グラナダから野を越え,山を越え,街を通過しコルドバに来た.
マーカー5で示したのがスペインのコルドバ(Cordoba).イスラムの後ウマイヤ朝(756年~1031年)がここコルドバを都とし,キリスト教会を転用したモスク(メスキータ)が残されている.
この方がコルドバの街案内をしてくれたガイドのイザベルさん.名前も顔立ちもいかにもスペインの人っていう感じ(あくまで個人的な感想).ほんの一部を眺めたに過ぎないが,背面の壁のようにいかにも歴史地区といった趣のコルドバで,石畳道を歩くのはなかなか気持ちがいい.
アンダルシア地方にあるこのコルドバは,ローマ帝国時代まで歴史があるそうだ.ローマ帝国の衰退後,6世紀にキリスト教国の支配下に,8世紀になるとイスラムであるム-ア人の支配下になった.イスラム時代にコルドバは首都でもあり,大いに発展し,コンスタンティノ-プルなどと競うレベルで,大変美しい都市になったそうである.旧市街は狭い入り組んだ路地とか,白い壁に囲まれたパティオなどのイスラムの街の雰囲気が感じられる.
フラメンコの看板がいかにもスペインの街の雰囲気を醸し出している.モノクロ写真を,一部赤に変えコラージュした絵はわかり易くインパクトもある.舗道に張出したアメックスの看板も興味深い.普通使えるカードは,入り口の壁やドアガラスやに貼り付けていたりする程度であるが,ここはお店の看板並みに主張している.アメックスカード保持者専用店?
皆が歴史地区に住んでいる訳ではない.こちらはうって変わって普通の集合住宅街.人口32万人というから,多くの人はこちらの新市街に住んでいるのであろうか.それでも,緑は結構多いし,建ぺい率も比較的抑えているようだし,まあ結構いいんではなかろうか.
下は,コルドバ市街の写真
コルドバは,756年に成立したムーア人ウマイヤ朝の首都で,イスラムであるから,街の中心は大モスクであるこのメスキータであった.メスキータ(Mezquita)はスペイン語なのであろうか?綴りの前半をとるとMezquiになり,英語でのモスクの綴りMosqueとよく似ている.10世紀に入るとさらに繁栄をとげ,大図書館が建てられ,多くの学者を輩出し,トレドとならんで西方イスラム文化の中心地として発展したそうである.
コルドバが発展するとともに,イスラム教徒も増大していった訳で,お祈りのためのモスクが足りなくなり,ここでも増築が繰り返されたそうだ.広大な礼拝堂広間の,このストライプ2重アーチ,典型的イスラム様式の造りをみると面白い.イザベルさんの説明の通り,初期の部分はストライプは白い原石と赤い原石を切り出して組み合わせ,また大理石円柱の彫刻も精密である.それが時代を経る毎に,人口増加に合わせて増築されていくのである.ところが増築される度にストライプ2重アーチの質が低下していく様子を観察することができる.終わりのころはストライプは原石の組み合わせではなく,単にペイントで模様付けされ,柱も比較的粗雑なものになっていく.財政的な要因から,職人さんの手配やら,工期の問題やら....いろいろあったのかも知れない.
15世紀末,キリスト教勢力によるレコンキスタが完了,つまりムーア人イスラム勢力がイベリア半島から追われ,メスキータもカトリック教会に改装された.ただしキリスト教徒がメスキータを破壊することなくそのままカトリックの教会に転用したのは,アルハンブラ同様,後世の我々にとってはありがたいことだ.写真のように,改装されイスラム様式とカトリック様式が入り混じっている様は,2宗教には対立ではなく融和の方向に向かって欲しいという願いも若干込められていたように見える.
下は,メスキータの写真
ここもアルハンブラと並んで永年,見てみたい,と思っていた処だ.ストライプ2重アーチはやはり圧巻だ.それと増築の度の質的変化など,見て初めて,へ~そうなんだ!と知ったところもあった.
前述のメスキータの近く,白い壁に花が架かる小径を歩いた.花はゼラニュームが多いようだ.他の花の名前を知らない,ということもあろうが.ここはユダヤ人街という名称がついているが,現在は普通のスペイン人が大勢暮らしているように見える.なお現在コルドバで唯一のユダヤ教会(シナゴーグ)はここにあるそうだ.
下は,花の小径の写真
なお,コルドバ旧市街は,1984年,『コルドバ歴史地区』(Historic Center of Cordoba)として,ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている.