このチチラへ編では,2014年10月16(木)ツムリンタールのロッジを発ち,4WDでチチラへ行ったときの写真を載せました.
この日はツムリンタール(2)からチチラ(3)へ車で移動する.意外なことに途中のカンドバリと思しき町まで舗装されていた.その先は大変であるが.
ツムリンタールのロッジで朝が明けた.日の出は6時頃であるが,北の方向を眺めると白い頂きが見えていた.左(西側)から幅広台形状のチャムラン(Chamran:7,319m),三角形のピーク6(Peak 6:6,739m),やはり三角形のマカルー(Makalu:8,463m)だそうである.
標高430mと低いツムリンタールであるが,日の出間もない頃は霧が立ち込めている.低いが山と谷が入り組んだ地形のためであろうか.ただ上は雲がなく,いい天気になりそうだ.
ロッジで朝食後,4輪駆動車4台に私たちのダッフルバッグ,テントや食料,キッチン用具...など一切を積み込んだ.そしてトレッカーやスタッフは分乗し,北に向けて発進した.
4駆は先ず舗装されたツムリンタールの村をスタートした.ツムリンタールの村外れで舗装は終わるであろう,と思われていた.ところが意外なことに舗装路はず~っと先まで続いていた.驚いた.
しかし道は狭く,急カーブや九十九折がふんだんに現れる.何より凄いのは,対向車が全く見えないカーブでも減速せず,ホーンを鳴らしながら突っ走ることである.日本では無謀運転だが,ネパールでは普通で,まあ覚悟を決めて乗る以外なかろう.
周囲は段々畑が多く,米やアワ,ヒエなどの穀類が多く栽培されているようだ.バナナなども見える温暖な気候なので,穀類は二期作とか二毛作かも知れない.
やがてたくさんの住宅が建ち並ぶ町に入った.カンドバリ(Khandbari)の町であろう.そしてネパールでは珍しい広い平面の競技グラウンドがあり,サッカーゲームが行われていた.競技レベルはあまり高くないようであるが,大きな試合のようで,大勢の観客が詰めかけ応援していた.
グラウンド脇には観戦小屋があり,ここでも応援団が陣取り,歓声を上げていた.ネパールはカトマンドゥやタライ平原以外十分広い平らな土地を確保するのが難しかろうが,もし可能であるならサッカーはもっと広く楽しまれるであろうに.
ここカンドバリでついに舗装は終わりとなった.いきなり路面は凸凹で,4駆でなければとても走れないレベルになった.
4駆以上にトラクタが幅を利かせているようだ.道を見ればまあ当然であろう.カンドバリまではそれなりの交通量があったが,この先チチラまではぐっと疎らになるようだ.それはそれで結構なことだ.
4駆は非舗装路の走行に入り,細かな段に区切られた畑の脇を抜けていった.暫く行くと,顔の描かれた大きなネパール式チョルテンが見えた.顔の表情は穏やかで,他に類を見たことがない.基部は2階建回廊が付属している.また回廊内側は部屋になっており,ゴンパなのかも知れない.
そしてこの辺りからは仏教徒が多くなってくるのであろう.
段々畑や田んぼは等高線を描くが如く区切られており,所々岩も混じっている.農作業は大変であろう.米は主食ダルバートに供され,アワやヒエは食用の他チャン(アルコール度の低い醸造酒)の原料にも多く使われるそうだ.ネパールの人は部族や宗教によらずお酒を好むようだ.
途中デオラリ(Deorali:峠)を通過した.デオラリは一般名で,あちこちにあるが,頭に固有名があったかも知れない.生憎雲が架かっていたが,マカルーの西側方面が幾らか見えていた.斜面中腹に這うように農家や畑も見えている.あ~ネパールだな~
やがて"CHICHILA"の標識を掲げたチチラの村に入ってきた.ネパール製マップなどでは"ChichiLa"の他に"ChichiRa"と記されていることがある.ネパールの人も日本人のようにLとRの区別ができないのでしょうか?
4駆はチチラ村入口からほど近いキャンプサイトに到着した.まだ10:30AMと早い時間だ,車は速いし楽ちんだ.なお夕方になってからのことであるが,前の通りを眺めていると,3人の欧州系トレッカーが歩いてここに到着した.ロンリープラネットなどではツムリンタールからここまで歩くのが標準コースに設定されているし,車道歩きにやぶさかではないのであろう.
そして私たちと同時に到着した私たちのサポートスタッフの皆さんは直ちにテント設営に掛かり,順次仕上げてくれた.当初トイレ用二張は丘の上に設けられていたが,『ちょっと....』の声に応えて,別の場所に替えてくれた.でもまだ非常に高くはないものの,やはり丘の上であった.狭い土地柄,簡単ではないのだ.
ところでこの日のチチラサイトは天気は悪くないのに湿度が高く,夕刻には激しく夜露が降りてきた.また10月も半ばというのにズカ(山ヒル)がまだいて,運悪く同行のTさんは脚に吸い付かれたようで血を流していた.
私たち近くのサイトには8人のイタリア隊がテントを張っていた.皆タフそうに見えるが,マカルーBC先のシェルパニパスを越える計画だそうだ.
この日のランチからシェフPさん以下キッチンスタッフの皆さんが用意して下さった.チャパティにジャガイモ,カリフラワー,ニンジン,缶詰のイワシ....などだった.ヌードルスープ(インスタントラーメン)も付いていたかな?以降トレック期間中お昼ご飯はほぼこんな内容であった.まあ並みであろうか.
チチラの村は,車が通れるようになった尾根筋の街道両側に建つ家々と尾根下斜面の家々から成っている.街道脇だけで20軒ほどあろうか.
尾根筋街道脇の家は街道に面した入り口から奥は斜面であるので,高床式構造となっている.ちょっとスリリングな建築だ.屋根は伝統的な編み竹などが減り,トタンが多くなっている.旅行者から見ると,いささか勝手ながら少し残念に思うが,いたし方なかろう.
写真の家は半開放的キッチンとなっており,ピカピカに磨きこまれた調理用具が並べられている.ネパールの山村では必ずしも水が充分でないのにピカピカに手入れするのが主婦の嗜みと聞く.
斜面中腹で耕作可能な土地には畑と家がある.谷近く結構深い場所にも建てられている.日常のお使いも大変だな~と思ってしまう....実際そうであろう.
この反対側の斜面には学校(多分小学校)が見えた.通学も結構大変だ.
キャンプサイト横に金物屋さんがあった.サイトはこの金物屋さんの所有地かも知れない.アルミ壺など並べ,ご主人(写真右端)が店番をしているが,来店する客が疎らなので暇そうだ.
この村には電気が来ており,屋根にパラボナアンテナを備えたこの家では衛星放送が楽しめる筈だ.停電が心配だが.
ツムリンタールからここチチラ,いやこの先のヌムまで車道が整備された.しかし車がまだ十分になく,まだまだ人力が頼りであるようだ.プロのポーターは60kgくらいまで運ぶそうで,金物屋さんに卸す大きなアルミ製品なども背負っている.舗装されれば普通の車で行き来できるが.....後数年の辛抱かな?
下は,チチラでの写真
最初にヤギが見えるが,他に豚も飼われていた.この後少し上に行っても飼っている農家があった.一般にネパールではあまり豚を食する習慣がないが,東ネパールなど一部地域は例外的に食べるそうだ.ここも例外エリアの一部のようで,後日のキャンプサイトで,豚肉が入手できたので,今夜はポークモモ(チベット餃子)ですよ,と言われて喜ぶことになる.
夕刻少し焼けたピーク6が望めた.生憎その右マカルーは雲に覆われてしまった.さて明日の天気はどうなるかな~?