7日目(トレック2日目),6月19日はジョラからスカムツォクへと向かった.行程としては短く,昼前には到着した.
ジョラはビアフォー川(Biafo River)の辺にあって,主流ビアホー川(Biaho River)に注ぐ.合流点はジョラから1時間くらいあったであろうか.ジョラでは幾つかのパーティが宿泊していたが朝一斉にテントをたたんで出かけた.下るパーティはあまり見かけず,殆ど皆が登り方向であるようだ.
どのパーティも食料であるニワトリを抱え,山羊を引き連れている.ニワトリも山羊も餌は自給が原則で,例えばニワトリは地面の虫をついばみ,山羊は潅木(の葉)を食む.それなので,ニワトリや山羊は地面や潅木のあるパイユ辺りまで行くのが多いようだった.餌も持参する大パーティは例外で,家畜も上まで上がっていく.
下は,ジョラを出てビアホー川に至る辺りまでの写真
ここでは荷役の家畜は馬とロバのようである.ネパールヒマラヤでは主にヤクやゾッキョであるから,かなり違う.馬は比較的小型のようで,ロバより少し大きいかな~?といった感じである.
まれに牛が歩いていることがある.これは荷役ではなく遠征隊の食料であるようだ.我々は6人トレッカー+スタッフ/2週間で山羊1頭.一方,遠征隊はず~っと多くのスタッフで1~2ヶ月なので,やはり牛の1~2頭は必要となろう.
ビアホー川はバルトロ氷河や脇の氷河から流れ出す水を運んでいる.濃い灰色と茶色が混じったような色合いの流れは正に濁流と称するにピッタリだ.
このような荒地にも所々潅木が生え,花を咲かせている.
下は,ビアホー川沿いを行くときの眺め
やがてビアホー川対岸先方には鋭く立ち上がる雪山が見えてきた.そのとき確かめなかったがリリゴピークであろうか?多分そうであろう,なかなか見事な山容である.またこの山のはるか手前には目指すスカムツォクのキャンプサイトが見えている.
ランチはスカムツォク手前のバーダマル(Bardumal)の予定であったか,キッチンボーイの連絡ミスとかでそこに止まらず,スカムツォクまで来てしまった.それでもお昼前には到着したので,まあその方が面倒無くてよかったかもしれない.
スカムツォクに到着すると白い小型のニワトリはその辺に放たれ,地面の餌をほじくり,山羊はロープで潅木脇に繋がれ,葉を食べ始めるのだった.
我々トレッカーは楽ちんで,テーブルに並べられたランチにありつく.この日はヌードルスープ(ラーメン)に干し杏,ナッツ,クラッカーだ.滞在日のランチ以外は簡素で,まあこんなもんだ.でもコックのSfさんの腕のお陰でとても美味しい.
スカムツォクではランチをとっていたグループが幾つかあったが,食べ終えると皆上に登っていった.我々はこの日ここで宿泊するので,午後は洗濯やお茶でゆっくり過ごした.
下は,スカムツォク辺りの写真
スカムツォクでは夕方になるに従って雨混じりの風が強くなった.テントが吹き飛ばされるのでは.....と懸念された.テント内に居ると,全体が激しく音を立て揺れる.スミソニアン博物館に展示されたジェミニ7を思い出し,地球に帰還するときはこんな感じかな~などと,ふと過大な空想に陥っていた.尤も,風邪はまだ回復せず,体温が37.7℃と高かったのでその合わせ技が効いていたのかも知れない.
テントはフライ付きの2重構造であるが,ファスナーの隙間などから砂は容赦なく進入し,どこもかしこも砂だらけだ.拭いても拭いても切がない.今度は安部公房「砂の女」の世界だ.まあ,あのスケールを若干小さくしたようなものであろう.
ウエットティッシュで安部公房の終わりなき世界で暫く格闘したがやはり片付かない.雨は夜通し続いたが,それでも夜半になるとどうにか風の方は収まってほっとした.そしてやがて安らかな眠りに就いたようだった.やれやれ.
明日はパイユだ.どんなところかな~?