遍路2日目(2017年11月1日)Pilgrimage day 2

この遍路2日目編では,安楽寺宿坊を出発し,第7番 十楽寺,第8番 熊谷寺,第9番 法輪寺,第10番 切幡寺を参拝し,吉野川を渡り,第11番 藤井寺を経て,旅館吉野に到着したときの写真を載せました.

遍路2日目周辺マップと札所


 

安楽寺宿坊を出発

安楽寺宿坊で朝食

安楽寺宿坊で朝食

さて月も改まり11月となった1日,安楽寺宿坊で朝を迎えた.そして6:30ダイニングルームで写真の朝食を頂戴した.いかにも宿坊らしいメニューのように感じられた.ごちそうさまでした.


安楽寺宿坊の明るい庭を眺めて出発

明るい庭を眺めて出発

前日薄暗くなって到着し,眺める余裕がなかったが,今朝出かける明るいときに改めて見回すと,安楽寺はなかなかどうして素晴らしい庭を備えていた.

魚達も朝なので元気に泳ぎまくっているではないか.


安楽寺山門を出て改めて眺める

山門を出て改めて眺める

そして山門を出て一礼し,前日薄暗い中,半ばつりかけた脚を引きながら入ったそこを改めて振り返り眺めた.

順光を浴びた門は輝き,両翼の仁王像も堂々としている.


再び実った稲穂

再び実った稲穂

安楽寺を出て再び西へと歩みを再開した.途中稲作田が多い.それ自体日本の他地方同様だ.ただ四国は気温の関係であろうが刈り入れ時期が早いためであろう,収穫後再び芽が育ち,しかも写真のように実(稲)を結んでいるのを多く見かける.残念ながら米にはならないようで,せめて家畜の餌にでもなれば....と想像するが,畜産はあまり営まれないようだ.


第7番 光明山 蓮華院 十楽寺(こうみょうざん れんげいん じゅうらくじ)

第7番 十楽寺への案内

第7番 十楽寺への案内

安楽寺を出てしばし歩き,幾度か案内シールに出合う.写真はそんな案内の一つで,とても分かり易く目立つシールだ.ありがたい.

この辺りは車の通行量も多くなく,快適に歩ける.


第7番 十楽寺山門に着く

第7番 十楽寺山門に着く

程なく第7番 十楽寺山門に着いた.驚いたことに,両側ウイングを欠くものの安楽寺山門のデザインに酷似している.設計者が同じか,或いはどちらか一方がデザインを盗用したか.....

ただ第6番 安楽寺山門は両脇にウイングを備えそこに仁王像が安置されていたが,ここ第7番 十楽寺山門にはウイングがない.はてそれでは仁王様は何処に....?


第7番 十楽寺本堂

十楽寺本堂

山門に入り少し行くと十楽寺本堂があった.こちらはオーソドックスな寺院様式建築に見える.そしてここでマニュアル通りろうそく,線香,お賽銭,読経,納め札をこなす.かなりぎこちないが.

次いで本堂左手の階段を上ったところに位置する大師堂で同じ所作を繰り返す.


第7番 十楽寺の不動明王像

十楽寺の不動明王像

境内には大きな不動明王像が祀られていた.怖い顔立ちだが,人の具象的特長をよく現したデザインだ.

石碑によれば太平洋戦争の特攻で亡くなった飛行予備学生の慰霊などを祈念し据えられたようだ.


第8番 普明山 真光院 熊谷寺(ふみょうざん しんこういん くまたにじ)

第7番 十楽寺から暫く歩く

第7番 十楽寺から暫く歩く

さて十楽寺参拝を終え,次は第8番 熊谷寺に向け歩いた.同じく西に向かうが幾らか距離はありそうだ.

写真のように車道脇に歩道スペースが設けられた通りは安心して歩け,ありがたい.


第8番 熊谷寺に着き,多宝塔を眺める

第8番 熊谷寺に着き,多宝塔を眺める

ちゃんと遍路道通り歩かなかったせいか,なぜか写真の立派な熊谷寺多宝塔に最初に出合うことになった.

1774年建立というとても歴史ある建築で,四角い一階部分に円柱の二階を載せた構造が特徴的だ 屋根は双方四角で,庇は彫刻が施された組木細工のように細かく組まれ,またとてもカラフルにペイントされている.

なお上述の一階が四角,二階が円形は真言宗様式の特長だそうだ.


第8番 熊谷寺仁王門(中門)

熊谷寺仁王門(中門)

熊谷寺には2つの門があり,ここは境内にある中門だ.木造一階建てで両側に仁王像が祀られている.

ここの仁王様は赤やグリーン,ブルー,金色でカラフルに彩色され,他には見ることのできない華やかさを見せている.


第8番 熊谷寺本堂

熊谷寺本堂

中門仁王様の派手さと比べ,ごく控えめ,普通の日本寺院の落ち着いた建築だ.

先ずはここでお参りをする.


第8番 熊谷寺大師堂

熊谷寺大師堂

本堂左手の36階段を上ったところに位置し,こちらもごく一般的な建築様式に見える.

暖簾の掛かるお堂内はよく望めるようになっているが,普段お坊さんは居ないような様子で,静寂としている.


第8番 熊谷寺大師像

熊谷寺大師像

境内の一画には他と同様修行中の弘法大師像が据えられている.

背負う荷物がなく,ゲーターを着け,手に托鉢の器(多分)を持っている姿が,今の私達遍路と大きく違うところか.菅笠や錫杖の代替としての金剛杖はちゃっかり私達が真似ている.

なお背後の木造建築は鐘楼だったと思う.


第8番 熊谷寺仁王門(山門)

熊谷寺仁王門(山門)

こちらが多分普通言うところの熊谷寺仁王門で,境内から大きな道を越え遠く離れた場所に,道の上に建てられている.風格ある二重門で歴史を感じさせる.神社では本殿境内から遠く離れた場所に門(鳥居)を設けてあるのはよく見かけるが,お寺さんでは珍しいのではなかろうか.


第8番 熊谷寺仁王門の天井画写し

熊谷寺仁王門の天井画写し

熊谷寺仁王門の二階天井に描かれている天女図の縮小コピーだそうだ.当山門は1687年建立で,天井画もそのときに描かれたものだそうだ.300年以上経ているのに色鮮やかにディテールが維持され,とても美しい.


第9番 正覚山 菩提院 法輪寺(しょうかくざん ぼだいいん ほうりんじ)

幾つかの村を通り南西へ

幾つかの村を通り南西へ

第8番 熊谷寺仁王門を通り抜けると比較的細い道を繋ぎながら南西方面に進んだ.農村地帯なので2,3点在する集落を通過した.周囲の耕作地面積は圧倒的に米作田が占め,野菜や果樹栽培地の割合は低い.まあ,日本各地どこでもそうだが.


第9番 法輪寺に着く

第9番 法輪寺に着く

飾り気のない第9番 法輪寺山門に至った.この山門を含め法輪寺は平らな田園の中に何気なく佇む寺院だ.

そのためか周囲には城壁のように塀が張り巡らせてある.


第9番 法輪寺本堂と大師堂

法輪寺本堂と大師堂

山門をくぐり,フラットな境内に入ると,直ぐ左に手水舎,正面に本堂,その右に大師堂が建てられている.弘法大師の開基で,本尊は涅槃釈迦如来ということだ.涅槃釈迦像は南アジアで多く見かけるが,日本ではそう多くないと思っていたが,そうでもないようだ.


第9番 法輪寺納経所

法輪寺納経所

本堂と大師堂で読経し,納経所で朱印と墨書きを頂いた.

写真左端に『四国遍路を世界遺産に』の文言が見えているが,近年関係団体が登録に向けいろいろ運動しているそうだ.


第10番 得度山 灌頂院 切幡寺(とくどざん かんぢょういん きりはたじ)

いろいろな標識

いろいろな標識

法輪寺を去り,第10番 切幡寺へと向かう.道の分岐点ではいろいろな標識が掲げられている.ここでは浄土真宗円光寺,四国の道,目指す第10番 切幡寺への石の角柱だ.


新しい浄土宗称念寺を通過

新しい浄土宗称念寺を通過

浄土宗称(の旧字)念寺の前を通過した.まだ建設機械が動いているので完成はまだなのであろう.上の浄土真宗円光寺と比べて真宗の文言がないので多少異なる宗派なのであろう.

ニュースでは檀家の数が減り,立ち行かなくなった寺が多くなったと聞くが,こうして新設されるのもあるようだ.


マムシ注意付き遍路道標識

マムシ注意付き遍路道標識

しばし歩くと遍路道入り口の標識があった.下には赤い字でマムシ注意が付記されている.また方向はグリーン右向き矢印(マムシ注意方向),白い上向き矢印(国道139号線)2つ示されている.

もう11月だからマムシは出まいと思いながらも,やはりその恐れが皆無な国道を行こう(それまでの継続)と決めた.なおこの場所ではないが,2,3日後宿で出会ったお遍路さんが実際マムシに出合ったと話してくれた.四国では11月でもまだマムシは地上にいるんだ~


第10番 切幡寺の門前町

第10番 切幡寺の門前町

例えば川崎大師などよく知られる寺には大きな門前町が形成されているが,少なくともこれまで歩いた遍路札所の9つの寺では門前町はなかった.

それがここ第10番 切幡寺の前には,ひなびた様相ではあるが民宿や遍路グッズなどのお店,うどん屋さんなど並び,門前町となっている.ここでは寄らなかったが特に食べ物屋さんがあるとありがたいと思う.


得度山の名を掲げた第10番 切幡寺山門

得度山の名を掲げた第10番 切幡寺山門

緩やかな傾斜路を上り切幡寺山門前に来た.山門はシンプルな一階建てで,得度山の名を掲げてあった.


第10番 切幡寺の333段階段を上る

切幡寺の333段階段を上る

山門で一礼し,入ると,その先に本堂に至る333段の階段が待っていた.結構歩きがいがありそうだ.

途中安楽寺宿坊を若干早めに出発したNさんに出会った.Nさんは今夜第11番 藤井寺近くの旅館吉野さんを予約しており,私にも薦めてくれた.そしてこの後電話で同旅館に問い合わせると,部屋があるというので予約した.これで今夜は安心だ.


第10番 切幡寺本堂

第10番 切幡寺本堂

階段を上りきり切幡寺本堂に着いた.ここで先ず般若心経をときどき間違えながら読む.


第10番 切幡寺の大師堂と鐘楼

切幡寺の大師堂と鐘楼

大師堂は本堂の右手に,本堂を向くように建てられていた.また鐘楼はその手前にあった.


第10番 切幡寺本堂左の階段を上る

切幡寺本堂左の階段を上る

切幡寺本堂左脇にはさらに階段があった.上に重要文化財『切幡寺大塔』があるという.これは上るしかなかろう.


切幡寺大塔

切幡寺大塔

階段を上ると切幡寺大塔が堂々と聳えていた.古い二重の塔で,とても美しい.

傍らの解説によれば,徳川家康が豊臣秀吉の増進菩提を理由に豊臣秀頼に建立を勧め,住吉大社神宮寺に建設されたものだそうだ.まあ,増進菩提は名目で,参勤交代など同様反政府勢力の財力を削ぐのが主目的であったのであろう.

それが明治初頭,神仏判然令で同神宮寺が廃寺となり,当得度山が買い受け,解体,ここに移設し再建したという.

また解説には,特長は五間四面にして,初重と二重の間が方形をなす大塔である.今日この形式の遺構は本邦唯一であり......と述べられているが,よく理解できない.


第10番 切幡寺大塔の高台から吉野川方面を望む

切幡寺大塔の高台から吉野川方面を望む

切幡寺大塔の高台から平野部を望むと,遥か向こうに吉野川,その手前に住宅の点在する阿波市の様子が見えた.さてこの後はこの平野部の遍路道を歩く筈だ.


切幡寺を出て南に向かう

切幡寺を出て南に向かう

切幡寺を出て,次の藤井寺方向南に向かった.最初は少し打ち戻り区間で,同寺までは相当距離があり,途中吉野川を渡ることになっている.

途中お昼近くになり,それまで頻繁に眺めたうどん亭八幡の立て看板のマップに従い,少し迂回し立ち寄った.しかしあいにく同店は休業日で,がっかり.しかし何とかその迂回路から遍路道に戻る途中,雑貨屋さんが見つかり菓子パンを買うことができた.なおお茶やアクエリアスなどの飲料は自販機がそこら中に設置されており,心配ない.


神社の石段で昼食

神社の石段で昼食

この辺りでまたNさんと再会した.経験4回めのNさんは抜かりなく朝のうちに昼食をザックに入れて出たという.私は先程の菓子パン(賞味期限少し怪しそうだが)があるので,この大きな神社入り口近くの石の上に腰を下ろし,食べた.4kgザックのNさんは食料も控え目な様子だった.


歩き再開

歩き再開

簡素なピクニックランチの後,歩きを再会した.道標によれば7.8kmとある.2時間かなと思ったが,途中道間違い(よくあった)で実際はもっとかかったと思う.

また近くの道端のテーブルに『お接待です,どうぞ』の意の札と柿がバスケットに盛られていた.それではデザートにと一個ありがたく頂戴し,歩きながら食べた.ごちそうさまでした.


吉野川を渡る

吉野川を渡る

吉野川に至る

いよいよ吉野川の橋にやって来た.大野島橋と呼ばれ,先の緑の森は中洲で,その先に吉野川の本流と長い2番目の橋,川島橋が架かっている筈だ.

吉野川は氷河湖のように濃いエメラルドグリーンで,美しい.高知県を源に,徳島を経て,紀伊水道に注ぐという.普段美しいが日本三大暴れ川の1つだそうで,あらゆるものを奪い去る洪水の元凶となったことが幾度とあり,慶応年間の洪水では3万7000人余り溺れたとの記録も残るそうだ.


吉野川の中洲善入寺島(ぜんにゅうじとう)

吉野川の中洲善入寺島(ぜんにゅうじとう)

善入寺島は日本最大の中洲(川中島)で,1915年(大正4年)までは約500戸3,000人が善入寺島内に暮らし,学校や神社など備えていたという.その後は全島国が買収し,無人島になったという.

写真は島の大根畑で,この広さに驚いた.季節によって各種野菜の栽培に活用されているようだ.


吉野川本流の川島橋

吉野川本流の川島橋

こちらは吉野川本流に架かる川島橋.

橋は大野島橋,川島橋双方とも橋脚が短く,欄干のない潜水橋(沈下橋)で洪水の大きな水圧に押し流され難い構造になっている.でも橋の幅が狭く,欄干がないので車が通るときはちょっと怖い.

増水時は沈下するので橋として機能しないが,建設費が安く,流木など流されてきたものに破壊されにくい利点があるそうだ.


吉野川に流されてきた樹木

吉野川に流されてきた樹木

この通り,いろいろな流木が流れ来るようだ.また善入寺島の木立を見ると,増水時埋まったでであろう水位までの泥の後がくっきり見える.


渡った先から眺めた吉野川

渡った先から眺めた吉野川

川島橋を渡り切り,土手に上り振り返った.こうして見ると潜水橋が低く,また短く建設できることがよく解る.

それにしてもきれいな流れだ.


川島城

川島城

土手の少し先にお城が見えた.戦国時代,豪族川島兵衛之進が築城し,天正13(1585)年に蜂須賀家政の重臣林道感が城番に当てられたと伝えられるそうな.ただ見るとバカに新しくとても500年前の築城には思えない.実際昭和56年,勤労者野外活動施設として城郭型に復元された建物だそうだ.ちょっとがっかり.


第11番 金剛山 一乗院 藤井寺(こんごうざん いちじょういん ふじいでら)

伊予街道から240号線に逸れる

伊予街道から240号線に逸れる

伊予街道を暫く東に進み,この分岐点で240号線に逸れた.車の流れが減り,住宅街で歩き易くなった.


第11番 藤井寺近くになる

第11番 藤井寺近くになる

陽が低くなりかけ,藤井寺の近くになった.住宅地なので元より静かで,いくらか遍路道の雰囲気が増してきたかな.

向こうに小山が見えているがきっとあの麓から少し上った辺りに藤井寺はあろう.


第11番 藤井寺への遍路道

第11番 藤井寺への遍路道

遍路道はいきなり山道になった.う~んこれこそが遍路道か.


遍路道は民家の庭を通過

遍路道は民家の庭を通過

道標通り少し歩くと遍路道は民家の庭を通過した.ほんとにこれでいいのかな~でも先にはちゃんとお寺が直ぐそこにみえているので,どうやら正しいようだ.だれにも通過させるこちらのお宅は太っ腹だと思った.

ただ広い車の遍路道は別にあるし,歩き遍路でそちらを歩くことはもちろん可能であろう.


第11番 藤井寺の藤棚

第11番 藤井寺の藤棚

薄暗くなりかけた藤井寺に到着し,境内に入る.今は花の季節でないが藤棚があった.藤井寺の名はお堂の前に弘法大師が5色の藤を植えたことに由来するそうで,それに因むもののようだ.


第11番 藤井寺本堂と大師堂

第11番 藤井寺本堂と大師堂

藤井寺本堂に着いた.寺は山あいの地にあり,陽が陰り,眺めがモノクローム化しつつある.また本堂右手前が大師堂で,自分以外殆ど誰も見かけない中で両者順にお参りした.

そしてそれら手前の納経所に戻り,朱印を頂戴した.またついでに旅館吉野さんへの道も伺った.


旅館吉野に到着

旅館吉野への道を辿る

旅館吉野への道を辿る

旅館吉野さんは遍路道から少し離れたところにあり,納経所で聞いたように辿った.途中徳島らしく道端にお墓が見えた.


旅館吉野に到着

旅館吉野に到着

藤井寺と違って,平地にあってまだよく陽の射す旅館吉野に到着した.今日はかなりくたびれた.

旅館吉野さんは大き目の民家程度で,客間数は5,6くらいであろうか.お遍路には一定の評判があるようだ.


旅館吉野で泊まった部屋

泊まった部屋

わりと狭目の和室であるが,部屋の中に洗面コーナーを備える.もちろんバスとトイレは共用.

部屋に入ると直ちに着替えて,着ていたものを洗濯機に入れ,洗濯開始.終わったら乾燥機に入れて乾燥.洗濯と乾燥は毎日欠かせない日課だ.

そして洗濯開始後はお風呂に入る.ここは確か3人用バスタブであったか.そして今回初遍路という高崎のSさんと一緒になり,話を交わす.

風呂の後洗濯物を整理して,帳場に下りると,お客さんの一人が次に泊まる宿までザックを宅配便で送り,空身(近く)で歩くと話していた.そして旅館吉野のご主人が宅配便を手配してくれるという.ちなみにこの方は82歳で,身軽になった分,遠くなべいわ荘(多くはここ泊まり)の先植村旅館まで歩くそうだ.

それを聞いて,私もザックを少しでも軽くしたいと思い,当面無くて大丈夫そうなフリースやタイツを自宅に送り返す依頼をした.大した重さではないが僅かでも軽くなれば....


旅館吉野の夕食

旅館吉野の夕食

Nさん,Sさん含めお遍路さん皆が旅館吉野の食堂に集った.とんかつに焼き鯖,前日の精進料理に較べてお遍路,いや少なくとも私向きメニューだ.美味しい.

ところでNさんは高齢のお母上が具合悪くなり,今回全札所廻る予定だったが近々切り上げて戻らねば,とのことだ.それは心配ですね.

Sさんは明後日までの宿は出発前に予約済で,明日はいわなべ荘,明後日は名西旅館花だそうだ.ちなみにNさんも明日はいわなべ荘ということだ.

ということで私も時々一緒に歩いたり,食事したりということで,いわなべ荘,名西旅館花に問い合わせてみる.どちらも部屋があるということで予約させてもらった.

さてこうして2日めは無事終わった.明日はいよいよ『遍路ころがし』が待っている.



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