遍路1日目(2017年10月31日)Pilgrimage day 1

この遍路1日目編では,2017年10月31日自宅を出て電車とバスで羽田へ行き,ANAで阿波おどり空港へ飛び,タクシーで遍路開始点(霊山寺門前)へ行き,遍路開始,とはいっても直ぐ目の前に第1番 霊山寺,歩きながら第2番 極楽寺,第3番 金泉寺,第4番 大日寺,第5番 地蔵寺,第6番 安楽寺と巡り,安楽寺宿坊に宿り,お勤めの見習いをしたときの写真を載せました.

遍路1日目周辺マップと札所


 

羽田へ

この日は自宅を出て電車とバスで羽田へと行った,普通JRと京急で行くのだが,JR京浜東北線がトラブルで止まっており,JRが京急等への振替切符を発行しているという.それでは京急線が混み,遅延も出るのでは....と思い,川崎駅から路線バスで羽田に行った.

羽田空港502番ゲートからANA281便に

羽田空港502番ゲートからANA281便に

羽田空港には順調に到着し,08:55発ANA281便にチェックイン.重いザックは杖(トレッキングポール)も付けてあったので預け入れ.手荷物検査でろうそくや線香用に持っていたチャッカマンがだめということで没収.なお預け入れでもライター類は不可ということだ.すみませんでした.

で,ANA281便のバス用の地下ゲート502に行き,バスに乗り込む.バスドライバはボーディング案内も兼ねた若い女性で意外に思った.日本も遅ればせながら女性の一層の活躍が期待できようか.


羽田でANA281便に搭乗

ANA281便に搭乗

ANA281便のタラップを上った.機材はシートマップが3-3ナローボディのA320だった.

シートには結構空きがあった.羽田-徳島間はANA,JAL合わせてかなりのフライトがあり,便利そうだ.


阿波おどり空港へ

黒い富士山はイマイチだ

黒い富士山はイマイチだ

離陸から少しして富士山横になった.雲から突き出た富士山はイマイチ,いや全然見応えしない.やはり頂きは白くないと.....


一時間半のフライトで徳島阿波おどり空港に到着

一時間半のフライトで徳島阿波おどり空港に到着

一時間半くらいのフライトで,定刻に徳島阿波おどり空港に到着した.阿波おどり空港のネーミングはちょっと吹き出したくなるような,徳島を一瞬に想起させ,また記憶させるインパクトがある.すばらしい.

なお本空港は陸海自衛隊と共用され,運営主体は海上自衛隊にあるようだ.また国際チャーター便誘致のため,ターミナルビルの拡張,ボーディングブリッジ増設,出入国検査場の整備など推められているそうだ.


遍路開始点へ

阿波おどり空港からはタクシーで

阿波おどり空港からはタクシーで

歩き遍路の開始点は第1番札所 霊山寺で,そこまでバスと列車で行く方法もある.しかし面倒そうだし,時間も掛かりそうだし,端から修行になりそうだし....ということで,安易にタクシーで行くことにした.

ドライバさんに色々お話を聞いたりできてよかった.


遍路開始点に到着した

遍路開始点に到着した

2,30分ほど走ったであろうか鳴門市の第1番札所 霊山寺に到着した.なお徳島(阿波)は発心の道場と呼ばれているそうだ.さて歩くぞ~

いやその前に装備を整えなくては.山門手前横(写真で左側)にはちゃんとお店があり(霊山寺境内にもあり),ライターと菅笠を買う.菅笠は中サイズがお薦めということで,それに従う.大だとザックに当たり,小だと機能的に不十分ということだ.なおビニールカバーが付属しており,雨に役立つ.また緩衝パッド付き菅笠ベルトも提案されたが,既に出発前に揃えてあった.

また同ベルト以外にも予めアマゾンマーケットプレイスから背中に南無大師遍照金剛の入った白衣,山谷袋(頭陀袋),ふり仮名入り経本,納経帳,納め札,ろうそく,線香などは揃え,定番というへんろみち保存協力会編の『四国遍路ひとり歩き同行二人』は同会から通販で買い入れてあった.


第1番 竺和山 一乗院 霊山寺(じくわざん いちじょういん りょうぜんじ)

第1番 霊山寺仁王門

第1番 霊山寺仁王門

第1番 霊山寺,正式には竺和山 一乗院 霊山寺(なお寺名だけだと同じものが存在しているケースあり)の仁王門前に立った.門には竺和山の文字が掲げられている.そしてマニュアルに従い軽く一礼して,ここをくぐり抜ける.

霊山寺は天平年間(729〜)創建ということで相当長い歴史がある.

門をくぐると,マニュアルを思い出し先ず手水舎で手を清める.


第1番 霊山寺の多宝塔

霊山寺の多宝塔

基部が四角,2階が円の多宝塔で,五智如来像が祀られているそうだ.応永(1364~)年間の建立というとても古い建築.もちろん途中修理されてきてはいると思うが.


第1番 霊山寺本堂と鯉の泳ぐ池

霊山寺本堂と鯉の泳ぐ池

霊山寺本堂の前には立派な池があり,鯉が泳いでいる.ここはカメラを手にした近所の人(多分)や観光客が多い.さすが八十八ヶ所の一番目だ.しかし先に行くと急に人は少なくなる.極端なケースでは広い境内で自分一人だけという場面もあった.

写真中央が本堂正面で,内部が覗けるようになっている.


第1番 霊山寺本堂にて

霊山寺本堂にて

さていよいよ本堂正面に来た.ここでろうそくを灯し,線香を焚き,納め札を箱に入れ,お賽銭を入れ,ふり仮名付き般若心経をたどたどしく読む.なお出掛ける前に,泥縄式に一応youTubeで練習していたつもりだった.....

納め札は,その言葉からするとお経を済ませた後に箱に入れるのがいいような気もするが....この小さな疑問は今回の40寺,つまり80回お経を唱える間ず~っと続き,今も解決していない.


第1番 霊山寺の大師堂

霊山寺の大師堂

八十八霊場には必ず弘法大師を祀った大師堂および屋外の太子像(多くはブロンズ像)が備わっている.まあ,四国遍路は弘法大師空海が悟りを開いた地を巡る旅であるから,そういうものであろう.

そして本堂と同じようにろうそく,線香,納め札,お賽銭,般若心経...を行う.


第1番 霊山寺納経所で墨書きと朱印をもらう

霊山寺納経所で墨書きと朱印をもらう

八十八寺では必ず納経所を備え,ここで納経帳を渡して本尊の墨書き(梵字と草書漢字)と朱印をもらう.お代はどこも300円となっている.勿論多い分には構わないと思うが.と云うことで,この辺りのように寺が集中しているところでは100円硬貨をジャラジャラ用意しておくのが無難だ.

朱印が先でその上に墨書きのようだ.朱も墨も乾いていないのでそのページに新聞紙を挟んで返してくれる.また以降幾つかの納経所を経ると,どちらかと言うと女性の担当者が多く,皆達筆だ.


第1番 霊山寺で頂いた朱印と墨書き

第1番 霊山寺で頂いた朱印と墨書き

これが私の納経帳最初のページに頂いた朱印と墨書き.これまでも写真や印刷物では幾度か見たことがあるが,現物は初めてだ.

一番上は梵字で釈迦如来を表すと聞いた.その下,漢字三行も難解だ.やはり竺和山 一乗院 霊山寺かな....左は何とか霊山寺のような気がするが,右と中央は読めないな.....


第1番 霊山寺山門を出て次に向かう

霊山寺山門を出て次に向かう

ということで遍路流儀初体験を済ませ,霊山寺山門で一礼し,出て次に向かった.道沿いには柿や多様な柑橘類の実る光景がしばしば望める.

歩く道は歩き遍路道と呼ばれるが,少なくともこの辺りはきれいに舗装された通りが多い.

ただ遍路道沿いにはちょうどいい場所にレストランやコンビニが見つからず,この先も大いに悩まされる.


第2番 日照山 無量寿院 極楽寺(にっしょうざん むりょうじゅいん ごくらくじ)

歩道付き橋を渡る

歩道付き橋を渡る

第一番を打ち(参拝を意味する遍路用語)国道(いや県道か?)12号線を暫く進んだ.そして橋を渡る.橋には歩道が付き安心して歩ける.

ところでこの後も多くの川を越えた.徳島や高知にはばかに川が多いと思われた.そしてその多くは清流であることに感心させられた.


第2番 極楽寺の赤い山門

極楽寺の赤い山門

赤い山門は比較的少ないように思えるが,そうでもないかな?建物自体は新しく,きっと近年の建築であろう.仁王様は明るく覗き易い.

ただ極楽寺の創建はとても古く,奈良時代(710年~)に遡るという.また本尊は阿弥陀如来ということだ.


第2番 極楽寺の中国風手水舎

中国風手水舎

ここの手水舎は柱のレリーフや,龍頭を象った水出口や屋根など中国風デザインだ.ここだけ見ると台湾辺りのお寺かと錯覚しそうだ.


第2番 極楽寺の長命杉

極楽寺の長命杉

極楽寺には1200年余り前,弘法大師が自ら植えたとされる長命杉があった.高さ31m,周囲6mの巨木で,触れれば長寿や家内安全のご利益があるそうだ.間接的に触れるための綱も結ばれている.


第2番 極楽寺の仏足石

極楽寺の仏足石

極楽寺にはお釈迦さまの足,仏足石も据えてあった.高野山真言宗派であるそうだが,何となく密教系ではなく,ミャンマーなど南アジア諸国の上座部仏教系の香りだ.もちろん私だけの感覚的なものだが....


第2番 極楽寺の本堂

極楽寺の本堂

階段の先に本堂があった.第1番 霊山寺と比べて参拝者はぐっと少なくなった.

ここでもガラスの風防で守られた燭台の扉を開け,ろうそくを灯す.その点お線香は焚くに時間を要するがちょっとの風程度では消えない.そして経を読む.


第九アジア初演の地鳴門

第九アジア初演の地鳴門

極楽寺お参りが終わり再び車道を第3番 金泉寺に向け歩いた.鳴門市の外れに差し掛かると,またどうぞ,『第九アジア初演の地鳴門』の標識があった.

現在同市にはドイツ館なる施設があるそうだが,かつてここには1917年~1920年のおよそ3年間,第一次大戦時日本軍の捕虜となったドイツ兵収容所が存ったそうだ.同所ではドイツ兵の人権を尊重し,自主的な生活を認め,ドイツ兵は諸活動に取り組み,とりわけ音楽活動は盛んで,コンサートでベートーベン交響曲第九番をアジアで初めて全楽章演奏したということだ.ふむふむ.

なお鳴門市の隣は藍住町(あいずみちょう)だそうだ.徳島市のベッドタウンとして人口増加しているというから稀有な町であろう.


天日干しの稲

天日干しの稲

日本は津々浦々米作の国であるが,狭い田んぼを除き普通コンバインで収穫し,乾燥機(実際の物は見たことないのだが)で乾燥させるそうだ.でもこうして極めて稀に天日干しの稲が見られる.これで米が美味しくなるそうだ.

こうした天日干しはとても手が掛かるので普通行われず,稀に自家消費用に実施されるようだ.別の場所で,自家消費用には消毒薬を用いないで育てたみかんがあるのだが,お接待しましょうか?と訊かれたことがあった.現物がちょっと離れた場所(家)で申し訳ないので普通断ってはいけないと言われるお接待を遠慮した.何れにしても出荷用は一般企業同様採算が最重視されるのはやむを得まい.


第3番 亀光山 釈迦院 金泉寺(きこうざん しゃかいん こんせんじ)

コスモスがきれいだ

コスモスがきれいだ

ところどころコスモスが咲いている,きれいだ.この日は好天で青空を背に映える.


第3番 金泉寺への細かい道を案内してくれた

第3番 金泉寺への細かい道を案内してくれた

自転車のおじさん(写真左下)が声を掛けてくれた.いろいろ四方山話をしながら,第3番 金泉寺への細かい道を案内してくれた.

概して徳島県は遍路道の案内シールが豊富なのだが,小さくて見逃しがちだ(自分の場合).こうした案内はありがたい.

こうした古い街並みにはばかに立派な住宅が結構ある.ある種のステイタスシンボルとして建てたが,嗣ぐ人のない家もままある,とおじさんが話してくれた.


第3番 金泉寺山門も赤かった

第3番 金泉寺山門も赤かった

第3番 金泉寺山門に着いた.やはり山門は赤かった.そうか赤い山門は別に珍しくはないようだ.

なお二階建て門で,一階(初層)上部にも屋根のある門は二重門と称され,二階建てであっても一階上部に屋根のない構造は楼門と呼ばれるそうだ.さてこの金泉寺山門は果たしてどちらか?一見一階屋根のような部分は機能的には張り出した回廊で,屋根ではないようだ.ということで楼門かな~


第3番 金泉寺本堂

第3番 金泉寺本堂

赤い欄干の太鼓橋の先に本堂があった.本尊は釈迦如来で天平年間(729〜)の創建でこちらも長い歴史がある.

弘法大師が通りかかった際,水不足に苦しむ住民のために井戸を掘ったら水が湧き出て,それが寺名の由来になっているという.


第3番 金泉寺大師堂

第3番 金泉寺大師堂

金泉寺大師堂は落ち着いた重厚なデザインだ.本堂より多少古い建築のように見える.周りに人も疎らなので作法通り経を読む.仮名が振ってあるのによく間違えるが.


床屋のキャッチコピー

床屋のキャッチコピー

第3番 金泉寺を去ると理容店があった.コンビニはなかなか無いが,理容店と美容室はよく見かける.そしてここのキャッチコピーが面白い.『男人:決意の丸坊主』,『女人:覚悟の丸坊主』とある.男はともかく,女性はほんとに覚悟がいると思う.寂聴さんくらいならいいが....


第4番 黒厳山 遍照院 大日寺(こくがんざん へんじょういん だいにちじ)

JR高徳線を越える

JR高徳線を越える

金泉寺から床屋を過ぎ,少し行くとJR高徳線の踏み切りがあり,越えた.名のように香川県高松駅から徳島県徳島駅を結ぶ路線だそうだ.写真のように単線で,また一見電車架線のように張られた電線は列車用ではなく,脇の送電線のようである.列車は見えなかったがディーゼル車とかであろうか.


歴史を感じさせる古い街並み

歴史を感じさせる古い街並み

高徳線の先では明治頃の面影を残す(と想像,昭和生まれなので)町家が並ぶ通りを通過した.ただ少し残念なことに殆どシャッターを下ろしたような家やおよそ閉じてしまったお店が多い.まあこれは大ショッピングモールや通販の増大,住民の減少など諸事情あってやむを得ない面があろうが....


岡の宮の大楠

岡の宮の大楠

さらに歩くと岡上神社の御神木『岡の宮の大クス』に出合った.ものすごい巨木でびっくりする.傍らの解説板によれば,高さ35m,横の広がりは最大37m,根周り25mで一つの根から幹が4つに分岐して伸びているということだ.


道端の大師庵

道端の大師庵

遍路道沿いには八十八ヶ所以外に弘法大師にまつわる小さな庵やお堂,像,碑といった関連物が多く見当たる.この大師庵もそんな一つの例であろう.言わばお地蔵さんなどと同じような信仰対象であったのかも知れない.


ソーラーパネルが多い

ソーラーパネルが多い

ここは第4番 大日寺の手前.休耕地や荒れ地,また民家の屋根にソーラーパネルが多く設置されている.民家屋根は関東でも多いが発電ファーム的規模は関東よりかなり多いのではなかろうか.

なお背後は徳島自動車道の高架橋である.


神社と分岐点

神社と分岐点

寺も多いが神社も多い.神仏習合思想の下,寺と神社が共存しているケースも見える.八十八ヶ所の中でも鳥居のある寺にもこの先出合う.

このような分岐点は間違わないように要注意だ.この場合大きな標識で大丈夫だが,それでも大きな標識が歩き遍路用ではなく車用で,裏をかかされたこともあった.また『四国のみち』は遍路道と同じではないのでこれも要注意だ.


第4番 大日寺に到着

第4番 大日寺に到着

大日寺に到着し,やはり朱塗りの山門をくぐり,境内に入る.奥に本堂が見え,手前の手水舎は大工さんが修復工事中であった.

本尊は弘法大師が自ら彫った大日如来像で,それが寺名の由来だそうだ.弘法大師は井戸を掘ったり,如来像を彫ったり,と超行動的だったわけだ.


第4番 大日寺本堂と大師堂を繋ぐ回廊の観音像

大日寺本堂と大師堂を繋ぐ回廊の観音像

大日寺は本堂と大師堂が回廊で繋がれた変わった構造だ.そして回廊には江戸時代の西国三十三観音という像が展示されていた.観音像だけに優しさが豊かで,これはカトリックのマリア像などと一脈相通じる要素ではなかろうか.


第4番 大日寺大師堂

第4番 大日寺大師堂

これが回廊で結ばれた先の大日寺大師堂.ここでも少し慣れてきた....と思いたいが,まだまだの作法に則りお参り.

なお大日寺の寺名はあと9つ後の寺など,複数あり.ただし黒厳山 遍照院の部分は皆異なっている.


第4番 大日寺近くの遍路休憩小屋

第4番 大日寺近くの遍路休憩小屋

第4番 大日寺から第5番 地蔵寺のルートは,往きと同じ道を戻る往復路だ.そして少し戻ったところには東屋があった.バス停ではないので遍路休憩小屋などに供されている.こうした小屋は特に雨の日は助かる.


第5番 無尽山 荘厳院 地蔵寺(むじんざん しょうごいん じぞうじ)

第5番 地蔵寺

霊場五百羅漢

第4番 大日寺から下り,第5番 地蔵寺直前になると,先ず霊場五百羅漢という立派な寺に至る.地蔵寺と隣合わせで境界は感じられず,第5番 地蔵寺の奥の院といった位置づけのようだ.


五百羅漢から第5番 地蔵寺に下る

五百羅漢から第5番 地蔵寺に下る

五百羅漢から地蔵寺へは階段で下る.高いところから見晴らしが利きいい眺めだ.また庭の手入れも行き届き美しい.


第5番 地蔵寺の大銀杏

地蔵寺の大銀杏

地蔵寺に入ると見事な大銀杏が目に入る.樹齢およそ800年で,『たらちね地蔵』と呼ばれ慕われているという.たらちねと聞くと万葉集が脳裏に浮かぶが,さて名の由来にはどういった結びつきがあるのだろう.

ここの境内ではオランダからというご夫妻に出会った.第1番から廻ってきて,自ら経を上げたりすることはないが,お遍路のそうした行いはなかなか興味深いという.今日はこの後バスで徳島市に行き,宿泊だそうだ.


第5番 地蔵寺の大師像と鐘楼

第5番 地蔵寺の大師像と鐘楼

地蔵寺にもやはり巡礼姿の大師像があった.傍らには『修行大師様御縁起之碑』が刻まれ,ちゃんと読んでないが当寺の由来など記されているであろう.

大師像の背後は鐘楼で比較的小振りな建築と鐘になっている.

一通り本堂と大師堂のお参りが済み,納経所で御朱印を頂く.そして既に夕刻近いこの期に及んで『当地蔵寺に僧坊はございますか?』と尋ねてみた.すると『ここにはありませんが,次の第6番 安楽寺にはあります,電話して上げましょうか?』と言って頂き,お願いした.そして部屋が予約できた.ありがとうございました.それにしても夕方まで宿未定とは酷いお遍路さんだ.いろいろ初めての事ゆえ大変で,今夜のことまで頭が廻らなかったのだ,いや認知症の現れか?

このように地蔵寺納経所でお手数をかけたが,加えてみかんのお接待もして下さった.ありがとうございました.


第5番 地蔵寺山門

第5番 地蔵寺山門

今回はちゃんと山門から入らず,五百羅漢から来たので山門は出る時だけになってしまった.山門はこれまでの二重門や楼門と違って,平屋の簡素な造りでこれもまた味わい深い.


第5番 地蔵寺から離れる

地蔵寺から離れる

さて宿も確保してもらったことだし,安心して地蔵寺から離れ,西へと向かった.

小さな川の橋を渡ると,分岐路となっており,川沿い路の白いガードレールに赤い矢印の遍路道シール(写真中央下側)が貼っている.大昔の石の遍路標識,国の四国のみち標識,自治体のローカルなマップ....各種標識の中で,この小さな赤い矢印シールが最も正確で解りやすい.小さいので老眼で見落とし易い面はいくらかあるが,ありがたい.


第6番 温泉山 瑠璃光院 安楽寺(おんせんざん るりこういん あんらくじ)

徳島は道端の墓地が多い

徳島は道端の墓地が多い

地蔵寺から大分進んだ.途中案内シールに気付かず間違ったルートに入った.すると近くの家から30代くらいと思しき女性が出てきて,『そちらではなく,こっちの道ですよ』と教えてくれた.わざわざ家の中から出て,教えてもらい,感激した.ありがとうございました.また菅笠と白衣の実用性も再認識した.

そして西に歩みを進めた.途中道端には頻繁に墓地が見える.徳島では道端の墓地は一般的なようだ.いやその後高知県に入ってもやはり道端の墓地が目立った.この地方の伝統なのであろう.


夕闇迫りようやく第6番 安楽寺近くになる

夕闇迫りようやく第6番 安楽寺近くになる

遍路初日から,宿未定,夕刻まで歩くというバカをやってしまった.そしてようやく向こうに第6番 安楽寺が見えてきて,安心した.少なくともお参りし,納経所の5時閉所までには間に合うであろう.


第6番 安楽寺山門に至る

第6番 安楽寺山門に至る

ユニークなデザインの安楽寺山門に至った.一階部分が白く,角がRとりされてまた左右にウイング状張出しがあり,二階部分はオーソドックスな構造で,全体的には楼門スタイルか.

ちょっとこの写真は暗くて見えないが,仁王様は左右ウイング部分に納められている.


山門を潜ると第6番 安楽寺本堂

山門を潜ると第6番 安楽寺本堂

山門を潜ると第6番 安楽寺本堂が見えた.またその少し手前右側には大師堂が位置していた.急ぎ両者を参拝し,納経所に駆けつける.間に合って良かった!


安楽寺宿坊

安楽寺宿坊にチェックイン

安楽寺宿坊にチェックイン

第5番 地蔵寺納経所で予約してもらった安楽寺宿坊(安楽寺境内にあり)にチェックインした.

見たところ比較的新しい建築で,和洋両タイプの種々客室,温泉山の名のように温泉を備えている.

遍路初日から宿坊というのは期せずしていい体験ができそうだ.なお後で知るところとなったが,当安楽寺宿坊は遍路道で好評な宿坊だという.


安楽寺宿坊のシングル和室

安楽寺宿坊のシングル和室

割り当てられた部屋は2階の和室であった.まあ並というか,平均的な部屋であろう.部屋別エアコンで,部屋入口前に個別洗面台を備え,お風呂(温泉)とトイレは共同である.


安楽寺宿坊のお勤め(勤行)

安楽寺宿坊のお勤め(勤行)

安楽寺宿坊では夕食前にお勤め(勤行)があった.ご本尊薬師如来像を前に,お坊さんの般若心経や真言に続いて唱和する.私の速度ではスローでついていけない.

なお供養対象を記す紙片や,木の葉(名は失念)は予め渡されており,経本はこのお堂の椅子に置かれてあった.


安楽寺宿坊の灯篭流し

安楽寺宿坊の灯篭流し

次いで小川の流れる部屋に移り,灯篭流しを行った.ちょっとアミューズメントパーク的趣きに驚かされる.そして灯籠が流れ着いた先で,震災被害者や先祖供養の読経が行われた.

供養の後は,実際の橋の中央を渡り,中道の意義などに関するお坊さんの法話,...を体験した.

まあ初日に体験できて良かったと思う.


安楽寺宿坊のダイニングルーム

ダイニングルーム

お勤め後少し間を置いてダイニングルームに集った.予めテーブルには名札が置かれ,カップルは付いて,グループは集まって,一人遍路は近くなるよう配置された.

全員で14人だそうで,大きな宿坊にしては少ないな~と思ったが,どっこい,これ以降の宿ではこんなに多数のことは全くなかった.それどころか泊り客が自分一人だけの場合が幾度かあった.

私のお向かいは今回4回目という名古屋の女性Nさんで,これまでの体験をいろいろ話してくれた.例えば絶対に泊まってはいけない2箇所の宿などだ.また荷物は4kgだそうで,頑張ってもその2倍くらいあった私には,どのように実現できたか不思議だったが,この重量がいかに効くか後日直ぐに身をもって体験することになる.

また隣には宇都宮の男性Uさんが同席し,今回が初めてで,2週間ほどの区分打ちの計画だそうだ.定年退職したが2週間以上家を離れるのは奥様の許可が下りないそうだ.


安楽寺宿坊の精進料理

安楽寺宿坊の精進料理

安楽寺宿坊の食事は基本的には精進料理だが,お吸い物に鶏肉の出汁が使われているので厳密にはこのカテゴリーに含まれないと,先程のお坊さんから説明があった.

ただビールのオーダーは自由で,日本のお寺のいいところではなかろうか.オーダーしたらビールびんをテーブルまで運んでくれたのがそのお坊さんで,恐れ入る.ごちそうさまでした.

さてこうして波乱の遍路初日はなんとか終えていくことになった.遍路は楽しい.


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