バルセロナBarcelona

成田からKLMで先ずアムステルダムに行き,続いてバルセロナに向かった.


バルセロナ付近のGoogleマップ

マーカー1で示したのがスペイン/カタルーニャ州の州都バルセロナ(Barcelona).人口162.1万人の大都市.

バルセロナ到着までFly to Barcelona

12月16日,昨日までの寒波が緩み平年並みに戻るというが,朝はまだ冷える.京成上野7:36AM発スカイライナーに乗るため半蔵門線,銀座線に乗るが,月曜日であるが早い時間でラッシュに遭遇しないのは幸いである.この日の朝刊も報じていたが,このところの重大事項と言えばイラク核査察と米国の攻撃準備,北朝鮮のミサイル輸出船拿捕,イランの核疑惑といったところか.

シベリア上空

シベリア上空

成田発10:50KLMオランダ航空KL-862便でアムステルダムに向かう. やはりシベリア,今の季節は雪野原が広がり,美しい.


スカンジナビア上空

スカンジナビア上空

遅い夜明けの朝焼けだ.機内の巡航情報スクリーンに目をやると,氷点下70℃の表示が見え,そのためか(?)B747-400主翼の後ろには白く大きな粉体流のようなものが形成されている.アムステルダムの気温は1℃,天候不良で15分間上空旋回待機の後,ほぼ定刻通り15:00着陸した.アムステルダムの入国審査は他のEU圏国同様,ここで済ませればもう他国では必要ない,言わば共通審査であり,因みに通関もなく(いつも無しかは判らないが)旅行者には楽だ.

この後アムステルダム発16:30 KLMオランダ航空KL-1673便(機体はB737-800)乗り継ぎ18:40バルセロナに向かう.非常ドアの脇の席であったが,クルーが生真面目にハンドバッグも上の荷物入れに入れるように客を説得し,非常ドアの開け方を結構しつこく説明していたのが印象的(?)だったかな~.

バルセロナの街City of Barcelona

夜到着する前に確か機長が気温は16℃とか言っていたような....到着後この地にかれこれ17年棲んでいるそうであるガイドMs.日野さんによれば,朝方は若干冷えて15~17℃くらいか,と云うことでほっとした.

下は,バルセロナの街の写真,集合住宅のカサミラなどいろいろ.

バルセロナの街の写真
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なお,カサミラは,1984年,『バルセロナのグエル公園,グエル邸とカサミラ』(Parque Guell, Palacio Guell and Casa Mila in Barcelona)として,ユネスコ世界遺産世界遺産ロゴ(文化遺産)に登録されている.

聖家族教会(サグラダファミリア)Sagrada Familia

聖家族教会(サグラダファミリア)

着工から120年余り

聖家族教会(または神聖家族聖堂)は,元々貧しい人々のために設立された民間カトリック団体「サンホセ協会」が,人々の現世の罪を贖うために聖家族に捧げる教会として建設を計画したそうである.初代建築家フランシスコビリャールが設計を引き受け,1882年に着工したが意見の対立から早くも翌年に辞任してしまったそうな.1882年着工であれば既に120年余り経過したことになる.後を引き継ぎ,2代目建築家に任命されたのが,当時はまだ無名だったアントニガウディだったそうである.ガウディは設計を一からやり直したそうで,現在眺めているデザインは完全にガウディ独自のものとしていいようだ.


ガウディ

ガウディ

このガウディの肖像画は教会の壁に掛けられているもの.ガウディは敬虔なカトリック教徒でもあり,晩年は宗教関連以外の依頼を断り,1926年に亡くなるまでサグラダファミリアの建設に全精力を注いだそうである.そこから数えて80年経た訳だが,最大の問題は資金調達として,他に,詳細設計図はもちろん,概略構想書や実験に用いたプロトタイプの類も殆ど残っておらず,ガウディならこうした筈だ,と想像しながら作り上げている部分があったりするので時間がかかる面もあるようだ.


鉄筋職人さん

(鉄筋)職人さん

教会の1階辺りでは職人さんが,鉄筋を溶接したり,組み立てた鉄筋を型に入れ,コンクリートを流し込んでパネルを作っている場面などを眺めることができる.一見して判るように,この建物は複雑な曲面の組み合わせで,しかも部位別に異なる形状で,共通部品化ができないデザインに見える.だから作る時間と費用はどうしても大きくなろう.


遠足

遠足

我々観光客も多いし,地元の子であろうか,先生に引率され大勢集まってくる.中に入るとやはり先生が色々説明し,ある子は熱心に,ある子は他に注意を傾け....といった具合で,まあどこの国の子でも同じであろう.でも,少なくともこの国では殆どがカトリックであろうから,我々異教徒よりは要点をちゃんと捉えているであろう.


下は,聖家族教会(サグラダファミリア)の写真

聖家族教会(サグラダファミリア)
聖家族教会(サグラダファミリア) 聖家族教会(サグラダファミリア) 聖家族教会(サグラダファミリア) 聖家族教会(サグラダファミリア) 聖家族教会(サグラダファミリア) 聖家族教会(サグラダファミリア) 聖家族教会(サグラダファミリア)
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グエル公園Parque Guell

グエル公園のドラゴン

ドラゴン

アントニオガウディの作品群の中の1つがこのグエル公園.ドラゴンの定義はヨーロッパと日本(元祖は中国)とで大分違うのであろうが,筆者にはこの有名なドラゴンはイグアナかオオトカゲに見えてしまう.まあ,アートだから解釈は自由であろうが.それにしても大した人気で,階段を昇降する人の絶えることはないようだ.

なお,グエル公園は,1984年,『バルセロナのグエル公園,グエル邸とカサミラ』(Parque Guell, Palacio Guell and Casa Mila in Barcelona)として,ユネスコ世界遺産世界遺産ロゴ(文化遺産)に登録されている.


グエル公園

生い立ち

グエル公園は,元々は,ガウディの設計した分譲住宅で,1900年から1914年の間に建造された.広場,道路などのインフラと共に60軒が計画されていたが買い手がつかず,売れたのは2軒,と言っても買い手はガウディ本人と富豪のデベロッパー,エウセビオグエルだけであったという.結局エウセビオグエルの没後に工事は中断し,市の公園として寄付されたそうである.多分今での先進的と言うか,風変わりであるから,当時それを好んで買う人はあまりいなかったということだろう.


下は,グエル公園の写真

グエル公園
グエル公園 グエル公園 グエル公園 グエル公園 グエル公園 グエル公園 グエル公園
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サンタルシア教会Santa Lucia

サンタルシア教会

大聖堂

正式には,バルセロナ大聖堂と呼ばれるのかも知れない.6世紀の初頭の原始教会,及びイスラム寺院の跡に,現在の大聖堂の建築が開始されたのが1298年で,ファサードを仕上げ,全体の完成に至ったのは19世紀末になってのことだそうである.とすると,サグラダファミリアの120年など決して長い訳ではないのかも知れない.全体的にはゴシック様式で,ロマネスクやバロックなど各時代の様式も随所に採り入れているという.聖堂には28の礼拝堂があり,その中にロマネスク様式のサンタルシア礼拝堂というのがあるそうである.


バルセロナの保育園児の散歩

保育園児の散歩

聖堂前の広場では綱につかまった子どもたちがお散歩だ.万が一綱を離れ,迷子になったときに備えて胸にはIDカードを下げている.眺めていてとても心が和む光景だ.


バルセロナのクリスマス市

クリスマス市

この時期,聖堂前の広場はクリスマス用品のお店で埋め尽くされる.リースや,生花,クリスマスツリーの飾りなどが一番多く,カトリックの偶像的なもの,キャンドルなどいろいろ並んでいる.日本の年末のしめ飾りやお供えといった正月用品市と雰囲気が似ていると感じる.


バルセロナの日向ぼっこ

日向ぼっこ

ポカポカというほどでないが,我々と同年代くらいの退職者が広場のベンチに集まっている.天気がよければ多分毎日散歩で訪れるのであろう.この国でもやはり女性に元気な人が多いのだろうか,見かけるのは女性の方が多いようだ.


下は,サンタルシア教会前広場での眺め

サンタルシア教会前広場の写真
サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真
サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真 サンタルシア教会前広場の写真


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