この遍路8日目編では,2017年11月7日うみがめ荘で朝を迎え,第23番 薬王寺まで車で送ってもらい,そこから遍路再開.ひたすら太平洋岸と並行するルートを南西に歩き,山河内(やまがわち)辺り,牟岐(むぎ)辺りを通り,海陽町に至り,その南端の温泉民宿はるる亭に落ち着いたときの写真を載せました.
さて11月7日うみがめ荘に朝が来た.ちょっと冷えている.このような日はうみがめ荘壁に貼られたこの写真のようなだるま朝日が見える(ことがある)そうだ.そこで6時半少し前,大浜海岸(みがめ荘前の海岸)に立ち,陽が昇るのを待つ.
だるま太陽は,ちょうど今頃晩秋から冬にかけての寒い時期に見られる現象で,強い冷え込みで,陽が海から昇る(または沈む)タイミングで,しかも晴れ渡っているとき見えるそうだ.
残念ながら地平線に雲が架かっていたのが致命的だった.普通の朝日に終わってしまった.
なお地元の人も見るのは稀で,そう簡単ではないらしい.上の壁写真を見るとだるまはΩ状で,蜃気楼現象のようだから,海面直上では水温に近い気温,その上部にはもっと低い気温,と云う分布が要るということかな....
朝日を眺めてダイニングルームに行った.数人のお遍路さんグループの皆さんが食事しておられた.南無大師遍照金剛を記した白衣の他にみな白いズボン着用で本格派だ.途中で会うことはなかったので車で廻るのであろう.
うみがめ荘の朝食はセルフサービスだ.大好きな鯖の塩焼きにフライなどあって,トレイに盛り付けた.大変美味しかった.
うみがめ荘で朝食が終わり,7時になるとワゴン車で第23番 薬王寺に送ってもらった.ありがとうございました.
歩き遍路の原則に,どのルートでも構わないが,途中足以外用いて移動しない,同じところを二度歩く必要はなく,二度目の区間は車や電車を用いてもいい,という掟に従い,楽をしたのだ.その点,前日の打ち戻りは無駄だったわけだ.遍路と称しながらかなり拘泥しているフシもあるな....
薬王寺からの遍路道は殆ど国道55号線である.少なくともこの辺りは広い歩道が設けてあり,安心して歩ける.
薄いうろこ雲の架かる景色が展開されている.
この辺りから今日の終わりまで,国道55号線と概ね並行してJR牟岐線(むぎせん)が通っている.途中近接したり,離れたり,また南北入れ替わったりもするようだ.その牟岐線に,空色とシルバー二両編成の列車が通っていった.今の時間帯であるから通勤,通学の乗客が多かろう.
牟岐線は徳島駅から海部郡海陽町の海部駅に至る路線だそうだ.つまり遍路5日目,徳島市から第18番 恩山寺に向かうとき,2度ばかり踏切を跨いだことのある路線の続きなのだ.路線図を見ると,『へ』の字を90度ばかり右回転したようなルートを走っている.
遍路道,つまり国道55号線は今日一つ目のトンネル,奥潟トンネルらしい,に向かった.
上述のように鉄道路線の牟岐線は遍路5日目から跨いできたが,実は国道55号線はその辺りから跨ぐどころか,その上をしばしば歩いていたのは,前のページに既に記したところだ.いやそれどころか,高知県に入って御前崎を通り,足摺岬に至るまでず~っと続くのだ.大まかには徳島市以降の遍路道≒国道55号線としてもあながち間違いとは言えないだろう.
暫く行くと壁が剥げ落ち,傾きかけた廃屋があった.一見民家だったようにも見えるが,二階屋根上に幅の狭い三層部分がある.これまで見たことのないユニークな三層構造だ.どういった用途の建築だったのであろう.
この日2つ目のトンネル,690mの日和佐トンネルに入った.ここは片側にガード付き歩道が付いており,安心して通過できる.
日和佐トンネルを抜け出ると,街道脇の樹木が紅葉し,なかなかきれいだ.
次は3つ目の山河内(やまがわち)トンネルになった.ここは歩道がないので大型トラックの通るときは身構える.
山河内(やまがわち)と云うちょっと難しい読みの駅は,JR牟岐線でもこの辺りにあるようだ.
山河内トンネル先に南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)の石碑を前にした水車(スタティックな)があった.南無大師遍照金剛は私の背中にも記された弘法大師(空海)の真言であるから,水不足のこの辺りでお大師さまが井戸を掘ったら湧き出て.....とかであろうか.
東はうみがめ荘の辺りも含まれる美浜町はこんなに遠くまで広がっていたのだ.『ウェルかめ』が出口にあるのは若干違和感があるかも知れないが,実に面白いコピーだ.
また舞台地美浜町と記されているので,ググってみたら,NHK連続テレビ小説で『ウェルかめ』という番組があったのだそうだ.なるほど.すると『ウェルかめ』は美浜町職員ではなく,NHKシナリオライターの草案か?だとするとちょっと残念.
美浜町を過ぎると少し平野が広がっていた.それでも広々した感じで見渡せる.収穫の終わった畑か田んぼの,次の作付けのためトラクタで掘り起こされた土のパターンが真新しい.
遍路道標に従って行くと,一時55号線を離れるところがある.急に騒音が減り,落ち着いて歩ける.ただ道を間違えないように,道標を見落とさないように注意を払わねば(自分の場合)
遍路道はそろそろ牟岐(むぎ)のエリアに入ってきたようだ.朝より雲が増えてきた.その雲の影が山に投影され,樹木の茂る山肌に濃淡を付している.これもまたなかなか趣きある眺めだ.
この通りは旧土佐街道だったそうで,山頭火の碑があり,宿泊の長尾屋跡と記してあった.
石碑には,『しぐれてぬれてまっかな柿もろた』の句,さらに,途中少し行って,急いだけど牟岐へ辿り着いたのは夕方だった.よい宿が見つかってうれしかった.おぢいさんは好々爺,おばあさんは親切で,夜具も賄いもよかった.風呂に入れて三日ぶりの疲れを流すことができた.御飯前,数町(丁と同じ単位で,数百mになろう)も遠い酒店まで出かけた.酒好き酒飲みでないと,たうてい解るまい,との昭和14年11月3日(ちょうど今の頃だ)付け日記文が刻まれている(一部かなを読みやすく漢字にした)
三日ぶりの風呂ということは半ば野宿(キャンプ)の旅だったのであろうか.また数町先の酒屋に....に関しては普通の酒飲みと変わりないが,当時自販機があろう筈ないのは勿論だが,長尾屋は宿屋でありながら酒を置いてなかったのであろうか.
ところでこの山頭火の碑に出合ったとき,碑文を読むより先に,遥かその昔,高校の恩師(当時50代半ばくらい)T先生が,古びた教壇で『退職したら種田山頭火のように四国を歩いて巡ってみたい』と話された様子が走馬灯の如くありありと脳裏に浮かんだ.今回私は全く山頭火もT先生も思い浮かべることなく遍路に出たが,やはり縁というものか....
牟岐(むぎ)の市街地に入った.徳島県南端近くで,温かいのかヤシの街路樹が見事だ.通りは人も車も多くはなくゆったりしている.
ATMから現金を引き落とすために牟岐郵便局に立ち寄った.やはり郵便局はどこにでもあって便利だ.経営上は大変であろう.ありがとうございます.
泊まるところはクレジットカードの使えない民宿が主なので現金は必要なのだ.
郵便局でシートを借りていると,業務中の女性職員の方が,歩き遍路に効くそうです,と言いながら『うるる酢』のお接待をして下さった.思いやり深い方だ.お仕事中なのにかたじけないです.
これは養命酒製造会社の製品のようだが,うるるとはさて何でしょう?広辞苑にも載ってないし....飲んだら普通に美味しかった.ごちそうさま.
牟岐市街地を出て,この日4つ目のトンネル,名前は覚えてないが確か牟岐警察署近くのトンネルを過ぎ,写真5つ目の八坂トンネルに差し掛かった.210mのようだからそう長くはない.
八坂トンネルから進むとまた太平洋が見えてきた.トンネルとは対極を成す開けた光景に,見た瞬間ある種の感動が待ち受ける.しかもきれいな水に海岸まで迫る緑,砂浜,いい眺めだ.
6つ目の古江トンネルとを越えて,少し先を歩いていたKさんが婦人と何やら話を交わしているようだ.お接待を受けていたのだ.
私がここを抜けて少し先を行くと,路肩に駐車した軽乗用車から,上婦人のご主人が現れ,薄い生地の小さなポシェットを,お接待です,どうぞ,と言って下さった.ありがとうございます.ポシェットには千円札が入っていた.申し訳ない気がしたが,大変ありがたく頂戴した.
お接待の後,歩き続け大砂トンネルと記される入り口になった.折しもかっこいい赤いオープンルーフスポーツカーがシャーと抜いていく.
ただこのトンネルは原始的な歩き遍路に対しても優しく歩道が設けてあり,心配なく歩ける.
国道55号線と農道(違和感あるがそう記してある.普通の町の道だ)の分岐点に至った.私は俳句の小路後の苦い思い出やら何やらで,安易な国道55号線を継続して進むことにした.うん,全然修行とは言えないな~
Kさんは国道より遍路道によりふさわしそうな左手の道を行くことにした.途中,通り掛かった人にコンビニか何かのロケーションを尋ねたところ,『次の信号を右に曲がり....』と教えてくれたが,次の信号は20分(いやもっとか?)も先だったそうだ.スケールが違いますね.
国道55号線ルートを行くと,やがてこの日8つ目の太田トンネルになり,越えた.そして少しして浅川駅近くになった.道路を跨いでいるのは単線のJR牟岐線だ.
ということでとっくに海陽町のエリアに入ったようである.
浅川駅近くも刈り取り後の田んぼが多い.そしてJR牟岐線を走る,今朝薬王寺近くで見かけたのと同じデザインの車輌を見かけた.一両編成なので果たしてこれを列車と呼んでいいものかどうか,と意地悪な疑問が浮かぶが....細かいことに拘らないのがいいと思う.
浅川駅から暫く行くと阿波海南駅前になった.ホーム待合室は車輌一両分に満たないような幅で,さながらファンタジー映画,なかなかロマンチックだ.なお左側,斬新なデザインの建物は駅舎であろうか.
そのうち第24番(最御崎寺)まで50kmの道標があった.まあ,2日分だから,明日中には到着できないということだ.もちろん元よりそれに対応した計画を組んであるから大丈夫であろう.
そのうち橋だらけの場所になった.海部川やら母川が太平洋に注ぐ辺りのようだ.でもちゃんと歩道が用意されているのが嬉しい.
この橋を越えた先には海部駅があった.そしてその前で,ローソンか何処かで買ってあったおにぎりを食べた.2時頃であった.
そのうち海岸通りを進んで来たKさんが現れ,再び歩き始めた.
海部駅の先の55号線は細く入り込んだ湾の内側に沿って走る.湾を形成する張り出した半島は結構長くて,一応山の形態である.
道端の電柱でときどき見かける模様だ.金剛杵(こんごうしょ)2つ交差させたようにみえるので,外国人お遍路が外国人のために遍路道標として付したものではなかろうかと思う.
なお金剛杵の現物はこれまで巡った札所大師堂の何箇所かで,お堂前面に置いてあった.
金沢からの区切り打ちお遍路Uさんに出会った.近くのJR牟岐線駅から,バスを乗り継ぎ,前回歩き終えた時点まできて,歩きを継続し始めたそうだ.区切り打ちは一回で廻るのに較べて大変そうですね.
この方とは次の日の一部,それにさらに次の日第24番 最御崎寺参拝でご一緒した.歩き遍路はこうした出会いも楽しいものだ.
細長い湾を過ぎ,少し行くと今度はもろに太平洋沿岸となった.かと言っても凪なので特段波が荒いということはなく,静かな海だ.また海水も砂浜にしてはきれいなように見える.
遍路道55号線は室戸まで48km地点になった.Kさんの手配してくれた温泉民宿はるる亭は遠くない筈だ.金沢のUさんは,その近くで別の宿を予約してあるそうで先に行った.
程なく温泉民宿はるる亭に到着した.出迎えてくれた女性はとても早口で,お風呂や,洗濯場,食堂....等々案内してくれたが,とにかくその早口に驚かされる.
で,玄関から上がると,ふすまを開け放った随分と大きな部屋が並んでいる.民宿と称しているが旅館のようだ.事実夕刻になると,団体客の皆さんが集まり,カラオケで盛り上がっていた.
案内された2階の部屋は普通の和室で,バルコニーがついているのが珍しい.道路から離れているので静かだ.然程古いように見えないが,柱が少し傾いている.地震に遭ったのであろうか.まあエアコンの効きに影響を及ぼすほどではない.
そして例によって着替え後洗濯物を持って別棟の洗濯場へ行き,次いでお風呂に入る.温泉民宿と冠しているだけあって温泉だ.湯の成分や効用は知らないがヌルヌルしている.バスタブは広く,カランも数個備えるが,いつものように一番風呂で独占だ.
はるる亭の食堂は一階お勝手口の先にあった.お勝手とダイニングテーブルの間にはバーカウンタがあり,普通の居酒屋のように各種ボトルが壁棚に並んでいる.まあ全般にあまり垢抜けない造りではあろう.
カウンタ上には著名人と思しき人の写真が並び,左から2枚目に管元総理と,Kさんに教えてもらう.他の人物については私には判らなかった.
なおここは他の民宿と違って,女将さん一人で切り盛りといったことはなく,数人の人が分担して仕事に当たっているようだった.
天ぷらに鍋物,つぶ貝,お刺身にカツオのたたき(右下)...好みだ,美味しい.
ところではるる亭のはるるってどう云う意味だ?昼間牟岐郵便局で頂戴したうるる酢のうるると語感が似ていて,両方共意味を理解できてない.単なる語呂のいい固有名詞でしょうか.
この日もよく歩いた.足裏は貼るだけ包帯不要になっていたが,足首上,ちょうどソックスを履いた部分が酷い汗疹の親玉,若しくは蕁麻疹のようになっていた.2,3年前両腕に同じような酷い蕁麻疹ができ,診てもらったことがあった.そのとき蕁麻疹であるが,その原因は判らなかった.この発疹はその後も続いたが,痛みや痒みがないので当面放っておくことにした.
さてあしたもまたお寺のない,歩きに徹する日が待っている.楽しみだ.