この遍路10日目編では,2017年11月9日民宿ロッジおざきで朝食後出発,夫婦岩辺りを過ぎ,室戸岬ビシャコ岩を通り,御厨人窟を眺め,第24番 最御崎寺に上り参拝,直ぐ近くの室戸岬灯台を眺めて下り,次いで第25番 津照寺に至り,さらに第26番 金剛頂寺をお参りし,遍路宿蔵空間茶館に宿ったときの写真を載せました.
11月9日朝となった.民宿ロッジおざきで朝食を頂いた.そしてお接待のおにぎり(ランチ用)をもらい,女将さんの見送りでお暇した.ありがとうございました.
ついでに私たちも写してもらった.まだ色温度の低い朝日の下で,顔色が美顔モードで撮ったようにきれいに写っている.
Kさんにはこの先もいい宿の手配,若しくはいつも me too と紹介して頂いた.感謝してます.
おざきさんから歩き始め,太平洋から昇る朝日を眺める.やはり晴れた朝はいいな~
若干西に来たためか,日の昇る時間が遅くなったであろうか?まあ気のせいの範囲かな.
道標があった.第24番 最御崎寺まで17kmと出ている.4時間半くらい,お昼前に到着かな.
高知まで98kmとも記されている.大分先だが,何れそこまで歩く,遠いな~
岩場の海岸となり,向こうには岩峰が見えてきた.岩峰の中のどれか2峰は夫婦岩ということだ.荒々しい光景の中で,夫婦とは和やかさを感じさせる響きだ.
夫婦岩の前になった.しめ縄が架けられている.しめ縄がないとどの2峰が夫婦なのか判断しかねるので結んでくれたのだ(と思う)
なお読みは『みょうといわ』が正しいようだ.
前日と違って晴れてくれて嬉しい.カッパも傘も要らないので快適だ.海の色も鮮やかで海岸はインスタ映えとまではいかないが,結構きれいだ,と自賛してみる.
国道55線の遍路道はどこまでも続く.所々に民家があり,畑がある.
でもコンビニは絶対にない.ロッジおざきの女将さんに頂いたおにぎりだけが頼りだ.
そのうちに『室戸阿南海岸国定公園室戸岬ビシャコ岩』に至った.逆三角形の頂点ではなく,その手前である.まあ岬の範囲ではあろう.写真中ほど,海から黒く突き出た岩がビシャコ岩ということだ.
ビシャコ岩は大昔マグマの移動や回転,地表への吹き出しで......難しいので判らない.
で,ビシャコについては依然不明ながら,伝えられるところ,その昔,この近くにはおさごさんという絶世の美女が住んでいた.あまりの美しさに多くの男どもが朝に夕にここに舟を漕ぎ寄せ,彼女に迫ったという.しかしおさごさんはその煩しさに耐えかね,次の世は美女に生まれないよう祈りながらビシャコ岩から身を投じたそうな.美女は美女なりの苦労があるのですね~
55線遍路道を歩いてくると,上記ビシャコ岩の近くの丘中腹に白い大きな弘法大師像が見えてきた.真っ白いので立てられたのは最近なのであろうか.
近くになると弘法大師像は仁王さまに守られた参道の石段先に立てられている.また石段脇にはお堂も建てられている.
ここ全体は御厨人窟(みくろど)と称され,番外札所の一つらしい.
大師像の横には,弘法大師修行の地御厨人窟と刻まれた石柱,そしてその先の柵越しに2つの洞窟が見えた.
平安初期,当時青年弘法大師がこの洞窟に居住し,修行したそうだ.そしてこの洞窟から見える風景は空と海のみで,そこから『空海』の法名を得たそうである.なるほど空海とはそういうことだったのだ.
2つの洞窟のうち左側が御厨人窟と呼ばれるようだ.ちょっと不思議なのだがここには鳥居が据えられている.鳥居と言えば神道の.....という固定観念があるのだが.....
なお右の洞窟は神明窟と称され,こちらにもちゃんと鳥居があった.
御厨人窟から先に行くとたくさんの地蔵さんが並んでいた.水掛け地蔵と呼ばれるようだ.弘法大師が有縁無縁の仏の菩提を弔うために建立したそうだ.現在ここには250体もの石像があるそうだ.最御崎寺も近いようである.
舗装道路から緩やかな上りの小路に入った.第24番 最御崎寺への道で,ようやく遍路道らしくなった.
途中捻岩(ねじりいわ)との標識があった.面白い名称だ.でもしげしげと傍らの岩を眺めてみたが特段捻じれたようには見えない.....
傍の説明書きには,弘法大師が念仏を唱えて祈念し,異変をおさめたと伝えられている,と記されている.異変とこの岩が関係しているのか?ますます解らなくなった....(←細かいことに拘り過ぎ,未熟だ)
参道の上に至ると第24番 最御崎寺山門に到着した.山門は楼門形式の落ち着いた色合いで,両側に仁王像が祀られている.
山門で一礼し,最御崎寺境内に入った.
正面の白く飛んでしまった屋根が本堂,左手前が大師堂だ.境内は緑豊かだ.
中程のピンク,一層目が四角柱,上層が円筒の建物は多宝塔だが,その手前は不明.しかし木製の角錐の上にこれまた角錐を天地逆にして重ねたような造形が面白い.ユニークだ.
最御崎寺本堂をアップするとこんな風に見える.庇が長く随分広い屋根が特徴的だ.
先ずはここで久しぶりに般若心経を読み,次に大師堂でまた読み,そして納経所に行った.
お参りが済むとちょうどお昼時であった.この写真を見ると最御崎寺境内には適当なベンチは無かったようで,多分敷石に座り,砂利の上にロッジおざきで頂いたおにぎりを広げた.
たくあん付きおにぎりにはフルーツのデザートも添えてあった.ありがたく頂戴します.
室戸岬灯台は第24番 最御崎寺の直ぐ近く,目と鼻の先である.そこで立ち寄ってみた.
先ずは白い円柱本体の頂に設けられた青いガラスのフレネルレンズに目が行く.直径2.6mもあるそうだ.この色からすると光学ガラスではなく,普通の板ガラス,但し耐熱性の,などと同じ素材かも知れない.フレネルとは言え,この大きさなら相当重さがありそうだ.
歴史を紐解くと,当灯台は1899年(明治32年)に初点灯され,光源は石油ランプだったそうだ.そして大正期に電灯になり,1953年(昭和28年)日本最初に電動回転駆動が採用されたそうだ.それまではスタティックだったのでしょうか,それとも人力で回転させたのでしょうか?
室戸岬灯台から最御崎寺脇を通り下りにかかった.この辺りには同寺の駐車場があり,車遍路の人は下からここまで往復できる.
下山路からは太平洋を前にした室戸市中心部を望むことができる.なかなかいい眺めだ.
この道は車が上り降りできる傾斜で,いろは坂のようにカーブを繰り返しながらどんどん下る.そして元の国道55号線に合流する.
さて最御崎寺から国道55号線に出ると,それまでとは逆にどんどん北上することになるのだが,北上まもなくのところ,そして室戸市の一部であろう町に面して港があった.室戸港と呼ぶのだろうか.
港は堤防に囲まれ,波一つ立たず静かだ.そして漁を待つ小型漁船が多数係留されている.
上漁港からさらに北に行くとまた漁港があった.こちらも室戸港か?いや室津港との名があるそうだ.
それはそれとしてこの辺りは建物が密集しており,室戸市中心のようだ.また目指す第25番 津照寺は間もないようだ.
港脇から横に入るとそこが第25番 津照寺参道だった.先方には実に簡素な造りの山門が建てられている.これほど簡素だと,勢力拡大とか世俗的考えを一切排し,仏道一筋に徹してきたのでは,と歴史の重みが感じられるような気がする.
そして山門背後に石段があり,その上部にピンクの,滅多に見ることのない二重門タイプ二層建物が見える.鐘楼門だそうだ.
さて山門をくぐり,石段に向かう.そして石段を歩くと,なかなかどうして急である.こけては大変なので,ここは当然真ん中の手摺に掴まりながら上った.
鐘楼門に着いても鐘は突かなかった.密集した民家があるから....ということではなく,大体略式参拝にしているのだ.有り体に言えばいい加減と云うことだ.
鐘楼門の後には曲がった斜め位置にまた石段があり,津照寺本堂に連なる.本堂前の庭は狭く,引きが効かない.よって玄関先だけが写った.津照寺境内は早い話が狭くまとまっており,前述の簡素な山門と相まって何となく庶民的な印象を受ける.
狭いのにここは混んでいた.狭いのが主原因ではなく,たまたま大勢の参拝者がいたのだ.ここは頑張ってお参りしよう.
次に参拝したのが,石段を下ったところにある大師堂.こちらの方が少し広い.広いのだがなかなか盛況というか,混み合っておりろうそくやお線香を灯すのはままならなかった.
大師堂参拝のとき,本堂同様大勢の参拝者が周りに居られた.付けていたバッチからすると大きな旅行会社の遍路ツアー団体のようだ.皆さんは先達に続いて経を唱えるに,パーカッションの音に合わせて実にテンポよく上手に唱える.大したもんだ.
対照的に著しく下手な私は隅の方で,ゴニョゴニョと小声で済ました.
納経所はこの近くに位置しており,密やかに参拝が終わるとそちらに足を運び,朱印と墨書きを頂戴した.
さて大繁盛の第25番 津照寺を後に第26番 金剛頂寺に向かった.津照寺を出たところ直ぐに魚屋さんがあった.漁港が近いだけあって普段見ないような様々な魚も並んでいる.近年魚は専らスーパーマーケットの魚売り場で買うものとなり,こうした鮮魚店はあまり見かけなくなった.大げさかも知れないが少し懐かしさを覚えた.
津照寺前の商店街,そして住宅街を抜けて,また国道55号線遍路道へと向かった.これを北上し次は第26番 金剛頂寺へと向かうのだ.
住宅街を出た所にかめが載ったバス停があった.奈良師かめたろう,と表札が掛かっている.奈良師はこの辺りの地名のようだが,はてかめたろうとは何であろう?ようく解らないが豪快で,インパクトあるかめさんだ.
道標が有り,津照寺から3km,金剛頂寺へ3kmと記されている.ちょうど中間に来たわけだ.これならあと一時間足らずで第26番 金剛頂寺到着であろう.
話は飛ぶが,ついでの徳島県庁から137kmと云うのも見える.その辺りを通過したのは遍路5日目のことであるから,5日も前のことになる.以来結構歩いたものだ.
徳島県に引き続き,ここ高知県でもコスモス畑をよく見かける.写真のように広いのも稀ではない.栽培に至ったのには諸事情あろうが,通り過ぎる旅行者にとっては嬉しい限りだ.
途中から国道55号線から北に逸れ,兎追うかの山,小鮒釣るかの川....のような景観になった.まあ実際はそんな悠長な生活は現在無いであろうが....それはそれとして.
第26番 金剛頂寺まで0.6kmの標識があった.さてこれからは山道に入るかな.
標識から間もなく第26番 金剛頂寺への山道,とは言っても非舗装の小路程度であるが,になった.爽やかな道で気持ちがいい.
そして石段を上り仁王門に着いた.前面に大わらじがあって,仁王さまは背後だ.これまで見てきた仁王門は概ね仁王さまの後ろに大わらじが配されていた.いろいろ流儀があるのだな~
それとここの仁王門は先の第25番 津照寺仁王門ほどまでとは言えないまでも,かなりシンプルな建築で,これまた好ましい.
仁王門の先深くには立派な本堂が建てられている.入り口に幅広の階段を備えた堂々とした建築だ.
手前左の弘法大師像はよく見られる巡礼スタイルと違って,網代笠(深編笠)はかぶらず,細い金剛杖と数珠は手にしているが,椀は持っていない.これまで見てきたものは青年期巡礼中の姿で,こちらはその後の姿でしょうか.興味深い.
大師堂近くにあったお堂で,『がん封じ乃椿』,『がん封じの椿御霊木』などと記されている.厚生労働省とか消費者庁とかから怒られないか?大丈夫こちらは1200年の歴史がある......とかでOKの筈だ.
椿御霊木の近くに大師堂があった.お堂には回廊が巡らわされているが,華美さのないシンプルなデザインだ.本堂に続いて経を読み,納経所に行く.
納経所では女性の担当者が朱印と墨書きの後,お接待ですとみかんを納経帳に添えてくれて,皮はその辺の林に捨てていいですよ,と言われたのだが.....いや,別のお寺だったかな....? 普通ゴミ箱がないし,みかんの皮限定で境内林ならOKというわけだ.
納経を終えた頃金沢のUさんと再会した.ザックを宿に置いて,ここに上がったそうだ.そして同じタイミングで下り始めた.ザックがないと楽でいいですね~
金剛頂寺からは下り一方のちょっとした山道だ.勾配はきつくなく,階段もないのでどどどどーと下る.
金剛頂寺から下りきると,分離帯にハイビスカスやヤシの木の茂る通りになった.こうした植物はこれまでも所々にあったが,この日は晴れた空を背景に映える.土佐はやはり南国だな~
バナナの木も植えられている.木だけなら関東でも見かけるが,ここのは小さいながら僅か実を付けている.大きくはならないようだ.
後で第36番 青瀧寺先,民宿なずなの女将さんにお聞きしたのだが,南国土佐広しと言えどもバナナが実を結ぶのは室戸岬西海岸この辺りだけなのだそうだ.な~るほど.微妙に気象条件が合っているのでしょうか.
さて陽が低くなった.赤みが射し,影の長くなった国道55号線を北上した.目指す遍路宿蔵空間茶館は近いであろう.
遍路道はやがて室戸市吉良川町(きらがわちょう)に入ってきた.白壁の中ほどに屋根状庇のある特異な構造の蔵や,同じような壁庇を持つ立派な町家,それに石や焼き物と漆喰造りの塀が並んでいる.
後で遍路宿蔵空間茶館のご主人に聞くのだが,吉良川町は古来より木材や薪などの集積地で,明治時代より近郊で備長炭が生産され,大正の頃になると日本を代表する高品質炭として有名になり,これを扱う問屋(商社ですな)は大いに栄え,そして立派な家や蔵がどんどん建てられた,ということだ.なお現在こうした街並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているという.
遍路宿蔵空間茶館に到着した.先ずは門を潜り,中庭で荷物を下ろし,テーブルでお茶を頂く.
中庭はパティオといった感覚より広く,周囲には多数の古い居宅やお風呂場,複数の蔵など囲むように建てられている
なお本宿は茶館と名乗るように,炭(備長炭でしょう)火焙煎コーヒーも売りの一つで,Kさんはこれを大いに楽しみにしていたが,あいにくこの日はコーヒーは休みの日だそうでとても落胆,ただ明朝食後に出してくれるということで少し回復か.
このアングルだけで,2棟の蔵が見える.凄いものだ.右側蔵白壁には前述の屋根状庇が見える.これは高知県に入り他でも見かけた.ご主人に訊くと,この地方は雨と風が同時に来ることが多く,壁上部に雨が吹き続けられると,それが下方に集中して流れ,僅かなクラックでもあるとそこに染み込み,やがて剥離させるという.
張出し庇を設けることで,上部への横殴り雨は,下まで流れず,横に落下するので剥離被害はかなり防げる,ということだ.
女将さんが幾つもある居宅の中の一棟の中の一室に案内してくれた.何となく時代劇の登場人物になったような雰囲気だ.
歩くと床がきしみ,若干柱が傾き,窓に隙間ができている.多分100年以上の歴史があるであろう,時の移ろいの中のほんの一時期に自分も居るのだな~などと思う.
なおKさんはずばり蔵二階の間で,とても静かだったが,階段が梯子のように急だったらしい.
中庭を通り離れに洗面洗濯設備は男女それぞれ一組づつ備えられていた.そしていつものように洗濯を始める.
ひゃ~風呂桶だ,こりゃまた時代劇のようだ.なかなか気合の入った演出だ.
風呂桶と言っても,フロンターレの選手が掲げるボウルサイズの風呂桶ではなく,バスタブなので大きい.なお湯は普通の自動混合栓で注ぐので,無問題だ.
さてこの浴室は写真のように全面ガラス窓でブラインドとかなく,開放的だ.でも窓の外は公道とか,他家屋敷とかではなく,当家庭の範囲.半ば露天風呂的味わいか.なお女湯も同じような造りだそうだ.
築120年の米倉をリニューアルし,ライブハウスを兼ねたカフェに仕上げたそうだ.片端ステージにはギターやベース,シンセサイザー,ピアノ....いろいろ揃えてある.古いオープンリールテープデッキなどは見るだけで懐かしさを覚える.
ご夫妻とも音楽好きで,自ら演奏されるそうだ.特に外国人客は乗りやすく,互いに演奏し,楽しむ機会があるそうだ.先日ある放送局のライブ収録が行われたそうだ.ただご夫妻はテレビを持たない生活で,どんな風に放送されたか解らないそうだ.
ステージ前には食卓が並び,そしてステージと逆端にはキッチンが設けてある.
さて夕食時になり,遍路客合わせて4人がカフェ食卓に着いた.まずご主人がご自身と客の紹介を行った.遍路客互いの御縁を大切にしている表れだ.
ご主人は元勤めており,転勤族だったそうだ.一時期私の住む街の何駅か先での滞在期もあり,驚く.やがてあちこち動き廻るのもどうか....腰を据えてみようか,となり,ここ吉良川町に戻りカフェを,そして後に遍路宿も始めたそうだ.
奈良の男性は区切り遍路中で,阪神ファンでもあり,現在近くでトレーニングキャンプ中で,そこへの訪問も楽しみにしているそうだ.ビールと冷酒(日本酒)も好みで,グイグイすごいスピードで飲み干す.
札幌の男性は気温に敏感だ.生まれと育ちが沖縄だが,暑いのが嫌いで,やがて関東で暮らすようになったそうだ.一時期私の住む3つ先駅の事業所に務めたこともあるそうで驚く.でも関東もまだ暑過ぎるそうで,定年に達すると直ちに札幌に移住したそうだ.ただそれで100%満足ではないそうで,皆から,次はサハリンですね,などと囃されている.
さてそして並べて頂いた夕食はカレーなど,これまでの遍路食とは一線を画するもので,美味しかった.ごちそうさまでした.