この遍路13日目編では,2017年11月12日民宿住吉荘で朝を迎え,朝食後車で第28番 大日寺まで送ってもらい,ここから遍路開始,JR土讃線へ至り同行のKさんとお別れし,第29番 国分寺を参拝し,次いで第30番 善楽寺を参拝し,高知市街を経て,サンピアセリーズ高知に着いたときの写真を載せました.
11月12日朝がきた.民宿住吉荘で目覚めると,寝具を畳み,身支度して別館二階食堂に行った.そしてご飯の朝食を頂く.普段の簡素な食事からすると内容が濃く,歩く準備に相応しい.
朝食を頂いているうちに徐々に陽が昇ってきた.前日は到着時既に暗くなりかけていたせいもあり,周囲の景色に無頓着であったが,こうして眺めると港が直ぐそこで驚いてしまった.手元のマップでは港名は記されてないが,住吉海水浴場の名は見える.よって住吉港であろう.さらに住吉荘の名もその地名に因むのであろう.
食事を終えると,この朝は住吉荘ご主人が前日打ち終えた第28番 大日寺まで車で送って下さった.助かります,ありがとうございました.
車で送ってもらった第28番 大日寺から,西に向け歩き始めた.私は第29番 国分寺に向かい,Kさんは帰路に向けJR土讃線後免駅へと向かう.途中後免駅手前までは同じルートなので,同じに向かった.
このルートは概ね農道,とは言っても立派な舗装道路だが,でなかなかいい遍路道と言えよう.
途中コスモス畑が広がっていた.これまで幾度もコスモスに出合い,美しかった.ここは満開の最盛期のようで,また朝日に照らされているためか一段と鮮やかに見える.見事だ.
農道からやがて県道364号線に入り,直ぐさま物部川の橋に差し掛かった.川幅は結構広く,橋は無論それより長い.一級河川で急流だそうだ.物部と聞くと古代豪族を偲ばせるが関連はいかに....
物部川から少し行くとまた農道に入り,JR土讃線を目指した.広々した刈り入れ後の田んぼの中を行くいい道だ.
JR土讃線脇に至った.これに沿い,ほんの少し西(左側)に行くと,Kさんの乗る後免駅がある筈だ.そして私は線路を越えて北上し,第29番 国分寺に向かう.なお後免は土佐くろしお鉄道のごめん-なはり線の一方の終点でもある.
ということで大変お世話になったKさんとお別れする.どうぞお気を付けて.そして2,3,時間後,鉄道と高速バスを乗り継ぎ無事帰途に就いた旨連絡いただいき,安堵した.また後日この後免駅から遍路を継続再開する見込みということなので,ぜひ計画が順調にいくよう願ってます.
JR土讃線の踏切を渡り,県道45号線遍路道をどんどん北上した.歩道も備えた単調な道だ.
やがて新改川にぶつかり,ここの橋を渡る.そしてそのまま進み,次の三叉路で左折すればよかったようだが,この辺りでグーグルマップのルート案内を見ていたら,一旦新改川沿いを西に進み,そこから畦道のような細い道が示され,それに従う.距離はむしろ若干長いし,グーグル流シャレのようだ.
畦道から間もなく第29番 国分寺山に到着した.国分寺の名は,遍路4日目第15番 国分寺に続いて2つ目だ.そのために(かどうかは置いておいて)山門には摩尼山との山名が掲げられている.
山門は2階に回廊を持ち,銅板貼り屋根の楼門形式だ.両サイドには仁王さまが睨みを効かせている.
山門から本堂へ石畳のきれいな道が敷かれている.木立も美しい.両側は白壁の塀があるのはこれまであまり見ない形式か.
本堂前に着いた.本堂は古い木造,屋根はとても珍しい藁葺で,全て統一的色合いでまとめられている.そして藁葺きでありながら,厚くはなく,銅板葺のように,見掛けが薄く仕上げられているのに驚く.
ここでは10人余のグループの皆さんが一緒に経を唱えていた.やはりそのスピードはプロ級で速い.
本堂参拝後,左脇の大師堂に移る.本堂と違って銅板葺で,銅板間隔と撮像素子ピッチが干渉し,恰も見本の如くモワレが生じている.
全体的に小さなお堂だが手前円弧状庇下辺りの込み入った垂木や彫刻はなかなか見応えがある.そしてことでろうそくと線香を灯し,経を唱える.
次いで納経所に廻る.周囲の庭木や庭石はよく整備され,綺麗だ.整備され過ぎ,箱庭的なきらいがあるような気もする(もっとワイルドさが欲しいの婉曲表現)
国分寺参拝を終え,再び農道遍路道へ入った.次の第30番 善楽寺まで6.4kmとの道標がある.一時間半少しかかるであろうか.
農道遍路道は程なく上述の新改川土手沿いを歩くようになり,次に国道32号線(高知東道路)とぶつかり,これをちょっとだけ北に行き,新改川に流れ込む支流の橋を渡るのが正しいルートだ.
だが私は国道32号線(高知東道路)に出たところで,不覚にも(と言いながら頻繁にあるのだが)北に行かず,南に曲がってしまった.そしてしばらくして気づき,戻った.ページ初めのマップにその間違えたトラックが赤い突起状にありありと記録されている.
新改川支流を越え,細かい通りを進むと,大きな県道384号線(土佐北街道)となる.以降これをひたすら西に進めば第30番 善楽寺に至る筈だ.
さて県道384号線(土佐北街道)遍路道は少し高台から始まり,先方には緑豊かな山の斜面や点在する建物が見えてくる.
土佐北街道を下るうち,第30番 善楽寺間近になり,そこに至る道標が現れてきた.そしてそれに従い歩く.
そしてこの道がなかなかどうして,小路や階段が込み入っておりトリッキーなのだ.でも今度は先程の失敗を踏まえ,道標を虱潰しに観察しながら歩いたので問題なかった.まだ学習能力は幾らか残っている....いやまだ気を抜いたらいかんぞな.
さてそんな道標に従い,善楽寺に辿り着いた筈だが,山門は見当たらず,いきなり善楽寺境内に入っている.いいのかな~?
ただ百々山 東明院 善楽寺の石の角柱が立っているし,十一面観世音菩薩像がその傍にある.いいことにしよう.
こちらが第30番 善楽寺本堂,本堂にしてはコンパクトでシンプルな造りだ.
手前の手水舎で清め,ここに来て経を上げる.
次いで本堂左隣の大師堂でも同じことを繰り返す.そしてさらに左手の納経所に移り,朱印墨書きを貰う.
ところで善楽寺境内は上述の如く山門はない(見つからなかっただけか?)し,塀のような仕切りもないし,曖昧でとても開放的だ.大きな木の周囲にベンチなど整備され,都市公園と変わりない印象だ.
善楽寺境内を出ると,隣接して土佐神社の鳥居,そして奥に大きな社が見えた.この日は11月12日日曜日とあって,七五三で着飾ったお子さん連れ家族が幾組も訪れている.
それにしても随分大きい神社だが,既に日本書紀でこの土佐神社名が現れるそうで,相当由緒ある神社らしい.
土佐神社の鳥居から退くと,大きな楼門があった.すわっ,これが善楽寺の山門か~?と両側の格子を覗くが仁王さまは見えない.そしてちゃんと観るとしめ縄が架けられているので神社施設だ.
そして傍らの説明書きを見ると,土佐神社,5世紀後半の創建で....この鼓楼は1982年国の重要文化財に指定され.....云々と記されている.それは由緒ある神社なわけだ.それにしても神社の門と寺の門は,少なくとも建築構造的にはかなり似ているものなのですね.
第30番 善楽寺参拝が終わり,再び県道384号線(土佐北街道)に戻り,南西の高知市街地方向に歩いた.途中南に曲がり,歩けば今日泊まる予定のサンピアセリーズ高知ホテルは間近なのだが,早すぎてチェックインタイムに至らない.そこで高知市街地を見物してみることにし,そちらに向いた.
そして途中まで歩くとレストランがあり,温かいもの,何らかのセットメニューを食べた.お店で座って食べるランチは実に久しぶりだ.市街地近くなったのでお店があるのだ.
県道384号線(土佐北街道)をどんどん行くと市街地になり,大きな建物が増えてきた.
高知と言えばはりまや橋でしょう,と云うことでここに来て眺める.朱塗り木製の小さな太鼓橋だ.
私は歌謡曲の歌詞くらいしか知らないのだが,坊さんがこの辺りの小間物屋で恋仲になった娘にプレゼントのかんざしを買うというものだ.坊さんは,明日参拝予定の第31番五台山 竹林寺の修行僧純信で,相手は若いお馬さんだった.お馬さんは相当モテたようで三角関係の噂もあったそうな.
ただ決定的だったのは,純信が竹林寺の修行僧の身であり,当時は許されぬ行為(現在は多分許容されよう)で,やがて二人は駆け落ちしようと試みたが失敗,捉えられ,土佐の国から(別々の地に)追放されたそうだ.甚だ気の毒な話だ.ただ時代が下ると,二人は互いに別の人と巡りあい,一緒になった,と聞くと,まだ救われる.
昔この辺りには播磨屋と櫃屋という堀で隔てられた大きな店舗があり,お客さんの往来にお堀だと不便なので橋を架けようと相談したのがはりまや橋の始まりということだ.
現在見える小川はそのお堀の名残りで,周辺にはかんざしを含めて扱うお土産屋さんも幾つか見えた.坊さんは....このとき見えなかった.
リョーマの休日,アハハハ~高知県観光キャンペーンだそうだ.歴史を訪ねて美味しいを知る,とも添えられている.面白そうだ.
高知市街には路面電車が走っていた.最近少なくなった平行四辺形のパンタグラフが懐かしい.
なお車両は全部同じではなく,いろいろな色や模様でデザインされている.
そのうちJR土讃線高知駅前になり,土佐三志士像が立っていた.土佐藩幕末の志士で,左から武市半平太,坂本龍馬,中岡慎太郎ということだ.
武市半平太は土佐勤王党の創設者で,藩主山内容堂に対する不敬行為ありとして1865年に切腹,坂本龍馬と中岡慎太郎は1867年京都近江屋で暗殺され,明治維新成立(1968年~)前に死してしまった.
土佐三志士像背後のJR土讃線高知駅駅舎だ.別にここで電車に乗るわけではないのだが,ここから直角に右(東)に折れて,一目散に宿に向かうのだ.
高知市街地をどんどん歩き,徐々に建物が疎らになりかけた.そして大きな河幅の国分川を渡った.国分川は朝第29番 国分寺を訪れる直前で道を間違えた新改川下流での名称のようだ.単純に国分寺近くを流れているの国分川とすればいいものを.....
それでこの辺りは海に注ぐ直前で,かなり河幅が広い.汽水域でしょうか.
国分川を越えるとそこはもう完全に郊外で,建物は疎らになる.高速道路と思しき橋脚が工事中だ.
高知県は今でも立派な道路がたくさん通っているが,何でも南海トラフ地震の備えで,津波が来ても耐え,食料や復旧物資供給のヘリポート機能を備える高速道路を新設中なのだそうだ.これは翌日,第34番 種間寺から乗り合いタクシーで高知屋に打ち戻るとき,運転手さんに聞いた話だ.
程なくサンピアセリーズホテルに着き,チェックインする.グランドピアノの置かれたこのホール前を通過した先に大浴場(行かなかったが)と,その左を曲がったところに洗濯場があります,などと説明を聞き,キーを受け取る.
サンピアセリーズの客室はツインの角部屋だった.十分広くて,何よりも椅子とテーブルがあるので楽だ.それと勿論wifiは備えている.
それと前夜民宿住吉荘での夕食時,逆打ちお遍路Hさんが,ここのバスタブカーテンがきれいに折り畳まれていることに感心した,と話していたが,実際見てみると果たしてそのとおりだった.総じて清潔感十分だ.
そして着替え,一階の洗濯場に向かう.ちょっと距離があり,到着.たまたまもう一人の男性と鉢合わせする.しかし洗濯機も乾燥機も1台づつしか備えてない.30代後半と思しき男性は親切に,どうぞお先に,と譲ってくれた.すみません,ありがとうございます.客室数の結構ありそうなホテルだが,毎日洗濯が欠かせないお遍路のような客はあまり多くないと見込んでのことであろう.民宿では経験しなかった出来事だ.
一方は上写真のように畑が広がり,南は遊園地のような施設が見え,さらに先は畑が多い.遊園地はホテルの付属か,それとも別企業の経営か?
レセプションでお願いしていた時間になり,レストランに行った.黒いスーツにネクタイのウェーターが広いテーブルに案内してくれた.広いテーブルに一人はちと寂しいが仕方ない.
写真のオードブル,次いでポタージュスープ,メインのポーク,フルーツと甘味のデザートを順次並べてくれた.連日美味しい魚を味わってきたのでたまにポークも良かろう.それと大ジョッキのビールも頂いたのだが,これが大問題.持つと右肩がとても痛い.ザックの重みで大分痛めたようだ.
部屋に戻ると,例の保存協力会のマップを見ながら,明日の作戦を確認する.そして第33番 雪蹊寺前の民宿高知屋に電話し,予約した.ただこのときチェックインタイムを確認しなかったのはちょっと失敗だった.