パイユ滞在stay at Paiju

9日目(トレック4日目),6月21日は高度順応のためパイユに滞在した.


欠け始めた月

早朝テントサイトから下流方向にあるトイレに行くと,月が落ちようとしていた.少しばかり下弦方向に欠けているので前日辺りが満月であったのであろう.

またこの日6月21日は夏至のようである.晴れた昼間,テントの中は当然暑くて居られないが洗濯物は良く乾く.夜もこの地点ではまだあまり冷え込まず,シェラフのサイドファスナーを開けないと暑かった.

パイユのモスク

モスク

我々のテントの上の質素な建物はモスクであった.前日20日はイスラム教徒にとって最も大切な金曜礼拝の日であった.午後8:40,暗くなった頃モスクの脇で肉声のアザーンが響き渡り,ポーターの人たちが集まって来た.やがて,ある者はモスク内部に,入り切らない者は外で礼拝を行っていた.

なお,一日で最後の礼拝のためのアザーンは,ここに限らずどのキャンプサイトでも聞こえてきた.ただ礼拝に駆けつけるポーターは全体の1割くらいかな~?と云う印象を受けた.

また我々のテントを張った場所は,よく見ると石鹸や小麦粉などを販売し,弥生時代的雰囲気を醸し出しているショップの屋根であった.

パイユ裏山に登って見た風景

裏山に登ってみる

この日は朝から天気が良かった.時間はいっぱいある,いやあり過ぎるし,テントサイトの背後に立ちはだかる裏山に登ってみることにした.

まあ少しくらい上に行っても格段に眺めが変わるわけではないが,自分のテントを上から眺めたり,ダブルピークを少しだけ裾野から眺めることができる.ただ草木の絶える地点以上は巨大な一枚岩で,ロッククライマーでもない限り登れそうもなく,敗退した.

寛ぐガイドとコックさん

寛ぐガイドとコックさん

この日はパイユ滞在なので比較的暇があり,筆者が裏山に登る頃,岩の上で寛いでいた.コックのSfさん,ガイドAmさん共にフンザの人である.ここに写っていないがアシスタントコックStさんもフンザから来ていた.

この3人以外,キッチンボーイやポーターは地元アスコーレ周辺の人々だそうだ.フンザは北部パキスタン観光産業発祥の地で,ガイドスクールなども整っているのがその理由だそうだ.

パイユでのランチ

ランチ

この日は移動しないので,スタッフの皆さんが時間的余裕があり,またスタートして間もないので野菜などの食材が十分ある.そんな訳でダイニングテントのテーブルにはたくさんの食べ物が用意された.美味しい!

たくさん歩く日は軽く,あまり動かない日はたっぷり.逆であればさらにいいのだが,まあ,これは致し方なかろう.

パイユで山羊の屠殺

山羊の屠殺

この日午後までテントの横で潅木の葉を食んでいた山羊は,ビアホー川の川原まで引き連れられていった.私たちの食料に供されるためだ.

丘の上から眺めていると,やがてビアホー川の小さな支流は赤く染まっていった.イスラムでハラール(Halal:合法な)食品とされる山羊肉とするために,イスラムの作法に従って屠殺された筈だ.この実際ナイフを入れる作業はコックSfさんの役割だそうだ.屠殺の後は皮が剥がれ,木に吊るして解体作業に入ったそうである.これもコックの役割で,こちらではコックの仕事はいろいろあるのだ.

夕食時,この日はまずレバーを用いたシチューを作ってくれた.山羊のレバーは初めてであったがとても美味しく,皆でう~ん,イケル!最高!と口々に言いながら戴いたのであった.


下は,パイユ滞在時の写真

パイユ滞在時の写真
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さて明日からいよいよ氷河を歩く,楽しみだ.



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