このヤングレカルカ編では,2014/10/23(木)ドバテのキャンプサイトで夜が明け,ムンブクを経てバルン川に下り,バルン川に沿いながら遡るようにしてテマタンカルカに至りランチ.午後は再びバルン川沿いを遡り,左岸に渡りヤングレカルカに着いたときの写真を載せました.
ドバテ(8)からバルン川(マップで白っぽい線)へ下り,川沿いを遡りテマタンカルカを経てヤングレカルカ(9)に歩く.バルン川沿いトレイルはガレており,なかなか大変だ.
2014/10/23(木),ドバテで朝を迎えた.テント内は0℃,642hPaだった.テントの内側には結露した氷粒が点々と張り付いている.LEDのヘッ電で照らすと,さながらプラネタリウムの星の如くキラキラ輝く.
表を見ると快晴だ.前日到着時から濃霧でさっぱり見えなかったのだが,テント場全体,脇のバッティや,向こうには白い山まで見えている.
テントには厚く霜が覆っていた.畳むときなるべくグチャグチャになるのを避けようと,ストックで叩いたり,擦ったりして掻き落とした.
写真右側が,シャクナゲ林に挟まれたトレイルで,前日ケケ峠から下ってきた道だ.
シャクナゲにはまだ陽が射さず,葉っぱを細く丸めている.人が寒さで背を丸める姿を大仰にしたようなものだ.他の植物のこのような葉っぱの形態変化は知らないが,シャクナゲでは全部の種に見られるようだ.
ドバテで,少し東側に寄った先にはこのような白く鋭い峰が見えた.山名は不明ながら,ナイフのようにシャープな稜線,一刀の下で断たれたような広い岩壁,迫力ある山容だ.
ドバテで朝食後,いつものように8:00AM出発した.東から朝日を浴び,実に気持ちがいい.
この谷は目指すバルン川へと連なっているようで,この谷筋に沿うトレイルを下るようだ.
ドバテから少し下っただけだが,再び高い樹木も現れ始めた.
暫く陽当たりの良い,東側斜面をトラバースするトレイルが続いた.眺めも言うことなし,しかも暖かいし,最高だ.
徐々に樹木が多くなり,森に近づいてきた.比較的真っ直ぐであるが,松の木或いはその仲間であろうか?その下にはシャクナゲの低木もまだ多く見える.
やがてトレイルは,谷のように湾曲した岩ごろごろの底を這うような地形に変わってきた.なかなか大変な道だ.
ドバテから3,40分くらいであったかムンブクに至った.そして衣服調節のためちょっと一服した.大岩の傍に石積みの残骸が見える.ドバテのサイトができる前はここがメインのキャンプ地であったそうだ.ただここはテント張りのための平らな面積が少なく,また水場が遠いため,ドバテ整備後は廃れてしまったということだ.
一頭の子ヤクがヤクドライバーに連れられて反対方向から登ってきた.子供のヤクが,しかもたった一頭で,どうして?と思うが,もち論解は得られず.ただ子ヤクにして,荒れた道を平気で歩ける天性の能力からスイスイ登っていくのは羨ましい.
ムンブクからバルン川目がけ下りを継続した.谷道は一層厳しくなってきた.両側が岩で挟まれたこのような岩底の道は,山用語ではよくゴルジュ(仏gorge)と呼ばれることがあるようだ.
そのゴルジェの先にときどき白い峰も垣間見ることがある.足元が足元だけにあまり余裕がないのだが,見れば立派な山なのだ.
そのうち,先方にバルン川(Barun Khola)が見えてきた.氷河から流れて落ちてくる川で,なかなか急流のようである.
歩いてきたゴルジェで運ばれたのか,バルン川と交わる所に岩が積み上げられていた.最後の一山だ.
バルン川(Barun Khola)に到着した.この辺りは標高3,100mくらいということだ.3,820mのドバテから720m下ったことになろう.
地図を見ると,バルン川はこの東の先で,先日来眺めたり渡ったりしたアルン川に注ぐようである.
バルン川出合いで一休み後,バルン川川原のトレイルに下り始めた.ここにはルンタが架けられ,緩やかな風に舞っていた.舞う度にオム・マニ・ペメ・フムが唱えられるのだ.
バルン川川原のトレイルに出た.一応道である筈ではあるが,なかなかそうは見えない,岩ゴロゴロで踏跡などとてもできないのだ.とにかくここをテマタンカルカ(Tematan Kharka)へと遡るのだ.美味しいランチが待っている筈だ.
大量の荷を背負い下って行った.サンダルや中には裸足の人もいる.足を切らないように.
トレッキングが終わり麓に向かうトレッカーにも出会う.でもまだ日本人トレッカーには会わないな~
道は続いた.他のルートはないので,このトレイルだけが頼りなのだ.私たち遊び人はいいとして,生活上麓の常駐村タシガオンから夏のカルカを行き来する人たちは大変だと思う.
横は岩山でここから流れてくる小川も多数横切った.足が浸かると大変なので,一歩一歩飛び石に乗り,慎重に渡った.
広々した土地に,一軒のバッティが建つテマタンカルカ(Tematan Kharka)に到着した.バッティの前には竹編みで囲まれた小さな畑があり,キャベツなどが栽培されていた.
そして畑横ではヤク糞の散らばる庭,つまりヤクカルカがあり,ちょうどヤクが対岸の草場に出掛け留守なのをこれ幸いにテーブルを置き,ランチ(きっとチャパティなど)を頂戴した.食べ終える頃には急速に天気が悪くなっていった.まあこれまで良かったのを幸いとするか.
なおここではヤクの他に,羊も飼われているようだったが,やはり草場に出ているのか見かけることはなかった.家畜は食べるのが仕事だから,餌を求めてどこまでも行くのだ,きっと.
テマタンカルカの昼食後,再びバルン川川原のトレイルに入った.バルン川はさほど大きくはないが,所謂谷川で細かな泡を含む白い流れだ.氷河の融解水なので,その白さもあるかも知れない.
単調さに横ヤリ(?)を入れるように,横から小川が流れ込む.止めてほしいものだが....
まただ.今度は広い流れだ.大変だ.
そしてとうとうヤングレカルカに至った.歩いてきたバルン川右岸に広い平地と数軒の農家が見えた.ヤクの姿も数頭見える.
ヤングレカルカはバルン川の両岸に広がっている.私たちのキャンプサイトは左岸にあるので,バルン川本流を橋で渡った.ヤクも渡れるしっかりした木橋だ.
次いで,バルン川支流を横切った.丸太3本の橋で,大きなヤクは無理そうだ.支流は浅いので,多分直接川を渡るであろう.
3:00PM,バルン川左岸ヤングレカルカ(Yangle Kharka)のキャンプサイトに到着した.圧倒的に広く,これまで各地で見たカルカと較べて最大と映る.しかも平面だ.2軒のバッティに数軒の農家がある.既に多くの人はタシガオンに降りているのか,人影は疎らだ.テントは既に張ってくれていた.ありがとうさん.
ただヤクの姿は見えないが,きっと近くの草場に出かけているのであろう.
バッティ裏では1m四方くらいの例のテーブルを据え,シェルパの皆さんやポーターさんがおはじきビリヤードに興じていた.いつも先頭を歩いてくれるシェルパの方が,ここでも気合を入れていたのが印象的だ.脇の観戦者Tシェルパさんに訊くと,ここでは賭けずゲームを楽しんでいるという.
バッティの裏にはゴンパ(gompa:チベット仏教寺院)が建てられていた.屋根の上には仏の顔が描かれ,一目でネパール様式と判る.華々しくタルチョーが立てられ,ルンタが架けられているが,人影はなくひっそりした雰囲気だ.夏カルカのゴンパなので,夏の間(の特定の日)だけ,タシガオン本村からお坊さんが訪れるとのことだ.
ゴンパの壁にはミニマニ車,ドアには仏頭の付いたロックが掛けられていた.
↑小さなマニ車 | ↑仏頭の付いたロック |
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こうしてヤングレカルカ行きの一日は終わった.ヤングレカルカの標高3,600mは昨晩のドバテ(3,820m)より低いが,明日はいよいよ4,000m台に上る予定だ.お休みなさい.