この遍路16日目編では,2018年3月16日民宿岡田を出発し,雲辺寺山を上り第66番雲辺寺に至り参拝,そして雲辺寺山から下り,第67番大興寺に着いてお参り,その後ほぼ平らな遍路道で旅館晩翠へと辿ったときの写真を載せました.
民宿岡田で焼きサバやきんぴらごぼうの朝食を頂いた.今回遍路で泊まった民宿や旅館ではサバの朝食が幾度かあった気がする.サバは好きなので結構なことだ(他の魚ももちろん好きなのだが)
さて今日は生憎天気予報通り,雨で明けた.カッパを着て出かけなければ.
民宿岡田で朝食を済ますと,皆パラパラとお暇し,それぞれ出発した.皆順打ちなので同じ方向に向かう.少し前を行くのはHさんで,ポンチョ姿だ.ただしカッパズボンも履いている.ポンチョはザックと背中の間に雨が入らないのがいいようだ.
民宿岡田の大旦那に頂いたマップ通り,幾度か分岐したり,曲がりながら山道に入って行った.
山の名はずばり雲辺寺山で,徳島県三好市と香川県観音寺市の境界に位置する讃岐山脈の峰で,標高927mあるそうだ.雲辺寺は911mに位置しているそうなので,ほぼ頂上ということになろう.
遍路道は晴れていれば快適そうなトレイルだが,雨なのが惜しいところだ.
一旦林を抜け,明るい場所に出た.そしてこの道を行くと車道に出て,さらに進むと第66番雲辺寺参道になったように思う.雨で写真があまりなかった.
やがて第66番雲辺寺山門に着いた.地理的には徳島県三好市であるが,歴史的に香川県(観音寺市)の第1番札所とされているそうだ.但し県境はこの境内にあり,私は見なかったがそれを示すプレートが埋め込まれているという.またここの標高911mは八十八霊場で最も高いところになるそうだ.
雨でぼんやりしているが,巨鼇山(きょごうざん)という難しい漢字の山号は金色でくっきりしている.鼇とはおおがめで,仙山(仙人が住む山)を背負うという.
門は木造一層式で,両側に仁王像が祀られている.白い木肌を見るに,建設から日が浅いように思う.
チベットやネパール山奥,ブータン等でよく見かけるマニ車が雲辺寺にも据えてあり,ちょっと驚いた.マニと称されるお経が中に納めてあり,一回廻せば一回経を読むに等しい功徳があるとされる説明書きがあった.
雲辺寺は弘法大師の創建で千手観世音菩薩を本尊としているそうだ.
大師は仏舎利と仏法石を山中に納めて七仏供養をし,霊場としたが,それは四国坊と呼ばれ,四国各国から馳せ参じる僧侶たちの学問,修行の道場となり『四国高野』と称されて栄えたという.
ここでは雨に当たらないよう,軒下奥まで進んで,経本を広げ,読んだ.
さて上述の通り,雲辺寺は弘法大師の開基であるが,最初善通寺の材木集めで16歳のときここに現れ,次に唐から帰国後34歳のとき,さらに45歳のとき,と三度も訪れているそうだ.
輪っぱの先に横たわっているのが大きなブロンズ製なす.ここに腰掛け,願いが叶いますように,頼みごとが成すように,とのことから『おたのみなす』と称するそうだ.今日は雨でビショビショで腰掛けにくい.
なお手前の輪っぱは御札がいっぱい貼られ判り難いが,茄子形をしており,ここを潜って先方のなすに腰を下ろすのが正しい流儀であるようだ.
雲辺寺周辺の道にはほんとに500はあろうかと思われるほど多数の五百羅漢像が建ち並んでいた.
各人に似ている像が一体はあるというが,さて見つかるかな.....?
最初下り口が霧で見つからず(ということにしておこう)間違えた方向に進み,そしてこの下り口に戻った.ここからは合わせて900m下ることになるのだろう.
雲辺寺山からの下り道は茶色の落ち葉を敷き詰めた比較的傾斜の緩やかな道だった.土留めの階段や,石段が所々にあり,よく整備されていると思う.
最初徳島/香川県境を進み,暫くして香川県観音寺市に入っていった.
そして雨は幾らか弱まってきたようで助かる.
歩いていると丁石や道標に出合う.写真は彫りがくっきりした十一丁(1.2kmくらい)の舟形丁石だ.形からすると相当古いものだと思うが,それにしては文字も地蔵菩薩像(多分)も鮮明だ.
ところで,十一丁はどこまでとか,どこからとは記してない.逆打ちになるが第66番雲辺寺までのことかな~
暫く下ると,山道の遍路道が終わり,舗装された野の道になった.そして道脇には住宅も見えるようになった.次は第67番大興寺を目指す.
第67番大興寺までの距離を記した道標を見ると,同寺まで大分近づいてきたようだ.雨も殆ど止み,霧雨程度になっている.ず~っとこのままで済むかどうか半信半疑だが.
四国第67番霊場 小松尾山 大興寺の石柱,それに入母屋屋根に小松尾の額が架かる山門に到着した.門にはちょっとユニークな斜め格子の内側に一対の仁王像が据えられている.
大興寺境内は庭木がきれいに整備されている.ツツジなどありそうなので花の頃になればさらに見応えありそうだ.
山門のある一段目の庭の先に,本堂のある庭に上る石の階段が設けられている.
霊場会の公式サイトによれば,迫力ある山門の仁王像(金剛力士像)は仏師として名高い運慶の作品ということだ.またその像高は314cmと大きく,八十八霊場中最大とされるそうだ.運慶は平安末期から鎌倉初期に活動した仏師なので,大興寺創建のころからは大分下った時代になろう.
階段横にはカヤの大木が生えていた.幹周り4.1m,樹高20m,樹齢1200年余り,ということに加え,弘法大師が四国修行の折り,カヤの種子を植えられた,と伝われるそうだ.
ほぼ雨が上がり,クリアに見える.寄棟造りの一種であろうが,頂きの長さは短い.本寺は創建時から戦国時代を経るうちに焼き討ちや,場所の移動などいろいろあったが,現在のご本尊は薬師如来で,弘法大師の開基とされているようだ.
ともあれ先ずはここで参拝する.
本堂左隣に建てられた大師堂は本堂と較べて小振りな方形屋根造りで,一般的なタイプだ.そしてここでまた般若心経を読む.今日はこれが最後だ.
第67番大興寺をお参りし,海音寺市街地へと向かった.通りは北西に向くほぼ一直線になる.
途中朝方一緒で,途中離れたHさんに出会った.雨が上がったのでポンチョを脱いで軽快そうだった.私は海音寺市内の旅館までだが,Hさんはその先の第68番神恵院と第69番観音寺(二寺並んでいるらしい)に参拝し,その近くで宿泊だそうだ.
海音寺郊外から市街地に入り,旅館晩翠に着いた.チェックインタイムより早い時間だったが,入れてもらえた.この宿は滋賀のGさんに紹介してもらったところだ.
雨に濡れた靴乾かし用古新聞も用意してくださり,親切だ.次いでお風呂やランドリーの案内を聞く.一般的歩き遍路宿ではないので,ランドリー設備に関してはプアだ.本館外倉庫のようなところに置かれた業務用と思しき洗濯機,乾燥機を使わせてもらう.この宿は隣の料理店一亭と同一経営で,割烹旅館であるが,歩き遍路客に対して異例なほど温かい対応だと感じる.料金も特別設定としているようで,他所と同じくらいだったように思う.
玉石を敷いたたたきから板の間の入り口から畳の部屋になる.その先がサンルーム的板の間があり,ここに洗面台が設けてある.サンルームと畳間の間には欄間があり,暖房効率が....云々とつい思ってしまう.細かいな~
テレビを観ると,天気予報やローカルニュースの組み方がそれまでと違っていて,そうか香川県になったんだな~と改めて認識する.
部屋のサンルームから外を覗いて見た.ここは観音寺市中心部に位置しているので,繁華街かその近くということになろう.ただ人口はそう多くない市なので,往来は少なく静かだ.
晩翠の夕食は隣り合わせの料理店一亭のカウンターで頂戴した.写真右上ご主人の料理した天ぷらやお刺身で大変美味しい.
調理に忙しいご主人は,職人気質というか,仕事一筋の見本のような方で,顔は殆どまな板に向いており,客席に愛想を見せたりするどころか,顔を上げることがない.感動しました.
ごちそうさまでした.さて明日は7つものお寺さんを巡るが,晴れるかな~