遍路20日目(2017年11月19日)Pilgrimage day 20

この遍路20日目編では,2017年11月19日朝,民宿いさりびを出て,あしずり遍路道を歩き,以布利港を通り,以布利遍路道を歩き,窪津港辺りを通過し,県道27号線遍路道を南下し,第38番 金剛福寺に来て参拝,そして近くの足摺岬周辺を歩き,民宿足摺はっとに至るまでの写真を載せました.

遍路20日目周辺マップと札所


 

民宿いさりびを出る

民宿いさりびを出る

民宿いさりびの朝

11月19日,窓から太平洋を覗く.晴れて冷たい朝になったようだ.今日の行程は短いので少し遅めの7時になり赤々とストーブの灯るダイニングルームに降り,野菜サラダに確かサバの半身開きなどの朝食をいただく.

そして7時半になり,お暇し,出発した.


明日泊まる予定の民宿くももさんを通過

明日泊まる予定の民宿くももさんを通過

いさりびから少し行くと,明日泊まる予定の民宿くももさんの前になった.2つの民宿はごく近くで,一日空けて二日分同じ宿で良かったのだが,取れないため二軒に別れたのだった.


あしずり遍路道

木漏れ日のいい道を行く

木漏れ日のいい道を行く

車の少ない木漏れ日のいい道になった.確かな範囲は不明ながらあしずり遍路道の一部になるようだ.


あしずり遍路道崖下は太平洋の岸辺

崖下は太平洋の岸辺

道脇は崖だ.下を覗くと,木立の間から太平洋の岸辺に波が打ち寄せる様が見える.木立があるからいいものの,なければちょっと怖い崖だ.


脇道から国道321号線に戻る

脇道から国道321号線に戻る

脇道のあしずり遍路道は間もなく国道321号線,即ちサニーロードに戻った.ただ今日の321号線区間はごく短い筈だ.


あしずり遍路道で初めて見る果実

あしずり遍路道で初めて見る果実

そして写真の果実がたわわに実る果樹園があった.ちょっと無花果に似ているかな~,いや葉っぱが全く異なる.実の形もやはり似ていない...はて何だろう?


以布利港

以布利(いぶり)の村に入る

細い道の以布利の村に入ってくる

あしずり遍路道は細い道の以布利(いぶり)の村に入ってきた.住宅は比較的密集して建てられている.要所要所に道標があるのがありがたい.


以布利港に出る

以布利港に出る

そのうちあしずり遍路道は以布利港に導かれていった.堤防に囲まれた以布利港に波はなく,漁船が停泊している.他の土佐の港と概ね同じ光景だ.


生利節(なまりぶし)干し

生利節(なまりぶし)干し

浜辺では大量の魚が干されていた.通り掛かった人に,鰹節ですか?と訊くと,いや生利節(なまりぶし)です,と言う.生利節は鰹節のようにカツオを使うが,生乾きで食すのでかなり違うようだ.

ググって見ると,カツオ(やサバ,マグロなど)を三枚に下ろし,蒸すか煮るなどし,そして写真のように天日やヒーターで半乾きまで乾燥させるそうだ.

つまり一夜干し程度の乾燥度で,製品は出汁取りではなく,焼いたり煮たりして食べるようだ.


以布利港先は行き当たり

以布利港先は行き当たり

以布利港の先に進むと,岸辺まで突き出た岩が邪魔しているではないか.こりゃ通せんぼだ,困った.


岩の洞窟

岩の洞窟

突き出た岩にはきっとトンネルか何かあるに違いない,と思い近づく.果たして黒い岩に穴があった.でも中を覗いてみると,行き止まりの洞窟だ.困った.


以布利遍路道

上りの以布利遍路道見つかる

上りの以布利遍路道見つかる

周囲を歩き,赤い文字で遍路道と記された札が見つかった.やれやれ.そしてこの道,以布利遍路道の一部であろう,を上る.


以布利遍路道は快適

以布利遍路道は快適

以布利遍路道は緩やかな上り道で,枯れ草で覆われた快適な道だ.ただこの区間は海岸と崖上の大きな通りを繋ぐだけなのでさしたる距離はない.


遍路休憩所てまり

遍路休憩所てまり

やがて林が開けた場所になった.そこには遍路休憩所てまりが設置されていた.個人の方が運営されているのだと思う.家の形なので善根宿なのかも知れない.


窪津港

以布利遍路道は県道27号線に入る

以布利遍路道は県道27号線に入る

自然歩道の以布利遍路道は県道27号線に入った.以降以布利遍路道は県道27号線が多くなる.

県道27号線は歩き遍路にとっては代表的な遍路道であるが,車やバイクの人にとっても足摺岬へのメインルートとなっているようだ.


きれいな海岸線を行く

きれいな海岸線を行く

県道27号線下の海岸線は岩壁に当たる波が砕け,白い模様を描いている.水は元より青くきれいだし,いい景色だ.


窪津港

窪津港

やがて窪津港の脇を通った.土佐清水市の1エリアだ.漁港に小型漁船の停泊する様子は他と同様であるが,近くには大きなレストランが見える.ここで水揚げされた魚料理が豊富であろうから,開店と食欲のタイミングが合致すればとてもいいと思う.


くじらの里窪津

くじらの里窪津

くじらの里窪津ホエールウォッチングの看板が出ている.やはり海流に沿ってくじらも移動するのでしょうか.ちょうど出合えれば感動すると思う.

ところでくじらの里って,他でも見掛けたな~そう,くじらの里室戸です.まあ,くじらはあちこちで誕生し,育つから里はあちこちにあるでしょう.


県道27号線遍路道

県道27号線遍路道の休憩所

県道27号線遍路道の休憩所

県道27号線の脇にベンチが置かれ,遍路休憩所にちょうどよい.そしてここに腰掛け,前日ルーチェの息子さんに頂戴した食パンをおやつとしてかじった.トーストしないで,しかもチーズやジャムも載せないのはあまりないであろうが,暫く歩いた後の行動食としてかなりいける.ごちそうさま.


県道27号線沿い遍路小屋再び

遍路小屋再び

また遍路小屋があった.自販機も洗濯機も置いてあり,明らかに善根宿であろう.


県道27号線森の神社

森の神社

大木茂る森に包まれた神社があった.小さな神社は深い森に在るだけに陽が届かず苔むしている.それでも氏子の手で定期的に替えられのであろう,しめ縄が鳥居に架けられている.


県道27号線沿い南国のジャングル

県道27号線沿い南国のジャングル

大分進んだ.高度も少し上がったようで,県道27号線の向こうにはジャングルが広がり,さらにその先に太平洋が地平線まで見えている.

やはり南国なのだな~との感を強める.


足摺岬まで0.5km

足摺岬まで0.5km

足摺岬まで0.5kmの標識があった.この辺りから下りになり,あと少しで金剛福寺だ.

そしてこの辺りで,前日四万十大橋袂,そしてルーチェで再会したFさん,Mさん仏西カップルと鉢合わせした.お二人は昨夜大岐浜(久百々より少し足摺岬寄り)の宿に宿泊し,今朝ザックをそこに置き,第38番 金剛福寺に行き,そして参拝を終えたので同じ宿に戻る途中だそうだ.やはりザックがないのでルンルンだそうだ.この先もお気をつけて.なお足摺岬で一泊せず,ザックを置いて往復するお遍路は多いそうである.


第38番 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺(さださん ふだらくいん こんごうふくじ)

第38番 金剛福寺仁王門に到着

第38番 金剛福寺仁王門に到着

そして第38番 金剛福寺仁王門に到着した.仁王門は一般的な一層構造で,仁王さまが覗き込み易い下半分だけの格子だ.元は朱塗りのようだが,かなり剥げ落ちている.こうれもまた風格か.


金剛福寺の弘法大師像と大師亀

金剛福寺の弘法大師像と大師亀

仁王門で一礼し,境内に入る.左脇には,深く大きな編笠を被り,70lクラスの大きなザックを背負い,椀を....の標準的装束の大師像(ブロンズ)が立てられている.88札所では必ず備えられている.

そしてその脇に大師亀の石像があった.弘法大師が海上の不動岩で修行する際,このような海亀の背に乗って海を渡ったという故事に因むそうだ.さて亀に乗った人は浦島太郎が最初か,それとも弘法大師が先か....なお願いを念じ,この亀の頭を撫でると叶うそうで,頭がピカピカしている.


第38番 金剛福寺の大きな池と本堂

金剛福寺の大きな池と本堂

金剛福寺境内には大きな池があり,鯉が悠々と回遊している.人も巡れるようきれいな石畳や木橋の回廊が巡らせてある.大きな石庭や緑の林,各種のお堂....実に見事な景観の寺だ.

立派なお寺で,日曜日ということもあろうが,観光客の姿が多い.お賽銭をあげ,頭を垂れて軽くお参りを済まし,お遍路さんの長々とした読経などとは対照的だ.

写真池の先大きな建物が第38番 金剛福寺本堂だ.先ずはここで焼香し,ろうそくを灯し般若心経を読む.


第38番 金剛福寺大師堂

金剛福寺大師堂

次いで左手奥の大師堂に廻った.こちらはぐっと人の姿が少なくなり,静かだ.

そして同じようにお堂の前に立ち,参拝する.


第38番 金剛福寺納経所で朱印を頂く

納経所で朱印を頂く

参拝が終わり,写真左側の納経所に行き,朱印を頂く.納経所もまた立派な建物だ.


足摺岬

足摺岬の中浜万次郎像

足摺岬の中浜万次郎像

第38番 金剛福寺参拝が終わり表に出た.この辺り一帯は公園になっており,先ずは大きな中浜万次郎(ジョン万次郎)像が立てられていた.

万次郎はここより少し西の中浜村で1827年に貧しい漁師の次男として生まれたそうだ.幼くして父を失った万次郎は14歳で仲間と共に漁に出て遭難.数日間漂流し,太平洋の無人島,鳥島に漂着し,無人島生活に入る.

やがて143日後,皆と共にアメリカの捕鯨船ジョンホーランド号に救出される.だが当時日本は鎖国しており,米船舶は日本に立ち寄れない.船長ホイットフィールドは,万次郎を除く4人を安全なハワイに降ろし,米国行きを希望した万次郎を米本土まで連れ戻った.万次郎は船名のジョンと本名を組み合わせジョンマン(John Mung)と呼ばれたそうだ.

本土に入り,ジョンマンはホイットフィールド船長の養子となり,学校で英語,数学,造船,航海術など学び首席になるほど励んだそうだ.

卒業後,実際に捕鯨船に乗り,活動する.やがて帰国を決意.カリフォルニアの金鉱で資金を作り,船を購入.そして出航.途中ハワイに残っていた遭難仲間をピックアップし,1851年琉球に上陸.

薩摩藩や土佐藩の長期尋問を受けるが,やがて幕府の招聘で江戸へ行き直参旗本となり,中浜万次郎を名乗るに至る.そして翻訳や通訳,造船指導,藩校教授に,だが一時スパイ容疑もあったそうな.

やがて日米修好通商条約の批准書交換使節団一員として艦長勝海舟,福沢諭吉ら歴史的重要人物と共に咸臨丸に乗り込む.その後も捕鯨や対外使節団で活躍するが,軽い脳梗塞で倒れ,以降政治活動を離れ余生を送り,71歳の生涯を閉じた,ということだ.ドラマチックで感動的な方です.


足摺自然遊歩道

足摺自然遊歩道

足摺岬には自然遊歩道が備わり,樹木のトンネルが楽しめる.また所々に弘法大師のゆかりの場所,例えば上述の金剛福寺大師亀と同じ趣旨の亀石(いやこちらが古そう)とか,大師の爪書き石,ゆるぎ石,...などが見える.


足摺岬から望む太平洋

足摺岬から望む太平洋

足摺岬から望む太平洋は向こうの果まで見える,いや見えないか?万次郎たちは向こうの方で遭難したのでしょうね.


足摺岬灯台

足摺岬灯台

1914年(大正3年)設置という.以前見物してきた室戸岬灯台の1899年(明治32年)設置と比べると少し新しい.

戦時中は近くにレーダー基地が設置され,それが機銃掃射を受け,灯台も損傷し,1960年(昭和35年)に建て替えられたそうだ.戦後15年間も要したわけで,相当建設費がかかるのであろう.


民宿足摺はっと

民宿足摺はっとへと少し西に行く

少し西に行く

足摺岬を見物し,西に歩いた.そして程なく民宿足摺はっとに至る.

この辺りには民宿やホテルが集中しているようだ.やはり足摺岬や金剛福寺は一定の集客力があるのでしょう.


民宿足摺はっとの客室

民宿足摺はっとの客室

この日は歩く距離が比較的短く,早い時間に宿に到着した.たのも~,いや,ごめんください,と入り口で声を上げると,女将さんが現れ,どうぞどうぞと先ずは二階の部屋に案内してくれた.広い部屋で,民宿では珍しく玄関のたたきを備え,バス,トイレ付きだ.どうやらその分は500円相当で,二階の部屋は500円高いですと言われる.でもなぜかここのバスルームは使用しないで,一階のお風呂をどうぞと言われる.何故かな~?

さて次はそんなお風呂や洗濯場,ダイニングルームなど案内してもらったと思う.女将さんは若干耳が遠くなったせいか大声で,聴き取りやすい.そして内緒話には不向きだ.


足摺はっとの玄関ホールとダイニングルーム

足摺はっとの玄関ホールとダイニングルーム

手前がホールで,奥の掘りごたつタイプ和室がダイニングルーム.

夕食時間となり,ダイニングルームに行く.この日は長崎から見えたという私と同年代くらいの車遍路ご夫妻.そして東京の若い女性バイクのお遍路さん.

バイカーお遍路さんとは互いに向き合った席に座る.そして話を交わす.先ずはバイクというと大型,ひょっとしたら暴走族かと想像するが,50cc原付きだそうだ.何故か安心というか,ほっとするというか,そりゃいいですね~と思う.遍路は初めての経験だが逆打ちで観光も兼ねて廻っているそうだ.


民宿足摺はっとの夕食

民宿足摺はっとの夕食

そして女将さんがお料理のお膳をテーブルに載せてくれた.

白和え,カツオの土佐造り,焼き鯖(きっと清水鯖)などで美味しそうだ.


さらにこんなすごい刺盛りも

さらにこんなすごい刺盛りも

で,それだけではなかった.な,何と二人分でこんなに立派な刺盛りが.

頭付きはイサキだったか....他に清水サバ,マグロ,などだったか.

一部,私より3つほど年上というご主人が釣り上げ,そして捌いてくれたようで,傍らで釣りの話などしてくれた.まだまだ現役で頼もしいですね.でも膝は人工関節で,完全ではないし,一定期間過ぎると再手術が必要だとも.なお女将さんは私より2歳若く,健康だそうだ.健康第一ですね.

長崎の車遍路の旦那さんは釣りも好きだそうで,次は遍路ではなく,釣りにも来てみたいな~と言っている.長崎からであれば車で釣り道具を載せ,通しで来れるからいいのではなかろうか.

お皿には輪切りみかんが添えてあるが,これを眺めながらバイカーお遍路さんは,愛媛のお接待はすごいです,一度に10個以上のみかんを下さるので,どこに積むか大変です,と.まあ,それだけあるといくらバイクでも運ぶの容易じゃないですね.....直ぐに食べるのが正解かな.



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