ポルトを出て北のサンティアゴデコンポステーラに向かう.
マーカー7で示したのがスペインのサンティアゴデコンポステーラ(Santiago de Compostela).アガリシア州の州都で人口9.5万人.エルサレムおよびバチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地の一つとして有名.
ポルトから暫く北上すると,再びEU星マークの国境を通過し,スペインに入った.そして左手には大西洋が見え,これに沿ってバスは走る.ガソリンスタンドなどで休憩しながらサンティアゴデコンポステーラに近づく.グリーンスペインと呼ばれる北部スペインのこの辺り,ガリシア地方は,中,南部とは様相を異にし,緑豊かな湿潤の地で,牧畜などが盛んなようだ.
ガリシアの名は,古代この辺りに住んでいたケルト系の民族に由来するという.ただし,現在のガリシア語はラテン語を起源とするロマンス諸語の一種で,この地でのケルト語はすでに滅んでいるということだ.途中で民族の興亡があったのであろう.現在もガリシア語が話されており,カスティーリャ語(スペイン語)とともに公用語となっているそうで,学校ではその2つの言語が教えられているそうだ.因みに,ガリシア語はポルトガル語に近いそうである.
下は,サンティアゴデコンポステーラへの道すがらの眺め
訪れたこの日はクリスマスイブ,サンティアゴデコンポステーラ旧市街のお店は,きれいに窓を飾っていた.クリスマスといっても街はとても静かで,いかにも巡礼の聖地らしい雰囲気だ.
エルサレムで殉教したイエスキリストの12使徒の1人,聖ヤコブ,スペイン語名ではサンティアゴとなるそうだ.彼は元々ガリラヤ湖の漁師だったそうで,弟のヨハネと共にイエスキリストに従った.スペインにおいて布教活動を行い,エルサレムに帰還するが,ヘロデ王によって断首され十二使徒のうち最後の殉教者となったそうである.亡骸は海路この地に運ばれ,葬られたという伝説があったそうだ.またSantiago de CompostelaのCompostelaは,ラテン語のCampus stellae(星の野)若しくはCompositum(墓場)にちなんで名付けられたそうである.つまりサンティアゴデコンポステーラとは「星の野の聖ヤコブ」ということになろう.
やがて9世紀になると,その墓が発見されたという更なる伝説が生まれ,それ以来サンティアゴデコンポステーラはエルサレム,バチカンと並ぶカトリック3大聖地とされ,巡礼者が絶えないそうだ.巡礼者はヤコブのシンボル帆立貝の殻を荷物にぶら下げて歩くそうだ.
下は,サンティアゴデコンポステーラ旧市街の写真
サンティアゴデコンポステーラ旧市街は,1985年,『サンティアゴデコンポステーラ(旧市街)』(Santiago de Compostela (Old Town))として,ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている.
9世紀,上述のように聖ヤコブの墓が発見されてほどなくしてその上に聖堂が建立されたそうだ.だがイスラム軍により破壊されてしまう.さらにその後,レコンキスタを経て11~12世紀に現在の大聖堂へと幾度も改築されたようである.何でもバロック様式やロマネスク様式がミックスされた外観のようであるが......いずれにしてもガリシア産の切石を積み重ねた構造だそうだ.
写真は祭壇で,とにかくその金ぴかのすごさに圧倒されてしまった.数名の聖職者が職務中で,遠くから見学させてもらった.中には,柱に手を押し当てて祈りを捧げる「栄光の門」があり,多くの巡礼者が触れたため指の窪み跡が付いた大理石の門柱や,聖ヤコブ像がある.
下は,サンティアゴデコンポステーラ大聖堂の写真.
なお,サンティアゴデコンポステーラ旧市街とは別に,巡礼路は,1993年,『サンティアゴデコンポステーラの巡礼路』(Route of Santiago de Compostela)として,ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている.
緑豊かな大地に雪を被る山脈を望む.サンティアゴデコンポステーラの巡礼路を辿り,聖地に近づいた巡礼者はこの風景を眺めながら歩くであろう.