この戻りタシガオンへ編では,2014/10/31(金)カウマで朝を迎え,ダーラカルカまで下りバッティで休憩し軽食を摂り,その後この日の宿泊地タシガオンへと下ったときの写真,およびこの日見かけた花の写真を載せました.
この日はカウマ(7)からタシガオン(6)まで下る.2014/10/20(月)タシガオンからカウマまで歩いたときと全く同じ区間を逆向きに下る.標高差1,530mの下りであるが,結構大変そうだ.
カウマに朝が来た.テント内で+3℃/659hPaを指している.まだここは3,580mの標高があるので,こんなものか.今夕には一気に2,050mまで下るので,暖かくなろう.
表を見ると,降ってはいないものの雲が厚い.昨夜星が見えなかったが,その天気の続きかな?
カウマのバッティShiba View Hotel & Lodgeの女将さんには二人の自慢の息子さん,高校生か?がおられて,休暇か何かでここに手伝いに訪れていた.写真はその二人が水汲みから戻る場面だ.短時間で戻ったので,例の茶色の水を湛えた,いやぎりぎりの量の池からであろう.いや~ご苦労さまです.
私たちの食事も終わり,テントが畳まれている.サーダーGさんが段々の上から指示を出している.終わり次第下に向け出発だ.
さて私たちは歩き始めた.カウマでは私たちの泊まったShiba View Hotel & Lodge以外に,その直下に別のバッティも営業中で,現に私たちが出発するとき3張りのテントで泊まっているドイツパーティがいた.
そして,さらに写真のロッジが建設中だった.独立したドアと部屋と云う間取りは,バッティではなく所謂ロッジに近かろうか.往路ではまだドアは無かったが,復路の今は取り付けられていた.きっと来春には営業しているであろう.何れにしても,水の確保は大変であろうが.
建設中ロッジの直ぐ近くには苔むした古そうなマニ塚があった.カウマエリア全体が見渡せる場所にあるので,カウマの中心的マニ塚なのではなかろうか.
そのマニ塚に嵌めこまれたマニ石やチョルテンの絵だ.どう云った意図か色分けされたチベット文字の真言と,素朴な絵柄が興味深い.
カウマのマニ塚を越えると,急坂のトレイルに入っていった.この急坂は長く続くのであるが,振り返れば一度上った経験がある筈だ.しかし下りは下りの味,いや困難さがあり,ヒャア~こんな急坂を登ったんだ~と思ってしまう.周りからもそんな声が聞こえてくるから,やはりそうだと思う.
往きでも通ったウンシシャ(Unshisha)辺りになった.天気がイマイチなためちょっと冴えない感じだが,年季の入ったマニ塚にルンタが架り,旅の足跡を記すにふさわしいところだ.
長い急坂を下り,やがてアルン川と,それを挟む広々した光景が見えてきた.こちら側にはこれから訪れる予定のダーラカルカ(Dhara Kharka)のバッティ編み竹屋根も見えている.しかも天気も回復している様子で,嬉しい.
往きでも立ち寄ったのだが,また今回も寄ってお世話になった.バッティの一階はダイニングキッチンになっており,奥さんは囲炉裏でお湯を沸かしていた.私たちは傍らのテーブルでビスケットとお茶の軽食を頂いた.
Peaceful Himalaya Tea Shopの看板を掲げているが,多少大仰な感もあるが,まあ編み竹屋根のこのバッティに相応しかろう.
下は,ダーラカルカへ下るまでの写真
ダーラカルカで休憩後,今度はタシガオン目掛けて歩きを再開した.この辺りは標高が下がったためか植生に変化が見られ,例えばシダ類が多く茂るようになる.また大きな木も生えてくる.どれがどれだか見分けできなくなったが,教えてもらったところ牛の餌にするという変わった種もあるそうだ.
またトレイルの荒っぽさは,それまでと違って,かなり緩和されてきたのではなかろうか.
やがて林が途切れ,比較的小さなカルカに出た.一軒の編み竹屋根の家がある.確か往きでも休憩をとった場所だ.
空を見ると,これまでのパターンとは逆に,青空が広がってきた.結構なことだ.
少し行くとマニ塚があった.側面にはこの辺りでかなり普遍的なように,真言を記したカラーのチベット文字板に挟まれ,真ん中に仏画が配されていた.ただこの仏(?)画であるが女性像のように見えるのだが....普通そんなことはあり得ないので,思い違いでしょうか?
午後1時過ぎ,タシガオンのキャンプサイトに到着した.標高が下がったので温かいし,既に張られていたテントで,荷物を広げ,久しぶりの好天を幸いに寝袋や湿っぽい衣類を陽に晒した.こにかくこうした乾かす機会が得られたのは久しぶりだ.
この日は大いに暇で,テント前でポケーとしていると,ペグ3本が落ちていたからと持ってきてくれた人があった.仏パーティ8人を引き連れているというリヨンのGさん(だったか?)で,ついでに少し話を交わした.8人は付属サイトの母屋であるMakalu Barun Hotel & Lodgeに泊まっていて,58歳から70歳,皆いい歳だと.いや~私たちはそれ以上ですけどね,と応じると.仏の年金システムは42年働いて掛け金を納めて,初めて満額支給される.ただ42年働ける人はそう多くないし,それ以下で減額支給を受ける道もある,などと結構込み入ったことも話してくれた.Gさんはインドなどから香料を仕入れ,日本に来てそれをヒーリングと併せてビジネスした経験などもあり,所沢に滞在したり,アイヌ民族に興味を持った話など,止めどもなく話してくれた.なかなか面白く,いい人だった.
Sさんがバッティ(ショップ)オーナーに予めビールを冷やすよう頼んでおいてくれた.ここでは水に漬けておくだけで良く冷える.夕方になって,その冷えたビールをダイニングテントで味わった.久しぶりの味だが,当然なかなか美味しい.またSさん,Mさん,Mnさん,Tさん,Szさん,Yさん...皆さんには毎度おつまみも頂戴し,ありがとうございます.おいしかったです.
ビールの後はオフィシャルな夕食が待っていた.この日は添乗Tさん肝いりのワカメうどんで,とても美味しかった.とかく高地では沸点が低いので,うどんやそばがうまく茹で上がらないことがあるのだが,そこはTさんの技でうまくこなしたようだ.ごちそうさまでした.
下は,タシガオンへ下るときとそこでの写真
往きでも見た筈だが.
最初の風変わりな形の黄花は何と言うのだろう?