マーカー6で示したのがスペインのセビリア(Sevilla).アンダルシア州の州都,人口70万人でスペイン第4位の大都市だそうだ.
コルドバを出て,セビリアに向かった.平原やなだらかな丘陵に広い農地や牧場が続いている.やがて夕刻になり,陽が雲を赤く照らし出した.
夜になってセビリアに到着し,早速フラメンコのディナーショーと相成った.素早くまた激しい動作に,改めて感心する.
コロンブスのアメリカ新大陸発見以来,そことの交易窓口として栄えてきた要因になったと云うグアダルキビル川の近くにスペイン広場がある.入り口近くに陶製(ポルトガルのアズレージョと同系統かな?)のこのベンチが据えてあった.うまく写真に写せていないが,広場は半円形で,周囲を建物が取り囲んでいる.中央の池の島に噴水があり,きれいに水を吹き上げている.訪れたとき,たまたま映画の撮影をやっており,レンズを向けると監視員が飛んできて,撮るな!と怒鳴っているようだった.とぼけて判らないという顔をしてみたが,写った写真をみるとピンボケである.やはりあの剣幕にたじろいたようだ.
スペイン広場から少し先,前述のグアダルキビル川の辺りに立つ12角形の塔.ちっとも黄金に見えないが,13世紀に建てられた城壁の一部で,当初金色の陶器レンガで上部が覆われていたそうである.
下は,スペイン広場の写真あれこれ
古代ローマの水道で,紀元前1世紀頃の建設だそうだ.古代ローマの水道はあちこちに残るが,確かにこの技術はすごかったと思う.いまこうして撮った写真を眺めると,何が水道かさっぱり判らぬ.反省しなくては.
セビリアにも当然大聖堂(Cathedral/Catedral)があった.高いところはヒラルダの塔と呼ばれるようだ.元々はイスラムモスクの尖塔だったそうだ.そう言われれば確かにイスラム様式,特にムーア人が渡って来た元のモロッコ風ミナレットの名残が十分に感じられる.反対側に回ると,上部にはねじりん棒のような目立つ柱が立っている.因みにコロンブスの墓はここにあるそうである.この大聖堂はスペインで最大,ヨーロッパでもバチカンのサンピエトロ寺院,ロンドンのセントポール寺院に次ぐ大きさだそうである.ヨーロッパの教会は概して皆大きいから,サンピエトロは別格としても筆者には区別が付かないが.
なお,大聖堂は,1987年,『セビリアの大聖堂,アルカサル,インディアス古文書館』(Cathedral, Alcazar and Archivo de Indias in Seville)として,ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている.
上2枚がアルカサル,下はアルカサル前と横の通り.ここも単に前からチラッと眺めただけで殆どわからないのだが,行きがかり上....アルカサルは元々アラビア語の定冠詞(Al)+砦,城の意で,英語のThe Castleに相当するようだ.TheをAlに替えて,AlCastleとすると確かにアルカサルに近くなる.では誰のお城だったのか?アルカサルはスペイン(全土かな?)を統治した歴代国家の別邸で最古の非宗教建築だそうだ.とは言ってもイスラム時代の城をレコンキスタ後,キリスト教徒の王が改築したものらしい.新大陸への二度目の航海を終えたコロンブスもこの宮殿で国王(カスティーリアのイサベル女王かな~?)に謁見し,皇帝カルロス5世がポルトガルの王女イサベル(この人もイサベルか~?)との婚約の儀を行ったのもここだそうである.やっぱりよく解ってないが.....まあこれくらいにしておこう.
大聖堂同様,アルカサルも,1987年,『セビリアの大聖堂,アルカサル,インディアス古文書館』(Cathedral, Alcazar and Archivo de Indias in Seville)として,ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている.
この男前がセビリアのガイド,フィルナンドさん.セビリアの街を案内してくれた.下はそんな案内してもらったセビリアの光景あれこれ.
さらにセビリア市街の写真
セビリア郊外,と言うよりセビリアからポルトガル国境までに眺めた光景を写してみた.全体的に高原の印象で,途中どんぐりの実(椎の実)で飼育した豚肉から作ったハムなどユニークな特産物を産する地域など見物した.
こうしてスペインを一旦抜け,ポルトガルに入っていった.