この遍路12日目編では,2017年11月11日民宿とうの浜を出発し,海岸通りを北上し,安芸市辺りを歩き,琴ヶ浜辺りを西に向かい,土佐東街道沿いをどんどん行き,第28番 大日寺に至り参拝.民宿住吉荘さんの送迎車で,同宿地点まで戻り宿泊したときの写真を載せました.
11月11日民宿とうの浜で朝が明けた.身支度して食堂に行くと,直ぐに朝食を出してくれた.カマスの開きが美味しかった.さて今日はどんな日になろうか.
民宿とうの浜は国道55号線,つまり遍路道に面しており,脇には前日訪れた第27番 神峯寺への道標やバス停があった.
国道55号線はしばらく海岸沿いだ.そして松並木の防砂林が脇に続いている.またこの辺りにはガードレール付き歩道があってなかなか良い.
国道55号線区間は然程続かず,やがて海岸沿いの小路や堤防上通りに入っていった.
海岸通り脇高架橋を土佐くろしお鉄道の一両編成,いや一両だから編成とは言わないか,の車輌が通過していく.架線がないのでディーゼル車であろう.最近バッテリーだけで走る電気車輌も開発されつつあるようだが.
昨日までより幾らか白波が立っているようだ.漁には無いに越すことないであろうが,眺める分には見栄えがしていい.波があっても水は澄んでいて綺麗だ.
しばらく歩いた海岸通りの堤防道が終わりになった.300m歩いて国道(55号線)に行くよう道標があった.ちょっと残念だ.
ということで,右に折れ,そして土佐くろしお鉄道踏切を渡った.単線である.なおこれまで見てきた高知県,徳島県の鉄道はすべからく単線だった.
さて土佐くろしお鉄道踏切を渡り,55号線に出て,西に向かうと先ず伊尾木川があった.川にはかなり大きなサギが魚を狙っていた.
それを越えると間もなく今度は写真の安芸川になり,これを渡る.伊尾木川とは間近を流れるため夫婦川と呼ばれることもあるそうだ.生物ではないのでどちらが夫....?
安芸のアイコンには童謡の里安芸の文字,それに例のごとく謎の173.6が添えてある.
安芸市は,靴が鳴る,浜千鳥,叱られて,雀の学校,春よ来い....など童謡の作曲家弘田龍太郎の故郷なのだそうだ.
アイコンの白い五線譜メロディはどの曲であろう,全く読めないのが残念だ.
さて安芸市の市街地に入り,交差点に来た.岩崎弥太郎の生家を示す矢印も見える.名前だけは聞いたことのある起業家で三菱財閥の礎を作った人だ.今で言えばグーグルCEOのような方か?
こりゃまた大きな住宅だ.高知県ではときどきこうした大住宅を見る.殆ど武家屋敷のようですね.
市街地を過ぎると港があった.当然安芸港であろう.堤防に囲まれた水面は穏やかで,多くの小型漁船が停泊している.
ここは土佐くろしお鉄道球場前駅近くだ.キャンプ中の阪神タイガースを歓迎するのぼりが盛大に掲げられている.遍路宿蔵空間茶館で一緒になったタイガーズファン名古屋男性は今頃ここの球場でプレイを観ていることだろう.
さて遍路道は安芸市に入る辺りから国道55号線から離れていたのだが,それが海岸線近くで,また寄るようになっていった.
ここは赤野休憩所からの眺めだが,この辺りは岩場がなくなり,砂浜になったようだ.
浜辺の道は歩行,自転車専用で車が通らない.大変結構なことだ.
並木は桜のようで,春先であれば見事であろう.
遍路道を歩いていると,その脇に大きな遍路小屋があった.覗いてみると等身大遍路人形がたくさん座っている.私にはちょっと怖い,そして直ちに退散.すみません.
津波のときにゲートを閉じて,水を防ぐ可動式防波堤だと思う.この遍路道沿いに何箇所か設置されていた.
ここは琴ヶ浜と呼ばれる海岸.引波の砂の音が琴を奏でるようであるところから名付けられた,と脇の説明書きにあった.
やはり脇の説明を読むと,銅像は坂本龍馬の妻お龍さんと,海援隊士官野角兵衛の妻君枝さんで,二人は姉妹だったそうな.お龍は竜馬亡き後,妹君枝の嫁ぎ先芸西村(この近くであろう)に身を寄せたそうだ.そして後の世,芸西村の人々が二人を偲びここに像を立てたということだ.
この辺りには松が茂っている.琴ヶ浜松原と呼ばれ,土佐藩の時代から防風,防潮のために植林されてきたという.道もいいし,快適に歩ける.
琴ヶ浜から先に行き,土佐くろしお鉄道高架橋下に善根宿があった.営んでいるのは萩森さんという方のようだ.
善根宿は野宿(キャンプ)お遍路さんには助かるであろう.自転車も用意されているので,近くでの食事や,或いは食料調達などに使えそうだ.
嬉しいことに琴ヶ浜辺りの歩行,自転車専用路はまだ続き,浜辺を離れ,内陸側土佐東街道脇の道に近づいていった.そして写真のような小さなトンネルもあった.車が通らないトンネルは初めてかな.
遍路道はやや上りになった.そして住宅街の向こうにエメラルドグリーンの太平洋が覗いていた.
この住宅街海岸近くに今夜の宿,民宿住吉荘があるのではなかろうか.
土佐東街道に沿う遍路道(と言ってもこの辺りは広くなった)は道の駅やす(夜須)の脇になった.かなり広いスペースに駐車場や幾つかの建物を備える.そしてここのやすらぎ市でちょっとアイスを頬張り一休み.
でもここで昼食を食べた記憶がない.そうだ,安芸の外れ辺りのローソンでパンか何かを買って,駐車場で食べたかな.
駅やすを過ぎると,遍路道,土佐東街道(55号線),土佐くろしお鉄道高架橋の3つが並列して走る区間になった.
そしてここを歩いていると,反対方向から歩いてくるお遍路さんと出会い,少し話を交わす.これが何度めかで,逆打ち遍路ということだ.そして驚くことに,第28番 大日寺を打ち終えて,民宿住吉荘に着いたとき,何と同じ宿だったのだ.
3本並列からしばらくすると遍路道は土佐東街道(国道55号線)になった.
そして28番大日寺まで5.7kmとの案内が見えた.まだ結構あるな~
国道55号線をどんどん行くと,右に折れて第28番 大日寺に向かう道標があり,それに従う.道は県道22号線のようだ.今度は相当近づいたであろう.
そして赤みある陽が射すころ,遍路道の脇に,第28番 大日寺参道への入口案内板に出合った.ようやく着いたか.でもまだこの参道の上りが待っているようだ.
参道を上り,第28番 大日寺山門に着いた.上り石段の途中に建つ簡素なタイプで,周りの控え目な紅葉によく似合っている.
一礼して山門を抜け,石段を上り切ると脇に手水場があり,水を手に注いだ.
山門から石段を含み,一直線で進むと第28番 大日寺本堂となる.なお同名の寺は遍路4日目第13番 大日寺にもあった.
大日寺本堂は横に大きく屋根を広げ,その手前縁は緩やかなカーブを描いている.雲龍型土俵入りのような雰囲気だ.そして先ずはここで経を唱える.
続いて本堂手前左手の大師堂前に立つ.こちらは本堂の両側を切り取って,中を抜き,両側を貼り合わせたようなデザインだ.何人かの人がお参りしていた.そしてここに混じり,経を唱える.
地蔵菩薩を祀った四角いお堂があった.そしてその背後の山が夕陽に照らされ,黄色に輝いていた.なかなか見事だ.
納経所への小路は石畳が敷かれ,緑の木立に包まれ素敵だ.そして先の納経所で御朱印と墨書きを頂く.さて今日はこの札所だけで終わりだ.
そして山門を出て,下り坂道の参道を下り,県道22号線に出ると,民宿住吉荘の女将さんがお迎えの車で待っていて下さった.住吉荘からは確か10kmほどある筈で,ありがとうございます.
女将さんの車は民宿住吉荘の庭に到着した.住吉荘は2棟からなり,洗面場,洗濯場,お風呂場,食堂などの場所案内を聞き,そして写真の客室に案内してもらう.まあごく普通の民宿部屋であろうが,wifiを備えていたと思う.
ここでは上述のように,3路並列区間でお会いした逆打ちベテラン男性Hさんと再会し驚いたのだった.逆打ちを含め歩きお遍路に会う機会は多くないし,これも何かのご縁であろう.
マグロにカンパチのお刺身,それにカツオの土佐造り(右上皿の野菜の下),イカ煮...と魚好きには大変結構だ.Kさんはここ一週間で普通の年の一年分食べたそうだ.
逆打ちHさんはベテランだけあって様々な体験を語ってくれた.例えば絶対泊まってはならない宿などで,聞いたところ恐ろしくてとても泊まれないだろう.
そして明日の予定など話し,部屋に戻る.
この日は43.2kmと歩き過ぎたせいか,これまでも既に始まっていた肩,特に右肩が痛い.朝方はかなり回復するのだが,歩くに連れ傷みが増す傾向にある.これ以上荷物は減らせそうにないし困ったもんだ.