カトマンドゥ経由で帰国come home via Kathmandu

このカトマンドゥ経由帰国編では,2014/11/4(火)ツムリンタールから空路カトマンドゥに戻り,翌11/5(水)そば屋さんで昼食後,チャングナラヤン,そしてバクタプルを見物し,夜ギャコックを食べ,更に翌11/6(木)にはタメルをブラつき,その夜ネワール料理の夕食後,トリブバン国際空港を発ち,香港経由で帰国したときの写真を載せました.


ツムリンタールとカトマンドゥ付近のGoogleマップ

2014/11/4(火)ブッダエアでツムリンタール(2)からカトマンドゥ(1)に飛び.

翌11/5(水)チャングナラヤン(D)と,バクタプル(E)を見物し

(要マップ縮小)さらに11/6(木)カトマンドゥ(1)を発ち,ダッカ(C)および香港(B)経由で成田(A)に着いた.

カトマンドゥへfly to Kathmandu

ツムリンタールの朝

ツムリンタールの朝

2014/11/4(火)未明,スタッフの皆さんがカトマンドゥに向けてバスで出発した.そして私たちはロッジの朝食を頂いた後,遅く出発の荷を出した.ロッジ前には学童が道草かたがた挨拶(?)に立ち寄ってくれた.みんなワイワイガヤガヤ楽しそうだ.学校より楽しいよね.

良く晴れてはいたが,ヒマラヤには雲が架かっていたが,まあこれまでに見えたから.....


ブッダエアーでチェックイン

ブッダエアーでチェックイン

私達はみかんを並べたおばさんの前の,ツムリンタールエアポートのゲートから入った.

ブッダエアー282便のチェックインで目視の荷物検査を受ける.水もジュースも液体は全てフリーだ.だがたまたまSさんがお茶のペットボトルに入れた液体が何か?と訊かれた際,『ロキシー』と答えたら,係官が『ネパール産酒類は預け入れ荷物で運べない』と,全く馬鹿げたことを堂々と言ったそうだ.没収して,奥の部屋で上司と一緒に飲む魂胆だったのに相違なさそうだ.とりあえずSさんはその場で渡さず,一部他の人の水筒に移し替えて,『外に捨ててきたよ』と言って通過した.

傍らに荷物用秤があったので載っかてみたら,少し体重が減っていた.バス旅行では少し増え,中長期のトレッキングでは幾らか減るのが私の常なので,まあ想定内であろう.

さて282便ビーチクラフト機は3,40分ほど遅れて飛来し,乗客の皆下りるのを待ち,済むと替わりに私たちが乗り込んだ.同じ程度の遅れがあったがフライトは順調でおぼろげながら雲の上に突き出たヒマラヤの山々を見ながら,やがて12時半ころカトマンドゥに降り立った.


アンナプルナホテルのレストランへ

アンナプルナホテルのレストランへ

国内線ターミナルに着くと,現地会社のJさんが待ってくれていた.Jさんはポーターを手配し,荷物をバスに積み込む,私たちも乗って都心のアンナプルナホテルに向かった.

ホテルに到着すると,午後2時近くになっていた.そこで部屋に落ち着く前に先ずは昼下がりのダルバールマルグを望むレストランに入った.バフェ形式だったが,驚いたことにローストビーフも用意されており,プレートには他と一緒に盛り合わせた.ヒンドゥーが国教の国のちゃんとしたホテルでビーフが食べられて幸せだ(ビーフ大好きです).


一応スイートと書かれていた

一応スイートと書かれていた

部屋に入った.ドアにはスイートと記されていた.シングルでスイート?ほんとかな?と思うが,書かれているので...一応広めで,次の間(右側)があり,窓は2方向に付いていた.まあいいんじゃないでしょうか.

まあそんなことはいいとして,バスタブにお湯(黄色く,ぬるいが)を張り,身を沈めた.実に3週間ぶりのお風呂で,さっぱりした.まあ,トレッキングや登山を嗜む人種以外の人が3週間と聞けば卒倒するやも知れない.でも山奥のチベット族やシェルパ族の中には『一生でお風呂は3回だけ』の人もまま居るというから....(苦しい言い訳か)

それと,他の部屋でも同じだが,NHKとか,BBC,CNNなどもきれいに映るのはいい.エボラ出血熱の問題など,相変わらずあまり嬉しくないニュースが多いが.....


午後タメルのBさんを訪ねる

午後タメルを訪ねる

午後タメルに出掛けた.そして入り口近くにBさんのオフィスを訪れるつもりだった.昨年秋,Bさんに個人トレッキングを手配してもらっていたのが,身体の不具合で詳しい検査が必要になり,キャンセルした経緯があった.自分で手配した航空券はもち論キャンセル料が掛かったが,Bさんはそれもなく応じてくれていた.お会いして再度お礼を述べたかった.

だが,以前在った筈の場所に出向くとオフィスはなく,替わりに小口海外運輸会社経営者が座っていた.Bさんのことを訊くと,幸い一人が知っているそうで,スマホを取り出し,登録先をめくり,電話してくれた.Bさんは近くに転居しているそうで,ものの5分位で来てくれた.そして改めてお詫びとお礼を申し上げた.Bさんは経営が大変なのか,度々お店を畳むが,まだお若いし,大丈夫であろう.そしてできればまたBさんにトレックの手配をお願いしたいと思う.

夜は古都ですき焼き

夜は古都ですき焼き

お風呂にも入ることができ,里心が付いた.そこで夜はホテルすぐ近くの,和食レストラン古都に案内してもらった.このお店は昔からあるが,訪ねたのは久しぶりだ.床面積は狭くなったように感じたが,気のせいかな?メニューは豊富で,ヒンドゥーではないのでお昼に続き再びビーフを選ぶに躊躇いは微塵もなく,すき焼きを食べた.どうやら同行メンバーの多くも非ヒンドゥーのようで,やはりすき焼きが人気だった.それとエベレストビールも美味しい.一般にネパールのビールは美味しいと思うが,山とか,そこから下って飲むためかな....


下は,ツムリンタールからカトマンドゥへ行ったときの写真

ツムリンタールからカトマンドゥへ行ったときの写真
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そば屋さんでお昼lunch at a soba restaurant

修復工事中の建物

修復工事中の建物

2014/11/5(水)朝はアンナプルナホテルで迎えた,明日の朝もその予定だ.これまでのフライトは順調で,山での天気も大丈夫だったため,計画が順調に推移し,予備日のこの日は幸い余ってしまった.そこでそば屋さんに寄った後,世界遺産(カトマンズの渓谷/Kathmandu Valley)の指定対象という『チャングナラヤン』と『バクタプル』見物に連れて行ってもらうことになった.多くの人は経験済みのようであるが,私には初めてだ.

と云うことで,マイクロバスで都心から東に向かった.途中修復工事中の建物や道路が多い.何でも近々南アジアの国際会議がここカトマンドゥで開催されるそうで,夜も徹して突貫作業中なのだそうだ.特に道路は広げたり,路面をきれいにしたり,街路樹まで植えて,ちょっとネパールとは思えないくらいの整備が行われている.驚いた.


ホテルサンセットビューのヒマラヤそば処へ

ホテルサンセットビューのヒマラヤそば処へ

丘の上のホテルサンセットビュー1階に『ヒマラヤそば処』レストランがあった.サンセットビューの名だけに朝もいいであろうが,昼間も花が咲き乱れ,眺望も利くし,いい場所だ.

さて,ヒマラヤそば処のご主人は戸隠でそば打ちを修行し,ネパールに戻り,奥さん(日本人とか)と一緒にここで開業したそうだ.期待は高まる,お腹グ~ッ!


おそば美味しかった

おそば美味しかった

これが出してもらったおそば.いや~美味しかった.やはりそばはこうでなくっちゃ.トレック路途中のバッティなどでパンケーキ状のそば(?)を出してくれるところがあるが,正直あれは美味しくない.

なお,原料のそば粉はジョムソン街道のトゥクチェ産のものなど使用しているそうだ.生産量が増えれば日本にもそば粉が輸出可能であろうが,まだ十分ではないかな....

なお,以前は『食べ放題』の謳い文句が厳守されていたが,今回は少し制限が感じられたのは残念,との声も漏れていた.


郊外の煉瓦工場

郊外の煉瓦工場

ヒマラヤそば処で満足すると,郊外のチャングナラヤン方面に向かった.暫く行くと田んぼが多くなり,そこにレンガ工場の高い煙突が点在するようになる.この辺りは良い粘土を産し,レンガに適しているそうだ.

チャングナラヤンChangu Narayan

チャングナラヤン参道を上る

チャングナラヤン参道を上る

チャングナラヤン前の駐車場に到着し,目の前の参道を上り始めた.道両側にはおみやげ店や,お面の工房曼荼羅の工房も見える.

曼荼羅や,道の上のルンタはチベット仏教的であるが,ここネパール最古のヒンドゥー寺院チャングナラヤンではそれらも包括しているようで,そこはやはりヒンドゥーなのだな~と思う.


チャングナラヤン本殿

チャングナラヤン本殿

山門をくぐると,広い敷地の中央に本殿が建てられている.周囲には他のお堂や彫像などが配されている.非常に古い歴史があり,西暦323年,時の王朝がヴィシュヌ神の化身ナラヤン神を祀るために建立したそうである.また化身か~と思うが,そこはやはりヒンドゥー教らしいところだ.日本では弥生時代から古墳時代に移る頃であろうか,確かに古い時代だ.


チャングナラヤンは参拝者が多い

チャングナラヤンは参拝者が多い

ところがその古い本殿はイスラムであるムガール帝国がインド平原を支配したころ,1200年頃から500年ほど続いた筈であるが,ここカトマンドゥ盆地にも進出し,典型的多神教のヒンドゥー寺院は破壊されてしまったそうだ.そして目の前にある現在の寺院は1702年(ちょうどムガール帝国最期の頃であろう)に再建されたものだそうだ.

なお私には建物の全体的デザインや構造,細かな木彫りの彫刻などは,他のネパール建築様式と概ね同じではないかな~と見える.

チャングナラヤンはカトマンドゥ盆地の縁,140mくらい上った丘に立つが,首都に近く,歴史があり,見晴らしもいいし,ということで参拝者が多いそうだ.この日も平日だが結構参拝者を見かける.また宗教的儀式やお祭りのときは非常な賑を見せるそうだ.


チャングナラヤンのガルーダに乗ったヴィシュヌ像

ガルーダに乗ったヴィシュヌ像

本殿左に据えられたこの像はガルーダに乗ったヴィシュヌ神(つまり変身前だ)で,石の分析から大変古い作品だと判っているそうだ.大変有名で,10ルピー紙幣の絵柄にもなっていると聞いて,広げてみたら確かに表中央に描かれていた.

なおお札で,その右横はサガルマータ(エベレスト)の印刷で,以前国王の肖像に取って代わっている.そして裏返すと,そのサガルマータ相当部分は空白で,光に晒すとそのサガルマータが透けて見える.実にバカバカしい,子供だまし....と思って,念のためもう一方の空白部を見たら,ちゃんと国花ラリグラスと思しき透かしが入っていた.失礼いたし....いや,言いかけました.


チャングナラヤン灯明点火用の種火

灯明点火用の種火

寺男であろう,担当者が本殿四隅に灯明点火用種火配し,火を絶やさぬようメンテしている.灯明は私たちにはかなり臭いが気になるが,信徒の方には特別の香りに感じられるのであろう.


チャングナラヤンで家族の祝福行事

家族の祝福行事

本殿後ろの庵では家族がお祝いの宴を催していた.奥のマリーゴルドの花輪を架けた男性が今回の主人公のお祝い,例えば還暦(ネパールでもあるか?),であろうか.案内してくれたJさんの話では,家族や一族のお祝い行事をこうした寺院で催すのは一般的であるそうだ.


下は,チャングナラヤンでの写真

チャングナラヤンでの写真
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バクタプルBhaktapur

バクタプルの素焼き

バクタプルの素焼き

バクタプルの街に入った.横丁から歩き出すと,道端に陶器やなぜか藁束が並べてある.陶器はバクタプル名物の素焼きで,藁束は奥の工房の窯で焼くための燃料のようだ.大して温度が上がらないと思うが,焼成温度の低くて済む素焼きならではの燃料であろう.


バクタプルのネワール彫刻

ネワール彫刻

バクタプルは,最初アナンダデヴ王(ネワール族)により889年に築かれ,以降12世紀~18世紀に首都の一つとして栄えたという.古都としてパタンも有名だが,ここもそれ以上に中世の街並みが残っているそうだ.

例えばこれは横丁の建物窓のネワール木彫り(孔雀)であるが,確かに細かく彫刻され,見事だ.

この路地向かいのショップは,『孔雀が真正面から見える窓はこちらに』と,ショップ2階への階段を案内していた.確かにそこから眺めればこの写真のようなキーストーンは生じないでしょうが....商売も抜かりないですね.


バクタプル,タチュパル広場のダッタトラヤ寺院(Dattatreya Temple)

タチュパル広場のダッタトラヤ寺院

ちょっと古そうで,重厚な姿のダッタトラヤ寺院(Dattatreya Temple).1427年,ヤクシャマッラ王の時代の建立で,少し後のビシュワマッラ王により改築されたそうだ.本尊ダッタトラヤはヴィシュヌ神の化身だそうだが,ヴィシュヌ神の化身はナラヤンに続き,これで二人目ですね.


バクタプル,トウマディー広場のニャタポラ寺院(Nyatapola Temple)

トウマディー広場のニャタポラ寺院

ニャタポラ寺院(Nyatapola Temple)は,1702年にプパティンドラマッラ王により建立された,高さ30mの五重の塔で,この辺りで一番高い建物という.ニャタポラとは五重の屋根の意だそうだが,屋根だけでなく基壇も五層になっている.

基壇部石段両側には,守護神として下から伝説の戦士,象,獅子,グリフィン,女神,各一対並んでいる.ここの本尊は女神シッディラクシュミであるとされているが,扉は封印され,開けられたことがないそうな.


バクタプルのゴールデンゲートと旧王宮

ゴールデンゲートと旧王宮

17~18世紀最盛期のマッラ朝の王宮で,左が1745年,ランジットマッラ王建設の旧王宮入口門のゴールデンゲート.門には,ガルーダに跨るカーリー女神,ヴィシュヌ神などで装飾されている.

ゴールデンゲートを潜り,中の庭など見せてもらったのだが,内部は撮影禁止だった.


バクタプルの素焼き容器に盛られたズーズダウ(JuJuDhau)

素焼き容器に盛られたズーズダウ

バクタプル特産素焼き容器に盛られた,これまた名物,ヨーグルトの王様と呼ばれるズーズダウ(JuJuDhau)を添乗Tさんに頂戴した.少し甘みがあり,柔らかなゲル状の食感,う~ん,美味しいですね.


下は,バクタプルでの写真

バクタプルでの写真
バクタプルでの写真 バクタプルでの写真 バクタプルでの写真 バクタプルでの写真 バクタプルでの写真 バクタプルでの写真 バクタプルでの写真
バクタプルでの写真 バクタプルでの写真 バクタプルでの写真 バクタプルでの写真 バクタプルでの写真 バクタプルでの写真 バクタプルでの写真

ギャコックの夕食Gyakok dinner

エベレストホテルに出かける

エベレストホテルに出かける

バクタプルから戻り,ホテルで一休みしてから,今度はエベレストホテルの中華レストランに夕食に出掛けた.エベレストホテルに来たのはチベットからネパールに抜けたツアーの2007年以来久しぶりだ.


ギャコック

ギャコック

7階の中華レストランに入った.モモ(momo:チベット餃子)に続き,ギャコック(Gyakok:チベット鍋)を出してくれた.中華レストランであるがチベット料理が主で,広東料理,北京料理,四川料理...といったメジャーなジャンルに比べると貴重だ.煮こまれた野菜や鳥は美味しかった.なおビールは一流ホテル風な値段であるが,味はもち論他と同じだ.


カトマンドゥから帰国leave for home from Kathmandu

サーベル着けたアンナプルナホテルドアマン

サーベル着けたアンナプルナホテルドアマン

さて11/6(木)になった.今夜帰国の途に就くのだが,それは夜になってからだ.ちょっと外に行ってみよう.ホテル玄関に下りると,ドアマンが手を上で折り,挨拶してくれる.アンナプルナホテルのドアマンは大きなサーベルを身に着けており,かっこいい.ここでは銃刀法は大丈夫なようだ.


車の混みようがひどい

車の混みようがひどい

前日Sさんに教えてもらったヤクチーズを売っていた小型スーパーに行くことにした.

ホテルから旧王宮前を左に折れ,2ブロック行けばタメル,さらに1ブロック行くとそのスーパーだ.で,写真は最初の1ブロック目の交差点だが,とにかく酷い混みようで唖然とする.カトマンドゥを訪れるのは3年ぶりだが,その間に一層ひどくなったものだ.タメルの狭い通りもうかうか歩けないくらいになっている.


タメルで両替

タメルで両替

少しの買い物だが,ルピーが底を突いていた.両替しよう.生憎1万円札だけだったので,それを替えたが,このころ急に円が下がっており8,420ルピーだった.ヤクチーズは高が5,600ルピー,他も大して出費はなかったので,財布には結構あの汚いルピー札が残った.

で話は飛ぶのだが,この日の夜,トリブバン国際空港出国のときのボディチェックで,係官に『ポケットの中を出せ』と言われて出し,次に『それを開いて見せろ』と言われて開く.すると『ルピーがたくさん入っているな.外国人のルピーの持ち出しは禁止されている,俺によこせ』と言うではないか.あまりに馬鹿げたことを公衆の面前,同僚の前で言うので,それはそれはびっくらこいた.もち論『やだよ~』と渡しはしなかったが.ツムリンタールでのSさんの『ロキシーを渡せ』と並び,ネパールの木っ端役人は腐っている.尤も日本からのインフラ整備支援目的のODAなども,建設前に多くが特定政治家のポケットに入ると噂(いや,実際ネパール人に聞いた)されるが.....

夕刻になって,トレック中大変お世話になったサーダーのGさん.テント洗いなど,今回ツアーの片付けと次のツアーの準備に忙しい中,わざわざ挨拶に来て下さった.ほんとにありがとうございました,また次回もどうぞよろしく願います.


ネワール料理の締めで,ロキシー注ぎ

ネワール料理で締め

いよいよ夜になった.ここ2日間ほど和食や中華にうつつを抜かしてきたが,やはり最後はネパール料理,その中で特に伝統あるネワール料理で締めよう,というTさんの計らいで,Wunjala Moskva Restaurantに案内してもらった.伝統ネワール料理店なのにMoskva(モスクワ)の名が入っているのが不思議だが....まあ,食べる分に支障なかろう.

レストランは庭の舞台を囲み,幾つかの客室ブースが取り囲んでいる.舞台ではネワール音楽やダンスが披露されている.ただ,ちょっと寒いのと暗いのが惜しい.私たちの逆側のブースでは所謂女子会のようで,中央舞台に関係なく盛り上がっている.皆,2,30代地元女性のようでやはり私たちとはパワーが違うようであったが.

先ずウェイトレスがアペタイザーのロキシーを注いでくれた.テーブル上の小さく平たい杯に,大分上方から注ぐのだが,こぼさないで上手く満たしてくれる.この技は以前他のレストランでも見せてもらったことがあるが,ネワール料理の重要な添え物,いや要素の一つなのであろう.


ネワール小皿料理

ネワール小皿料理

ロキシー注ぎと並びネワール料理の要は小皿料理だ.伝統料理だが,本来特別の日,ハレの日の料理だったらしい.並んだ小皿はインド料理のようでもある.まあ味は人それぞれだが,折角ながら私には,まあこんなものだろうと,身も蓋もない評価で....すみません.


カトマンドゥトリブバン国際空港から出発

トリブバン国際空港から出発

夕食後Jさんに送ってもらい,トリブバン国際空港に来た.ドラゴン航空カウンタでKA-127便のチェックインし,出国審査を過ぎ,安全検査となる.ここで馬鹿げたボディチェックとなったのは上述の通りだ.

A330の機体はほぼ定刻に飛び立ち,ダッカに着き,ここで乗客を加えて再び離陸.そして明けて2014/11/7(金)朝香港空港に到着した.

香港空港でトランジットの荷物検査を受けたが,ここでまた問題発生.リチウムイオン電池が多過ぎると文句を言われる.とりあえず,分割し他人に持ってもらったら....との命に従い,切り抜けた.後でキャセイの機内誌に記された規定を読むと,ちゃんと持ち込める範囲の数量であった.

検査の後,出発ロビーで次のキャセイ航空便を待った.関空のKさんは別の便で立ち去った.お気を付けてお帰り下さい.


香港からキャセイ航空CX-504便

香港からキャセイ航空CX-504便

香港からはキャセイ航空CX-504便に乗った.やはりA330機で,タッチパネル付きスクリーンは操作性が良い.捲ると,多分若い人は知らないピンクレディーのアルバムがあったので聴いてみたが,楽しい.


CX-504便成田到着

CX-504便成田到着

若いトレーダーが,亡くなった立山の山小屋オーナーの父親の跡を継いで,山小屋を守るという『春を背負って』があった.トレッキングからの戻りなので,これも観てみる.ちょっとヤラセ的感じもないではないがまあこんなものかな~

そしてワインを頂いたり,食事を頂いたり,そうこうしてうちに成田に着いた.長い間,皆様にはお世話になりました.ありがとうございました.お気を付けてお家にお戻り下さい.

私自身は京成,東京メトロなど乗り継ぎ,夜7時頃家に着いた.楽しかった,おしまい.



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