このペーチ編では,2013/12/13(金)デチャニ修道院を観た後ペーチ(またはペーヤ)の街に行き昼食,そしてペーチ修道院と見物したときの写真を載せました.
ペーチはモンテネグロ国境近く位置し,ほぼイスラムの街ながらセルビア正教のペーチ修道院を抱えている.
デチャニ修道院から戻りペーチの街に入ってきた.街道にはクリスマスツリー状の飾り付け作業が行われていた.またお店のウインドウにも小さなツリーが飾られているところもある.しかしガイドZさんの説明では,決してクリスマスツリーではなく,新年を祝うための飾りです,コソボでクリスマスはあり得ない,とマケドニア人のZさんは強調した.ちょっと完全には腑に落ちないのだが.....
ペーチの街外れ,白馬に引かれた馬車が行く.もちろん馬車は稀にしか見ないがなかなか長閑な光景だ.私達旅行者にはいい眺めだが,果たしてあとどれくらい続くであろう.....
昼食を食べたホテル脇の広場だが,背後のモンテネグロ国境の山(2500m級らしい)がなかなか素晴らしい.中央の建物には1929,iPKOと記されている.前者は多分1924年の竣工で,iPKOはコソボでは2番目に大きい通信会社だそうである.歩いているのは働き盛りの人たちが多いようだ.ちょうどお昼時なのでオフィスからレストランに向かっているのだろうか.
ペーチは,古くはローマ帝国の支配下にあり,また前ページで記したように中世セルビア王国ステファンウロシュ4世の時代にはセルビア正教会の総主教座が置かれた(1346年).なお総主教座は一時他所に移されたが現在はまたペーチ教区にその座があるそうだ.14世紀末になるとオスマン帝国に征服され,5世紀もの長い年月に渡り支配を受けた.やがて1912~1913年の一次バルカン戦争で街はモンテネグロの支配下に,第一次世界大戦中の1915年にははオーストリアハンガリー帝国に占領され,ユーゴスラビアの一部になり,アルバニアに占領され,........と変遷.第二次世界大戦後ペーチはユーゴスラビア連邦人民共和国のセルビア人民共和国の一部となり,1999年のコソボ紛争を経て,独立宣言したコソボの一つの街になった,ということになるようだ.
私達が昼食で寄ったホテル前の通りを行く若い女性たち.表情はご覧のとおり賑やかだが服装はやはり落ち着いたトーンだ.上のような歴史を感じさせる建物のある街にはマッチするようだ.
お祭りでもないし夏でもないし....そりゃ客足は鈍いですよね.でもこの寂れた雰囲気....何か江戸時代の花火屋さんの趣きを醸してるような....商品数も多くないし,少しクラシックな建物もあって,そんな感じがしたのです.でも耳に宛がうケータイが何とか現代であることを想起させてくれておりますね.そう言えば間もなく大晦日,新年に変わるときにでも打ち上げて祝うのでしょうね.
花火屋さんに引き続き,こちらも少し和風な雰囲気の佇まい.木材建築(風?)平屋の瓦屋根がポイントであろうか.こうした家屋はもち論ここらへんでは多くないし,なかなか個性的に映ると思う.
なおこうした東洋的雰囲気の建物は,5世紀もの長い間支配を受けたオスマントルコ文化の名残りであるようだ.
下は,ペーチの街周辺での写真
特段変わっているところがないとは思うが,毎日の生活で見ている雰囲気とは違うな~と感じた店頭風景をピックアップしてみた.
↓個性的アクセサリー店 | ↓パン屋さん |
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↑スポーツ具店 | ↑電脳店改め衣料品店と書店 |
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全般的にストレートに商品を明快に前面に打ち出しているような感じかな~
昼食後ペーチ総主教修道院を訪れた.川はモンテネグロ国境の山から流れ出るルゴヴァ峡谷の下流になるそうだ.美味しいマスが棲息し,漁が行われるそうだ.
ここもアルバニア人の襲撃を受けやすい場所であるので,高い塀に囲まれ,しっかりした鉄の扉で守られていた.
さて門をくぐり赤いペーチ総主教修道院の前に来た.元々は赤ではなく白い漆喰だったのであろうか,外壁の一部にフレスコ画が見える.
このペーチ総主教修道院はセルビア正教会の修道院で,ここの教会建築物群は,セルビア大主教および総主教(こちらが上位かな?)の主教座で,また霊廟となっているそうである.大まかに言って,先に見物したデチャニ修道院の尼さんの修道院といった位置付けであるようだ.正確な建立年は不明ながら,セルビアで代表的な聖人である聖サヴァ(1175~1235年)の存命中に造られ,後にセルビア大主教座(の一部)になったとされるようだ.中世セルビア王国国王の戴冠式もここで行われたそうで,セルビア人には大切なところであることが判る.
内部は年配の尼僧の方が案内して下さった.ホールのような広い部屋の右横に,3つの礼拝堂が並列に配置されている.一緒に建てられたのではなく,中央の一番広いのが初めに,次いで手前,奥と順次増設されたそうだ.ホールも礼拝堂もデチャニ修道院のようにこれでもかとばかりフレスコ画で埋められている.ただしデチャニ修道院より傷みが進み,剥がれ落ちている面積は相当広い.モチーフは当然聖サヴァや聖母マリア,大天使ガブリエルやマイケル...などが多いように思えた.残念ながら内部は撮影禁止だった.
教会の左手に僧坊があった.大きな建物だが少なくとも外周辺はひっそりした雰囲気だ.十数人の修道女が居られるようである.
修道院教会前には美しい石組みの鐘楼が立ち,その前一帯には遺跡が見える.ローマ遺跡だそうで,かなりの規模だ.ところでキリスト教会は一般に真っ更な土地に建てることは稀で,普通何らかの由緒ある場所,典型的には例えば古くからある教会の跡,に建てるのが多いのだそうだ.なので多分この遺跡は12世紀より古いのではなかろうか.
下は,ペーチ総主教修道院での写真
なおペーチ総主教修道院はユネスコ世界遺産『コソボの中世建造物群(Medieval Monuments in Kosovo)』2004年文化遺産登録の一部を成している.