この遍路11日目編では,2018年3月11日今治アーバンホテルを発ち,第56番 泰山寺,次いで第57番 栄福寺,さらに第58番 仙遊寺をお参りし,仙遊寺宿坊に宿ったときの写真を載せました.
3/11今治アーバンホテルで朝が明けた.窓からJR今治駅方面を覗くと,今日もよく晴れている.嬉しい.
今治駅前は,通勤時間帯なのに拘らず然程混み合っている様子は見られない.結構なことだな~
この日は最初に第56番泰山寺に行く.と云うことで先ずは南西方向に歩く.暫く今治市街を歩き,抜けると郊外を歩くようになる見込みだ.
見込み通り,今治の市街地を抜けると田んぼや畑のエリアになった.四国と言えどもまだ早いのか,田んぼを耕すなど作付け準備は行われておらず,これからのようである.
農道を通り,第56番泰山寺に着いた.そして同じ頃いやしの宿「八丁坂」でお別れした昭島のKさんが現れ,一緒になる.さてどこから出現したのでしょう.
着いた第56番泰山寺の山門は,本殿と道を挟んで駐車場に建てられ,正直な感想で言えば甚だプアな印象だ.ひょっとすると山門は存在せず,写真のそれは単に駐車場の飾りであろうか....
さて一応上記山門をくぐり,道を越え,参道の階段を上り,第56番泰山寺境内に入った.
上った先は納経所を備えた大きな建物で,宿坊であろうか.そしてその左手に本堂が建てられていた.
境内には大勢の若者がいて,ガイド(或いは先達)女性のお話を聞いたり,ときに遊んだりしている.Kさんが訊いてみたところ,さる会社の新入社員研修の一つとして遍路しているということだ.な~るほど,入社前研修か~大変ですね~,ちょっと驚いた.
また私より若干若い外国人カップルにも出会った.カナダはカルガリーからだそうで,こうしたお寺巡りの興味から廻っているという.それなら私と変わりないですね.
比較的コンパクトな本堂は境内左端に位置している.
弘法大師がこの地を訪れたころ,近くの川が梅雨の季節になると氾濫し,田畑や家屋を流し,人命を奪うため,人々は恐れ苦しんでいた.事情を知った大師は,村人たちと堤防を築いて,土砂加持の秘法(よく理解してないが祈祷のようなものか?)を修法したところ延命地蔵菩薩を空中に感得し,治水祈願が成就したという.そしてその延命地蔵菩薩を本尊として本泰山寺を建立したということだ.
こちらはがさらにコンパクトな第56番泰山寺大師堂.本堂に引き続いて参拝する.
ここで改めて大師の偉業を振り返って見ると,八十八の寺に関わることに加え,途中途中の祠や各種記念物など殆ど無数にあり,驚くほかない.多分創作されたり,脚色された部分もあろうが....
次の第57番栄福寺,第58番仙遊寺は泰山寺のほぼ真南に位置している.道はあちこち曲がりくねって行くが,方向としては南を目指す.
暫く進むと,遍路道の脇に四国遍路無縁墓地があった.十数基の墓石が並んでいる.この辺りだけでそれほど多く行き倒れたとは.....驚いてしまった.多分今よりはるかに遍路が厳しかったであろう戦前,いや更に昔で,身元確認できなかった人たちが多かったのでしょうか.
四国遍路無縁墓地からほんの少し先にお遍路休憩所があった.ログハウス形式で風通しのいい構造だ.横には自販機もあり,飲料を買い,Kさんと一緒にここで腰を下ろし,予めザックに用意してあった朝食を取り出して食べた.
遍路道はやがて蒼社川(そうじゃがわ)土手道となった.土手の桜はよくあるが,ここでも植えられており,一部見頃になっていた.今年は全国的に早いというから,ここもその波に乗り咲いているのだろう.
土手を降り,車道を進み,農地脇舗装小路を少し上って行くと第57番栄福寺入り口になった.山門はなく,府頭山 栄福寺と刻まれた石柱が立っている.そして参道を挟み反対側に弘法大師ブロンズ像が立てられている.
石垣で囲まれた境内の階段を上ると正面に第57番栄福寺本堂があった.先ずはここでお参りする.本寺は,弘法大師がこの地方を巡っている頃,近海では特に海難事故が絶えず,海陸安全,福寿増長の祈願し,阿弥陀如来を本尊とし,創建したことに遡るという.
栄福寺境内は比較的狭く,また斜面にあるので石垣や階段を上手く配置して,参拝しやすくなっている.
本堂手前右側に大師堂があり,ここでまた同じように参拝する.大師堂正面には,今度は石の大師像(上写真で左端)が配置されている.
ここにはKさんと共に着いたが,やはり同じ方向に歩いている社員研修の皆さん,カナダのご夫妻に一緒になり,それに歩き遍路で浅草のAさんに初めてお会いした.
Aさんは以前一周したことがあり,今回2度目だが番外札所を含めて歩いているという.番外札所は不便な場所にある場合が多く,宿の確保に苦労しているそうだ.
栄福寺を出て歩くと遍路道は大きな池の脇になった.周りは山地なので自然池ではなかろうか.きれいな水を湛えている.
大塚池周辺の遍路道は林の中で,とても清々しい.
Kさんと私はこの後第58番仙遊寺を訪れ,そのままそこの宿坊で泊まる予定で時間がたっぷりあり.だがAさんは第58番仙遊寺参拝後,別格札所の方向に入るということで,足早に先を急いだ.気を付けて行ってください.
さて遍路道はそのうち第58番仙遊寺仁王門に至った.門には大きく作礼山の山号額が架けられている.
山号作礼山はここの地理的山の名前でもあり,仙遊寺(本堂)はその300mの標高に位置しているそうだ.
仙遊寺仁王門は格子やネットが無く,両側の仁王像をくっきり眺めることができる.なかなかの迫力だ.
ただ格子がなく,オープンにし,よく見えるようにしたことを逆手に取り,千住札を仁王像背後まで貼り付けるとは些か情けない.器物損壊にも該当しよう.
礼をして仁王門から入ると,参道は小さな沢に沿う上りになる.なかなか雰囲気のいい道で,終盤は石段が設けられていた.
仙遊寺本堂に到着し,作法通り参拝する.
仙遊寺は,天智天皇(在位668〜71)の勅願で,伊予の国主が建立し,本尊は千手観音菩薩ということだ.
現在の建物は1953年再建だそうで,まだ新しい.
本堂左手に大師堂が配され,ここでも本堂同様お参りをする.
仙遊寺は創建後,何人かの僧の元で維持されてきたが,弘法大師が訪れた頃は荒廃し,病に苦しむ人が多くいたそうで.そこで大師は伽藍等を修復し,井戸を掘り,人々を病から救済したという.
第58番仙遊寺境内の一画に,八十八箇所お砂踏み霊場が設けられていた.弘法大師石像の周囲に,第一番から八十八番までそれぞれのご本尊石仏が配置されている.ということで,ここを一周すれば安直に一応歩き遍路が完遂できるということになる.
仙遊寺境内の一画に,本堂から回廊で結ばれた宿坊が建てられている.早い時間だがチェックインOKということで入れてもらう.仙遊寺宿坊は本格的精進料理で有名だと,どこかの宿で聞き及び,野次馬的に予約していた.精進料理そのものは私向きでないことは解っていたが,遍路の一部として体験してみたかったのだ.
仙遊寺宿坊は高台にあるので眺めの利くバルコニーに出てみようとした.するとバルコニー手前に広いトレーニング室があり,上地流と記されたサンドバッグが吊るされていた.後でKさんに聞いたのだが,こちらのご住職は空手を嗜み,その専用トレーニングルームなのではないかということだ.こうした寺の武術では中国の少林寺など超有名であるが,日本でもあるんだ~と,いたく感激してしまった.
さてバルコニーに出て,瀬戸内海方面を眺めてみた.直前には豊かな木立の当作礼山の斜面,その先に平地にかなり建物の密集する今治市街地,その向こうに瀬戸内海,そして霞みながらもそこに浮かぶ島々が見える.
板の間に低い畳ベッドが置かれた狭い個室である.部屋の名前はよくある花の名とか,XX号室とかではなく,『無我』と名付けられた部屋だった.いかにも宿坊の雰囲気だ.
宿坊には温泉らしい浴室やランドリーも備えられ,部屋で少し休憩後,先ずはルーチンワークとしてそちらに行く.それでこの日の仕事は完了だ.
客室には確かテレビはなく,日本語英語併記の仏教経典や仏教の解説書が置いてある.これも宿坊としてはふさわしかろう.(ただし経典は他の旅館やホテル,民宿でももちろん置いてあるところもある)
薄い一冊を手にしてみたが,ブッダの生い立ちや,仏のランクなど,解りやすく記述されていた.ただ今は多くの内容はあまり思い出せない....覚えることは可能だが,それを思い出せないのが認知症,と聞いたが,どうやらそのようだ.
まだ外は明るいが夕食時間となった.皆がダイニングルームに集まってきた.全員で20席程度あろうか,とても大勢で驚いた.さすが有名な宿坊だけある.
その中で一人遍路の客は女性一人を含む7人で区分けされたテーブルに座った.その中には,一緒に着いたKさんと,3/8朝いやしの宿「八丁坂」でお別れした大阪のHさんが居られ再会した.これまでの経緯や,この先の宿に関して情報交換した.
仙遊寺宿坊の本格派精進料理はこの通りだ.野菜や山菜,穀類,豆が原料の豆腐類が素材として用いられ,動物や魚,鳥など一切含まないようだ.肉食系老人の私にはいくらか物足りないが,修行的雰囲気も併せて味わえたし,また周りは好評の声に満ちていた.
さて明日は本堂での朝のお勤め後,朝食を頂き,少し変則的ルートとなるが,距離は30km近く歩く予定だ.晴れるかな~