遍路22日目(2018年3月22日)雨Shikoku Pilgrimage day 22

この遍路22日目編では,2018年3月22日たいや旅館を出発し,南に進み第87番長尾寺に来て参拝,そして再び南下しおへんろ交流サロンで初展示物を見て,遍路大使任命書をもらい,今回遍路最難関女体山を越え,第88番 大窪寺に至り結願,そして民宿八十窪に入ったときの写真を載せました.

遍路22日目周辺マップと札所(マウスonで名称出ます)


 

たいや旅館を出発

たいや旅館を出発

たいや旅館を出て志度の街を抜ける

遍路最終日3月22日,たいや旅館で朝を迎えた.今日の行程は短いが,いつものように7時頃出発した.

志度の街を南に行くと,既に前日訪れた第86番志度寺山門になるが,軽く会釈して通り過ぎる.


JR高徳線を跨ぐ

JR高徳線を跨ぐ

遍路道を暫く行くと線路に交わった.香川県高松市と徳島県徳島市を結ぶJR高徳線のようである.これまでは専ら予讃線だったので,相当東に歩いたのだな~と思う.


第87番 補陀落山 観音院 長尾寺(ほだらくさん かんおんいん ながおじ)

遍路道は農村地帯に入る

遍路道は農村地帯に入る

遍路道は,主に街道横の小さな道となり,農村や畑の中を南下した.畑には,麦であろうか,明るい草色で染められているところも見える.とても鮮やかだ.


第87番長尾寺山門に至る

第87番長尾寺山門に至る

そのうち第87番長尾寺山門に至った.切妻屋根で,大草鞋の背後に仁王像が納められている.そして通るところ真ん中には鐘が吊り下げられており,鐘楼門形式である.

山門で礼をして,通ると直ぐ右に手水場があり,ここで清める.


第87番長尾寺本堂(中央)と大師堂(右)

第87番長尾寺本堂(中央)と大師堂(右)

山門を潜り,第87番長尾寺境内に入る.境内は平地で,樹木の少ない明るい空間だ.正面が本堂(中央)と大師堂(右)だ.また左のお堂は護摩堂だそうだ.

本長尾寺は,天平11年(739年)行基菩薩が聖観音菩薩像を彫造し本尊として安置したことに始まるそうだ.また現在天台宗に属するそうだ.

また後年,弘法大師が唐留学前にここを訪れ,入唐の成功のために七夜に渡り護摩祈祷し,国家安泰と五穀豊穣を祈願したという.また帰国後,ここを再訪し,大日経を一石に書写し供養塔を立て,その時に真言宗に改宗したという.たださらにその後,火災があり,江戸時代に藩主松平公が復旧整備したとき,天台宗に改宗したとのことだ.

そして先ず本堂前でろうそくと線香を灯し,お賽銭を入れ,納め札を入れ,経本を読む.次に大師堂で同じことを繰り返し,納経所でご朱印と墨書きを頂戴する.


第87番長尾寺を去り,また南へ

第87番長尾寺を去り,また南へ

第87番長尾寺参拝を終えると,また南へと歩みを進めた

この辺りの遍路道はとてもいい道で,しかも車の通行は疎らでとてもいい.


おへんろ交流サロン

おへんろさん休憩所

おへんろさん休憩所

第87番長尾寺から暫く行くと,おへんろさん休憩所があった.お遍路は概ね一人か二人で歩いているが,ここではベンチが12人分もあって,団体さんでも大丈夫そうだ.

さてこの辺りはさぬき市になるのであろうか,こうした休憩所以外にも道標などよく整備されていてありがたい.


>少し標高が上がり谷川流れる

少し標高が上がり谷川流れる

少し標高が上がってきた.些かオーバーだが『谷川』が流れる光景になった.川の所々は滝となって流れ落ちている.


斜面の段々畑や住宅

斜面の段々畑や住宅

やはり標高が高くなったのだ.傾斜地になり,段々畑が形成され,住宅は皆異なる高さの地面に建てられている.

樹木が種類ごとに新芽や葉の出方に差があり,それがパステル画のように色分けされる様子が面白い.


前山ダム

前山ダム

遍路道は前山ダムの脇を巻きながら通った.このダムは鴨部川の洪水調節,流水の正常維持,上水道用水確保のため建設された多目的ダムだそうだ.建設前は度々洪水を起こしていたそうだ.多分上記傾斜地の集落辺りは標高が低いので被災したのではなかろうか,と思った.


おへんろ交流サロンに着く

おへんろ交流サロンに着く

前山ダムの上側に至ると,このおへんろ交流サロンがあった.ダムと同じさぬき市の観光協会が設けた施設のようである.

ここに入ると早速お茶にお茶菓子の接待をして頂き,また各種展示品の概要など説明して頂いた.


おへんろ交流サロンの展示品

おへんろ交流サロンの展示品

広いへんろ資料展示室には,例えば江戸時代の紀行本や古地図,お遍路の納札や納経帳,手形など数多く展示されている.

また,現在の女体山トレイルの写真など,これから歩こうとしている遍路道の様子など知るための資料も揃えられ,参考にさせてもらった.


四国八十八箇所遍路大使任命書

四国八十八箇所遍路大使任命書

まだ八十七箇所終えた段階であるが,手廻し良く『四国八十八箇所遍路大使任命書』を頂戴した.まあ,あまり深い意味はなかろうと,ありがたく頂戴した.でも任命する,と記してあるから,一応遍路を広める幾ばくかの義務はありそうだな....

一年間で3,000人程度結願する歩きお遍路がいるとのことだ.別のところであるが,年々減少傾向にあり,その減少分のいくらかが外国人お遍路によって補われているとも聞いた.何れにしても車やバス,タクシーで巡る人に較べて圧倒的に少ないことには違いないようだ.

なお遍路大使任命書に加えて,へんろ道マップ(交流サロン~第88番大窪寺間6ルートを記載),同行二人のバッジも頂戴した.かたじけないです.


最も東側のルートで第88番大窪寺を目指す

最も東側のルートで第88番大窪寺を目指す

このマップは第87番長尾寺にあった立て看板を写したものだ.へんろみち保存協会のマップ同様北が上を向いていないことは最大の難点だ.

まあ,それはそれとして置いておいて,このマップは第88番大窪寺に至るルートが解りやすく色分けされている.

私はこの日は行程が短く,遍路最後の日なので最も遍路道らしい東側,黄色のルートを選ぶ計画だった.当交流サロンでそのルートの写真を見せてもらい,口頭でも説明を聞いた.グリーンのルートと女体山に関しては同じだが,黄色ルートはその手前でもう一つの山越えがあるのが違いだそうだ.ちょっとハードなところがありそうだが何とかなりそうだと思った(実際は思ったよりハードだったが).


女体山越え

おへんろ交流サロンから来栖(くるす)渓谷方面に入る

おへんろ交流サロンから来栖(くるす)渓谷方面に入る

前山ダム畔のおへんろ交流サロンを出ると,先ずは来栖(くるす)渓谷方面に入っていった.遍路道はこの渓谷脇辺りを通っているのだ.


遍路道は山道になる

遍路道は山道になる

遍路道は舗装道を離れ,山道に入っていった.遍路道トレイル下に渓谷が流れている.


女体山山頂まで1.138kmの道標

女体山山頂まで1.138kmの道標

女体山山頂まで1.138kmの道標があった.1m単位まで記されているから相当精度が高いのであろう.もう一つのルートに在るらしい太郎兵衛間から少し進んだところだ.何れにしても既に女体山の中で,1.138kmなら直ぐそこのような気がするが....

脇の解説板によれば,この辺りは標高450m余りで,ヒノキや杉の人工林だそうだ.八合目から上くらいになると,イヌシデ,エゴノキ,ケクロモジ,リョウブ....といった植生になり,また動物はサルやタヌキ,イタチ,テン,ムササビなど棲むようである.


トラバース路になる

トラバース路になる

暫く行くとトラバース路になった.そして以前崩れた部分があり,そこを回避して安全なバイパス路が手摺付きで新設された箇所があった.大変ありがたいことだ.


林の切れ目から望む

林の切れ目から望む

さてどのくらいの高さになったかな~はっきりしない.林の切れ目から覗いてみた.天気がイマイチで眺めも今ひとつ芳しくない.


女体山の急な上りに入る

女体山の急な上りに入る

上り坂が急になってきた.おへんろ交流サロンで頂いたへんろ道マップで薄い等高線が密になっている辺りであろうか.

ところで女体山,男体山と呼ばれる山は全国各地にあるそうだが,ここの女体山は,その昔不義をして京を追放され,このエリアに落ちた公家の娘の長いストーリーと,また解りやすく山の形に絡んでいるそうだ.


女体山頂上近くは殆ど岩場だ

女体山頂上近くは殆ど岩場だ

そのうちトレイルは岩だらけになった.ここから暫くは撮影の余裕なく,写真はなしだ.

交流サロン以降誰一人会うことはないし,この先も会うことはなさそうだし,心細いな~と思いながらも,ここでは手も使いながら斜度の高い岩だらけトレイルを上った.そして何とか上に出た.

昨秋の第一番からの遍路を含めて,これまでで幾箇所かの『遍路ころがし』があったが,ここ女体山は距離こそ短いがダントツのころがし度だと思う.


女体山頂上から望む

女体山頂上から望む

女体山頂上に着き,瀬戸内海方向を眺めた.前日訪れた屋島方面のようであるが,はっきり特定はできない.それでも海や島も見えるので結構広い範囲が望める.


女体山標高776mの標識

女体山標高776mの標識

頂上には女体山標高776mの標識が立てられていた.細かいことだが,交流サロンで頂いたへんろ道マップには763mと記されている.いや13mの差は細かくないかも知れんな~多分測量場所が違っているのでしょうね.

私のよく行く高尾山と陣馬山の中間くらいの標高だから,それなりに上ったようで,満足しなくては.


女体山から下りにかかる

女体山から下りにかかる

女体山頂上を突っ切ると,そのまま南方面の下りトレイルに入る.とにかく下る一方で,トレイルは木の土留めが敷設されているところが多い.


女体山下りは滑りやすいので注意

女体山下りは滑りやすいので注意

土も丸太の土留めも,雨で濡れて滑り易い.ここで転んだら泥だらけだ.杖を突き,注意しながら下った.下りは結構続くな~


谷川が見える

谷川が見える

大分下ったと思われる.下方には山に挟まれた谷川が見えている.交流サロンで頂いたへんろ道マップを参照すると,この谷川沿いに第88番大窪寺に至る車道が通っているように見える.


第88番 医王山 遍照光院 大窪寺(いおうざん へんじょうこういん おおくぼじ)

第88番大窪寺まで0.4kmの標識

第88番大窪寺まで0.4kmの標識

遍路道を下り,第88番大窪寺まで0.4kmの標識があった.間もなくだ.

遍路道は土留めがあるが,やはり水の勢いが強いのか,土が流され,丸太が露出している.こうした丸太は滑りやすいので,足を置かないよう注意だ.


第88番大窪寺に到着し,山門に回る

第88番大窪寺に到着し,山門に回る

女体山ルートから第88番大窪寺境内に横から到着した.やはり山門から入るのが良かろうと山門に回った.

大窪寺山門は楼門形式で,一階両側密な格子の背後に仁王像が納められていた筈で....格子に顔を寄せて覗くと見えたと思う.....

木肌や龍の彫り物などなかなかいい味を出している.


第88番大窪寺本堂

第88番大窪寺本堂

山門の真正面,石段上に本堂が建てられている.

本寺は行基菩薩が草庵を建て修行をしたことに始まり,後に唐から帰国した弘法大師が薬師如来を本尊に祀り,修行し,宗派は真言宗という.

本寺は女性の入山をいち早く認め,女人高野として栄えた歴史があるそうだ.途中火災などで大変な時代もあったが,現在結願聖地の法灯を守り続けているとのことだ.

ここで先ず一回目の経を読む.


第88番大窪寺大師堂

第88番大窪寺大師堂

本堂左の階段を上り大師堂に来る.随分大きな建物だ.

さて上述のように唐から帰国した弘法大師が薬師如来を本尊に祀り,修行したのだが,ここを大窪寺と名づけ,また結願の地と定めたのも弘法大師ということだ.

ということで,私も八十八霊場巡りで,最後の般若心経をここで読む.


第88番大窪寺お砂踏み道場

第88番大窪寺お砂踏み道場

大師堂の下にお砂踏み道場の札の架かったこの建物があった.

これは,四国八十八箇所各霊場寺院の御本尊をお祀りし,各寺院より頂いた境内の砂をそれぞれの正面に敷き,それらを踏みながら礼拝することで八十八箇所霊場巡り同様の功徳を積む,という場であるようだ.

建物はないが,仙遊寺の新八十八箇所お砂踏み霊場などと同じ類であろうかと思う.


第88番大窪寺の後朱印と墨書きをもらい結願

第88番大窪寺の御朱印と墨書きをもらい結願

二回の読経が済み,納経所で朱印と墨書きをお願いする.そして『これで結願しましたね,おめでとうございます』と言われ,返してもらったのが右の写真だ.

左下の朱印が寺名ではなく,結願所となっているところが,他と違う.無事に回ることができて幸いだったと思う.


民宿八十窪

民宿八十窪に入る

民宿八十窪に入る

大窪寺参拝が終わり,その目と鼻の先,予約済みの民宿八十窪に入った.女将さんと大奥さんから,お風呂,ランドリー,wifi,食事....など諸案内を聞き,部屋に入る.

大奥さんのお話では,暫く前ご不幸なことに火事で焼け,再建したのだそうだ.そのため客室は比較的新しい六畳の和室だった.

そしていつものようにランドリー,お風呂へと行く.洗濯が終わった頃,乾燥機を覗くと全部塞がり,女将さんに,後で入れておきますと言われ,お願いする.

さて明日は高野山にお礼参りで行きたいのだが,宿手配の手がかりがない.女将さんに尋ねたら,知り合いの高野山天徳院宿坊を教えてくれた.民宿八十窪の紹介で....と言うのですよ,それでも滅多なことでは予約が取れないようですが,と容易ではなさそうだ.

さて,そこで天徳院宿坊さんに電話して宿泊をお願いした.天徳院さんからは,歩き遍路で,結願し,現在八十窪さんに居るのですね,と念入りに訊かれ,そうですと応え,予約できた.

女将さんに予約できたことを報告すると,驚き喜んでくれた.普通なかなか予約できないのだそうだ.そして大変嬉しいことに明日朝,コミュニテイバスの停留所まで,車で送って下さると言う.ありがとうございます.


民宿八十窪の夕食

民宿八十窪の夕食

夕食時間になり,ダイニングルームに集う.明日から逆打ちで回るという明石のとても親切(大窪寺でいろいろ教えてくれました)な女性,善通寺の朝食で一緒で,ここでまた偶然一緒になった男性,日本語ペラペラの香港男性,関西の区切り打ちカップル,もう一組のカップル...など,人気の宿だけに繁盛している.

夕食には結願記念にとお赤飯が添えられ,天ぷらやお刺身など,美味しく頂いた.

ところで同席した八十六歳という大奥さんのお話はとても興味深くまた面白い.最近車で自爆し,入院したが,思うところあって,食事を摂らず死のうと,しばし実行した.途中尊敬する方(医師?)と話し,餓死することを止めたこと.

18歳のとき,身体を丈夫にしないとお嫁にも行けない,と草鞋3足,お米3升持たされ,お遍路に出された.口減らしのためだな,と感じ,これは絶対生きて帰らなければと思い出発.橋の下などで寝ながら行くが,草鞋は1日で壊れ,3升の米はあっという間に尽き,乞食をするが,断られることが多く大変.それでも2ヶ月半かけて戻ることができたこと.

火事や亡くなった旦那さんと再建したこと....など,お話は尽きなかった.

さて明日は四国を離れる.お世話になりました.



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