遍路15日目(2018年3月15日)晴れのち曇りShikoku Pilgrimage day 15

この遍路15日目編では,2018年3月15日松屋旅館を出発し,四国中央市を横断し,第65番 三角寺に来て参拝,次いで別格14番 常福寺をお参りし,徳島県入り,民宿岡田に泊まるときの写真を載せました.

遍路15日目周辺マップと札所(マウスonで名称出ます)


 

松屋旅館を出発

松屋旅館で朝食

松屋旅館で朝食

3月15日になり,松屋旅館で朝食を頂いた.

女将さんに,ここを出て少し行ったところに,最初にして最後のコンビニがあるので,そこでランチを仕入れて行きなさい,さもないと民宿岡田さんの終点までお店は一切ありませんから,とアドバイスされる.

そしてお礼を述べ,お暇し,東に向かった.


東に行きコンビニを探す

東に行きコンビニを探す

松屋旅館を出て,遍路道を暫く行くが,コンビニが見えない.実はコンビニは国道11号線上にあり,最初そちらを歩いてから遍路道に入るべきだったようだ.そしてコンビニに入る道はどこかな~とウロウロし,通り掛かった女性に訊くと,今そのコンビニ近くの自宅に戻るところなので,ご一緒にどうぞ,と案内して下さった.ありがとうございました.

コンビニでは多分サンドイッチかおにぎりあたりを仕入れたと思う.


諏訪神社を通過

諏訪神社を通過

コンビニから遍路道に戻り,東行きを再開し諏訪神社を通過する.どこにでもありそうな小規模な鎮守様の趣だ.


落ち着いた住宅街を進む

落ち着いた住宅街を進む

古くからの住宅街なのであろう,落ち着いた趣ある住宅街だ.遍路道の案内シールも要所々々に貼られており,ありがたい.


四国中央市を横断

国道11号線を跨ぐ

国道11号線を跨ぐ

前述の国道11号線とはコンビニ以降2度ほど交差した.ここはその2回目で,この後入り組んだ住宅街を頻繁に曲がりながら歩いた.


今度は八幡神社

今度は八幡神社

国道11号線を跨ぐと住宅街で,少しして今度は八幡神社の脇を通った.こちらもきれいで,整備が行き届いているように見受けられる.


頼みの綱の道標シールがありがたい

頼みの綱の道標シールがありがたい

こうした込み入った住宅街は道標シールが頼りだ.幸い分岐点では殆ど貼られており,見逃しがなければ大丈夫だ.まあ見逃し三振のケースもあるが.


松山自動車道を越える

松山自動車道を越える

そのうち松山自動車道に行き当たり,下のトンネルを越える.越えた先は暫く高速道に並行する遍路道を東に進む.


緩やかな上り道に入る

緩やかな上り道に入る

高速道に並行する遍路道が終わると,遍路道は概ね東南方向に逸れ,曲がりくねり,緩やかな上り道になる.そして周囲の住宅は疎らになり,緑豊かな光景に変わっていく.


トラバース路に入る

トラバース路に入る

やがて遍路道は山の斜面を削って設けたトラバース路に入っていった.とは言ってもしっかり舗装され,雨水の排水溝も備わり,雨の日でも安全に通れるであろう.

ここで腰を下ろし,朝仕入れたサンドイッチを食べていると,一人のお遍路青年が下ってきて,話を交わした.青年は初めてだが逆打ちで,この直前第66番雲辺寺で,下る道を間違えて,えらく長く歩き,また暗くなって大変だったと言う.それは大変ですね,と応えたが,私もよく失敗するので他人事ではない.

また,この先での難所やルートを訊かれたので,第60番横峰寺など一応経験を話した.順打ちなら青年だけに全く問題ないが,逆打ちではやはり分岐点の見落としなきように,と話した.


標高が上がり,展望が開ける

標高が上がり,展望が開ける

トラバース路を歩いているうちにそれなりに標高を稼いだ.霞んでいるが結構先まで望める.手前の四国中央市から,市の中心部のようである.工場であろう高い煙突も2,3見える.山は瀬戸内海の島であろうか?


遍路道は山道になる

遍路道は山道になる

そのうち遍路道は山道になってきた.そして途中には三十丁(≒3.27km),とか十四丁(≒1.52km)とか刻まれた丁石が現れてくる.


第65番 由霊山 慈尊院 三角寺(ゆれいざん じそんいん さんかくじ)

山道は続く

山道は続く

山道はいよいよ遍路道らしさを加え,続いていった.

なお三角寺のある山は海抜450m,その名も三角山で,寺はその中腹に建てられているそうだ.

今でこそ問題ないが,昔は相当の難所で,大変だったらしい.


第65番三角寺に着く

第65番三角寺に着く

そして第65番三角寺に着いた.石の先に山門が見えている.脇の自販機は些か興ざめ要素に映るが,暑い季節であれば,山道上りの後にこれがあることで,ほっとできるかも知れない.


第65番三角寺鐘楼門

第65番三角寺鐘楼門

三角寺山門前に立ち,眺める.山号ではなく,三角寺の寺名が架かり,鐘が吊るされている.こうした形式は鐘楼門と称するようだが,見る機会は多くなかった.

木肌を見ると,比較的新しいが,微細な龍など,彫り物の梁は見事だし,仁王像の造形もなかなか素晴らしい.


平らな第65番三角寺境内

平らな第65番三角寺境内

三角寺山の中腹にあるが,境内は結構広々した平らな境内に各種お堂が配置されている.

当寺は,聖武天皇(在位724〜749)の勅願により,行基菩薩が弥勒浄土を模して具現するために開創されたそうだ.後に弘法大師が訪れ,本尊の十一面観音像を彫造し,安置し,三角の護摩壇を築いて21日間修法されたという.そしてその三角護摩壇が寺名の由来になっているのだそうだ.


第65番三角寺本堂

第65番三角寺本堂

三角寺本堂は二層屋根の豪華な造りだ.細かな彫刻が施された梁や,四方に広がる垂木の模様が美しい.

二層屋根の本堂もまたこれまであまり見ることがなかったように思う.

見とれながら,ここでこの日最初の般若心経を唱えた.


第65番三角寺大師堂

第65番三角寺大師堂

三角寺大師堂は宝珠を載せた方形屋根の一般的な構造だ.そしてこの前に立ち,2回目の経を読む.


予想外の自動水栓

予想外の自動水栓

納経所に寄った後,お手洗いに行った.竹製の蛇口なのでちょっと予想外だったが,手を翳すと水が自動的に出た.なかなか面白い.


第65番三角寺から下る

第65番三角寺から下る

愛媛県最後の札所,第65番三角寺参拝が終わり,下りにかかった.下りの遍路道はほぼ舗装されたいい道だった.

愛媛県には26の札所があり,最初の宇和島辺りではその分布が疎らであったが,その後は比較的密で,効率良く回れる.


別格14番 邦治山 不動院 常福寺(ほうじざん ふどういん じょうふくじ)
別名 椿堂

桜がきれいだ

桜がきれいだ

第65番三角寺から下ると,道端の桜が見事だった.やはり桜はいいな~

そしてなぜかこの辺りでコークが飲みたくなり,たまたま近くに自販機があり,飲むことができた.意識しないまま第65番三角寺山門下の記憶が蘇ったのかもしれない.


なおも下る

なおも下る

遍路道はなおも下った.先を眺めるとさらに下りそうな気配だ.まあ緩やかな下りなので,とても楽ではあるが.


別格14番常福寺に至る

別格14番常福寺に至る

そのうち遍路道は別格14番常福寺に至った.別格札所は特段対象としている訳ではないが,折角通り掛かったのに避けることもない.ここはお参りすることにしよう.

常福寺は椿堂とも称され,先ず太く真っ赤な2本柱で立つ山門にインパクトを感じる.


別格14番常福寺本堂(椿堂)

別格14番常福寺本堂(椿堂)

本堂には邦治山の山号額と,柱に椿堂の木札が架けられている.

本尊はこの椿堂の本尊地蔵菩薩(延命地蔵菩薩)と,常福寺としての本尊不動明王(火伏不動尊)の二尊が祀られているとのことだ.

平安初期,邦治居士という方が地蔵菩薩を祀り,庵を構えたことに当常福寺が始まるそうだ.


別格14番常福寺大師堂

別格14番常福寺大師堂

比較的シンプルな構造の大師堂が建ち,ここで2度目の経を唱える.

さて,邦治居士の後のことであるが,当地を巡っていた弘法大師が,当時流行していた熱病を,杖をもってその邪気を地中に封じ込めたという.そしてやがてその杖から椿が芽を出し,そして年月経て大木となったという.それゆえ椿堂と呼ばれるようになったとのことだ.


別格14番常福寺もう一つの本堂前の火伏不動尊像

もう一つの本堂前の火伏不動尊像

椿堂以外のもう一つの本堂(こちらが大きい)前には真っ赤な火伏不動尊像が立てられていた.その色彩は甚だ迫力がある.

ところで火伏不動尊とはどういった仏でしょう.簡単に言うと火災を止めるとか,延焼を断つとか,まあそういった解釈でいいのだと思う.

さらに言えば不動尊像は不動明王の一バリエーションで,密教の根本尊である大日如来の化身であるそうだ.明王は最高位の如来より大分下と思っていたが....こうなるとますます解らなくなる....


納経し御影札と共に金色シールも

納経し御影札と共に金色シールも

納経し,納経所でご朱印と墨書きをもらう.このとき御影札を頂くが,御影は椿堂の本尊地蔵菩薩であった.また同時に金色の多分如来を示すであろう梵字の記されたシール,及びお接待のおせんべいも一緒に頂いた.ありがとうございました.


別格14番常福寺桜の垣根

常福寺桜の垣根

常福寺の垣根は枝垂れ桜が見頃であった.なかなか素晴らしい.


徳島県入り

間違えて山に向かう

間違えて山に向かう

常福寺を離れ,国道192号線を暫く東に進む.そして矢印とともに雲辺寺の文字が記された大きな木板の道標に出合う.雲辺寺の方向なら間違いなかろうと決めつけて,192号線左側の道に入った.車も通れる舗装されたいい道だが,人も車も通行しておらず,曲がりくねりながら進んだ.そして192号線上部を通過するようになり,何か違うかな~?と思い元の192号線に引き返した.

後で,民宿岡田のご主人に訊ねると,その道で来れないことはないが,山の上で夜を迎えることになろうという長い距離だそうだ.


境目トンネルに入る

境目トンネルに入る

国道192号線に戻り,直ぐに境目トンネルに入る.愛媛県と徳島県の県境にあるので境目と解りやすく,おもしろい名だ.ただこの名はトンネルができるはるか昔からある,この上を通る境目峠の名に由来するようだ.

本トンネルは1972年竣工で,855mの長さだそうで,狭いが少し段差ある歩道付きで,まあ楽に抜け出ることができる.

ところで,愛媛県が終われば次は香川県の筈だが,一旦徳島県のエリアに入り,その後香川県の第66番雲辺寺に向かうようだ.ただ地図を眺めると雲辺寺は愛媛県と香川県の県境に位置しているように見える.


境目トンネルを抜け徳島県の道標

境目トンネルを抜け徳島県の道標

境目トンネルを抜けると早速徳島県,および三好市の車両用道標があった.この辺りは一本道であるが遍路道の道標もあったかと思う.三好市はこの日宿泊する民宿岡田さんのある市だが,既にこの辺りからそのエリアというわけだ.

写真で右は気温表示で,17℃と出ていた.歩き遍路には適温だ.今はあまり必要としないだろうが車両には特に積雪や凍結期に役立つ情報であろう.


民宿岡田

192号から左に入り,400m先に民宿岡田

192号から左に入り,400m先に民宿岡田

トンネル抜けた後暫く歩き,192号から左の旧道に入る.そして400m先に民宿岡田との道標が見えた.

そして2,30分歩き道脇の岡田さんに到着した.境目トンネル手前で一旦山に入るドジを踏んだためか歩行距離33.45kmと,目安としている30kmを超えてしまった.


民宿岡田の部屋

民宿岡田の部屋

さて民宿岡田に到着し,大旦那さんからランドリーやお風呂などを聞き,二階の部屋に案内してもらう.いかにも民宿らしいちょっと古めの和室で,エアコンが調子悪いのか石油ストーブが置かれていた(後で試したらこれがバカに強力だった)

軒下のランドリーはお客さんが多かったので,順番待ちだったが,大旦那さんが空き次第入れておきますので,と手伝って下さった.

さてこの宿ではそれぞれ別に歩いてきたのだが,昭島のKさん,大阪のHさんと一緒になった.そしてHさんの部屋に集まり,経験豊かなKさん,それに歩く速度や距離が似ているHさんがアドバイザーとなり,翌々日(翌日分は皆決まっていた)からの宿を真剣に聞き相談しながら,電話したりした.夕食後も継続し,結構長時間要したが何とかめどが立って,安心して眠りに就けた.ありがとうございました.


民宿岡田の夕食

民宿岡田の夕食

民宿岡田の7人のお遍路全員がダイニングルームに集まり,夕食を共にした.お刺身や煮魚で美味しかった.

客は私たち3人,まだお仕事があり,休暇の間だけ区切り打ちという横浜の女性一人,この日怪我をしたので明日からタクシーにするという年配男性,車遍路のご夫婦だった.


民宿岡田の大旦那さん

民宿岡田の大旦那さん

民宿岡田さんの主業務は,大旦那の次の代の女将さん担当のようであるが,接客やカウンセリング,食事のサポート...といった面は大旦那さん担当のようだ.90歳と伺うが,話し方やその内容からはとてもそのようには感じられず,もっと若い.

例えば菅直人元総理が遍路途中ここに泊まったときのお話,SPやお付きの者,近所住民に一度にたくさんのサインを求められたこと...など,実に鮮明に描写され,お話がとても面白い.

また例えば,大旦那が若い時分,何れ世界は日本語だけになるので外国語は不要だ,とされ,あまり学ばなかった.しかし今,外国人お遍路さんもよくここに泊まり,必要だ.そこでスマホに翻訳アプリを入れ,対応しているそうだ.国別では仏人が一番多いそうだ.

最後に雲辺寺とその先までの大旦那特製マップを下さり,分岐点やトレイルの詳細を説明して頂いた.これで明日は大丈夫であろう.ありがとうございました.お休みなさい.



Cannergy'sホームへ