エヴォラから大西洋岸のリスボンに進んだ.
大西洋に面し,マーカー15で示したのがポルトガルの首都リスボン(Lisbon).市域人口54万人,郊外を含めると300万人に達するという.
これだけで歴史を感じてしまう.昔は馬車くらいであったであろうが,現代では多分それより大分重量が大であるものも多かろう車の社会に変わってしまった.でも,ちゃんと通用している.尤もがたがたして,スピードを抑えざるを得ないであろう.でも住宅街ではそれがちょうど自制を促す手段となっていいのではなかろうか.
では歩くのはどうか?本来平らでスムーズなアスファルトが歩き易いようにも思えるが,石畳の方がなぜか快適に感じられてしまう.どうしてか?山道が凸凹,起伏に満ちていても快適なようなものであろうか.リスボンでは,住宅街や商店街では石畳の道が結構残っているようで,少しうらやましい.人口約60万だそうで,東京の15分の1,規模の小さい街は小さいなりに良さがある.
下は,リスボン市街あちこちの街角風景
ここはリスボンでも代表的な繁華街で,近くのデパートを冷やかし,ホテルに戻る途中の眺めだ.クリスマス直前であるにも拘わらず,我々の感覚からすると実に落ち着いたものだ.いや,それを通り越してひっそりした印象さえ受ける.一方,あちこちで見られる落書きなどは,東京辺りの比ではなく量的に強烈なものであるが....どうしてだろう?
下は,リスボン市街の写真あれこれ
16世紀,マヌエル1世の命によって作られたという,船の出入りを監視するマヌエル様式の管制塔,いや要塞か?であるそうだ.テージョ川が海に注ぐ辺りに位置するみたいだ.尤もリスボン自体がテージョ川の河口にあるのだが.16世紀のこの頃,ポルトガルはインド洋航路を発見,大航海で繁栄を極めたときだ.3階は王族の居室,2階は砲台で,命がけで大航海に出る船乗りたちを見送り,また無事故国に帰った男たちを出迎えたという.外観を眺める限り,古くは見えないしとても堅固な石造り,正しく要塞だ.
なお,ベレンの塔は,1983年,『リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔』(Monastery of the Hieronymites and Tower of Belem in Lisbon)として,ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている.
1960年エンリケ航海王子の500回忌記念で建てられたそうだ.先頭に建つのがエンリケ航海王子.モニュメント手前の広場には,大理石で作られた世界地図が敷かれている.ポルトガルが世界を巡り,他国発見の年号が入っている.日本へは1543年種子島に上陸されたはずであるが, 1541年と記されている.間違えか?或いはポルトガルを出発した年号との説もあるようだ.日本に縁の深いフランシスコザビエルの姿も右側にあった.まあ,いずれにしてもこの頃既に世界を股にかけていたのはすごい.
エンリケ航海王子(1394年-1460年)は,ポルトガルの王子で,後に初代ヴィセウ公となる.自らは航海しなかったが,大航海時代の初期における重要人物の1人であり,英語圏ではPrince Henry the Navigatorと通称されているそうだ.その生涯において,探検事業家/パトロンとして航海者たちを援助/指導し,それまで未知の領域だったアフリカ西岸を踏破させる,大航海時代の幕を開いたそうである.
下は,発見のモニュメントの写真あれこれ
ジェロニモス修道院はエンリケ航海王子が船乗り達の為に建てた礼拝堂の跡にマヌエル1世がバスコダガマの海外遠征/香料貿易で得た大儲け,いやそれこそ巨万の富で造らせた修道院であるそうだ.この修道院はバスコダガマのインド航路の発見から4年後の1502年に建設を始められた,いわゆるマヌエル様式の建物だ.で,マヌエル様式とは,後期ゴシック様式の1つで,マヌエル1世に因み名付けられたようである.内部の柱を椰子の木に,模様を海洋にイメージしているのが特徴の1つだそうであるが,そう言われれば,そんなものかな~とも.
そのマヌエル様式で装飾されたバスコダガマの棺や,触ると金持ちになるというので,つるつるになったどんぐり(だったかな~?)など,いろいろ見ることができる.
なお,ジェロニモス修道院は,1983年,『リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔』(Monastery of the Hieronymites and Tower of Belem in Lisbon)として,ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている.
下はさらにジェロニモス修道院の写真.キリスト磔像はリアリスティックだ.