このタシガオンへ編では,2014/10/19(日)朝セドアのキャンプサイトで目覚め,朝食後マニガオン,チャクサダーラを経てロペサに至り昼食.食後再び歩き,この日の宿泊地タシガオンに至ったときの写真,それとこの日見かけた花の写真などを載せました.
この日のルートは朝セドア(5)を出て,北のタシガオン(6) に歩く.標高はようやく2,000m余りに達する予定だ.
セドアに朝がやって来た.見上げると異常なまでの青空だ.こりゃこれからはいよいよ本来のヒマラヤ秋気候が復活か,と期待を持たせる一面青だ.頼みますよ~
スタッフの皆さんは早々にダイニングテントを畳み青空の下,ダイニングテーブルを用意して下さった.皆のテントもまだ相当濡れたままであるが,畳み作業に入っている.早いのは結構だが,また今夜も湿っぽいかな~早くも懸念される.
ここセドアのキャンプサイト所有者は敬虔な仏教徒だ.テントが取り払われると背後縁壁のマニ石や仏像が明るく照らし出された.刻まれたチベット文字はオム・マニ・ペメ・フムなどであろうが,チベット族に近いというシェルパ族の旦那やこのご一家の人には読めるのだと思う.
朝食を頂戴し,体操の後サイト背後のトレイルを歩き始めた.何よりも晴れているのが素晴らしい.快適だ.
少し歩いて南を振り返った.幾重にも谷と山が反復しているが,一番手前の谷がアルン川の谷で,その先がヌムのある峰だ.中央から少し右寄りの尾根辺りがヌムの村のようだ.僅か数時間の滞在ながらある種の懐かしさを覚える.不思議だ.
マニ石或いは仏像レリーフを前後,側面に配し,上に小さなチョルテンを3つ置いた形式のマニ塚に,以降頻繁に遭遇する.チベット仏教徒であるシェルパ族の世界に入ったのだ.クーンブやアンナプルナでよく見かけるマニ石を大量に道中央に並べたマニ塚,つまりメンダン(mendan)と違って,ちゃんとソリッドな構造になっている点が異なる.マガール族でヒンドゥーのサーダーGさんが詳しくないのは当然として,シェルパ族のTさん(当然仏教徒)に訊いても『マニ』(つまり真言か)です,と言うだけで,メンダンのような特別な固有名詞はない風だった.
ところでサーダーGさんによれば,マガール族は元々仏教徒だったのだが,徐々にマガールのお坊さんが減り,そのうちにヒンドゥーに改宗する人が多くなり,現在はヒンドゥーが殆どだということだ.
少し行くと小川が流れていた.水量は多くなく飛び石伝いに渡った.
水の得られ土地では,アワやヒエではなく水田が作られ,稲が栽培されるようだ.ただ水田としては気の毒なほど細かい面積で,それが棚田となっている.写真は刈り入れが終わった段階であるが,農作業の大変さが偲ばれる.
マニ(Mani)が頻繁に現れるようになる.次の村はその名もマニガオン(Manigaon=マニの村)というだけあって,きっと村名の元になったのであろう.
セドアから少し標高を上げ,振り返ると川面が白く光るアルン川の流れと,その先に一昨日宿泊した青い屋根の点在するヌムの村がよく見えた.いい天気で嬉しい.
この辺一帯は主にシェルパ族が占めるというから,荷を運ぶ娘さんはきっとシェルパ族の若い女性=シェルパニ(sherpani)であろう.力持ちだ.私たちのパーティにはいなかったが,女性のポーターが荷揚げしているグループも見かけた.今回のことではないが,シェルパニの8,000m級高所登山ガイドもいるそうで,皆頑張っている.
境界ははっきりしないがマニガオンの辺りに入ったようだ.道脇には子供たちが出て,私たち通行人を観察している.私たちも彼らを興味深く眺めさせてもらう.
この辺りの家のルーフィングは編み竹が多い.ここ数日ひどかったと思うが普通大雨は少ないのであろう.
前日も見かけた青竹を引き,下る男性に出会った.屋根材には細いように思っていたが,展開すれば十分広くなるのだろうか.....?.
マニガオンの一画で駄菓子などの小さなショップを営むシェルパ族のおかみさんだ.ショップ前広場で一休みさせてもらい,再び上に歩き始めた.とても友好的な方で,一人ひとりに『お気をつけて』と声を掛け,商品のキャンディを分けて下さった.ありがとうございます.
マニガオンを過ぎ,上りは続く.セミの常として,ジージーとやかましい.日本では既にセミのシーズンが終えているがここではまだまだ続いている.
ガイドを伴った女性単独のトレッカーで,下る途中ちょっと一休みだそうだ.お気をつけて.
その家の窓から顔を見せた子だ.畑に出た両親に代わって,右側弟さんの面倒を見ているお姉さんかな...?
シェルパの一人が食卓照明用のケロシンバーナを背にしている.これだけは他のキッチン用具と違って,キッチンスタッフが運ばず,シェルパが運んでいる.運ぶ前にケロシンを抜くのだが,完全には抜けず幾らか残留し,これが後ろを歩く人に臭うそうで...
チャクサダーラ(Chyaksa Danda)に到着した.ダーラ(Danda=峠)の名のように尾根筋に在る村で,家や小さなショップが建っている.またシェルパ族の慣わしでマニ塚やタルチョー,ルンタが盛大に揃えられている.
グラウンドを前に錆びたトタン屋根の建物は小学校だそうだ.
その小学校では,軒下に机を並べ授業中だった.ピンクの衣装にサンダルの女性が先生だそうだ.子供たちは,やはり私たち,外部の様子が少し気になるようでチョロチョロしがちだ.それでも校舎内の教室よりやはり明るく快適でいいのだろうか?
サーダーGさんに教わった名前が思い出せない.ただこの作物,確か球根?は非常に高価で,一袋日本円で18万円くらいになるそうだ.陽射しの弱い林の中で育つので,林を部分的に切り開き,その畑に転換する土地が多くなっているそうだ.殆どインドなどに輸出されるという.
ロペサへの途中左側を通ったマニ塚にはかなり草が生えていた.かなり古いのであろう.
やがてアワ畑の先にロペサ(Ropesa)の集落,と言っても僅か数戸の,が見えてきた.ちょうど昼時でここのキッチンを借りて,ランチを準備してもらうことになっている.
トレイルに面し庭のあるお宅で腰を下ろした.石庭と言うにはあまりに立派,巨大な天然石がゴロゴロ揃った庭だ.シェルパ族の奥さんは4人の子持ちで,下二人は岩の上で,上の子二人は屋根で遊ばせていた.ワイルドで逞しい子に成長することでしょう.
↑シェルパ族の奥さんと下の子二人 | ↑上の子二人 |
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ヌードルスープに,チャパティがチベッタンブレッド(揚げパン)に置き換わった定番ランチだ.頂きま~す.
↑ヌードルスープ | ↑チベッタンブレッド(揚げパン) |
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ロペサで庭をお借りしたお宅の畑で生っていた『コレラ』の実.上のランチにはないが,ときどき食事に出してもらった.トゲトゲは柔らかで,調理後はもち論全く刺すような食感はいささかもない.ゴーヤの親戚であろうか?
ロペサのお宅の前には小川が流れ,湿地となっていた.木には寄生植物が絡みつき,着生ランも綺麗に咲いていた.
↑ロペサの小川と湿地 | ↑茶色い着生ラン |
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力強い顔だ.ブッダの顔であろうが,インド風半眼仏像の顔と比べると,ぐ~っと親しみ易い顔立ちに見える.いいと思う.
若者が実ったアワの刈り入れ作業中だった.藁ごと下から刈り取る稲と違って,穂先だけを鎌で刈り,袋に回収するようだ.残された藁は別途刈り取るか,若しくは下に載せた写真のように牛や水牛にそのまま食べさせるようだ.
タシガオン近くになると橋の架かった小川があり,渡った.
小川の先はガレたトレイルだった.今回は全般にガレた場所が多い.
私たちの食料をタシガオンまで運ぶロバの列だ.相当の量があるが,山ほどのダルバートを食べるポーターの皆さんの分もあるし,また運ばれた一部は帰路に使うため,タシガオンのキャンプサイトの倉庫に預かってもらうのだと思う.
こりゃまた大きなシダの木でたまげた.まるでニュージーランドのシダみだいだ.このような大きな木はここだけで,他では見かけなかったのも不思議だ.単に気付かなかっただけか?
またまた小川だがしっかりした橋が架かっているのですいすいだ.小川はアルン川に注ぐのであろう.そしてアルン川はこうして徐々に水を集め,大きくなっていくのであろう.
やがてタシガオンの村が見えてきた.青いトタン屋根が目立ち,相当の広がりと戸数がある.タシガオンの標高は2,050mに過ぎないが,ここが真冬も含めて村民全てが暮らす最高地の常駐村だそうだ.他エリアでは常駐村は3,000mかそれ以上の標高まで在ることが多いが,きっとここは冬の環境が厳しく,また住宅を建設するだけの土地や水場が確保できないのであろう.
つまり明日訪れるカウマ(Kauma:3,580m)から先は,春に家畜を追って上り,秋になるとそこを引き払って下る『夏村』である訳だ.
タシガオンは大きな村で,入り口辺りから急流の小川に沿って歩く.村の子がわあわあ言いながら先導してくれる.しきりに『マナステバルーン』と声を掛けてくれるが,どうやらどこかのトレッカーが風船を上げたようで,それをねだられているようだった.だれも風船は持ちあわせてなかったが....ごめん.
牛の飼葉刈りから戻るところであろう.私たちと同世代であろうか,頑張ってます.
仏像やマニ(真言)の他に山の絵も描かれている.日本では山信仰が盛んであるが,ネパールでもマチャプチャレやクーンビラなど有名な信仰対象が知られている.で,ここではやはりマカルーであろうか?
村の畑で,牛や水牛がアワの茎(藁)を食べていた.な~るほど,こうすれば藁を刈り取らずにうまく処理できるわけだ.
穀物の貯蔵などに使われるのであろう,高床で風通しの良さそうな編み竹の壁だ.ネズミ(や他の動物)の侵入を防ぐねずみ返しも設けられている.これで完璧だ.
タシガオンのキャンプサイトに着いた.朝出かけるとき濡れていたテントはまだ乾いてなかったが,少しすると少なくとも表は乾いてくれた.ただここに寝袋を広げるには,夕方のことで,陽に照らす時間はあまりなかった.
ヒマラヤ方面は望めないが,南側は広々した開放的ないい場所だ.ここのご主人は鶏を飼っていて,時々餌をやる.そのときちゃっかり隣家の鶏が餌を横取りに現れる.ご主人はちゃんと鶏の顔を覚えており,隣家の鶏を追い払っている.かなりおかしい眺めだ.
シェルパ族のご主人は仏教徒で,サイト広場の山側壁にはマニ石が何枚も嵌めこまれている.石の形は山形だ.やはり山信仰があるのだろうか....
ここではポークが入手できたそうで,シェフPさんは夕食に早速ポークモモを作ってくれた.大変美味しかった.今は世の中,草食系が流行りらしいが,肉食系の私はやはり肉類がないと物足りない.
ビールは380ルピーで,前夜のセドアから標高が上がった分高くなったようだ.これも美味しかった.
この日は終日晴れていたので,花を撮りやすかった.多くはないが.
2段目右のカンナのような花は家の近くでたくさん栽培されている.球根を食用にするそうだ.