ティラナTirana

このティラナ編では,2013/12/17(火)朝ティラナのホテルを出て,マザーテレサ広場周辺のピラミッド型エンベルホッジャ記念館などを眺め,次にスカンデルベク広場周辺を歩きスカンデルベク像やエザムベイモスク,時計塔,オペラ劇場など眺め,国立歴史博物館を見学してからバスでティラナ郊外を抜け次の訪問地に向かったときの写真を載せました.


ティラナ付近のGoogleマップ

アルバニアの首都ティラナは国の真ん中辺りに位置している.

マザーテレサ広場周辺around the Mother Teresa square

ティラナDoroホテル前の眺め

ティラナDoroホテル前の眺め

12/17(火)朝ティラナDoroホテルで目を覚ました.窓から外を眺めるとこの景観,雑然とし,ちょっと薄汚れた雰囲気だ.

ティラナはアルバニアの首都だが,市域の人口が42万人(全部でその倍くらい)程度だそうなので,一国の首都としては小さめだ.ここにはイリュリア人が早くから住みつき,やがて古代ローマ人,オスマントルコの時代が長く続いたようだ.そしてその後もセルビア人等の支配を受けるが,やがて1912年に独立を獲得し,ティラナは暫定首都(後に恒久化)と宣言されたそうだ.以降アルバニアは共和制や王国の形態をとっていたが,その内ファシスト体制のイタリアに占領され,傀儡政権の時代となった.

1941年エンベルホッジャ(Enver Hoxha)によりアルバニア労働党が設立され,イタリアのファシストやナチスドイツと戦い,解放された.そして以降エンベルホッジャ独裁体制が続くのであるが,ベラートのページに記した通りだ.


ティラナの朝の通勤風景

ティラナの朝の通勤風景

ティラナの朝の通りは,通勤の人たちが行き交っている.どこの街の通勤風景でも共通であろうが,皆てきぱきした足取りの人たちだ.


マザーテレサ広場

マザーテレサ広場

ここがマザーテレサ広場だ.ティラナ大学の前に広がっており,大学の前庭には階段で続いている.前の通りはダシュモラトエコンビット大通りという長い名の通りで,この両側には行政機関や公的施設が集まっているようだ.例えば右のベージュの建物は考古学博物館だったと思う.


ティラナ大学前庭のマザーテレサ像と学生たち

ティラナ大学前庭のマザーテレサ像と学生たち

ティラナ大学前庭にマザーテレサ像が立ち,学生たちが集っている.マザーテレサはマケドニアの生まれだがアルバニア人で,両親はアルバニアにある墓地に眠り,マザーテレサも墓参で訪れたことがあるそうだ.それは無神論を宣言したエンベルホッジャの死後のことで,その後もヨハネパウロ2世の訪問など続き,アルバニアの宗教は再び蘇っていったようである.なお信徒数は,カトリックや正教より,イスラムの方が相当多いそうだが,マザーテレサは広く国民の尊敬を集めているそうだ.


ピラミッド型エンベルホッジャ記念館(pyramidal museum of Enver Hoxha)

ピラミッド型エンベルホッジャ記念館

このピラミッド型の大きな建物は,1985年エンベルホッジャの死後,同氏の記念館として政府によって建てられたそうだ.生前当人にそうした意向があり,反映されたものだそうだ.ただ,後に周辺国が続々と民主化社会に移行し,アルバニアも続いた訳で,過去のエンベルホッジャ独裁政権も強い批判の対象になり,記念館は破壊の対象となったようだ.現在この建物は物理的にも除去するかどうかが検討されているようだ.

エンベルホッジャは世界でも代表的な独裁者の一人とされるが,民主化社会に移行する前に没したのは,当人にとっては幸せだったのではないかと言われているようだ.生きて体制変化に出逢えば,例えばやはり独裁者のチャウシェスク氏のような最期を迎えたかも知れないと.


文化センターだったか?

文化センターだったか?

文化センターだったかな,と思う.マザーテレサ広場からスカンデルベク広場に至るダシュモラトエコンビット大通り周辺は緑も多く,大変美しい.できればもっとゆっくり見物したかった.


下は,ホテルからマザーテレサ広場周辺での写真

ホテルからマザーテレサ広場周辺での写真
ティラナのホテルからマザーテレサ広場周辺での写真 ティラナのホテルからマザーテレサ広場周辺での写真 ティラナのホテルからマザーテレサ広場周辺での写真 ティラナのホテルからマザーテレサ広場周辺での写真 ティラナのホテルからマザーテレサ広場周辺での写真
ティラナのホテルからマザーテレサ広場周辺での写真 ティラナのホテルからマザーテレサ広場周辺での写真 ティラナのホテルからマザーテレサ広場周辺での写真 ティラナのホテルからマザーテレサ広場周辺での写真 ティラナのホテルからマザーテレサ広場周辺での写真

スカンデルベク広場周辺around the Skanderbeg square

スカンデルベク広場(Skanderbeg square)

スカンデルベク広場

ここがティラナ一番の広場というスカンデルベク広場(Skanderbeg square).広場の名は,ブロンズ像の人物がスカンデルベク(Skanderbeg:1405~1468年)に因むそうだ.スカンデルベクは,当時この地を支配したオスマン帝国に仕え,イスラム教に改宗.東ローマ帝国やセルビア,ハンガリーとの戦いで大きな戦果を上げた.やがて領土が与えられ,アルバニアに帰国し,オスマン帝国のアルバニア軍司令官となる.しかし1443年にオスマン帝国に反旗を翻し,キリスト教に再改宗し,ヴェネツィア共和国やローマ教皇の支援を得てオスマントルコ軍を撃退し,アルバニアの独立を勝ち取った.以降25年間,及び病没後12年間に渡り独立を保った,と云うことだ.

長い歴史アルバニアであるが,100年前の独立国家樹立以前,殆どの期間は他国の支配下にあった訳だが,そんな中で中世の37年間独立を勝ち得たアルバニア随一の英雄となるという.


エザムベイモスク(Et`hem Bey Mosque)と時計塔

エザムベイモスクと時計塔

1本ミナレットのエザムベイモスク(Et`hem Bey Mosque)は1789年建立というから200年余り前に遡る訳だ.外壁にもアラベスク模様の壁画が描かれている.アルバニア語ではジャーミヤエトヘムベウトというのが正しいようだ.エンベルホッジャ体制の無神論宣言下で他所のモスクや教会が悉く破壊された中で,ここはこうした壁画の美しさから何とか難を免れたようである.

右側は時計塔で,19世紀に建てられたそうだ.隙間ない石組み構造や,シャープなエッジはまだ真新しいのではと思わせる.


スカンデルベク広場の国立歴史博物館のモザイク画

国立歴史博物館のモザイク画

国立歴史博物館入り口上部に,この大きなモザイク画が掲げられている.バルカン最大のモザイク画だそうだ.全て武器を手にしたシーンであるが,スカンデルベク将軍とオスマン軍との戦い,第1次バルカン戦争,ファシストと戦うパルチザン,アルバニア共和国樹立.....などを描いているのであろうか.

ここは入館しじっくり見せてもらった.広いスペースに有史以来の諸物が展示されている.とても空いており,私達以外の入館者はあまり見かけなかったが,ティラナの女性ガイドが一緒に入り,説明してくれた.例えばアルバニア共和国独立の頃の領土に関する説明図は,広い原案に対して,諸外国から,より狭い複数の代案が提示され,迫られるなどの展示があって興味深い.写真撮影不可なのは残念だ.


スカンデルベク広場前のオペラ劇場

オペラ劇場

OPERAと正面に記されている.共産政権時代に建てられた劇場で,オペラなど演じられるのであろう.もち論現在も活用されているようで,演奏会ポスターが掲げられている.


スカンデルベク広場のバス乗り場

スカンデルベク広場のバス乗り場

2連結バスとか,3ドア大型バスとか引っ切り無しに運行している.ティラナには地下鉄やトラムはなく,バスが市内の主要交通機関になっているようだ.

バス停の先には小さな遊園地があり,ちょっとした遊具が運転していた.


スカンデルベク広場を走る三輪バイク

三輪バイク

スカンデルベク広場周辺道路を三輪バイクが走り過ぎていく.前が2輪で,後ろが1輪の構造が面白い.これは空荷であるが,荷物を監視しながら運ぶのに都合良さそうだ.


下は,スカンデルベク広場周辺での写真

スカンデルベク広場周辺での写真
スカンデルベク広場周辺での写真 スカンデルベク広場周辺での写真 スカンデルベク広場周辺での写真 スカンデルベク広場周辺での写真 スカンデルベク広場周辺での写真 スカンデルベク広場周辺での写真
スカンデルベク広場周辺での写真 スカンデルベク広場周辺での写真 スカンデルベク広場周辺での写真 スカンデルベク広場周辺での写真 スカンデルベク広場周辺での写真 スカンデルベク広場周辺での写真

ティラナ郊外suburbs of Tirana

ティラナの街を出る

ティラナの街を出る

ティラナの見物が終わったので,バスは街を出て郊外へと向かった.写真はショッピングモールや集合住宅のあるエリアのようだ.大々的に洗濯物が架かっているが,晴れているので乾きがいいだろう.


ティラナ街外れの双頭の鷲

ティラナ街外れの双頭の鷲

街外れの交差点に大きな双頭の鷲が立てられている.アルバニア国章や国旗に用いられているデザインだ.

双頭の鷲自体は,シュメール文明や,ヒッタイトの古来よりある紋章で,東ローマ帝国や神聖ローマ帝国,また関連した国家や貴族などに使用されてきたそうだ.元来双頭の鷲は皇帝の象徴なのだが,今でもアルバニアに加えてセルビア,ドイツ,ロシアなどの国章に使用されているそうである.


ティラナマザーテレサ国際空港

ティラナマザーテレサ国際空港

マザーテレサの名を冠したティラナの国際空港.やはりマザーテレサはアルバニアの象徴なのだ.マケドニアと争いにならなければいいが....

私達はこの脇を通過しただけであるが,規模は小さな空港に見えた.人口も経済規模もまだ大きくないので十分なのであろう.


ティラナ郊外の農村地帯に入る

農村地帯に入る

ティラナを抜け,農村地帯に入っていった.真冬に芽生えてくるのは何でしょう?麦かな?

この村では茶色の瓦にベージュ壁の家が美しい.


下は,ティラナ郊外での写真

ティラナ郊外での写真
ティラナ郊外での写真 ティラナ郊外での写真 ティラナ郊外での写真 ティラナ郊外での写真 ティラナ郊外での写真 ティラナ郊外での写真 ティラナ郊外での写真

さて次はクルヤだ.そこには城址があるという.


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