遍路3日目(2017年11月2日)Pilgrimage day 3

この遍路3日目編では,2017年11月2日旅館吉野を出発,再び第11番 藤井寺を経て遍路ころがしトレイルに入り,長戸庵,柳水庵,一本杉庵を経て,第12番 焼山寺に至り,なべいわ荘に下山したときの写真を載せました.

遍路3日目周辺マップと札所


 

旅館吉野を出発

旅館吉野を発つ

旅館吉野を発つ

11月2日朝になった.旅館吉野で目覚め,朝食を頂戴した.そしてお昼用におむすびを頂き,出発した.

歩き遍路なので基本的に皆単独で出て,歩くのだが,朝食の終わる7時過ぎには一様に出発したと思う.

そして出発して程なく,写真の前日既に参拝した第11番 藤井寺の参道に連なる道に折れた.


再び第11番 藤井寺を訪れる

再び第11番 藤井寺を訪れる

折れてからしばし行き,再び第11番 藤井寺を訪れた.昨夕と異なり光が豊かで鮮やかに見えた.ただ前日納経が済んでいるので手を合わせて会釈する程度に留めた.現金と言えばそうかも知れない,いやそうだ.


遍路ころがし

遍路ころがしに入る

遍路ころがしに入る

藤井寺の脇から直ぐに『遍路ころがし』と称される第12番 焼山寺へ至るトレイルに入る.そりゃ転がらないように気を付けねば.


遍遍路ころがしを上る

遍路ころがしを上る

遍路ころがしトレイルは大まかには3つのピークがあり,それを上り降りするようだが,路面は概ねよく整備されていると思う.

最初は暫く上りで,ここを歩く.途中車道とクロスするので,エスケープも容易であろう.


上ったところから吉野川市方面を望む

上ったところから吉野川市方面を望む

遍路ころがしをしばし上った.そして展望の効く場所になった.望むのはどうやら吉野川市方面のようだ.

こうして眺めるとそれなりに高度を上げたのかな~と認識する.


いくらか紅葉も始まっている

いくらか紅葉も始まっている

トレイル脇の木立の様子は黙っていても目に入るのだが,時々赤や黄色に染まった葉が目に留まる.決して多くはないのだがとても美しく感じられる.多くないだけに逆に際立つのかも知れない.


遍路ころがしの丸太のベンチで休憩

丸太のベンチで休憩

丸太を石の上に横に置いたベンチがあり,ここに腰を下ろした.それにしても通りかかる人はあまりない,いや殆どないといった方が正しいか.

ただこの遍路ころがしは分岐点があまりないし,しかも道標が十分に備えられているので安心して歩ける.何らかの事情で暗くなった場合はちょっと大変であろうが.


遍路ころがし石畳の場所もあり

石畳の場所もあり

このように石畳の場所もあった.雨のときは滑り易くなると思う.


遍路ころがしで足の速いSさんが追い越して行く

足の速いSさんが追い越して行く

私より若干遅く旅館吉野を出発した同宿のSさんは,足が速いのでこの辺りで私を追い越して行った.稀に人に出会うとほっとする.この後間もなく逆打ちの青年とも行き違った.これまたほっとする材料だ.

ということで高尾山など,ハイク銀座的光景のトレイルとは対照的な静かな道であろう.


長戸庵

長戸庵に着く

長戸庵に着く

長戸庵に着いた.藤井寺より3.2km,標高440mに位置するそうだ.弘法大師が焼山寺に行く途中で最初に休憩した場所で,その休憩中に足を痛めた老人が通りかかった.そして大師が何やら念じると足の痛みが消えた.後日老人はここに仏堂を建て,弘法大師像を祀り,長戸大師堂と名付けたそうな.ちょうどいい場所だったことから長戸(ちょうど)の名が付けられたとか....アハハハ


長戸庵標高440mから眺めた平野

標高440mから眺めた平野

上述のように長戸庵は標高440mに位置し,この近くから吉野川市方面を眺めるとこんな風に見える.平野であるが周囲が山で囲われた盆地状であるようにも見える.夏は暑いかも知れない.


長戸庵の先に通せんぼもあり

通せんぼもあり

長戸庵の先に通せんぼがあった.実際は脇から跨げるので何ら問題ない.つい数日前台風が襲ったがそのときの倒木かな.


柳水庵への道標

柳水庵への道標

柳水庵への道標があった.ここから1.8km,35分だそうだ.


柳水庵

再び柳水庵への道標

再び柳水庵への道標

再び柳水庵への道標があった.ここからは1.3km,25分だそうだ.また藤井寺からは5.2km歩いてきたようである.この辺りは木漏れ日が豊かで気持ちがいい.


柳水庵手前の水場

柳水庵手前の水場

しばらく行くと水場があった.今は暑くないので手持ちの水で間に合うが,まだ暑い季節であれば大いに助かると思う.


柳水庵に着く

柳水庵に着く

さて柳水庵に着いた.標高500mに位置し,弘法大師が自身の像を刻み奉納し,それが本尊として祀られるお堂になったという.

ところで大師が巡礼中ここで休憩した際水が欲しかったのが,なかったそうだ.そこで柳の枝に念じて掘ったところ水が湧き出たそうな.仏堂に名を残すその湧水はちゃんと現存している.まあよくあるお話だとは思うが,それでは身も蓋もない.

なおこの庵には2001年まで庵主が居住していたが現在は無人ということだ.


第12番 焼山寺に向かうご夫妻

第12番 焼山寺に向かうご夫妻

柳水庵を過ぎた辺りで中年カップルを追い越した.なかなか人と会わないのでほっとする.話してみるとシカゴのご夫婦で,日本の旅行社の組んだパッケージの一部として2日間,焼山寺への当遍路ころがしルート,そして明日は大日寺ルートを歩くという.

ただ歩く速度はとてもゆっくりで,大丈夫かな~と思いながら先を行かせてもらった.

そして驚いたことになべいわ荘で同宿となり,再会した.トレイルではあの後いかがでしたか?と訊くと,途中トレイルを離れ,タクシーを呼んで,ここまで来たという.ころがしルートはそれが可能なのでいいと思う.


一本杉庵

遍路ころがし4辺りか

遍路ころがし4辺りか

遍路ころがしは3つのピークの上り降りに合わせ1番から6番まで番号が振られている.ここら辺りは4番であったか.路面はラフだが天気がいいので滑る心配は少ない.


一本杉庵への上り階段

一本杉庵への上り階段

そのうち一本杉庵と刻まれた山門と,参道である石段が現れた.段数は大したことはなく,先には大きな木が見えている.


樹高30mの杉と弘法大師像

樹高30mの杉と弘法大師像

石段を上ると杉の大木,高さ30m,周囲7.62mと,その前に弘法大師像が据えてあった.また背後には仏堂が建てられている.

ここは標高745mに位置し,本遍路ころがしルートでは一番高い部分になるそうだ.

弘法大師が今の私たち遍路同様焼山寺に向かう途中,この辺りの木(一本杉ではない)の根を枕に仮眠したそうだ.そして夢の中に阿弥陀如来が現れたそうだ.目覚めた大師は阿弥陀如来像を刻み安置し,それが本阿弥陀如来を本尊とする当一本杉庵(若しくは浄蓮庵)の建立に繋がったそうな.

またこのとき杉の木も植林し,それが現在の一本杉に成長したという.

少なくとも私は単純に焼山寺トレイルを歩くだけだが,弘法大師空海は人の怪我を癒やしたり,井戸を掘ったり,仏像を彫ったり,植林したり.....超多忙,正に修行だったわけだ.


一本杉庵(若しくは浄蓮庵)

一本杉庵(若しくは浄蓮庵)

先述の如く阿弥陀如来を本尊とする庵が建てられている.比較的新しく見えるが,多分ここも普段は無人なのではなかろうか.

なお上写真の大師像,42段の石段は1926年京都の篤志家より寄贈されたようだ.


第12番 摩廬山 正寿院 焼山寺(まろざん しょうじゅいん しょうさんじ)

第12番 焼山寺への陽の当たる道

陽の当たる道

一本杉庵を越えた辺りでは良く陽が射し,一部紅葉も見られ実に快適だ.


旅館吉野で頂いたおにぎりを頬張る

旅館吉野で頂いたおにぎりを頬張る

陽の当たるちょっとした広場があった.そしてここで腰を下ろし,旅館吉野で頂いたおにぎりを頬張る.海苔の巻かれたおにぎりにはたくあんが添えてあり,いかにも遍路食といった雰囲気だ.

これでいくらかザックが軽くなるが,その分身体が重くなっているので同じことか.いや肩の負荷は減るはずだ.


そのうち集落が見えてきた

そのうち集落が見えてきた

少し下り,そのうち集落が見えてきた.そしてあの辺りに焼山寺があるのかな~と思った.

ところがそうではなかった.この後遍路ころがし6/6が待っていたのだ.甘かった.


遍路ころがし6/6の渓流

遍路ころがし6/6の渓流

遍路ころがし6/6,つまり最後のころがしに入った.そしてきれいな渓流を越えた.石と張り出す樹木,そこを這うような急流の織りなす景観はすばらしい.


一人追い抜く

一人追い抜く

この辺りで一人の青年,と思ったがそれなりのお年(中年)でシンガポールから遍路にきたそうだ.ちょっとザックが重そうなので訊いてみたら,マットやハンモックなどで重いという.それで歩く速度が遅いのだろう.で,基本的に野宿を旨としているようで,寺の境内に泊まれるかな~と心配している.お気の毒だが多分境内は許可されないのではなかろうか....善根宿でも見つかればいいですね.

それと,この辺りの渓流の水は飲めるかと訊かれる.多分シンガポール辺りではこうした渓流は見ないであろうから,飲めるのではと考えるかもしれない.でも飲まない方が安全ですよ,と答えた.あと少しで焼山寺で自販機や手水舎(飲めない場合もあるが)が在るはずだから.


古い道標によれば焼山寺まで十四丁

古い道標によれば焼山寺まで十四丁

遍路道では次の札所のお寺までの距離を示す石塔が所々に据えられている.こうした遍路道標は丁石と呼ばれ,古いものは江戸時代に立てられたそうだ.一丁はおよそ109mだそうで,焼山寺はこの丁石から1.52km先ということになろう.

なお八十八ヶ所巡礼は江戸時代から盛んになり,当時の巡礼ガイドブックのマップと丁石の位置は一致しているのも多いそうだ.

また丁石はここに限らず諸街道にも多く,形もこうした角柱だけでなく,櫛型(角柱の頭が半円),板碑型,舟形光背型,台石型,自然石型....種々あるそうだ.


第12番 焼山寺に着く

第12番 焼山寺に着く

さて十四丁歩いて第12番 焼山寺に到着した.山門まで回廊状道が連なり,ここに灯籠や仏像が並んでいる.そしてそれらには寄贈者の名前や居住地が刻まれている.それを見ると近隣だけに留まらず,全国の信徒さんに広がっている様子が窺える.


第12番 焼山寺回廊石像の一例

回廊石像の一例

回廊石像の多くはまだ新しく立派な仏像が多い.石工の方が彫るのであろうが,とても大きく,また複雑な造形なのでデザイン構想から仕上げまで相当の時間を要すであろう.


第12番 焼山寺仁王門に至る

焼山寺仁王門に至る

さて焼山寺仁王門に着いた,一礼し本堂に向かう.仁王門はシンプルな一層構造で,その外側参道から内側には大きな杉並木が左右に並んで育っている.実に見事な巨木だ.


第12番 焼山寺本堂

第12番 焼山寺本堂

石段を上り,手水舎で清め,次いでその先の本堂でお参り.いくらか慣れてきたかな~


第12番 焼山寺大師堂

焼山寺大師堂

次いで本堂右の大師堂を参拝.本堂と共に比較的新しい建設のようであるが,なかなか堂々としている.

そして参拝を終えると,石段下の納経所で朱印と墨書きをもらう.納経所の隣には売店があり,うどんもあるようだったか,旅館吉野さんで持たせてもらったおむすび2個のうち残り1つを食べることにした.なかったらうどんにしてたであろう.

食べていると先のシンガポール男性が歩いてきた.そしてあの辺り(そこは僧坊だったが)の庇下寝てもいいかな~と心配は続いているようだ.一応納経所で尋ねてみたら....と言ったが,難しいかも....

陽当りのいいベンチに座っていると隣に女性3人組が現れ,ちょっとおしゃべり.シアトルから遍路ではなく普通の観光で来ており,近くの町からタクシーでここに着いたという.シアトルと言えばボーイングとかマイクロソフトとか本拠地があるし,ビルゲイツなど富豪が多いですよね~と言ったら,それがつい先週のことだけどビルゲイツを抜いてXX(名前失念)が一番になったのよ.えっ,XXて何者ですか?スターバックスCEOなのよ.ほ~,まあ税金たくさん納めてくれるから市民も幸せになれるんじゃないですか.....などと無駄話を交わした.


なべいわ荘

焼山寺から下りにかかる

焼山寺から下りにかかる

焼山寺からは下りになる.最初焼山寺の目の前には紅葉の谷が見えて美しい.


細い山道に入る

細い山道に入る

そのうちに細い山道に入っていった.ちょっとこの道でいいのかな~?と思う箇所もあった.人通りは全くない.車道とクロスするところがあるとほっとする.


杉林を行く

杉林を行く

進むと杉林になった.細いので近年植林されたものか.最近杉は花粉症で嫌われがちで,伐採している自治体もある中で,新規に植えるのはそれなりの事情があるのであろう.


杖杉庵(じょうしんあん)

杖杉庵(じょうしんあん)

車道に入り歩くと,杖杉庵と呼ばれる霊場を通過した.ここは最初に四国八十八箇所を巡礼したとされる衛門三郎終焉の地で,建つ寺院が杖杉庵ということだ.

平安時代,天長年間(824年~)伊予国の富裕(でまた強欲)な豪族衛門三郎は,雪模様の寒い日,その門前に現れた乞食のようにみすぼらしい旅僧に一椀の食物を乞われた.しかし衛門三郎は『乞食にやるものはない追い払え』と無礼な態度で臨んだ.さらに旅僧の来訪は以降幾度か続き,その度に衛門三郎は追い返し,最後は鉄鉢を掴み大地に叩きつけたそうだ.

豪族衛門三郎は富裕で,八人の子供があったが,叩きつけた翌日長男が木の葉の如くこときれた.そしてその翌日には次子が亡くなり,八日間で八人の子供全てが亡くなった.有り体に言えば祟りになろう.

そしてようやくこれは我が悪業の報いかと気付き,詫びるため弘法大師を追って旅に出たのが遍路の始まりという.やがて21回目に逆回り中,焼山寺近くこの地で力尽き倒れたそうな.そこに弘法大師が現れ,衛門三郎は先の非礼を詫びた.大師は衛門三郎に来世の望みを訊ね,亡骸をここに葬り,墓標として衛門三郎が遍路に使用した杉の杖を立てた.やがて杖は根を張り杉の大木となり,杖杉庵の名の由来となったそうだ.

ただ写真で見える大木は杉ではなく,イチョウのようである.

ちなみに現在のお遍路さんの金剛杖に名前を記すのは自分の所有物と明示するためでなく,墓標にするためだそうだ.私はただのモンベルのトレッキングポールなのでどうしてもらおうか?


左右山谷川(そうやまだにがわ)

左右山谷川(そうやまだにがわ)

やがて左右山谷川(そうやまだにがわ)の橋を渡った.この難しい読みの川はとてもきれいだ.水はやはりエメラルドグリーンで,澄み渡っている.


移動販売車

移動販売車

遍路道に食堂やコンビニがあまりなく苦労するが,ここ山里で暮らす高齢者だけの世帯はもっと大変だと思われる.この軽トラック移動販売車はそうした世帯のために食料品や日用品を販売するために定期的に廻っているようだ.車の運転ができるうちはまだいいが,運転を止めると近くにお店はないので大いに助かると思う.


なべいわ荘の看板が見えてきた

なべいわ荘の看板が見えてきた

川の畔になべいわ荘の案内看板が見えてきた.川は先程の左右山谷川の下流のようだ.


なべいわ荘にチェックイン

なべいわ荘にチェックイン

なべいわ荘に到着し,チェックイン.2階の部屋のキーをもらい,戸外の洗濯機,乾燥機の場所,お風呂の場所や時間,食事時間などを聞く.

ここは玄関やホール,食堂など広々した造りだ.


なべいわ荘2階の角部屋

なべいわ荘2階の角部屋

最初に到着したためか一番奥の角部屋だった.広々しているが照明設備がリモコンなし蛍光灯とかで若干古いか.


なべいわ荘は立派な木材が使われている

立派な木材が使われている

柱や梁はぶっとい木材がふんだんに使われている.なべいわ荘は住友林業系子会社住友産業の保養所,或いはかつて保養所で譲渡された宿と聞くので,木造建築の見本的構造はお手の物なのであろう.

ただしこの角部屋には黒い虫が何匹もいて,ティッシュでつまみ出さねばならず往生した.

さてここで着替えると早速洗濯し,そしてその1時間後乾燥機を回した.両者とも十分な台数が揃えてある.

そして次はお風呂だ.3人用広さだったと思う.少し後に到着したSさんと同じタイミングになり,翌日の計画など話し合う.宿泊予定の13番 大日寺脇名西旅館花さんは,その先まで歩いたとき車で迎いに来てくれて,次の朝そこまで送ってくれるそうだ.それなら13番の先まで行けそうですね,など教えてもらう.


なべいわ荘の夕食

なべいわ荘の夕食

なべいわ荘の広い食堂に一同会した.先ずときどき一緒になり,明日も同じ宿になる高崎のSさん.それにこちも所々で一緒になる名古屋のNさん.遍路ころがしで出会ったシカゴのご夫妻,栃木の男性,藤沢の完璧なお遍路装束の女性だった.

出された食事のメインディッシュは天ぷら,いや川魚,栃木の男性に魚名を教えてもらったのだが思い出せない.

さて皆さんが明日の予定など話す.Nさんは昨晩お母上の具合が悪くなったと話していたのだが,今日亡くなられたとの連絡が入ったそうだ.お気の毒に.ただ夕刻で今夜は戻れないので,明日朝バスなどで帰路に就くという.どうぞお気を付けて.

藤沢の完璧なお遍路装束女性は,白衣,輪袈裟は当然として,白い地下足袋,白い脚絆(ゲーター),白い手甲なども身に纏っている.本人は『コスプレよ』と屈託がない.彼女からは友達が作ってくれたという一見華奢な巾着袋を分けてもらった.お遍路さんからのお接待だ.コイン入れに使ったら便利だった.

シカゴ夫妻は上述のように遍路ころがし途中でエスケープし,タクシーでここに着いたそうだ.



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