この戻りヌムへ編では,いよいよトレック最終日の2014/11/2(日)朝,セドアのキャンプサイトを出発し,ラムルンバを経て,アルン川の橋の袂に下り,そして越えて,ヌムに上り返し,トレッキングは無事終了.そして午後にヌムの村を見て回り,夕べの様子を写真に収めた.このページではそのような写真を載せました.
セドア(5)からアルン川の谷に下り,橋を越えて,また上り返してヌム(4)に戻り,トレック完了だ.
セドアの朝,キャンプ最後の朝食を頂いた.お粥にパンケーキ,ゆで玉子,ソーセージ,インゲン,ニンジン,ソーセージ...などのようだ.多少バリエーションを交え,朝は概ねこういったメニューだった.
いつもは8:00AM出発なのだが,この日だけは7:30AMに出かける.途中ランチで寄らず,今夜の宿泊地ヌムに着いて,そこでゆっくり頂く予定だそうで,あまり遅くならないようにとのことだ.
バッティのご主人は母屋後ろの鶏部屋のドアを開け,鶏を表に出し,餌をやり始めた.上の白っぽい黄身のゆで玉子はここで採れたものだったのかな~?
キャンプサイから歩くとアワ畑の脇を通った.一部刈り取られた畑と,まだのところがある.
農家の軒先では,刈り入れたアワを広げて乾燥する場面が見られる.
セドアの村を抜け,ラムルンバ目掛けて下り続けた.上に方では,切り出した青竹を運び出す人に何度の出会ったが,それらの青竹は皆細いタイプだった.ところが,この辺りまで下ると,孟宗竹程度に太い種類が茂っている.ただ日本の竹一般と較べて,甚だしく密集して茂っている.こうした生え方はアジア他国でも見たことがあるが,地面が効率的に使われ,いいのではなかろうか.こうした太い竹は屋根などに活用されるのであろう.また,筍は日本と同じようにネパールでも食べるようだ.時期は限られようが.
数頭のロバキャラバンを率いて,男性が先導し登っていった.最後尾ではまだ7,8歳くらいの女の子が棒切れを翳してロバを追い立てる.二人はきっと親子であろうが,頑張っている.
この辺りは,高度が下がるに連れ,その上部に住む人口が多くなる訳で,それに見合う量の物資運搬,主にロバキャラバンが多くなるようだ.
ラムルンバに近づき,稲作畑が広がっている.黄金色の稲穂がきれいだ.
往きで昼食を食べたラムルンバに到着した.ネパールで特異な部族,ただしこの村で3家族だけが後継という,あの村だ.石に記された文字はヒンディー文字のようであるが,後継の子孫が僅かなため,特有の言語や文化は殆ど失われつつあるそうだ.
下は,ラムルンバへ下るまでの写真
ラムルンバからはアルン川目掛けて下り続けた.
脇のラルパテ(ポインセチア)の赤がきれいだ.咲く時期は日本と同じだが,随分と大きな木もある.
大分標高を下げた.ここでもロバのキャラバンが上に向かっていった.運んでいるのは主食の米(バート)であろうか?それとも豆(ダル)であろうか?
さらに下るとアルン川(Arun Khola)が見えてきた.アルン川は680mに位置しているので,1,625mのセドアから1,000弱下ったことになる.ただ今回は,往きの場合と違って晴れていたのでとても楽だった.
アルン川のしっかりした吊り橋を渡った.眼下の流れはミルク色で,左(東)から右へと結構急流である.
アルン川を渡ると直ぐに急登が始まった.しかし今回はカッパ不要で何よりだ.
ヌムに向け,急登は続いた.たまに下ってくるトレッカーや村人とすれ違う.村人の皆さんは出勤でしょうか?
林を抜け,さらに上ると稲作の棚田が見えた.急坂の各棚に水を確保するため著しく細かい段々となっている.正に涙ぐましい努力で開墾されたのであろうが,毎年の栽培作業もさぞかし大変であろう.
お昼ちょっと過ぎ,ヌム(Num 1,575m)に到着した.これでトレッキングは完了した.シェルパ,ポーターの皆さん,添乗Tさんたちとは笑顔とありがとうの言葉を交わした.
汗っかきの私は,カッパこそ不要だったものの,この上り行程でぐしょぐしょになってしまった.幸いダッフルバッグが届いていたので,直ちに着替えた.
スタッフの皆さんはテントを広げ,全て張ってくれた.私たちはそこに入り,寛いだ.するとまた例によって近所の子らが集まり中を覗き込む.別に面白いものは何もないのに....好奇心旺盛だね.
そしてランチになった.トレック完了なので,この日は昼から軽くビールとした.美味しい!
下は,ヌムに到着するまでの写真
午後暇ので近所を歩いてみた.ここには電気が来ておらず,正直言ってかなり未開な村の印象だ.未舗装の広場があり,この周りに小さなお店が並んでいる.
ただ村の面積はかなり広く,戸数も多い.このお店の集中した広場以外では,バッティや,農業を生業にしているようだ.
午後5時を廻り,暗くなってきた.なぜかテント脇が騒がしい.ここに間もなくヘリが着陸するというので,吹き飛ばされるからと,建てたトイレテントを取り払ったりしている.
そして間もなく地上をライトで照らしながら,ヘリは着陸した.私たち観客の直ぐ目の前で,随分と狭い場所に降りられるものだと感心した.ただ近くにあったゴミ箱など吹き飛ばされ,散乱した.
ヘリはチベット国境近くの村の病人を運び出すために向かっているのだが,有視界飛行のため,この日はここまでしか飛べず,明日早朝ここを出て国境の村に行くという(実際あくる日早朝飛び立っていった).
この日はトレック無事完了を祝し,シェフPさん初め,スタッフの皆さんが特別料理を作ってくれた.ローストチキンにフレンチフライ,トマト,ポークの串焼きに....とってもゴージャス.またHappy Makalu Trek 2014と記したケーキも作ってくれた.ありがとうさん,頂きま~す.
料理はビールともよくマッチし,素晴らしかった.
完全に暗くなった頃,ツムリンタールの運輸会社の4駆4台が到着した.仮に明日ツムリンタールから車を運んでくると,....日が暮れてしまうからだ.当初計画では明日は少し先のムレまで歩き,そこから車の予定だった.しかし,帰りはもう車道は歩きたくない,との声を聞き,Tさんがここから車に乗るよう手配してくれたのだ.多分次のツアーからは,ここから車の日程になるでしょう.
4駆4台が入ったので,テント場は狭くなった.そこにテーブルと,お酒を並べ,打ち上げの大宴会が始まった.太っ腹のTさんが別け隔てなく,中には全然関係ない人も多く居たそうだが,酒を注いで廻り,相当盛り上がった.そのうち唄や踊りも始まった.盛り上がり過ぎて,お巡りさん(たまたま近くに交番があった)から,騒がしいぞ,とのお咎めもあったそうだ.
翌朝,Tさんにバッティーのショップから渡された請求書には,ビール瓶(大瓶)に入ったロキシーの数量が53本と記されていたそうだ.これは明らかに私たちグループ全員の人数より多いし,確かに驚愕する以外なかろう.