遍路17日目(2017年11月16日)Pilgrimage day 17

この遍路17日目編では,2017年11月16日朝窪川駅近くの美馬旅館を発ち.JR土讃線で土佐久礼に戻り,遍路再開.先ず大坂谷川遍路道を歩き,七子峠に至り,ここから下り道に入り,中村街道前半部を歩き,第37番 岩本寺に来て参拝,そして中村街道後半部を歩き,遍路山道に入り,それを抜け民宿弘田へと辿ったときの写真を載せました.

遍路17日目周辺マップと札所


 

土佐久礼に戻る

美馬旅館を出発

美馬旅館を出発

11月16日になった.普通民宿の朝食は6:30から,或いは頼むともっと早く用意してくれる.旅館(やホテル)はやや遅く,JR窪川6:48発特急に間に合わない.そこで朝食抜きで美馬旅館を出た.


JR四国のアンパンマン列車に乗る

JR四国のアンパンマン列車に乗る

美馬旅館から窪川駅は近くで,直ぐに着き,切符を買ってホームに出る.そしてそこへアンパン絵柄のラッピング列車が入ってくる.何でもアンパンマン作者は四国の人ということらしい.


先頭車両から土讃線を眺める

先頭車両から土讃線を眺める

土佐久礼で降りるなら先頭に乗ると早く出ることができますよ,とのホーム係員のアドバイスで,別に急ぎでもないのだが先頭車両の一番前に乗る.シートは前向きで,座ったまま進行中の土讃線を眺めることができ楽しい.

直ぐに車掌さんが検札に来た.『切符このまま頂いてもいいでしょうか?』と訊かれ,よく意味が解らないが,どうぞと渡す.実は無人の土佐久礼駅に着くと,車掌さんはホーム片端に降り立ち,切符回収するのだった.お忙しいですね.


大坂谷川遍路道

土佐久礼駅から大坂谷川遍路道を歩き始める

土佐久礼駅から大坂谷川遍路道を歩き始める

さて土佐久礼駅に戻ると,今度は電車ではなく,もちろん徒歩で第37番 岩本寺に向かう.先ずは南に行き,土佐久礼の外れ大坂橋辺りに来た.この道は中村街道の南側を通る古くからの遍路道で,先は農道になる.


欧州カップルよりおにぎりのお接待

欧州カップルよりおにぎりのお接待

暫く歩いていると,後ろから追い付いてきたカップルがあった.速いですね~と言うと,男性がズボン裾をめくり上げ,湿布を貼った膝を見せ,ここが痛くなりあまり速く歩けない,とのこと.いや十分速いですよ,私は朝食抜きで来たので,もう腹ペコで,この通りよたよた歩きですから,と応えると,『それならこのおにぎり一個差し上げますからどうぞ』と分けて下さった.私たちは今朝宿で4個,オセッタイで頂いたから,逆に日本人に一つオセッタイは当然でしょう,というのでありがたく頂き,直ぐに食べた.

男性はフランスのFさん,女性はスペインのMさんで,今日が遍路16日目と,今のところ私と大差ない.ただこの後は短期間で巡りそうだ.この後2,3回顔を合わすのだが,歩くスピードもさることながら,分岐点では殆ど躊躇なく正しい方向に進み,一体全体どういう方向感覚を有しているのか,驚嘆するほかない.ただ安い宿を探すのはなかなか容易ではないようで,私にもリストを分けてくれた.寺の番号と,宿の電話番号だけは数字なので読めて,役立つとのこと.


大坂谷川に沿う遍路道を行く

大坂谷川に沿う遍路道を行く

Fさん,Mさんの後ろになり,大坂谷川に沿う遍路道を進んだ.木立の丘に挟まれ,静かないい道だ.

先方には随分と長く,白い橋脚の橋が見えてきたが,高知自動車道であろうか.


大坂谷川遍路道生姜の収穫

生姜の収穫

大坂谷川遍路道をさらに進むと,大人数が生姜の収穫作業に勤しむ場面に出合った.この日の夜,宿泊の民宿弘田のご主人に聞くことになるのだが,こうした大人数の収穫作業は個人の畑ではなく,高知市の企業の作業が多いそうだ.

一般にそうした会社の社員は2,3人に過ぎず,他の作業員はこの近くの人をアルバイトで臨時で集めて一気に採取するそうである.

またこうして収穫した生姜は,お寿司屋さん向けガリなどに加工され,出荷されるそうだ.


七子峠

七子峠に向かうトレイルに入る

七子峠に向かうトレイルに入る

大坂谷川遍路道はやがて七子峠に向かうトレイルになった.いかにも遍路道の雰囲気が感じられる.

初めはガレているほどではないが,いくらか石混じりだ.


竹林の中

竹林の中

そのうち竹林の中を横切る上り道になった.路面は涸れた笹の葉で,これもまたいい.


次は階段道

次は階段道

次は階段道になった.なかなか急で,背中に汗をかく.


七子峠に到着した

七子峠に到着した

階段を上り切ると,そこは七子峠だった.標高289mとそれなりに上ったようだ.ただ目の前は中村街道の休憩広場のようで,遍路道の雰囲気が急変し,いくらか落胆する.

ただここでは中村街道には入らず,暫くその南側の農道を下る.もちろんいずれ中村街道に入るのだが.


下り道

七子峠から下りにかかる

七子峠から下りにかかる

七子峠からは中村街道の南に位置する遍路道に入った.そして緩やかな下りにかかる.非舗装のなかなかいい雰囲気の遍路道だ.

写真の辺りから第37番 岩本寺まで12kmというから,3時間くらい,休憩もあるのでも少し掛かろうか.


杉と竹の小路

杉と竹の小路

そのうち杉と竹の茂る小路になった.路面は柔らかで木漏れ日が気持ちいい.


畑地帯になる

畑地帯になる

そのうち畑地帯になった.遍路道脇の木々は色づき,また小川が流れる.この辺りは四万十町であるから,小川は四万十川の数多い支流の一つなのであろうか....?

なお四万十町と隣合わせ,西側に四万十市があり,紛らわしい.四万十川本流は四万十市を流れるようだ.


禅寺あり

禅寺あり

新しい山門,その背後にこれまた新しい幾つのお堂を持つお寺があった.禅寺で座禅の修行道場を有しているようだ.存続の難しいお寺も多いと聞く中で,かなり座禅修行に特化して栄えているのかな~などと思う.


下椿食堂でうどん

椿食堂でうどん

珍しいことに食堂があり,ちゃんと営業中だった.これはチャンスと入ると,うどんとラーメンの札があり,蕎麦はなし.きつねうどんを頼むと,駅の立食スタンド(少なくなったが)並とまではいかないも,素早く調理し,出してもらった.やはり熱々で美味しかった.


遍路道は暫くJR土讃線脇となる

遍路道は暫くJR土讃線脇となる

やがてそのうち遍路道はJR土讃線脇となり,横切ったり,並行したり,暫く続いた.

ここのところJR土讃線とは何かと縁深い.


中村街道前半

遍路道は中村街道(国道56号線)に入る

遍路道は中村街道に入る

遍路道は圧倒的縁深い中村街道(国道56号線)に入ってきた.この辺りは改修工事されたようで広幅の歩道が備えられ,うれしい.


仁井田駅を過ぎ,あと2km地点になる

仁井田駅を過ぎ,あと2km地点になる

中村街道をひたすら南西に進み,やがて仁井田駅を過ぎ,ここ第37番 岩本寺まで2km地点になった.なおこの道標は交通安全協会窪川支部製だ.脇には小さな社が祀られている.

ただこの後しばらくして現れた高知県製道標には,第37番 岩本寺まで2.3kmと記され,いささか面食らうのだが....細かいことに拘らない方が良かろう.


呼坂(よびざか)トンネル

呼坂(よびざか)トンネル

中村街道を歩けばトンネルは付き物だ.そして呼坂(よびざか)トンネルが現れ,151mを抜ける.

両側に段差のある歩道があり,いいトンネルだ.


かかしのコンテスト

かかしのコンテスト

畑にかかしが並んでいた.xx賞とか貼られているので,かかしのコンテストであろうか.かかしの里は徳島県でもあったが,こちら四万十のかかしは一層手が込んでいる.


第37番 藤井山 五智院 岩本寺(ふじいさん ごちいん いわもとじ)

第37番 岩本寺参道に入る

第37番 岩本寺参道に入る

さていよいよ第37番 岩本寺参道に入ってきた.2本の石柱に挟まれた門前両サイドにはいくらか市を成しており,先方階段上には一層の仁王門が見えている.


第37番 岩本寺の仁王さまはよく見える

岩本寺の仁王さまはよく見える

シンプルな仁王門は仁王さまの姿をとてもよく見ることができる.一般に細かな格子やネットの背後に奥まっており,薄暗く覗きにくいのだが,ここは開放的だ.

そしてその開放性を逆手に,千社札が仁王室内側,像背後まで貼られている.こういった行為を行う輩がいることは実に情けない.他寺が格子で完全に塞ぐのも解るというものだ.


第37番 岩本寺境内

第37番 岩本寺境内

岩本寺境内に入ると先ず手水舎があり,ここで手に水を注ぐ.そして黄に色づいた木立の右向こうには,五色の垂れ幕が覗いている.


五色の垂れ幕架かる第37番 岩本寺本堂

五色の垂れ幕架かる第37番 岩本寺本堂

境内を奥に進むと右側に,五色の垂れ幕が架かる比較的小振りな本堂があった.他の参拝者はあまり居らず,ゆっくり経を読む.


第37番 岩本寺は本堂も開放的

第37番 岩本寺は本堂も開放的

仁王門だけでなく,岩本寺は本堂も開放的だ.そこで中を覗いて,さて御本尊は何処....多分真ん中の黒い辺りであろうが....はっきりとは判らない.資料を見ると本尊は不動明王,観世音菩薩,阿弥陀如来,薬師如来,地蔵菩薩と五体もあるらしく,これには驚く.


第37番 岩本寺本堂天井画

第37番 岩本寺本堂天井画

こちらが有名な岩本寺本堂天井画.顔の描かれたものは,仏画的作風ではなく,普通の人物画の表情で,優しい雰囲気だ.

なお,マリリンモンローの絵もあるとの噂があるので,一通り眺め回したが.....発見できなかった.


第37番 岩本寺の歓喜自在天お堂

岩本寺の歓喜自在天お堂

丸いお堂の周囲に『大聖歓喜自在天』を掲げてあった.中には歓喜自在天(歓喜天とも)が祀ってあるのであろう.チベットやヒマラヤの寺では普通に歓喜天を見かけるが,日本ではあまり見たことがなかった.上の五色の垂れ幕,下の金剛杵などと相まって,チベット密教と関わり深いのかな~と思われた.


第37番 岩本寺大師堂

第37番 岩本寺大師堂

岩本寺大師堂もまたコンパクトな造りだ.正面には鈴に繋がる金剛杵が用意されている.

そしてここをお参りし,客殿の一画にある納経所を訪れた.


中村街道後半

中村街道沿いカフェでまた食事

中村街道沿いカフェでまた食事

さて岩本寺参拝が終わると,また中村街道へ戻り,街道後半歩きに入った.少し行くと,大きな水車の,多分レストランがあった.店構えが立派なだけに入ってみたい気もするが,朝おにぎり,その後うどん,と食べたのでいいか....


中村街道後半もどんどん行く

中村街道後半もどんどん行く

後半も特段変わりない眺めの中をひたすら歩いた.それでも明るい陽射しの田園や,色づく木立は心和ませてくれるものがある.


遍路山道

ちょっと行き過ぎて戻り,遍路山道に入る

ちょっと行き過ぎて戻り,遍路山道に入る

マップで,少し行くと遍路山道に入る筈だ,と道標の見逃しなきよう気を付けて歩いていた,つもりだった.でもやっぱり見逃して行き過ぎていた.そしてようやく気付き,遍路山道入り口まで戻り,そこに入る.

入ったところはまだ山ではなく,住宅もあるが,道は路地状で注意が必要だ.


さて山道に入る

さて山道に入る

寂しげな山道に入っていった.周囲には人っ子一人居ないし,この先で会うことも絶対なさそうな雰囲気だ.これほど寂しげなトレイルはこれが初めてだ.

ただ路面は乾いているし,それなりに陽も射しているので,少なくともこの時間帯は問題ない.


タルチョーが架かる

タルチョーが架かる

山道にはチベット文字の記された五色のタルチョーが架かっていた.チベット,いや木が多いのでネパールヒマラヤであまり高くない2,3000m辺りの景色のようだ.


間違えて手前で中村街道に降りてしまう

間違えて手前で中村街道に降りてしまう

山道は中村街道のS字状部分を$字の縦線のように縦断するつもりだった.だが分岐点で片側を見落としたのであろうか,(一方の)矢印に従って歩くと,中村街道に降りてしまった.場所はトンネル出口で,ちょうど S字の中ほどになる.

またも間違えてくやしい.


民宿弘田

中村街道を延々と曲がりながら南下

中村街道を延々と曲がりながら南下

中村街道に間違えて降りたので,S字後半を延々と曲がりながら南下した.深い谷の上に高い橋脚を立て,そこに橋梁を渡している.難工事だったと思うが,大した技術だ.


民宿弘田に到着

民宿弘田に到着

中村街道を進み戸数の多い集落に入った.そしてその集落を進み,終わり頃に至り,民宿弘田さんが見つかった.

着くとご主人が部屋や洗濯場,お手洗い,お風呂,食事の間...など案内してくれた.

ご主人は元々ここの育ちだが,長いこと高知市で暮らし,仕事をしていたが,ここで暮らしていたご兄弟やその家族が亡くなったり,また引っ越し空き家になったので戻ったそうだ.大きなお家で,8部屋も余っているので民宿を始めたそうだ.


民宿弘田の客室

民宿弘田の客室

案内された客室は畳の和室で,ベッドが置かれていた.エアコンの効きが悪いからと電気毛布が置かれ,寝る時は温度を低目にし,火傷に注意を,ということだ.

隣は元はキッチンのようで,シンクや水道を備えていた.


民宿弘田の夕食

民宿弘田の夕食

食事の間に行き,ご主人と話を交わしながら夕食を頂いた.食事内容は普段ご主人の食べているものを多めに作り,そのまま出してくれたような感じだ.ビールも瓶ではなく,缶だ.


ということで気さくなご主人だが,やや一般向きではないところもあるかも知れない.

さて明日もまた中村街道から歩き続けるか.



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