遍路5日目(2017年11月4日)Pilgrimage day 5

この遍路5日目編では,2017年11月4日,名西旅館花で朝を迎え,朝食後前日参拝した第16番 観音寺まで車で届けてもらう.そしてそこから歩き始め第17番 井戸寺でお参り,徳島市を長い距離歩いて抜け,第18番 恩山寺,第19番 立江寺と順次達し,民宿鮒の里に宿泊したときの写真を載せました.

遍路5日目周辺マップと札所


 

名西旅館花の朝

名西旅館花で朝食

名西旅館花で朝食

11月4日となり名西旅館花で朝食を頂いた.私はSさんと一緒に食べ,前日の到達点/今日のスタート点第16番 観音寺まで車で送ってもらうことになった.

花では私たち以外2組みの車遍路のお客さんが食事をした.一組の方は長崎からで十数回目だという.いや~随分多いですね~


第16番 観音寺まで送ってもらう

第16番 観音寺まで送ってもらう

朝食が済み,花のご主人に第16番 観音寺まで送ってもらう.朝の農道は殆ど通行がなく静かだ.


第16番 観音寺山門前に到着

第16番 観音寺山門前に到着

車は観音寺山門前に到着した.ありがとうございました.

光耀山の文字が架かる山門を再び眺めると,垂木等に細かな彫刻が施され,凝った構造だ.ここは軽く会釈して歩き始めた.


観音寺のある通り

観音寺のある通り

観音寺の面する通りは本来商店街で,古い町家なども見える.ただここも寂れた感じで,営業しているのかどうか判り難い店舗や,はっきり閉じてしまった建物も見える.


第17番 瑠璃山 真福院 井戸寺(るりざん しんぷくいん いどじ)

途中大きな神社を通過

途中大きな神社を通過

Sさんと一緒に歩いている途中,随分大きな境内のある神社を通過した.大木が育ち,お堀のような池も備えフラットな庭だ.一昔前であれば子供の野球遊びなどに活用されたであろうが,近年の子はそうしたアウトドア遊びはやらないのでもったいないような.


農道の遍路道を行く

農道の遍路道を行く

しばらく農道の遍路道を行った.いい道だ.この日は降らないとの天気予報だったが,僅かにぱらつくことがある.この程度に留まってくれれば問題ないが.


JR徳島線を越える

JR徳島線を越える

井戸寺はJR徳島線の北側にあり,これを越えた.写真のように単線で,また編成車両数は少ない.徳島県内のみ走るローカル線だが徳島市への通勤や通学に多く利用されているのではなかろうか.


朱色の第17番 井戸寺仁王門に着く

朱色の第17番 井戸寺仁王門に着く

井戸寺仁王門に着いた.一層構造朱塗りのシンプルな建築だ.朱の梁に描かれた吉祥雲が目立つ.チベット寺院などでは雲は吉祥の印としてよく見かけるが,これまで1番から16番の札所寺ではあまり意識しなかった.あってもここのように赤地に白といった目立つ配色でなかったためであろうか.


第17番 井戸寺本堂

第17番 井戸寺本堂

山門を抜けるとその先奥まった位置に本堂があった.手前手水場で清め,本堂にお参りする.


第17番 井戸寺本堂脇の大師像

第17番 井戸寺本堂脇の大師像

井戸寺本堂脇には弘法大師像があった.大師堂とは中央通りを挟んで斜向いに立てられている.お堂や像の配置は寺によって皆異なっているところがおもしろい.


再びJR徳島線を跨ぐ

再びJR徳島線を跨ぐ

参拝が済み,同じ道ではないが再びJR徳島線を跨ぎ,徳島市市街地の方向に向かった.Sさんは今日市街地のホテルを予約したそうだし,私の行く予定の第18番 恩山寺,第19番 立江寺,民宿鮒の里への一ルートでもあるためだ.


徳島市を抜ける

鮎喰川の橋を越える

鮎喰川の橋を越える

JR徳島線を越えると国道192号線に出て,以降これを暫く東に進む.

そして少し進んだ先には大きな橋が架かり,ここを越える.川は前日の行程で幾度となく眺めた鮎喰川の下流である.土手の間隔は随分と広くなっており,河川敷には野菜など栽培されている.


徳島市を抜ける

徳島市街地に入る

192号線は伊予街道の名もあり,そのまま徳島市街地を突っ切る主要道となっているようだ.この周りには公的機関や,病院,大学など目立つ.

Sさんのホテルもこの辺りであった.Sさんは一旦そこに荷を置き,第18番 恩山寺に出かけるということで,また会うかもしれないが一旦お別れした.(実際足の速いSさんには恩山寺手前で追いつかれた)


お城のような病院

お城のような病院

暫く行くとお城のようなものが見えた.これは和式旅館かな~と思いながら,近づくと,なんと病院だった.病院にしては意表を突くデザインですな.


国道438号線を南下し牟岐線を跨ぐ

国道438号線を南下しJR牟岐線を跨ぐ

一番の繁華街を越え,その縁辺りに近づくと国道438号線に折れ,南下した.

そして途中国道55号線に移るべく,JR牟岐線(むぎせん)を跨いだ.遍路初日にも出合った高徳線とは別の線路だ.


JR牟岐線は気動車

JR牟岐線は気動車

JR牟岐線(むぎせん)は短い編成の気動車のようだ.JR四国はこうしたローカル線だけの運行であろうし,しかも他の私鉄も走っているので経営的には大変であろう.ただ住民には愛されているであろう.


ひたすら国道55号線を下る

ひたすら国道55号線を下る

国道55号線に入るとひたすらこれを南下した.遍路道の趣きは殆ど感じられないが,まあこんなものであろう.


第18番 母養山 宝樹院 恩山寺(ぼようざん ほうじゅいん おんざんじ)

大きな川と交わる

大きな川と交わる

そのうち国道55号線は大きな川,勝浦川と交わった.二級河川だそうだが,それにしては豊かな流れだ.


ラーメンの昼食

ラーメンの昼食

国道55号線遍路道は味気ないが,大きな街道であるため食べ物屋やコンビニはあちこちにあり,飢える心配はない.

ラーメン屋の前に来たので入る.店長推薦『鶏チャーシュー』ラーメンと,怪しげなラーメンを食べてみた.やはり鶏チャーシューなど称する(早い話詐称)得体の知れないものはそれなりだ.まあ店内で座って食べることができたからいいとしよう.


国道55号線は続く

国道55号線は続く

国道55号線はどこまでも続いた.しかし歩道が付いており歩くにもいい道だとは思う.

そしてどんどん南下するとやがて土佐浜街道分岐点に至り,そちらに向かった.遍路道はそれまでの街道と較べて圧倒的に静かだ.

そして確かこのあたりでSさんがやって来て,一緒に歩いた.やはりSさんは足が速い.


第18番 恩山寺仁王門

第18番 恩山寺仁王門

土佐浜街道を少し下るとそのうち,第18番 恩山寺に行く遍路道の案内がありその通り歩く.

静かな遍路道を行くと簡素で幾らか古びた仁王門があった.これまでの仁王門と較べて慎ましやかだがれっきとした第18番 恩山寺仁王門のようだ.古い山寺のような雰囲気がいい.


第18番 恩山寺仁王門のビランジュ(毘蘭樹)

恩山寺仁王門のビランジュ(毘蘭樹)

恩山寺仁王門をくぐったところにはこのような赤い樹皮でたいへん目立つ大木があった.私には初めてお目にかかる木だ.

傍らの説明書きによれば,天然記念物恩山寺ビランジュで,桜と同族の常緑樹だそうだ.灰白色の樹皮があるのだが,絶えず古い樹皮がうろこ状に剥がれ落ち,このような赤い幹肌を現すという.この様子が博打に負けて衣を剥がされるようであることからバクチノキ(博打の木)とも呼ばれるそうだ.

ビランジュ説明書き横には恩山寺案内石柱があり,ここより500m先の山中にある恩山寺.....と刻まれている.仁王門から随分遠く,山中とあるからにはやはり山寺だ.


第18番 恩山寺本堂と大師堂

第18番 恩山寺本堂と大師堂

さて山門から500m歩き恩山寺境内に入った.正面階段の上の銅板葺き建屋が本堂で,やはり山寺の雰囲気が漂う.もちろん個人的語感の評価だが.

また手前大師像の左に建つのが大師堂である.両者参拝した後,右側の納経所に行く.


第18番 恩山寺地蔵堂の釈迦像とお地蔵様

地蔵堂の釈迦像とお地蔵様

恩山寺には地蔵堂があり,ここにはお釈迦様の坐像と背後にお地蔵様が並んでいた.柔らかな雰囲気の立体で,塑像に漆喰を塗り彩色したように見える.実際は木に彩色かな~

他にも,細かく彩色されたブッダ十大弟子の像も並んでいた.


義経ドリームロード

義経ドリームロード

義経が戦いで屋島(現高松市)に向かって進軍した街道で,義経が大阪から風雨の中たどり着き,軍船を集めた起点から小松島市内の義経ゆかりの地を結ぶ約10kmを義経ドリームロードと名付け,観光振興に活用しているようだ.

義経が小松島の海岸に上陸して屋島に攻め入るまで高々1日の出来事だそうだが,それにしては弦張坂,弦巻坂,旗山,くらかけの岩,天馬岩,弁慶の岩屋....など義経にまつわる伝説の場所がやたら多く残るそうだ.まあ弘法大師縁の地や言い伝えがそれこそ無数にあるのと同じことであろう.

そしてこの辺りでSさんとお別れした.近くの駅から列車で徳島市のホテルに戻り,明朝その駅まで舞い戻り,歩き再開という.どうぞお気を付けて.


第19番 橋池山 摩尼院 立江寺(きょうちざん まにいん たつえじ)

民家の柿は見事

民家の柿は見事

義経ドリームロード辺りでまた土佐浜街道を南に歩き,幾つかの住宅街を通過した.住宅の庭には色鮮やかな柿がたわわに実っている.いかにも日本的な風景だ.


遍路標識

遍路標識

第18番 恩山寺は右に3.1km,第19番 立江寺は左に1.3kmと大変わかり易い遍路標識に出合った.

標識の左には小さなお堂が建ち,そしてそこは徳島バスのバス停の看板が出ている.バスはあまり見かけないし,看板の運行時刻表を見ても頻度は疎らなようだ.


ヘンロ小屋京塚庵第四八号

ヘンロ小屋京塚庵第四八号

合掌をモチーフにしたというデザインで,ヘンロ小屋京塚庵第四八号と名付けられた遍路小屋があった.

脇にはお京塚という塚が祀られている.お京さんは石見国(島根県)出身,大阪で芸妓をしていて,要助と結婚するが,鍛冶屋長蔵と不倫関係になり,要助を殺したそうだ.だがその咎めの念は消えず,お京と長蔵は罪滅ぼしにと四国遍路に出た.やがてこの直ぐ近く第19番立江寺まできたところ、お京の黒髪が逆立ち釣り鐘の緒に巻き上げられた.お京は立江寺住職にことの次第を告白し,懺悔したところ,頭部の皮が剥がれ,黒髪もろとも鉦の緒に残り,命だけは助かったそうな.お京は出家得度し,この地に庵を建て,1803年その生涯を閉じたそうだ.

でも京塚庵第四八号とはどういうことだ?京塚庵が四八箇所もあるということか?

そしてそれ以来,立江寺は阿波の関所寺と言われ,罪深い人はここから進めなくなるといわれているそうな.


一旦民宿鮒の里に着く

一旦民宿鮒の里に着く

第19番 立江寺は予約してある民宿鮒の里の先にある.だがこの時は無人で入り口には『荷物を置き,立江寺の先に行けば....云々』との伝言が掲げられている.ただどういった意味か理解できない.(後で聞くと,名西旅館花同様,先まで行けば車でそこでピックアップし,翌日そこに届けるとのことだった)

伝言の意味がよく分からなかったが,ザックは置いて立江寺に行くことにした.


立江川を渡る

立江川を渡る

ザックを置いて身軽になって一旦鮒の里を離れる.そして少し南に来ると,歩いた道と並行して流れる立江川に架かる橋方向に曲がった.立江川は相当川幅があり,橋は朱塗りの欄干で,片側には歩道も備えている.

立江川の流れはこれまで見た徳島の他川同様きれいだ.


第19番 立江寺に至る

第19番 立江寺に至る

橋を渡り,そのまま行くと程なく立江寺の表札の架かる入り口となった.ただここは山門ではなくお勝手口のようだ.


第19番 立江寺山門

第19番 立江寺山門

ということで境内に入った後,山門を探してその脇を出て入り直した.山門は楼門形式の一般的タイプだ.


第19番 立江寺山門の仁王さまと大わらじ

第19番 立江寺山門の仁王さまと大わらじ

山門(仁王門)の仁王さまとその脇に大わらじが納められている.ここだけでなく他の札所仁王門でも大わらじを見るが,仁王さまの力の象徴として魔を退け,また仁王さまのように筋肉隆々の健脚になることを祈念して奉納されるものらしい.


第19番 立江寺本堂

第19番 立江寺本堂

こちらが本堂で随所に繊細な彫刻が施されている.お堂前には香炉や燭台,賽銭箱,納札入れ等が並んでいるのは他と同様である.

本尊は延命地蔵菩薩で,天平19年(AD747年)行基菩薩の開基ということだが,既にその頃から菩薩だったのでしょうか.....資料を見ると,実際当時人民の支持は圧倒的で,人々は行基菩薩と称えたそうである.

本堂は仁王門から入って左手に位置し,真っ直ぐ行った先に納経所が,右手に太子堂が配されている.


第19番 立江寺の手水舎,弘法大師像,多宝塔

立江寺の手水舎,弘法大師像,多宝塔

山門から直ぐのところに手水舎,弘法大師像,多宝塔が並んでいる.大師像はブロンズ像だが,白い布の脚絆(ゲーター/スパッツ)を纏っている.

ということでここで手と口を清め,左の本堂をお参り,右の大師堂をお参り,奥の納経所に行き,今日の参拝は全て終えた.


民宿鮒の里

民宿鮒の里に戻る

民宿鮒の里に戻る

さて同じ道を辿り民宿鮒の里に戻った.しかしまだ無人であった.そして少し待つうちに,喪服姿のご主人が車で帰ってこられた.急に法事があったのだそうだ.そして客室に案内してくれて,お風呂は直ぐ沸かすので,先ずランドリーをどうぞと案内してもらう.

2階の部屋に入り眺めると立江川が直ぐ目の前だ.そして対岸には畑が広がっている.

ご主人は元々大工で,この民宿建屋も自ら建設したそうで,吹き抜け屋根のダイニングルームは広々している.客室も上部に天井がなく繋がった構造だ.太い柱や梁が使われているが,それほど上等な木材ではないですよ,とおっしゃる.エアコンの効きが悪くないですか?と訊くと,このダイニングいろりの熱や隣のキッチンの熱が吹き抜けを通り,2階各部屋に暖気を供給するのです,ということだ.

鮒の里の名称は,子どもたちに鮒を育てたり,また放流したりして鮒に親しむ指導を行ってきたそうで,そのリーダー役を務めていたことから名付けたそうだ.


民宿鮒の里の夕食

民宿鮒の里の夕食

洗濯もお風呂も済み,夕食になった.先ずは私と,初めてお会いする大阪のKさんとがこの囲炉裏のようなテーブル席に座った.少し遅れて到着した板橋の女性二人組は後に座った.

お刺身に煮物,焼き椎茸(写真中央)などに加え,お宿特有の果実(名前は失念)酒を食前酒ですと添えて貰った.食前酒としてはちょっと甘いが美味でお代わりした.美味しそうに飲むので,マムシ酒も有りますよ,と言ってもらったが,遠慮し,ビールを持ってきてもらった.マムシ酒は非常に効くのだそうだ.

さてこうして食事を頂くと,ご主人から明日のコースや,歩行時間の説明を聞いた.明日は比較的長い上りが2箇所あり,普通第22番 平等寺まで歩くが,そこまで歩けないときは途中でも宿はあるということだ.またそのために明朝は早く出発することが肝要で,朝食は5時からとし,お昼用のおにぎりを用意しておきます,と普通と較べて一時間半くらい早い.バカに気合が入って,体育会系ムードだが,翌日実際5時から朝食,まだ未明の5時半出発(Kさんは6時)で,途中道間違いで時間ロス,宿予約を逃すなどあり,早朝出発は正解であったと思う.宿予約をちゃんと済ませてあったらもっと遅くても大丈夫だが.

ということで明日の朝は早い,お休みなさい.



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