この遍路4日目編では,2018年3月4日民宿みやこを発ち,第43番 明石寺を参拝し,卯之町を通過し,西予市の道を通り,鳥坂隧道を越え,大洲の道をたどり,ふるさと旅館へと歩いたときの写真を載せました.
民宿みやこで3月4日朝を迎えた.窓を覗くと少し低地に宇和川が流れていた.そしてその先は農地や,コンクリート工場であろうか,工場らしきが見え,さらに奥側には住戸が並んでいる.
民宿みやこさんが見切りを付けたという農業用地はこの辺りにあったようだ.確かに地形や面積を見ると,素人目ながら継続は厳しいようである.
隣のレストランで朝食を頂いた.生干し状ちりめんじゃこなど美味しかった.
民宿みやこの前で,大変恐縮ながらご夫妻の見送りを受け立ち去った.些か照れくさくもあったが,その暖かさが忘れられない.お世話になりました.
みやこを出ると店の面する県道29号線をそのまま北上した.狭い県道だが交通量は少なく歩き易い.
県道29号線遍路道は少し先で右の住宅街に入り,そして道標に従い細い路地など通り,幾らか高度を上げた.
路地状道を行くと西予市営宇和球場に出た.広いグラウンドでは2,3組のチームが練習していた.遍路道はセンターからライト方向を巻くように設けられており,ここを抜ける.
球場を抜けると,遍路道は森に入っていった.そして小さな社があり,その脇を進んだ.
森の後は半ば森の閑静なエリアになった.第43番 明石寺は近そうだ.
最初右手に納経所,次に左に手水場があり,次に石階段の先に第43番 明石寺山門があった.木造一階建てで,屋根瓦が茶色に染まったためもありなかなか歴史を感じさせる.そしてここで一礼し本堂への階段に入っていった.
石段の先に第43番明石寺本堂があった.所在地は上球場と同じ西予市になる.屋根瓦が茶色になっているのは山門と同様である.なぜでしょうか.
明石寺の歴史は大変古く,在位539~570年欽明天皇の勅願で,本尊を千手観世音菩薩として開基されたそうだ.そして後1194年,源頼朝が,平清盛から命を救ってくれた恩人池の禅尼を弔うために阿弥陀如来を祀り,宗派は天台寺門宗,山号を『源光山』に改めたということだ.また現本堂は明治時代に建てられた建築という.
とにかく先ずはここを参拝し,次に右側の大師堂でお参りし,納経所に回った.
この写真は左から,鐘楼,本堂,大師堂,そして黄色に縁取られて見える釈迦の足形を記した仏足跡を彫り込んだ仏足石だ.
仏像が作られるより以前の時代には,こうした仏足跡を礼拝したということだ.偶像崇拝のはしりということであろうか.
比較的狭い明石寺境内大師堂脇に夫婦杉があった.そに間にはしめ縄が掛けられ,完全に神社の雰囲気であるが,これまで幾度となく出合った神仏習合の観点からすると,違和感はない.
明石寺の門前に売店があり,ここで菅笠を買った.前回の三角形と異なり,高さの低い丸型とした.やはり菅笠がないとコスプレ的には落ち着かないのだ.
明石寺参拝が終わり,ここを離れる.出口は明石寺の左側になり,遍路道は山道となる.
遍路道は一旦緩やかな上りとなった.道は柵も整備され,落ち葉に覆われた気持ちのいい路面だ.
杉林の中をしばし進むと,やがて下りに転じる.こちらもなかなか快適な道だ.
山道のトレイルはやがて普通の舗装道になった.そして緩やかな傾斜を下るうちに写真の卯之町に至った.卯之町はやはり西予市に属し,宇和島藩の宿場として栄えた歴史があるそうだ.蘭学の先駆け,文明開化のはしりの地でもあったそうで,往時の伝統的建築を今に伝えている.
遍路道を辿る途中では,いろいろなお寺や神社に出合う.ここ卯之町辺りでも一例として日蓮宗のお寺さんがあった.建物は比較的新しく,庭がきれいに整備された立派な寺だ.
明石寺参拝が早い時間に終わり,卯之町を通過するが,この後も長い距離西予市の遍路道を継続することになる.
遍路道は暫く国道56号線の右側に沿う住宅街や農地を通過する通りになる.なかなかいい道だ.
静かな住宅街を進むと三好さんのお遍路さん休憩所があった.ここでちょっと一休みし,置いてあったお接待のみかんを頂戴した.とても美味しく頂きました.
遍路道はやがて国道56号線になった.歩道があるのでまあまあいいであろう.
国道脇には朝民宿みやこのご主人に聞いていたヤマダ電機の店舗があった.モバイルバッテリの充電USB端子(マイクロBかな)が,手持ちのスマホの端子(タイプC)用ケーブルと異なり,バッテリ用を買う必要があった.着いたときまだ開店前で,少し待って,現物合わせし買い求めることができた.
この辺りの遍路道は『四国の道』と一致しており,標識によれば明石寺から10km地点に到達したようだ.そして鳥坂峠まで2.7kmのようである.
さらに行くと鳥坂峠の案内標識があった.鳥坂峠を越えるには二通りあり,峠道5.5km,60分のコース,或いは鳥坂隧道の狭い歩道を行く2.1km,25分のコースということだ.
楽したい私が後者をチョイスしたのは言うまでもない.
例の謎のナンバー西予市版があった.解りやすく『西』の文字が加えられている.家は卯之町辺りで見てきた伝統建築であろうか.
さて鳥坂(とさか)隧道に差し掛かった.狭い歩道を歩くため反射タスキ利用を呼びかけている.もちろんそれに従う.さもないとドライバーの皆さんも見えなくて困るであろう.
さて鳥坂隧道に入った.確かに歩道は狭い.ただここだけが狭いというわけではなく,これまでもこの程度の歩道幅トンネルはあった.
鳥坂隧道は全長1,117mで,しかも交通量はとても多い.う~ん確かに危険度は一番かも知れんな~
戦国期,鳥坂峠は大洲地方を領した宇都宮家と,宇和地方を領した西園寺家との境界で,度々国境紛争があったところだそうだ.また少し時代が下ると,この近くには,今は跡形もないが大洲藩の番所(パスポートコントロール)が設けられ,厳しく管理されていたらしい.
鳥坂隧道トンネルを越えるとそこには例のナンバープレート,大洲市版が掲示されていた.魚を捕らえる鵜,花,城が描かれている.大洲市は鵜飼でも知られ,城は大洲城のようだが,花については不明だ.大洲城については後で眺めることになる.
鳥坂隧道を出た先は緩やかな下りで,十分幅広い歩道を備えたいい道だ.標高470mという位置からは先方の山並みが良く見渡せる.
鳥坂峠から大洲市に入った.そして舗装されたいい道をどんどん下った.眺めがなかなか素敵だ.
暫く下ると珍しいことに食堂に出合い,ここに寄る.看板を見るに別棟であろうがカラオケ店も営業しているようだ.四国では相対的にカラオケ店を多く見かける.
名前は思い出せないが,写真の通り豚肉とキャベツ等野菜の丼ものを食べた.行動食としていいような気がした.
食べ終えて,支払いを済ますと,『これはお接待です』と20代と思しき店長(とは言っても他の店員は居ないが)がむぎ茶を下さった.ありがとうございます.650mlもあり,少し重かった.
遍路道は住宅が増え始める辺りに差し掛かり,先方には松山自動車道の高架橋が見えている.依然柵付き歩道が備えられ結構だ.
遍路道はいよいよ大洲の街に入ってきた.そして大洲神社の看板と,長い階段が見えた.
大洲神社は福徳の神,商売繁盛の神,安産の神として知られるそうだ.鎌倉時代,当初藩主が大洲城として築き,後の世に神社に転換されたそうである.
神社から暫く行くと,昿川(ひじかわ)に至り,そこでは古い橋(昿川橋)の架替工事中だった.クレーンのあるところが新しく建設中の橋で,今歩きシャッターを押したのは仮設橋だそうだ.仮設と言っても立派な橋で相当の交通量がある.
ちょっと小さいが写真左上に大洲城が見える.大洲城は鎌倉時代末期,伊予国守護宇都宮豊房の築いた城に始まるという.以降諸領主が引き継ぎながら改築してきたそうだ.現在見えている4層4階の天守は,江戸期の木組模型などの史料を元に2004年の復元工事で完成したという.
昿川からは予想以上に長い道のりだった.遍路道(国道56号線)脇には大型店舗や車販売店など並ぶ商業エリアだ.私は前日歩き過ぎの疲労がここに来てどっと現れ,腰が痛くなった.そして座る場所はあまり見つからないのだが,あればそこに腰を下ろし,何とか宿まで辿った.前回を含め,遍路中最も疲れたのがこの昿川からふるさと旅館への道のりだった.
ということで疲れ切ってふるさと旅館に到着した.全般に古びた旅館だが,日曜なので食事無しでいいなら,という条件で予約できた宿だった.
出迎えてくれた担当者は大変親切に部屋やランドリー,お風呂場,自販機など案内してくれた.ランドリーには多数の洗濯機と乾燥機が並び,お風呂はとても広い.自販機のビールもコンビニとたいして違わぬ値段だ.
部屋は普通の倍,12畳くらいの広さがあり,こたつを備えている.もちろん普通のエアコンもあるので十分温かい.私以外は工事関係者が数人泊まっているそうだが,戻るのが遅いそうで,広いお風呂は独り占めだった.
食事はないので,一風呂浴びた後,近くのコンビニにおつまみを買いに行き,確かヤキトリやチーズ....等々買って.自販機でビールを仕入れてこたつで食した.こたつはここ10年くらい入ったことがなく,久しぶりだ.