドヴァの街に入り,ブルースターホテル(Hotel Blue Star)に到着した.ホテルの部屋に荷物を下ろし,一休みの後,ホテルレストランで夕食を頂いた.アドリア海の海産物料理だったかな....?
下は,ブドヴァへ行くときの写真
さて明日の朝はここブドヴァの街を観て歩く.天気はどうなるかな~?