この遍路13日目編では,2018年3月13日ビジネス旅館小松で朝食後ここを出て,石鎚山系中腹に上り,第60番横峰寺参拝.そして同じ道を下り,一旦旅館小松に寄り,第63番吉祥寺に行き,その後石鎚神社を通過し,第64番前神寺を参拝し,そしてホテルオレール西条へと辿ったときの写真を載せました.
3月13日ビジネス旅館小松で朝が明け,ダイニングルームで朝食を頂く.納豆や焼きサバの朝食だった.納豆は時どき出してもらうが,四国でも一般的になってきたのでしょう.
また昼食用にと,結んでもらったおにぎりパックを頂戴した.
テレビの天気予報はこの日は終日晴れの見込みと報じている.それは何よりだ.
さて朝食が終わると,おにぎりをザックに入れ,また行動中要らなさそうなものを玄関脇に置いて,通りに出て歩き始めた.通りは静かで,人影は殆ど見えない.
暫く行くと前日頂戴したビジネス旅館小松特製マップに記された学習塾があり,そこを右に折れた.
折れた先を少し行くと住宅街が終わり,郊外的風景に変わる.そして特製マップには記されない池が現れた.さて道を間違えたかな~と疑ってみるが大丈夫そうだ,多分.
次にまたも特製マップにはないお寺も出現した.でもこれまた大丈夫そうなので進行継続だ.
そして暫く行くと,待望の(?)砕石場が現れた.これでマップ通り歩いていることが確認でき,ほっとする.
ところでこの砕石場とは近く山で切り出した岩を,コンクリートなどの建設資材にするため小さく砕く工場のようだ.近くの山には岩肌が大きく抉り取られたところが見える.
砕石場の後に大事な分岐点がある筈で,それを探しながら進んだ.そ分岐点が来る前に,伐採された杉材をトラックに積み込む場所があった.杉材はあまり太くないので間伐されたものであろうか.
そして杉材積み込み場から少しして,分岐点があり,左手に逸れた.
横峰寺は石鎚山系中腹にあり,そこに向かうトレイルに上っていった.殆ど杉林の中で,路面は落ちた杉の小枝で埋まる柔らかい土の道が多く,歩きやすい.ただし少し風が吹くと,スギ花粉が,あたかもきな粉パックを逆さにしたようにドバーっと空中に舞い,大気が黄色くなる.花粉症の人は大変な事態に陥りそうだ.
トレイルには所々舟形丁石が置かれていた.写真は三十六丁とあるので,あと4km近くあるということか.どこまでとは書いてないが,横峰寺までの距離であろう.ただ丁石は,その昔若者の力比べで運ばれ,移動している場合もあるというから不確かな場合もあるようだ.
採石場ルートから暫く歩き,ノーマルルートに交わった.目指す第60番横峰寺と香園寺奥の院の道標があり,以降これを頼りに進む.
遍路道は車道に出た.車で参拝に訪れる人は圧倒的に多く,駐車場も近くにあるようだ.既に過ぎたが開創1200年の赤いのぼり旗が横峰寺の間近であることを告げている.
そして第60番横峰寺に到着した.本寺は標高750mに位置し,四国霊場の中で3番目の高地にあるそうだ.ちなみに最も高いのは第66番 雲辺寺(911m),次は,遍路道途中の焼山寺山(標高938m)であるが,第12番焼山寺自体は680mという.とすると第60番横峰寺は2番めの高さということになろうか.
なお山号『石鈇山』は,標高1,982mで西日本最高峰の霊山石鎚山と少し漢字が異なっているが,石鎚山の北側中腹に位置しているという.中腹に在るので,お堂は山の斜面を段々に削った地面に建てられている.
本堂はお寺では珍しい,神社風の権現造りという.当初,役行者小角が石鎚山の星ヶ森で修行中,蔵王権現が現れ,その姿を石楠花の木に彫り,小堂を建て安置したのが創建とされ,後に弘法大師がこの寺で大日如来坐像を彫り,本尊とし,厄除けと開運祈願を行ったという.
先ずはここをお参りする.
大師堂は一般的な銅板葺き方形屋根で比較的コンパクトだ.この日は団体お遍路さんが大勢居られ,階段下で小さな声で経を読んだ.
2回のお経を終えると,大師堂脇の階段を降り,階段下の納経所に行った.その横には山門もあった.ここはやはり山の斜面のお寺であった第45番岩屋寺仁王門が山の高い方にあったのと逆に低い方に設けられている.いろいろな形式があるのですね.
納経帳にご朱印を頂くと,もと来た道に戻り,下りにかかった.2kmほど行くと,歩き遍路用遍路道の道標があり,そちらに逸れた.
上ってきたのと全く同じ道を下る.芸がないとも言えるだろう.ここはいわゆる遍路ころがしの一箇所と言われるそうだが,晴れたこの日は全然問題ない.ただ花粉はすごい.
横峰寺境内で,久しぶりに一緒になった大きなザックのAさんに,サンティアゴ巡礼などについて聞きながらどんどん下る.
途中Aさんはノーマルルートをそのまま進み,私は採石場ルートへの分岐点で右に曲がり,以降朝上っていた来たルートをトレースしながら下った.住宅街に入る直前,道脇に適当な石があったので,そこに腰を下ろし,朝旅館小松さんに頂いたおにぎりを頬張った.
横峰寺からの遍路道を下り,市街地に戻った.そして一部荷物を預かってもらったビジネス旅館小松さんに,荷物受け取りのため立ち寄った.
同じルートで横峰寺を往復したという,13回目逆打ち青森の先達男性もたまたまここで一緒になった.男性は横峰寺近くで石鎚山頂上が良く望める場所も訪れたそうである.
ビジネス旅館小松さんを出ると,少し北に歩き国道11号線に交わった.そして国道11号線遍路道をひたすら東に進んだ.第63番吉祥寺はこの道沿いにあるのだ.
やがて進行方向左手に第63番吉祥寺山門が現れた.瓦屋根一層で両側に短い塀があり,仁王像や四天王のないさっぱりしたタイプだ.
手前に象の石像は珍しいかな.ブッダ生誕や修行の地インド(やネパール)に絡むのか.....東南アジアの上座部仏教寺院の雰囲気でもある.
山門で一礼し,手水舎で清める.ここだけのことではないが,手水舎ではよく龍が口から水を注いている.大乗仏教(密教)がチベットから中国本土に伝わり,そこで皇帝専用架空生物龍が加わり,さらに日本に伝えられた?ということかな....
境内には『皆さんご苦労さんです.私も毎日修行しています』のお迎え大師像,それにくぐるトンネルに載った吉祥天女像があった.
吉祥天は,ヒンドゥーの女神ラクシュミーを仏教に取り入れたものだそうだ.ヒンドゥーでは有名なヴィシュヌ神の妃だそうだが,仏教では天部の一人なのでランク的には一番下であろう.
なお(日本の)仏教では吉祥天と弁財天の二人が二大美女だとか....また日本では次に述べる本寺のご本尊毘沙聞天の妃,もしくは妹とされることもあるそうだ.
山門から少し左にオフセットした先に,本堂が建てられている.当寺は弘法大師の開基で,この地を巡教中一本の光を放つ檜を見つけ,毘沙聞天像を彫造し,本尊として祀ったという.
毘沙聞天は四天王のうちの多聞天とも称され,よく帝釈天配下で武神,守護神として祀られるが,本上述のようにランクは低い方で,本尊としては珍しく,八十八霊場ではここだけだそうだ.
なお当吉祥寺で用いられる毘沙聞天の聞の文字は,一般には門の文字で記されるそうである.
本堂左手に方形屋根の大師堂があった.本堂に引き続き,般若心経を唱える.
なお本寺の山号は密教山とあるように,宗派は真言宗(東寺派)である.また土佐沖で難破したエスパニア船船長から藩主に贈られたマリア像は,吉祥天のように美しい観音像として伝えられ,後にそれを譲り受け,寺宝(非公開)としているという.境内の上述くぐり吉祥天女像はこれに関係しているのでしょう.
第63番吉祥寺参拝が済むと,また国道11号線を東に行き,少しして11号線南を通る遍路道に入った.
その遍路道は車が少なく,静かな歩き易い道だった.
暫く歩くと赤い巨大な鳥居が見えてきた,そして間近で見てみたいと思い,その近くまで行ってみた.いや~実に巨大だ.石鎚神社の大鳥居だそうである.
石鎚神社の大鳥居から元の遍路道に戻った.道標には第64番前神寺まで0.4kmとあるから近いようだ.
遍路道脇のこの辺りにはみかん畑が多い.そして落ちたみかんがいっぱい転がっており,もったいないと思う.
少しして遍路道は石鎚神社参道を横切る形になった.先程寄った赤い大鳥居と,本殿側石の中門を結ぶ参道をクロスしているのだ.ただ通過してはもったいないと,中門少し先まで歩いてみる.境内はものすごく広く,複数建物の屋根上部が覗いている.
石鎚神社中門先に案内図があった.これを見ると,赤い大門とこの中門のサイズ,その間の距離と対比して境内敷地面積や本殿はバカでかい.
石鎚神社は西日本最高峰石鎚山を神体山とし,山麓のここに本社,それに山腹に2つの社,山頂に頂上社の4社を有する神社で,石鎚山総本宮と称するそうだ.
ちょうど富士山南麓に本宮,富士山頂に奥宮を置く富士山本宮浅間大社のような神社であろうか.
石鎚神社から程なく石鈇山の山号が架かる前神寺山門に至った.とてもシンプルな山門だが,その先には広い境内が見えている.ちょっと驚いたことに,当第64番前神寺の山号は,今朝上った第60番横峰寺の山号と同じなのだ.ということで,麓と中腹の違いはあるがどちらも霊山石鈇山にあるのだ.(それともちろん石鎚神社もだが)
前神寺境内は林に囲まれ,自然豊かだ.そして参道はよく整備され気持ちよく歩ける.
ところで石鈇山の山号とともに前神寺の寺名も面白い.本寺は,以前元々は前記石鎚神社と共に一体的な神仏習合宗教体で,それが明治の神仏分離令で分離されたそうで,前神寺の名はその名残かな~と想像してみる.
石段を上ると巨大な本堂が見えた.両側には回廊も連なっている.こんなに大きなお寺はこれまでに無かったと思う.
この寺は上述の第60番横峰寺と同じように,役行者小角の創建で,修行中にを阿弥陀如来像を彫り,本尊として祀ったそうである.
この大きな本堂であるが,このとき参拝者は特別多いということもなく,むしろ疎らで,ごく普通に般若心経を読むことができた.
本堂手前に鳥居とその本殿に上る階段があった.ここにも神社が祀られているのだ.
本寺は明治時代に分離された寺部門だったことは上述の通りであるが,その後神社の一部も復活し,里前神寺としてここに祀られているようだ.
本堂手前にはごく一般的な方形屋根デザインで,普通サイズの大師堂が建てられていた.
弘法大師はこの石鎚山に2度入山し,37日におよぶ護摩修法や21日間の断食修行など行ったそうである.
第64番前神寺参拝を終え,元の遍路道に戻った.そして遍路道はいくらか北東方向に向きを変え,宿泊予定ホテルのあるJR予讃線伊予西条駅方面に向かった.
途中規模は小さいがソーラー発電ファームが見えた.さらにず~っと先には瀬戸内海が見えている.
暫く歩くと『歩き遍路の方どうぞ』との札を立てたみかんの袋が置かれており,ありがたく頂戴した.少し前に落ちたみかんをもったいないと感じた分も合わせて美味しく頂いた.
加茂川の長い橋を渡った.川の源流方向には石鎚山(あるいはその東側の)山々が良く望めた.既に雪は融けてしまったが,あればさらにいい眺めと思う.
遍路道はやがて西条市市街地に入ってきた.この辺りは主に住宅で,ちょうど下校時間のため,黄色い帽子の小学生が家路へと辿っていた.
宿は伊予西条駅の北側駅前にあるので,その手前で線路南側から予讃線を跨ぎ北側に回った.乗るわけではないのに,こうして幾度も横切ったり,並行して歩いていると親近感を覚えてくる.
4時半頃,ホテルオレール西条にチェックインした.歩いた距離はあまり道間違いがなかったため29.35kmで済んだ.やはり道のりが単純だったのが幸いしたようだ.
部屋は普通に狭かった.でも椅子とテーブルなので楽だ.バスルームも狭いがちゃんとタブも付いているので問題ないし.
狭い部屋なりに工夫が見られる.小さなほうろうポットの下はテーブル組み込みの小型電磁誘導ヒーターだ.へ~こんな小型のものがあるんだ~と感心した.
テレビのように,今は大相撲の場所中だ.愛媛県(や他の四国の県)では,NHKのローカルニュースで十両以下の下位力士(序二段など)も含めて地元出身力士の当日勝負結果を報じている.結構なことだ.
ホテル窓から駅方面を眺めると線路を跨ぐ歩道橋と,その先の住宅街.さらに先には石鎚山から続く低い山脈が見える.
低い山の向こうに雪山がちらりと覗いているような気もするが.....雲かな?