この遍路14日目編では,2017年11月13日サンピアセリーズホテルを出発し,県道375号線を南下し第31番 竹林寺をお参り,次いで第32番 禅師峰寺に至り,その後西に向かい浦戸湾をフェリーで渡り,第33番 雪蹊寺に着き参拝,そして同寺門前の民宿高知屋さんにザックを置き,第34番 種間寺まで歩き参拝,その後乗り合いタクシーで民宿高知屋へ打ち戻ったときの写真を載せました.
さて11月13日朝になった.サンピアセリーズホテルで目覚め,身支度する.そしてまだ明けやらぬ頃チェックアウトし,南へと向かった.ちょっと早すぎたかな~
歩き始めて少しするとコンビニの灯りが煌々と輝いており,誘われる.驚いたことに売り場面積と同程度の広さのダイニング空間が併設されている.本来別店舗の予定スペースだったのだが,借り手が現れず,その空きスペースを止むなく活用しているのかな~などと思った.まあそれほど広いのだ.
ということで,ここで肉まんを買い,熱々にチンしてもらい,朝食として食べた.美味しかった.
コンビニ立ち寄り後,再び歩き始めた.そして保存協力会マップの遍路道,左に逸れるつもりだったが,道標を見逃したのか,県道376号線をそのまま進んでしまった.でもどのみち第31番 竹林寺の近くを通る筈なので,まあいいかと思い,そのまま進んだ.よくあることだ(いい加減の意)
そして静かな川面に架かる橋になった.国分川の支流の一つであろうか?
本来の遍路道では通らない筈の五代山トンネル入り口になった.これはここを通り抜けて,その先で県道376号線を降りて,第31番 竹林寺に向かうしかなかろう.
ということで,このトンネルを抜けた.ただ抜けたところで第31番 竹林寺への道へ直ぐ下りるべきところ,グズグズして行き過ぎ,戻ることになった.これもまあよくあることだが.そしてこれはページ初めのマップで赤いトラックを見ると,出っ張った突起として記録されている.
県道376号線を降り,道標を頼りに第31番 竹林寺参道に入った.グーグルマップを拡大すると見えてくる等高線はちょっとした山のように密に見え,そしてその程度の傾斜道となる.実際ここは五代山と称されているから山なのだ.
なお当竹林寺山名は五台(臺)山で地名の山は五代山と微妙に違っている.単にどちらでも構わないということかな.
そして竹林寺の名に因むかの如く,写真のように竹林も脇に見えてくる.
五臺(台の旧字体)山の名を掲げた竹林寺山門に着いた.格子背後に仁王像が立ち,2階に回廊のある標準的楼門様式だ.適度に年数を経て落ち着いた色合いだ.
山門の後も階段が続く.境内の林は11月の陽を浴び緑が映え,幾らかの紅葉が色を添えている.
チベット仏教寺院と同じ五色のタルチョーが掛けられた本堂は,萱葺き屋根で,歴史を感じさせる.そして先ずはここをお参りする.
竹林寺大師堂は本堂と対面する如く配置され,その横に朱塗りの五重塔が建てられている.これまで巡った30札所では三重のものは見たと思うが,五重タイプは初めてだ.ここには経典などが納められているのでしょうか?
五鈷杵は密教の法具金剛杵(こんごうしょ)の一タイプで,これが最も一般的な形であるようだ.確かにこの形にはよく出合う.そしてここではそれと鈴の綱とが細い紐,手綱で結ばれている.五鈷杵をなでてお大師さまとつながるように....と記されている.
竹林寺お参りが終わり,上ったときと同じ道を辿り五代山を下った.そして今度は県道376号線には戻らず,下田川沿いの普通の遍路道を東に歩いた.近くには,完成間近であろうか高速道路が走っている.
そのうち下田川を渡り,対岸を更に東進した後,第32番 禅師峰寺に向け南下した.海に近づくに連れ海抜が下がるようで,写真の辺りでは0.7mとかなり低く,驚く.
遍路道案内シールは私設というか自家製というか,温かい.ありがとうございます.
石戸池脇の住宅街に入った.概ね新興住宅街のように見える.道標はへんろみち保存協力会の公式版で,最も蜜に設置されており,非常に頼りにしている.
そして第32番 禅師峰寺は石戸池を半周した対岸の丘に立っているようだ.
細い静かな農道を幾つか交差して,第32番 禅師峰寺参道入口になった.予想通り上り道で,本堂まで340m,道の真中に『マムシに注意』の立て札も見える.
なかなか歩きがいある石段が続いた.そして汗をかきながら上る.やはり高知は修行の道場なのだ.途中黒くて細長い生物に出合い,すわっ,マムシか?と驚いたがどうやら大きなミミズのようで一安心.高知のミミズはばかでかい.
坂道は終わり,禅師峰寺仁王門に到着した.八葉山の名を掲げた仁王門はシンプルな一層式で,縦格子の中に仁王像(金剛力士像)が納められていた.
一礼して仁王門をくぐると,また石段があるが,長くはなく本堂になる.
さて禅師峰寺境内に入り眺める.左端は大師像,中央全面銅板葺は手水場だったか?そして背後右側が禅師峰寺本堂,その左が大師堂だ.禅師峰寺の敷地は狭く,引きが効かない,いや腕か,正面から写せない.
ということで本堂,大師堂順に効率的に参拝を済ます.
石段を汗かきながら上った禅師峰寺は,高々標高82mだそうだ.それでもなかなか眺めがよく,刈り入れられた田,漁村,海,向こうに霞む峰....がきれいに望める.
禅師峰寺を下り,平地を西に向け歩いた.途中商店はなく,殆ど住宅だ.
しばらく歩くと種崎渡船場近くになった.レストランかコンビニがないかな~と観察しながら進むが見当たらない.だが一軒,惣菜屋(?)のようなお店があり,菓子パンを売っていたので,これを買う.
そして県営渡船場に着いた.時刻表を見ると,朝夕ラッシュ時は30分間隔,昼間は一時間間隔で運行されるようだ.まあ待っても大した時間ではないので安堵する.
ここは小さな待合室が備えられ,たまたま比較的若い男性お遍路さんが座っており,次の札所などについて話を交わす.そして先程買った菓子パンを食べる.
そして時間となり,若いお遍路さん,それと地元のおばさん,合わせて3人がこの大きい渡し船(竜馬の愛称が付いている)に乗り込む.クルーは4人くらい乗っているし,機材費,燃料...いろいろコストが掛かるだろうが私たち県民でなくても無料というから,さすが高知県は太っ腹だ.
種崎港を出ると,10分程度で対岸の長浜に到着した.この渡し船は前後に出入り口を備え,また双方向自由に進めるという優れものだ.それなので船をターンする必要がなく,効率的に往復運行できるようだ.
ところでこの渡し船に乗るということは歩き遍路の掟を破ることにならないか?ところが88箇所全ルート中ここだけは渡し船に乗っても歩き遍路については不問ということだ.何でも,昔の遍路道途中のこの辺りには橋がなく,渡し船で通ったという伝統が根拠らしい.
長浜港で下船すると,そこで繋がる入江沿い遍路道を,第33番 雪蹊寺に向け,西に進んだ.
入江には小型漁船が多く停泊している,湾の中のさらに小さな入江であるためか,静かな水面が鏡のようだ.
上記入江は小さな川の河口でもあった.そしてその川に沿う道を上流側に進むと,33番 雪蹊寺入り口が見えてきた.さらにその脇には神社の鳥居も見えている.以前参拝した第27番神峯寺入り口と同じ形式だ.
さてその雪蹊寺入り口であるが,普通の仁王門はなく,2本の石柱が山門に相当するようだ.
さてその石柱山門から雪蹊寺境内に入ると,先ず右に鐘楼,その左に手水場,先方右に大師堂,一番奥に本堂が配置されている.
先ずは奥の本堂をお参りする.格子戸の嵌まるお堂の周囲には回廊が巡り,その幅は随分と広い.
ここでは,渡し船でご一緒し,少し先に到着した若いお遍路さんがお参りしていた.そして私も少し横に離れて立ち,未だ慣れない般若心経を唱えた.
続いて大師堂でも同じに行い,納経所で印を頂いて,表に出る.
さて雪蹊寺参拝が済んだが,時間が余り過ぎている.またチェックインタイムまで時間がありそうだ.そこで雪蹊寺とは道路を挟み門前の宿泊予約済民宿高知屋さんにザックを預かってもらい,次の第34番 種間寺に行こうと思った.
で,ドアを開けようとしたが開かないし,インターホンも見つからない.ドア前から電話すると女将さんが出て来られ,ザックを置いてもらうことにした.またここへに打ち戻る際に便利です,と乗り合いタクシー情報をもらった.
さてザックがないので軽くなった身で西に向かった.そして歩き始めて間もなく.教えてもらったタクシー会社に電話する.乗合バスの第34番 本尾山から高知屋に行く運行時刻は午後5時過ぎだそうで,ちょっと遅いが,500円と圧倒的に安いので,それを予約した.
第34番 種間寺への遍路道はほぼ農道で,静かに歩ける.途中橋の上で日向ぼっこのおばあさんの昔話など聞き,黒糖の飴玉をお接待してもらう.
おばあさんは私より相当年配で,浜近くの家で育ったが,強い風の日は洗濯物はもちろん,全てのものが潮風を受けベタベタになり大変だった,今は全自動洗濯機もあるし大分ましだ,とも.
そのうち遍路道は細い用水路に沿うようになった.用水路はきれいな流れで,脇には所々住宅が建っている.周囲の環境からすると多くは農家であろう.
農道から次は大きな道になり,少し行き第34番 種間寺に到着した.第33番 雪蹊寺と同じように山門は石柱で,仁王門はない.
弘法大師像はその石柱山門の手前,外側に立てられ,山門を入った直ぐ右脇は納経所を含むお坊さんの居宅のようである.
種間寺本堂は境内一番奥に位置していた.ちょっと見る限り,木造ではなくコンクリート造りで,ペイントしたように見える.....
ともかくここでお参りし,少し戻って大師堂に行く.
大師堂は伝統的木造建築で,龍などの手の込んだ木彫りが素晴らしい.ただ木造で歴史あるためか柱などに風化が見られる.まあやむを得ないだろうが.
そしてここでお参りすると,納経所に足を運び,いつも通り御朱印と墨書きを頂く.所謂ワンパターン(死語かな?)だ.
早く済み過ぎた.仕方なく門前のベンチで地図を広げ,明日のルート計画と宿を検討する.そして概ね前から計画の第35番 清瀧寺および第36番 青瀧寺を廻り,そこからは海岸通りには行かず,打ち戻り,浦ノ内湾北側で適当な場所にありそうな『民宿なずな』に行こうかと考えた.そしてなずなさんに電話すると,OKということで,明日の予定は固まった.
しばらくして,門前の大きな道(県道)で乗り合いタクシーを待つようドライバーさんから電話があった.そしてそのようにした.脇には明日最初に訪れる予定の第35番 清瀧寺への道案内があった.10km弱,ここから,ざっと2時間半くらい掛かろうか.
そうこうしているうちに乗り合いタクシーが来てくれた.乗り込むと,先ず最初に明朝この場所まで乗せてもらえるかどうか尋ねる.すると朝便は高知屋発7:10があるというので,ちょうどいい,それをお願いした.
2,30分ほど走ったであろうか,乗り合いタクシーは民宿高知屋に到着した.助かりました.
民宿高知屋に到着し,女将さんに客室へ案内してもらい,お風呂やお手洗い,洗面所,ダイニングルームや時間などについて聞く.お風呂は間もなく沸きますから,どうぞということだ.全般に普通のお遍路民宿といったところだ.
またバスケットに入れておけば,洗濯しておきます,ということでお願いした.翌朝には仕上げ,畳まれて返して下さった.ありがとうございます.
夕食時間になり和室ダイニングルームに行った.建設工事関係者3人組,それと私と同じ神奈川県は足柄の区切り遍路男性Tさんで,私と対面席が用意されてあった.赤魚煮付けやカツオのたたきなどで,好みだ.
Tさんは歩きと乗り物併用遍路で,明日朝第34番 種間寺入り口まで乗り合いタクシーで行くという.つまり私と同じ便でそこに行くことになろう.
Tさんは農業を営んでいるそうで,長い期間家を空けられず,どうしても区切り打ちにならざるを得ない,また歩きだけでは時間が掛かり過ぎ,乗り物併用ということだ.そしてトレイ上の野菜を見ながら,野菜作りもやっているが手間が掛かる,そして例えばスーパーで大根一本が100円で売られていたりするのを見るとガックリきますね,などとも.いや,それは解りますね.
野菜と薬味の下には,表を炙った,カツオのタタキ,ここは高知だから土佐造りが正式名か,盛られている.さすが高知県だけあって頻繁に出してもらえる.お刺身は大好物なので,連日でも大変結構だ.
Tさんとは,さて明日は雨の天気予報なのでカッパを着て出ますか,などと話しながら,ではまた明日と言いながら部屋に戻った.