この遍路7日目編では,2017年11月6日民宿山茶花を出発し,遍路道を南へどんどん下り,田井の浜に出て太平洋を望み,海岸沿いを行き俳句の小径に入り,道標見落としで無駄に大回りして日和佐湾に至り,第23番 薬王寺を参拝し,国民の宿うみがめ荘に打ち戻ったときの写真を載せました.
山茶花で11月6日朝を迎えた.6:10本館食堂で朝食を頂くと,これらのパンをどうぞ,主人からのお接待です,と女将さんに言われ,ありがたくチョコパン,ドーナツ....セットを頂戴した.民宿は専ら女将さんが捌いているようで,ご主人の姿は見かけなかったがパン屋さんを営んでいるのでしょうか.
女将さんに改めてお礼を述べ,6:45AMお暇した.別館の白壁にはまだ微かに朝焼けの名残りが見える.いい天気になりそうだ.
直ぐ隣の第22番 平等寺に軽く一礼し,南方向に去った.同宿した千葉のサイクルお遍路さん(写真右下)も同じ頃出発で暫く同じ道を進んだ.菅笠を白いヘルメットに替えたスタイルだ.
朝の光が残る中,最初の町を通過した.まだ雨戸を閉めた住宅もまま見られる.
そのうち遍路道は小径になった.脇にはお地蔵さんの列や,小さな祠が祀られている.
どんどん南に歩を進めると,林もあった.いい雰囲気だ.まあこういった区間はあまり長く続かないのが常で,惜しいところだが.
遍路道はこの先トンネルが多くなるのだが,とりあえずこの日は鉦打(かねうち)トンネルに続く,この福井トンネルを通過する.175mあるそうだ.
歩道部分は狭いのでちょっと怖い.
道標のラッシュだ.間違い易いところなのであろう.同じ薬王寺方向を何枚も示しているが,電柱下に張られた斜め右下向きの単純な赤矢印が最も正確で判り易い.一般にどこの場所でもこの赤矢印オンリータイプが一番正確だと思う.ただこれだけあるときは小さいので見落とさないようにしなくては(この日は,俳句の小径の先で,多分あったであろう道標を見逃す失敗があった)
また真っ直ぐ行くとどうなるか無かったので,誰か白ペイントで書き加えてくれたようだ.親切だ.
遍路道を含めてゴミの不法投棄が多いようで,あちこちに不法投棄を戒める看板を見る.ここではお遍路姿の見張り番/護美奉行カカシが注意を呼びかけている.効果のあることを願う.ところで護美奉行カカシの連れているのは白い犬であろうか?
車道の遍路道は,この日3つ目のトンネルを越えて,田井の浜への分岐点となった.分岐点はもちろんたくさんあるが,ここでは右に逸れるようだ.
暫く進み,ちょっと迷いながら行くと田井の浜に出た.砂浜に面した太平洋は凪のようで穏やかだ.
田井の浜近くには単線のJR牟岐線が通り,同名の駅が海水浴シーズンのみ開設されるようだ.
遍路道4つ目のトンネル先に『カニに注意』の警告板があった.大変驚いた.テレビでアフリカ南端(いやオーストラリアか?)かそこらで,大量のカニが上陸し,道路や民家の庭を埋め尽くす様子を見たことがあった.日本でも類した様子が見られるとは....すごい.
看板によればここ由岐(ゆき)に生息するアカテガニは,海に近い石垣や山林の斜面に掘った穴に棲み,6月から9月の月夜になると産卵のため海や河口に移動します.その際の道路横断中,車に轢かれる事故が後を絶たず,そのためにぜひ注意を!といった趣旨だ.
もう11月なのでオフだし,この辺りでは見なかったが,後日実際道を歩くカニを見かけ感動した.運転中轢くのを避けるのは実際上容易ではなかろうが.....
海岸縁を西に進むと木岐(きき)の辺りになった.湾の内側で,小さな漁港を設けている.
遍路道はやがて俳句の小径入り口となった.同小径は海岸線より少し内側,小高く位置し,この入口より徐々に上ることになる.
俳句の小径は上記木岐町(ききまち)有志の運営で,毎年句を募り,選び,入選作を写真のような柱状句碑に刻み立てているそうだ.句の応募案内や投句箱も道沿いに設けてあった.
遍路道沿いであるので,遍路に関する句もよく見かけた.
俳句の小径の先は舗装道路になる.県道25号線だ.しかし歩行者はもちろん,通る車はない静かな道だ.この道のどこかで左に入る遍路道(多分小径)がある筈だが,見落としてしまったようで,曲がりくねったこの舗装道25号線を内陸側に進んでしまった.途中おかしいかな~と感じながらも写真のようにJR由岐線と交差する時点になった.こうなると引き返すのはむしろ距離が長いので,前に進み遍路道に合流することにした.
この日は結構疲れ,腰が痛くなっていた.そしてこのエラーによる心理的ダメージは大きく,自分でもはっきり判るほど身体を左に傾げて歩いたのだった.参った.
ようやく遍路道,と言っても同じ県道25号線の続きなのだが,に戻った.この辺りでは道が海岸に沿い,岸辺には小型漁船が多く係留されている.
やがて25号線は日和佐湾防波堤の内側を走り,沿岸に住宅街が続くようになった.耕作地はあまりなさそうで,主に漁業を生業にしている家もあろう,多分.
遍路道が少し高い位置になると,砂浜に打ち寄せる白波,海面や砂浜から突き出る岩峰の織り成す光景が美しい.
この日泊まることになるうみがめ荘の前を通り過ぎ,少し行くと大木があった.大きな神社,日和佐八幡神社のようだ.この木はクスノキ(楠)で根本で3つに別れて伸び,それぞれが太く成長している.すごい.
神社を過ぎ,入江に架かる橋を渡り,日和佐町(行政的には美波町(みなみちょう)の一部)の大通りと思しき通りを歩いていった.地図を見るとこの通りの先に薬王寺がある筈だ.
そして第23番 薬王寺山門に到着した.山門は瓦葺き一層式だ.
山門の手前右手に売店を併設した納経所があり,また左手に外部委託という宿坊が設けてある.ちょっと風変わりであろうか.
山門から合わせて百数十段の石段を上ると薬王寺本堂となる.本尊は厄除薬師如来ということで,石段手摺脇には参拝者がお賽銭としてあげた一円玉が多く置かれている.
厄除けで知られる川崎大師と同じように,徳島では代表的な初詣の寺としても有名だそうだ.
先ずはここで経を唱え,次いで大師堂で唱え,山門を出て納経所に行った.
納経所の前でKさんと出会った.この日は前日と違って,周囲に旅館とか色々ありそうだし,参拝が早い時間に終わりそうなので予約してなかった.一応この後,僧坊のパンフレットをもらい眺めてみた.
Kさんも予約はまだだが,これからお参りし,納経所で朱印を頂いてから心当たりを電話してみるという.
薬王寺本堂の右上丘には四角い屋根の角と中央に5本の棒状相輪を載せ,屋根の下が朱色円筒状の建物が目を引く.瑜祇塔(ゆぎとう)と呼ばれ,天と地の和合を説く『瑜祇経』の教えを具象化したものらしい.
そうこうしているうちにKさんが納経所に戻り,納経帳の朱印を終えると,宿の手配を始めてくれた.そして幸いうみがめ荘が取れるという.ならばと私もついでにとお願いすることにした.以来Kさんにはいつもお世話になることになった.すみませんでした.ありがとうございました.なおうみがめ荘はここから打ち戻るロケーションだが,出迎えは当日なので無理なものの,明朝ここ薬王寺まで送り届けてくれるという.ありがたい.
ということで県道25号線を打ち戻った.距離は1.5kmだが,上述のように身体は左に傾いていた筈だ.
そしてうみがめ荘に着いた.いかにも一昔前風造りで,また相当数の客室がありそうだ.開館から相当長くなるが,開館から間もない昭和46年,当時の皇太子殿下,妃殿下(現天皇陛下,皇后陛下)が宿泊されたことがあるそうだ.
道の先の海岸はウミガメ産卵の浜として知られ,夏の夜,運が良ければ産卵に出合うこともあるそうだ.
うみがめ荘の庭の一画にはウミガメ飼育プールがあり,何頭ものウミガメが元気に泳ぎ回っていた.これでいつもウミガメを眺めることができる.プールのウミガメはかなり大きいが,太郎を乗せて泳ぐにはちょっと足りないかな.
一階陸側の部屋で,眺めの効かない部屋だった.この日は地元団体の会合などでほぼ満室と云うことで予め了解していたのだ.なおここでは客室を含めてwifiが使えた.これまでは何処の宿も備えてなかったと思う.
私たちが到着した時は他の客は見かけず,先ずは3階の洗濯機/乾燥機のところ(お風呂の前)に行く.大きな宿に拘らずたった一台なのは,歩きお遍路客は多くないということであろう.でも予想通り他の使用者は居らず,空いていた.ただここは洗剤が置いてない.困ってレセプションカウンタに行くと,別売りですと言われ,ここで求めることができた.
次いでお風呂に入る.3階の海を望む大きなガラス張りの浴室は,とても大きな浴槽を備え,カランの前も,タブに浸かっているのも私一人だ.贅沢と言えば贅沢だろうか.
そして夕食の時間7:00PMになった.ダイニングルームに行くと,今度は驚くほど多くのお客さんがいた.夕方からどんどん集まったのでしょう.
リザーブされた席には,お料理が普通に揃えてあり,スープや一部料理,デザートなど自分で装うカフェテリア的な部分もある.またビールは自動販売機を備えているので,そこで求めることができる.結構だ.美味しかった.
さて明日は,次の札所寺まで遠すぎるので,二泊三日で歩き,その一泊目まで歩く予定だ.