このヌムへ編では,2014/10/17(金)チチラで朝を迎え,クワパニ,ダーラデオラリ,ムドヘを経てヌムへと歩いたときの風景,またこの日見かけた花の写真を載せました.
いよいよ今日から歩く,チチラ(3)からヌム(4)までだ.この間は舗装されてないが実質的に4駆やトラクタに限定されようが一応車道が通っている.つまりトレック向きとは言えないが,まだ車の通行量が疎らなのが幸いだった.
なおチチラの標高は1,890m,ヌムは1,575mなので,少し低いところへの移動となる.
チチラのサイトで朝を迎えた.テント外側は昨夕から濡れていたが一層ぐしょぐしょになっていた.
6時頃,北の空を見ると雲の切れた辺りからは朝焼けの峰々が輝いていた.特にチャムラン(Chamran:7,319m)辺りは雲が少なく,幅広の台形が黄金色に輝いていた.
既にダイニングテントが畳まれ,表に置かれたテーブルでお粥などの朝食を頂いた.それが済むと添乗Tさんの音頭で体操をした.トレッキングツアーでは,添乗員の方針は,このように一斉に体操するタイプと,個々に任せる(或いはやらない)タイプに分かれる.なお外国人のツアーではこのような体操はまずない.同じサイトで隣り合わせると,外国人トレッカーが不思議そうに私たちの体操姿を眺めるシーンに出合うことは間々ある.
さてその体操が済むとTさんの案内があった.先頭ガイドはXXさん,間にXXさん....と.
朝8時,いよいよ足取り軽くスタートだ.
歩き始めてチチラの村を通過する.村外れ辺りで小学生くらいの子供たちが遊んでいた.小学校は写真左側斜面下,ほど近くに在るのだが,始業は10時なので遊ぶ時間がたっぶりあるのだ.
背後には雲が取れて,左(西側)から幅広い台形状のチャムラン(Chamran:7,319m),三角形のピーク6(Peak 6:6,739m),やはり三角形のマカルー(Makalu:8,463m)がきれいに見えていた.
何人かレンズを向けると,お兄さんを加えて改めて並んでくれた.ちょっとかしこまったようだが,これはこれでいいですね.どうもありがとうさん.
チチラの村を抜けると次のクワパニの村方面に向かう.ただ途中にも農家は少しづつ点在している.写真の家はトタン屋根の2階建で,壁には乾燥のためトウモロコシが架けられている.
途中に展望点があった.谷は雲で満たされているが,ちょうどヒマラヤ方面はクリアだ.特に広がりの大きいチャムランは存在感もまた大だ.実際東西に伸びる稜線は6kmあり,チベット語の原意は『はばたく大鳥』だそうだ.
なお日本人では,1962年5月北大隊が初登頂しているそうである.
やがてクワパニ(Kuwapani)に至った.クワ(Kuwa)は池や湖で,パニ(apani)はタトパニやゴラパニのパニ同様水なので,クワパニは『湖水』となろうか.それを聞いて,周りを見回したが池や湖は見当たらなかった.きっと街道から離れたところにあるのであろう.
クワパニは濃い霧に包まれていた.陽は当たらないし,気温も低い.でも道端には大量に洗濯物が架けてある.『こりゃ全然乾かないよね~』との第三者的評価が多く漏れた.そのうち晴れるのかな~
この街道脇にクワパニの村,10軒くらいか,が展開されている.街道下の斜面にもあるようだ.村には小さな雑貨屋さんや古びた農家があり,まあこの辺りでは一般的な光景であろう.
クワパニの村を過ぎてダーラデオラリへと歩みを進めた.途中の農家の庭先を見ると赤い小粒なアワ(いやヒエか?)の実を広げ乾燥していた.アワやヒエは旱魃に強く,やせた土地でも栽培できるそうで,この辺りでは多く見かける.
この家の屋根は伝統的な編み竹だ.竹を縦に4,5列に裂き,それら並べて横竹を通し,編んだ構造だ.この編み竹は例えばランタン地方で,その名もバンブー集落など,ネパール他の地方でも見られる.編んだものなので隙間も多く,多分雨季の雨量が多い時には漏れてくるのではなかろうか.
斜面に建つ上記家の上の道にベンチがあり,この家の子らが通行する我らを眺めていた.ベンチの後ろは崖だ.落ちないように気を付けてね!
歩いている車道は急傾斜を避けるため距離は長くなっている.この車道の出来る前の旧道が所々に残されていて,これらをショートカット路として私たちのポーターさんが登って行った.いや~タフだ!
車道ではあるが滅多に車は来ない.たまに4駆車が通っていく.ただたまにではあっても,やはり車道を歩くのは不評で,元々は帰路も歩きの計画だったが,添乗Tさんの配慮で車に変更されることになった.
写真は路線バスと思われるが,屋根の上まで人がいっぱいで,凸凹路面が増幅されてひどく揺れている.恐ろしや~
お昼近くになってダーラデオラリ(Dhara Deurali)の峠の村に到着した.バッティを営むお店がある.水も確保できるので,トレッキングパーティもよく立ち寄るようで,チチラで出会ったイタリア隊8人の皆さんもここで食事をしていた.
ダーラデオラリの住民は主にグルン族だそうだ.写真のように女性は鼻に装飾品を着けている.人ごとながら食事のときは邪魔にならないかしら....と心配になる.グルン族はだいたい仏教徒だそうで,この先多くなるシェルパ族とその点共通だ.
下は,ダーラデオラリへ行く途中の風景
ネパールの代表的醸造酒チャンから蒸留し,これまた代表的な蒸留酒ロキシーを製造していた.写真は,蒸留鍋を火に架けた直後,最上部冷却パンに冷却水を注いでいる段階だ.1時間足らずで全量蒸留できるそうだ.でき上がったロキシーは即販売可能で,確か同行Sさんが600mlペットボトルで満たしてもらったら200ルピーと言っていたような.....ロキシーは各家庭で自家用に作るのが一般的で,土地々々,家々でそれぞれ異なる味,アルコール濃度が楽しめるという.
上の蒸留プロセスを図解してみた.3段式だが,外部への導管などなく,シンプルで堅牢な造りだ.沸点が水の100℃より低い(78℃くらい)エチルアルコール(エタノール)の蒸留が完了したか否かは開けて見ないと判らない,いや見ただけではやはり判断できないか?きっと経験から時間で判るのだろう.さらに低沸点の(不純)物や,局所的には温度が上がり,水蒸気が加わることもあろう.あと,シールのための布パッキンは汚れ易いので清潔を維持するのが肝要であろう.同行のMさんに依れば,アルコール度を高めるには出来上がったロキシーを再度蒸留すればいいそうだ.なるほど.
こうした蒸留は他でも見かける.例えば3段式だが蒸留酒がチューブで外に導かれるドルパ地方のロキシー蒸留,2段式でやはり蒸留酒がチューブで外に導かれるミャンマー(ビルマ)バガンの砂糖酒蒸留などだ.これらは出来上がる過程が見える楽しみ(?)があり,全量完了が判斷し易いと思うが,若干構造が込み入っている.
ダーラデオラリでこの日のランチを頂いた.昨日のチャパティ→パスタ,缶詰のイワシ→ツナ缶になっているが,概ね同じだ.
ただしデザートは初めて見て,また味わうフルーツだった.『アンボック』と呼ばれるようで,グァバの仲間だという.細かい種子がいっぱいで,形態や大きさも全く異なるが,アボガドの味と舌触りに似たところがあった.後にも先にもこれ一回だったが,できればまた食べてみたい.気に入った.
ダーラデオラリ(Dhara Deurali)の標高は2,100mで,北と東への道に分岐する三叉路になっている.昼食後私たちは北のヌム方面に下る道へと歩きを再開した.幸い晴天は続きそうである.
少し行くと数人の子供たちに出会った.ムレ(Mure)から遊びに来たという.ムレと言えば今日の宿泊地ヌムのほんのちょっと手前の村で,ここからはかなり遠い筈だ.行動範囲が広いね~感心々々
さらに下るとアルン川の谷辺り(の筈)と向こう側が見えてきた.谷の手前に目指すヌム(Num)の村があるようだ.そして谷向こうには明日行く予定のセドア(Sedua)の村がある,ちょっとこの写真では小さいが.
暫く行くとムドヘ(Mudhe)の村辺りに入った.伝統的な藁葺き屋根の家にタルチョーを掲げるポールが立っているが電柱はないようだ.今のところどうやら電気はダーラデオラリまでのようだ.
2頭の牛が,(この写真でははっきりしないが)木製の鋤で畑を耕していた.金属鋤と違って分厚く鈍いので耕すのは大変であろう.なのでまた2頭立てが必要だし....
ムドヘにはまた車道と旧道(短い区間だが)の分岐点があった.ここで休んでいるとBCからの戻りで,ヌムから乗ったというチェコのカップルトレッカーの4駆がやって来た.やはりヌムからツムリンタールまでは4駆で戻るのが正解のようだ.
私たちは旧道に折れ,歩きを再開した.
ここでは穂のままアワの実を乾燥させていた.ある程度乾燥させたら穂から落とし,さらに乾燥させるのかも知れない.美味しいチャンやロキシーができそうだ.
旧道を少しだけ歩くとまた車道になった.工事が終わって間もないのか路面はかなり荒々しい.斜面をトラバースするように這っており,アルン川も谷の見ながら歩く.
ヌムの少し手前,ムレ(Mure)の村辺りまで来た.家畜の飼料にするのであろう,ドコを背負い草刈りに出かける場面だ.随分頑張っているね.
やがて目的地,青い屋根の点在するヌム(Num)と,アルン川谷の向こう,ヌムと同じくらいの標高で対岸,明日の予定地セドア(Sedua)がくっきり見えてきた.ヌムはまあ直ぐそこであろう.
ヌム(1,575m)とセドア(1,625m)は地図上の直線距離はとても短いが,アルン川の谷は680mまで落ち込んでおり,最初895m下り,そして今度は945mの上りがあり,合わせて1,840mの標高差を歩くことになるようだ.
やがてNum Bazaarの標識があった.ヌムの入り口に来たようだ.Bazaarとなっているので,結構大きな村で,周辺の住民もショッピングや取引で集まるところなのであろう.
ヌムの村の中に入ったが,道は坂や階段状でなかなかなところだ.写真は共同水場で水汲みや沐浴,洗濯に使われているようだ.
パラボナアンテナが見えるが,まだ村に電気は引かれておらず,ソーラーセルパネルと二次電池でテレビや灯りを賄っているようだ.きっと短時間運用であろう.
路地を下ると広いヌムの中心部に出た.概ね平坦な広い通り(言わばヌム銀座だ)の周囲に建材屋,酒屋,駄菓子屋,日用品店,洋品店....など各種ショップや仕立て屋さんが並んでいる.
ヌム銀座では白いネパール服とピンクのキャップの伝統衣装のご隠居さん(いや年金生活者か?)が日向ぼっこ(いや議論か?)だ.スリムな体型とそれに合わせて仕立てられた装束が決まっている.
3:20PM,私たちがヌムのキャンプサイトに到着すると,先回りしたスタッフの皆さんが既にテント設営に着手してくれていた.そして程なく完成したので,荷物をテントに入れ,解き,そして用意してもらったお茶を頂いた.
私たちの到着前には既に,これまで手前でも会っているイタリア8人衆の皆さんがテントを張っていた.
ここは脇のバッティ経営者の所有地で,客室や貸しキッチン,ショップ,ダイニングルームなど備えている.多分ヌムではトレッカー向けはここが一番なのであろう,なかなか繁盛している.
私たちの近所の子がやってきた.トレッカーがどんなことをしているのか興味津々な様子だ.特に髭剃りなど興味があるようで,ある人のテント前では大観衆が剃り終わるまで立ち退かず,歓声を上げていた.こちらも笑ってしまったが.
写真はピンクの着生ランだが,結構あちこちに見えた.ただこのピンク以外のランはあまり見えず,白いのが一種くらいだった.
またラン以外の花は,既に10月半ばにしては結構色々咲いていた.
さて明日はアルン川を越える.天気になって欲しいが.....と思っていたが,翌日は未明からとんでもない雷雨で明けるのであった.