この遍路18日目編では,2018年3月18日,この日は休足日で,遍路はお休みだ.そのため善通寺宿坊で朝を迎え,同寺御影堂で朝の勤行に加わり,同寺境内を巡りながらJR善通寺駅から電車で琴平へ行き,金毘羅参りをし,再び善通寺駅に戻り,善通寺グランドホテルで宿泊したときの写真を載せました.
3月18日,善通寺宿坊で朝を迎えた.6時からお勤め(勤行)があるので,宿坊と廻廊でつながる御影堂のお部屋に行く.入ると金色の祭壇を正面に,両側にお坊さんの座る席が並び,その手前に私たち参拝者の席が設けてあった.
私たち参加者は20人ほどであったか,祭壇遠くの正面に座り,お坊さん(尼僧含む)が左右各4人ずつ,あわせて8人座られた.これまでのお勤めでは住職一人で行われていたので,大勢で驚いてしまった.
そしてその中のお一人,ご住職でしょうか,が中央の席に座り長い読経が行われた.そして読経を終えると,法話があり,聞き入る.
法話の後,弘法大師が唐で修行し,帰国に際して授かったという錫杖を見せてもらい,またその音色を聴く.
続いて御影堂地下にある約100mの真っ暗な回廊を宝号を唱えながら巡る『戒壇めぐり』という修行(?)を行う.地下に入ると完全に真っ暗で,これには驚く.暗黒なので,左手で壁をさすりながら,前に進む.壁(通路)はフリーハンドで蛇行する線を描いたように感じられた.改めてその意義を質すと,心身を清めお大師さまと結縁する道ということのようだ.よく理解してないが,出生地善通寺御影堂ならではの体験で,それはそれで意義深かったと思う.
他の寺同様,勤行の後はダイニングルームに足を運んだ.善通寺宿坊はお遍路に限定せず,普通の観光客など誰でも泊めるそうで,勤行に出た人より多くの座席が用意してあった.ここの大浴場は温泉で,また周囲に見るところも多そうなので普通の観光客にも良さそうだ.
昨晩の夕食も非精進料理であったが,この朝も魚や玉子を添えた一般的なものだ.結構なことだ.
朝食を頂くと,広い善通寺境内を歩き,南大門近くに歩いた.ここには2本の大きな楠があった.神社の御神木と同じようにしめ縄が掛かっているのが興味深い.
樹齢1200年以上と伝えられるそうで,その根拠は,空海の著作『御遺告』に,豫樟という言葉が記されているからということだ.そしてその豫樟(よしょう)はタブノキあるいはイヌグスとも称され,クスノキ科の常緑高木とされているようである.
楠を眺めて,礼をして善通寺南大門から出た.そして振り返ると本寺の山号が掲げられ,背後には五重塔が聳えていた.
南大門の両側塀に通り道が設けてあるが,これは参拝用ではない通用門なのでしょうか?
今日は休足日で遍路はお休み,代わりに電車でこんぴらさんお参りに行く.そこで先ずJR善通寺駅へと歩いた.JR四国ではSuicaカードは使えないので,隣の琴平駅までの切符を買う.
改札を出るとき,琴平方面はどのホームでしょうかと訊ねると,改札眼の前を指差し,このホームですよ,と教えてもらう.そして電車は直ぐ来たので乗り込む.
でもそれはアサッテの方向であると気付いた.でもどうせ時間がいっぱいあるからも少し行ってみよう,と終点多度津町まで行ってみた.なお多度津町は明日再開する遍路で,通過する町だ.でもほんとバカみたいだ.東京メトロは乗り換えが複雑でよく悩むが,JR四国は単純なようでいて,実は罠が仕掛けられている(掛かるのは自分だけだが)
終点多度津町で,反対向き電車(これしかない),しかも琴平行きという絶対間違いが起こり得ない電車に乗った.そして善通寺を通り,終点琴平駅に到着した.
JR琴平駅に降り立ち,正面大通り(ここは既に金比羅宮参道である)を進んだ.程なく右に,SLの動輪と思しき一対の車輪が置かれ,『ことでん』の駅があった.
ことでんは高松琴平電気鉄道(株)のことで,戦前に創業され,現在香川県に3つの路線を有しているそうだ.この琴電琴平駅は高松との間を結ぶ路線の終点という.ところで四国は面積の割にいろいろな鉄道会社がひしめき合っているように見える.
JR琴平駅からの大通り参道を暫し歩き,参道はいよいよ石の階段に入った.いかにも参道で,両側にはお土産店など途切れることなく並んでいる.
また,まだ朝であるが,結構な数の参拝者が階段を上っていく.階段は御本宮まで785段あるという.これは前日上った第71番弥谷寺本堂までの530段より多い段数だ.でも一段の高さは小さいように見えるかな.....?
ところで,こんぴらさんは時代によって大きく変り,古代には大物主(日本神話に登場する神)を祀る琴平宮,そこから江戸時代までは神仏習合の金毘羅大権現神と仏教複合寺院,明治からの神仏分離令で金刀比羅神社になったようだ.現在主に祀られているのは大物主と崇徳天皇で,農業,殖産,医薬,海上守護の神様,ということだ.
階段を365段(一年と関係か?)上ると大門があった.名のように二層入母屋屋根の巨大な門だ.
門上部には琴平山の山号額が架けられ,お寺さんと同じなのだな~と感心する.
大門は1649年,高松藩初代藩主松平頼重の寄進だという.仏教複合寺院時代には仁王門として使われていたようだ.
さらに驚いた,大門両脇には仁王像や四天王ではなく,矢を背負った武士の像なのですね.考えて見れば違うのが当然のことでしょうが,やはりびっくりとしました.
この武士像は左大臣,右大臣と呼ばれ,随身(ずいじん),とする記述があった.辞書を見ると,随身は平安時代以降,貴人の外出時,警衛と威儀を兼ねてつけられた近衛府の官人,言わばSP.神社の左右の神門に安置される守護神,とあるのでそれでいいようだ.
大門を過ぎると,参道左,大傘の下『元祖御飴五人百姓』の看板を出した露店が五店並ぶ.五人百姓と称された先祖の功労が認められ,現在も唯一境内での商売を許されているというべっこう飴屋さんだという.当時お百姓さんがアルバイトで飴を作り販売していたのでしょうか.確かに境内での商売は,普通お祭りのときだけ,とかいうのが多いでしょうね.
上述のように金毘羅さまは海上守護の神様でもある.そして今治造船(株)奉納,直径6mの大きな船舶プロペラが据えてあった.色からすると黄銅(真鍮)であろう.5枚の羽根は5軸制御NCミリングマシンあたりで加工されるのであろうが,この現物は挽き目がよく見えている.多分実際の製品はこの後研削加工されるのではなかろうか.
石段429段目広場奥に御厩(みうまや)があり,そこに白い神馬,月琴(げっきん)号がいた.神さまの乗り物として奉納された馬という.
神馬の歴史は古く,既に奈良時代から祈願のため神社に奉納する慣わしがあったそうだ.
本月琴号はアラブ系で,帯広産まれ,13歳(人の52歳相当と記されている),高松市在住信徒の方が奉納されたそうだ.そして年に一度の例大祭で,大神様の御神輿の行列に随伴するそうである.
参道から横に入り口を眺めただけだが,金毘羅宮の書院だそうだ.元は諸儀式や参拝に訪れた人々との応接の場として用いた客殿だったそうだ.入母屋造りの外観も素晴らしいが,中には重要文化財である円山応挙の障壁画が見られるそうだ.
さて書院を過ぎると,金毘羅宮御旭社への階段となる.幅広い階段で周囲は樹木が茂り美しい.
628段上り,旭社の前に来た.全部入らないので,少し階段を降りて引いてみる.銅板葺二重入母屋造りで,総﨔製1837年竣工ということだ.
旭社には全く理解してないが,天御中主神,高皇産霊神,神皇産霊神,伊邪那岐神,......等々神々が祀られているのだという.
旭社を過ぎるといよいよ金毘羅宮御本宮への階段となる.階段先石の鳥居から覗いているのが御本宮のようである.
階段は4段階に分かれ,各数十段あり,御前四段坂と呼ばれるそうだ.
785段の石段を上り金毘羅宮御本宮に着いた.本宮の御祭神は,上述のように大物主と崇徳天皇が祀られている.
御本宮社殿は長保3年(1001年),一條天皇の勅で改築したのに始まり,その後1573年の改築,さらに後数度の改築を経て,明治11年(1878年)現在の社殿になったという.全て檜材構造,檜皮葺の建築という.
フラシュなしでは可なので撮した拝殿.拝礼作法がわからないので単純な礼だけに留めた.
あまりピカピカしたものは目立たず,全般に落ち着いた配色とデザインの拝殿,の印象だ.
金毘羅宮御本宮は標高251mにあるそうだ.ここからは讃岐平野の街や,いくつかの低い独立峰がよく見える.
各地から奉納されたという多くの絵馬が掲げられている.元々は上述の月琴号のように生きた駿馬を奉納したのが始まりで,後に絵になったそうだ.その上武者絵や美人画の絵馬など加わり,さらに航海安全祈願の船の絵馬(写真右)も見える.
御本宮の左側に建てられている三穂津姫社.本宮の御祭神である大物主の后にあたる高皇産霊神の御女三穂津姫神が祀られているという.檜皮葺造りが重厚で美しい.
三穂津姫社の左に下り専用階段が設けられている.緑が茂り,気持ちのいい通りだ.
ところで,今回金毘羅宮を特別訪れて見たかったのには理由があった.既に10年余り前になるがエベレスト街道を歩いたときクーンビラ(Khumbila:5,761m)という山に出合い,それが登ってはならないシェルパ族の聖山で,また日本の金毘羅さまはこのクーンビラ(サンスクリット語だそうだ)のことだ.さらに遡ればクーンビラはワニを意味し,ワニを祀る風習は仏教に由来する,ということを聞いていたことだ.
今回単に参道を歩き,御本宮に行っただけであるので,クーンビラやワニに関連するものを見い出すことはできなかった.そこで今ネットで検索して見ると,クーンビラ(金毘羅)は元来ガンジス川に棲む鰐を神格化した水神で,またガンジス川の女神ガンガーの乗り物でもあることから,金毘羅権現は海上交通の守り神として,特に舟乗りから信仰されてきたそうだ.一般に大きな港を見下ろす山の上に金毘羅宮が全国各地に建てられ,金毘羅権現として祀られていたのだそうだ.
では現在四国のここ以外にもあるのであろうか?これも検索してみると,北海道や石川県,また私のよく行く高尾山薬王院でも金毘羅社として祀られているそうで,びっくりだ.
下り専用階段は間もなく終わり,往復階段に合流した.そして讃岐平野を眺めながら下った.
往きも通ったのだが,戻りも同じ参道を逆方向に歩いた.道の両側にはレストランやお土産店が並んでいる.参拝者が八十八札所のお寺のどこと較べても圧倒的に多いので,お店もそれなりに繁盛しているのではなかろうか.
参道は坂を下りると左に曲がるのだが,ここを行かず真っ直ぐ,地元の生活道路で商店街,アーケードの新町商店街を通ってみた.
参道はあれほど賑わっていたのに,こちらは閑散としている.商店街の皆さんは何とかしなくては....と思案中でしょうから,いい解が見つかるといいですね.
往きで降りたJR琴平駅に戻った.今夜の宿は宿坊ではないが,善通寺市内の善通寺グランドホテル.ということでここから一駅隣りの善通寺まで乗る.
琴平駅はドイツの木造住宅に少し似て,白壁の黒い柱の模様が面白い,斜めの露出した筋交いがあればさらにそっくりだ.
JR善通寺駅には直ぐ着いた.駅前に出てほんの少し歩くと,善通寺市美術館があり,ギャラリーでは自然写真展が開催されていた.時間があった,いやあり過ぎたので,一時間余りゆっくり見せてもらった.主催団体は全国ネット写真団体の県(或いは市の)支部で,展示された作品は非常に高レベルだ.またそれまでに出版された写真集も多数揃えてあり,こちらも見せてもらった.
写真展を見てからまた少し歩くと,うどん屋さんがあった.うどん県を名乗るように,うどん屋さんは多く,香川でランチといえば,デフォルトはうどんであろう,多分.ここの怪しげな名前のお店麺賊は半ばセルフサービスで,前の人の動きを真似し,トレイを滑らせながらうどんを,次いでお肉のトッピングを入れてもらった.さすが本場もの,美味しかった.
ギャラリーの写真展で時間を費やした筈だが,善通寺グランドホテルには早く着いてしまった.しかし優しいグランドホテルには問題なくチェックインさせてもらい,助かった.今日は休足日なので,やはり足を休めなくては.
チェックインのとき,多分経営者が同じなのか,隣の居酒屋ドリンク券一枚をくれた.賢いことに当日限り有効,とも書いてある.行ってみるか....でも開店は5時からということでまだ間がある.
キーをもらって部屋に入る.狭いが問題ない.wifiはあったと思う.
時間がいっぱいあるので,継続中の靴ソール剥がれ問題,テーピングテープで対策,いや一時凌ぎしてきたが,雨に弱い.そこで対処第2弾として強力接着剤を探しに出た.幸運なことに接着剤を売る大きなホームセンターが道路を挟んで直ぐの所に見つかり,ゴム系接着剤を買い,戻って貼り付ける.ただ後に知ることになるが,接着剤もまた雨に弱く,直ぐ剥がれてしまう.やはり運を天に任す,いや,お大師さまのお導きに任す外なかろうか....
5時になりグランドホテル隣の居酒屋に行った.結構広い店舗で,開店を待っていた数人のグループ客と同時に中に入る.私は一人なので,カウンターに座らせてもらう.焼き魚やヤキトリなど,言わば全国区ありふれた普通の肴でスーパードライを味わった.やはり瓶ビールは美味い(世間では生ビール派が多いと思う).
さて今日は満足な休足日だった.明日から遍路再開だ.でも天気予報は雨だ.涅槃の道場に入り,静かな日々が続くと期待していたが.....修行の道場に戻るみたいだな....