このセドアへ編では,2014/10/18(土)ヌムのキャンプサイトで雨の朝を迎え,小降りになるのを待ってアルン川の谷に下り,アルン川を越え,ラムルンバを経てセドアのキャンプサイトに至るときの眺め,およびこの日見かけた花の写真を載せました.
この日はヌムの村(4)から,アルン川(Arun Khola)に下り,再び上りラムルンバを経てセドア(5)のキャンプサイトまで歩く.
アルン川谷は標高680mで出発点から到達点まで合わせて1,840mの標高差があるようだ.
とにかくこの日は大変な空模様から始まった.つまり10/18(土)未明の午前3時頃,大雨がテントを叩く音で目覚め,雷の轟音が加わり,それはそれは大変な始まりだった.この雨はテント内にも幾らかの浸水をもたらし,マットなど濡らし,残念なことに後々までシェラフが湿っぽいなどの災いを引きずらされた.
雨は一旦1時間ほどで止んだのだが,朝食の頃にまた降り出し,小降りになるのを待って歩き始めた.
また後に添乗Tさんに入った情報では,ここ2,3日インドを襲った大きなサイクロンが,ネパールでも影響を受け,これがカトマンドゥ到着時や今朝の大雨をもたらしているようだ.特にアンナプルナやムスタン地方は大雪になり,日本人複数を含む遭難者が出ており,アンナプルナサーキットのマナン以北は閉鎖されているそうだ.
強い雨で朝食はサイトのダイニングルームを借りて頂戴した.食べ終えてもまだかなり降っている.果敢にもイタリア衆8人は激しい雨の中出発して行った.テントは畳まれ準備万端とはなったが,そこは軟弱な私たち,小降りになるのを待つことになった.
と云うことで暫し待つ.そして如何ほどの時間が経過したであろうか?それなりに小降りになったのを見て,カッパを着て出発することになった.
キャンプサイトは村外れにあったので,歩き始めると直ぐに村を抜け傾斜地の畑を通る石道になった.私たちは遊びだからいいものの,これが生活道である住民の人たちは大変だな~と正直思わずにはいられない.雨なのでそんな思いが増幅されるのだ.
暫く行くうちに雨は小降りになってきた.いいことだ.ちょうど民家があり,勝手に庭先で一休みさせてもらうことになった.できた水溜りではアフラック,いやアヒルがこれ幸いとピチャピチャさせていた.
一休み後アルン川の谷を目がけ再び歩き始めた.谷には霧が掛かるが,徐々に薄くなり,少し青空も望むようになった.こりゃ晴れそうだな.
急な石のトレイルは濡れて滑り易い.結構花も咲いているのだが,ここは脇目もふらず慎重に下った.ひょっとするとズカ(山ヒル)も木から落ちてくるのでは.....と懸念されたが,幸い皆無事であった.
どんどん下るとやがてアルン川の白い川面が見えてきた.標高680mだそうで,1,575mのチチラから900m近く下ったわけだ.こりゃかなり損したな~この後同じくらいの標高差の登り返しが待っているのだが.
アルン川(Arun Khola)の吊り橋に至り,渡った.渡った吊り橋の直ぐ下流側には古い吊り橋が放置されていた.床など相当傷み,故に架け替えられた(多分最近)のであろう.
流れは右(東)から左(西)で,私たちは左岸から右岸に歩く訳だ.この辺りでは急流であるもののさして大きくないが,地図で見ると下るに連れ支流が流れ込み,ツムリンタール脇辺りでは相当大きな流れになっているようだ.
橋を渡りきった頃,完全に雨が上がっており,ここで一休みするとともにカッパを脱ぐ.あ~さっぱりする.ゴアテックスと言えどもやはり無いに越したことはないのだ.
そして今度はこれまでと逆に上り一方の石坂を歩き始めた.
この日のお昼はラムルンバ村(Lumlumba)だそうで,先ずはここを目指す.トレイルはそんな村の人たちの生活道になっている訳で,ある程度整備されている.吊り橋と違って,多分自治体や国の事業ではなく長年住民の手で維持されてきたのであろうと感じられる素朴な路面だ.この先は徐々に行政が関わってくるのでは....
ラムルンバへの途中に小さな村があった.右側の家は結構大きく,横にはチョータラ(chautaara 荷物ベンチ)が設けてあった.何の看板も出ていないが,バッティを営んでいるのかも知れない.
小さな村には藁葺き屋根に白とオレンジのツートーンカラー壁の民家があった.この地方伝統の造りに違いなかろう.メンテナンスが大変だと思うがトタンより圧倒的に味わい深い.
この民家の庭先では地鶏の親子が地面の餌(天然の)を突いていた.親鳥は忙しく動きまわり,しきりに突っつく.子も見習いながら必死で真似をしている.
さらに上りラムルンバ村近くになると,畑が多くなった.栽培されているのはやはり穀類が多いようだ.青空も広がり,快適だ.
ラムルンバ村(Lumlumba)に到着した.私は大汗をかいたのでとりあえず下着を取り替えた.ただし座っていると徐々に寒くなる気温ではある.
添乗Tさんによれば,この村の住民は 自らをジャイル族と称し,ネパールでは他に存在しない非常にユニークな部族だと云うことだ.つまり独自の言語や文化を維持しているようなのだが,何分にも残っているのは部族子孫3家族程度に留まり,検証が困難な状況という.
村にはショップやバッティを営んでいる家があり,その一軒のバッティの庭でランチを頂いた.私たちのスタッフの皆さんがキッチンを借用し,調理してくれたのだ.
ラムルンバで食事の後,再び上りにかかった.あくまで石の道だ.周りに結構畑があるのに道は石だ.尤も畑にも石がゴロゴロしているが.
バナナの木に水牛が見える.どちらも本拠地は熱帯であろう.つまりここは標高1,400m程度であろうが,大まかには熱帯性気候エリアに属するのであろうか?
上りは続いた.ガレたトレイルも多くなってきた.
この近くでは,メンバーのお一人がストックを滑らせ,弾みで横に落ちてしまった.顔に擦り傷は負ったものの,大禍なく済んだのは幸いだったと思う.ストックの先はラバーキャップであったが,濡れた石は滑り易い.
ちょっと開けたビューポイントがあって,ここで一休み.谷向こうの幾重にも連なる山々は何れも高くないので豊かな樹木で覆われている.
歓迎:マカルーバルン国立公園(Welcome to Makalu-Burun national park)の看板があった.いよいよマカルーのエリアに入ったのだ.嬉しい.
細い竹を束ねて先端を両側に抱え頭で引き,後端は地を滑らせながら下って行く.生竹なので見かけ以上に重いのではなかろうか.この時期が十分に育ち切り出しの最適時なのであろう,幾人も見かけた.屋根材には細いが,他の竹細工に使われるのであろう.
私たちの宿泊するキャンプサイトに到着した.標高は1,625mで,前日のヌム(1,575m)と大差ない.少し前に到着していたスタッフの皆さんが既に半分くらいのテントを設営済であった.セドアの村はかなり急な斜面に民家が点在しているが,少なくともこのサイトは広い平面が確保されている.前方の展望も開けて,なかなか気持ちのいいところだ.
ところがである,到着から少しするとまたも雷雨が始まった.激しい雨でテント底が一部漏水してきた.また朝のテント畳み時に湿ったと思われるマットも困ったものだ.とりあえずビニール袋を貰い,開いてマットの上に被せ,そこに寝袋を置くことにした.
このサイトの母屋には幾部屋かの客室やキッチン,ショップを備えているそうで,旦那さんはシェルパ族のようだ.ここら辺りから上は主にシェルパ族のエリアになるようだ.
朝ヌムを出るとき話しあったフランクフルトのトレッカーRさんはそこの部屋に泊まっていた.Rさんは単独でテントは持たず,ポーターと共にロッジやバッティ利用でマカルーBCを目指していた.以降所々で会ったのだが,残念なことに3,600mのヤングレカルカ辺りで体調が優れず,引き返したようだ.
サイトのオーナーはビールも売ってくれる.ツボルグ大びんが300ルピーと運ぶのが大変なところにしてはかなりのリーズナブルプライスだ.これがカトマンドゥ,尤もホテルやちゃんとしたレストランだが,だと2倍以上のプライスで腑に落ちない気もする.まあ,ここはネパールの一部山奥と違って客が多く,商品の回転は速いようで,水で冷やしてもらったビールは美味しかった.
ビールの後に出してもらったこの日の夕食はたっぷりヤクチーズのかかったパスタなどのイタリアン風味だったが,大変美味しかった.麺そのものの素材はチョウメン(焼きそば)と同じものを用いたらしいが,シェフPさんが調理で工夫したようだ.ごちそうさまでした.
キャンプサイトの隣下の眺めだが,ここのお宅もテント用スペースを持っている.上の方でもやはりテントスペースを持つお宅がある.セドア自体が戸数の多い大きな村で,多くのトレッカーがここで一泊するようである.
この日も色々な子,主に就学前の子たちが来てくれた.
雨であまり撮る余裕がなかったが中央のように面白い花があった.