この遍路11日目編では,2017年11月10日遍路宿蔵空間茶館で朝食後出発,羽根岬辺り,そして奈半利辺りを通過し,唐浜の宿(民宿とうの浜)に到着.ここでザックを預かってもらい,第27番 神峯寺を参拝,そして民宿とうの浜に打ち戻ったときの写真を載せました.
11月10日遍路宿蔵空間茶館で朝を迎えた.そして6時半になるとカフェに入り,朝食を頂く.遍路宿では初めてのトースト,それに炭火焙煎コーヒーで美味しかった.
いろいろお世話になった遍路宿蔵空間茶館ご夫妻のお見送りを受けながら,同宿を後にした.ありがとうございました.
蔵空間茶館を出て,吉良川町の通りを抜け,国道55号線の遍路道へと向かった.こうして改めてユニークな蔵の立ち並ぶ様子を見ると,炭取引の盛んだった時代が偲ばれる.
遍路道は太平洋沿い国道55号線となった.吉良川町蔵通りと較べていささか情緒に欠くが,まあこうした通りが圧倒的に多く占めるのだ.これも修行だ.
遍路道はやがて室戸市羽根岬エリアになった.この辺りには住宅や学校など集まっている.
でも通りには歩く人や自転車の人は殆ど見ない.殆ど車で移動するようだ.所謂車社会になったのであろうが,生活が不便になった人もあろう.
岩場の海岸になった.砂床と違って砂が舞い上がらず,水はきれいでかなり透明度が高い.
多分釣りを楽しむにもいいのでは.....プロを含めてあまり釣り人は見かけないが....針が岩に絡むなどやはり適さないのか....
そのうち室戸阿南海岸国定公園羽根岬の標識があった.上述の如くなかなか風光明媚な海岸なので,指定を受けたのであろうか.いや,阿南は徳島県なので,そこから,高知県に入り,少なくともこの辺りまでをカバーする(さらに先まで含むかも知れない)広大な範囲の国定公園のようだ.
そしてここには小さな赤い鳥居があり,その背後にはとても小さな社が祀ってあった.前日眺めたしめ縄の架かる夫婦岩のように,特別な景観の岩は崇められる伝統があるのだろう.
そして漁港があった.やはり漁の本場であるから,港が所々にあるのは当然かな.
弘法大師にまつわる足跡はあちこち頻繁に残されているが,ここもそんな霊跡の一つであろう.随分大きな石に刻まれている.
さて奈半利町に入り,桜の花になはりを記した奈半利案内板が現れた.そして下に157.5と大きく記されている.室戸市のクジラ板と同じ趣向であろう.しかも後ろの柱にはこれと同じ数値157.5が掲げられている.157.5の数値は場所によって違う.さて何だろう,ず~っと未解決なのがもどかしい.....
上述の白壁に庇屋根の建築は奈半利でも見られる.いやそれ以外にも見られ,少なくとも室戸岬の湾岸エリアではしばしば建てられるようだ.写真の建築は随分大きいが,蔵ではなく住宅のようだ.半ばお城のようである.
これは珍しい,自転車遍路用道標があった.1200mを自転車で20日で巡るとあるから,歩き遍路の半分くらい,或いはそれ以下の日数が標準的ということか.サドルの上に菅笠を添えたマークが秀逸だ.
そうか,9kmか,2時間余りであろう.上りがあるからもう少し掛かるかな.
横の白い角柱の世界平和云々は,仏語でも記されている.へえ~これもちょっと珍しいような.
奈半利の街外れに来ると,奈半利川が流れ,そこに架かる奈半利橋を渡った.2級河川だそうだが,河口に近いためか結構川幅がある.なお今歩いているのは県道12号線になるようだ.
下流側に架かる鉄橋は奈半利の少し手前まで歩いていた国道55号線(別名土佐東街道)に架かっている.
奈半利橋を渡ると田野町になる.ちょっと細かいところに来たら,手作り感あふれる道標があった.とてもうれしいことだ.
ちょっと文字が読めないのだが,大きな神社があった.鳥居の先の階段を上ったところに社が見えている.
今度は安田川を越えた.川にはやはり歩いている県道12号線の橋と,下流側に国道55号線(土佐東街道)の橋が架けられている.
渡った先は安田町で,とても分かり易い.
歩いていると,安田まちなみ交流館との看板が掛かる建物があった.まあ,市民館のようなものでしょうか.それにしては本格的な和風建築で凄いですね~
安田町の通りを北に向け歩いた.やはり巨大な伝統建築様式住宅が建っている.ただ人通りは殆どない.ちょっと寂しい.
安田町の主通りを抜け,外れになった.目指す民宿とうの浜は安田町の外れにある筈で,間もなくであろう.
私はこの工事中の交差点で,写真左側の農道に折れて進んだ.そして20分ほど歩いたであろうか,民宿とうの浜に到着した.まだチェックインタイムより早いのだが,荷物は預かってくれるという.
この頃相前後してKさんも到着していた.そしてザックを置いて,頭陀袋と水ボトルだけで行きましょうか,ということにした.ボトルはちょっと持ちにくいが,民宿とうの浜さんが小型リュックを貸して下さるということで嬉しい.
さて,第27番 神峯寺に向け歩き始めた.少し行くと道が入り組んでおり,たまたま傍を通りかかったおばさんに尋ねた.地元の人に会うのは多くないし,お教え頂きありがたい.
写真左側に架かる橋は土佐くろしお鉄道阿佐線が走っているようだ.阿佐線南端は午前中歩いて抜けた奈半利から,後日Kさんが乗る後免駅まで運行される路線のようだ.
神峯寺への遍路道は全行程緩やかな上りの舗装道路が用意されている.ただそれだけでなく,舗装道の所々にショートカットのパスが設けられている.荷物がほぼないこともあって,やはり山道の方が楽しそうだし,でもマムシも出そうだ(注意書きがある)し.....ということで,適当に秤に掛けて,時にショートカット山道を歩いた.
さて,とうの浜まで連なる長い参道から上り,第27番 神峯寺山門下の階段に立った.面白いことに神峯寺山門と隣合わせで神峯神社鳥居が建てられていた.参道上り口,おばさんにルートを訊いた辺りで,神峯寺まで3.5km,神峯神社まで3.5kmと同距離が記されていた道標の謎がこれで解けた,同じ場所だったのだ.
山門をくぐると込み入った構造の立派な建物が先ず目に入る.だがこれは本堂ではない.よく判らないが僧坊か何かだ.右手,ブルーシートの掛っているところは手水場で修理工事中だった.
修理工事中の脇には本堂への階段があり,上る.階段脇には手入れの行き届いた庭木がきれいだ.
階段の中央には手摺が設けられている.チベット仏教では特に厳密に言われる左周り(左側を歩く)の作法に従い左側を,そしてこけないように右手で手摺を握りながら上った.
階段はこれでおしまいと,思って来たら,直交する方向にまだ続いていた.だがここから望む下の眺めはなかなかだ.前述の立派な建物は京都の有名寺院を彷彿させるが如く,屋根は連続するベジェ曲線を描き,肌は滑らかだ.
さて階段上り切ると,やはり入り組んだ屋根構造の本堂が建てられていた.なかなか美しい.そしてその右には弘法大師像が立っていた.
参拝者はあまり見掛けず,先ずはここでお参りした.
本堂参拝を済ますと,同じ並びに建てられた大師堂に廻り,ここで同じようにろうそくを灯し,お線香を上げ,般若心経を唱えた.
そして山門近くの納経所に下り,印と墨書きを頂戴した.
第27番 神峯寺参拝が終わり,同じ道,殆ど舗装道,を下った.下りは速い,大した時間を要せず浜に近づいた.
浜に近づくと津波避難用建物があった.大きな津波が発生した時,ここに上り避難する場所だ.3.11で甚大な津波被害が出たことからこうした設備が整備されたようで,今回歩いた海岸沿いの道路にはいくつも見ることができた.ごく間近が震源でない限り,到達時間があるので逃げ込むことができ,とても有効な対策だと思う.
民宿とうの浜の写真がなかった.代わりに近所の写真だ.周囲は住宅が疎らで,夏のビーチリゾート的エリアのようだ.すぐ傍に地場産品直売所があり,お遍路関連物なども販売されているようだ(実際は見てないが,人伝に)
道路反対側の自販機で,コカコーラゼロがないかな~と見たが無く,代わりにコカコーラ プラス(トクホ)なるものがあって満足(気のせいだろうが,何となく)
民宿とうの浜に戻ると,洗濯にお風呂とルーティンワークだ.でもこれでほっとすると言うか,落ち着く.
さて夕食時間になり,別棟ダイニングルームに行く.既にお膳が配してあり,早速頂く.若干プアな感じであるが,まあこれが本来の巡礼食かもしれない.
そしてへんろみち保存協力会の黄色いバイブル,地図本を広げ明日の計画をKさんと話した.ここの処,何やら学会シンポや,ゴルフ大会があり,予想外に宿がいっぱいになることがあるそうで,ここはKさん頼みでおまかせさせてもらった.すみません.
ただ頼りのKさんも明後日12日には大阪に戻られるということで,以前蔵空間茶館ご主人に挙げてもらったリストから,高知市サンピアセリーズホテルに電話し,予約した.