この遍路9日目編では,2018年3月9日たかのこのホテルを発ち,第50番 繁多寺,第51番 石手寺と参拝し,道後温泉を通過し,第52番 太山寺,第53番 円明寺を訪ね,シーパMAKOTOへと辿ったときの写真を載せました.
たかのこのホテルで3月9日朝を迎えた.いまのところ雨は降ってないようだ.カッパは着ないで大丈夫そうだ.
そして一階に降り,チェックアウトし,表に出た.最初は前日訪れた第49番浄土寺の方向に歩き,ここで軽く一礼し,北に向かった.
少し歩いていると赤い鳥居の神社に出合った.神社名は定かでないが,鳥居前2本の石柱に鳥舞,魚躍と刻まれている.正しい解釈はともかく単純に面白い言葉だな~と思い,撮してみた.
第50番繁多寺への遍路道は住宅街の縁のような場所を通過する.かなり遍路道としての雰囲気がいい通りだ.
暫く歩き第50番繁多寺山門前に来た.山門は石段の上に築かれ,両側に短い塀をつなげたシンプルな形である.
一礼し山門を潜ると右側に手水場,鐘楼が現れ,左側に納経所(と方丈)が置かれている.
山門から真正面に進むと入母屋大きな本堂に行き当たり,その右に方形屋根小振りな大師堂が建てられている.
749〜757年ころ行基菩薩がおよそ90cmの薬師如来像を彫って安置し,建立したのが始まりで,弘法大師は弘仁年間(810〜824年)にここを訪れ,逗留したという.
本堂(この写真で右側)左手には鳥居の先に聖天堂と呼ばれる神社が祀られている.最近建築されたのか,本堂や大師堂より新しいように見える.
第50番繁多寺脇には大きな池がある.昔からの用水池のようだ.そしてその先には松山の街,さらにその先には瀬戸内海が見渡せる筈だが.....この日は空模様の関係か,見えないな~
繁多寺参拝が済み,山門を出て,また北に向かう.
途中には写真の三島大明神と記された大きな神社があった.なかなか大きな神社だ.手前の桜はまだ咲いていないが,遅咲きの種類であろうか.
結構歩き,第51番石手寺入り口に立った.『大欲 大楽 大勝』皆一緒大師,と記された幟旗が立てられている.何かとても正直というか,親しみ易いというか,面白い.
892年ころ道後の城主河野息利(衛門三郎の家系)に男の子が生まれたが,生後3年経ても左手が開かなかったそうな.そこで両親は安養寺(当時の寺名)の住職に助けを求め,祈祷により左手が開き,掌から小石が転がり落ちた.その小石に『衛門三郎再来』と記されていたという.そして寺名を安養寺から石手寺に改めたという.
でもどちらかというと悪評高い衛門三郎の石をなぜ握っていたのでしょうか?なお写真の衛門三郎石像は近年のものと思われる.
衛門三郎像から仁王門の間は屋根付き回廊で結ばれている.天井には絵馬や歌など描かれた額が架かっている.
また回廊横にはお土産店が並んでいる.地元の参拝者が多く訪れるということだ.
回廊の先に,高さ7m,間口三間、本瓦葺きという二層入母屋造りの立派な仁王門が聳えている.1318年建立で,国宝に指定されているそうだ.
仁王門から真っ直ぐ先に本堂があった.薬師如来がご本尊で,行基菩薩の開基だという.ただこの写真はちょっと本堂らしく見えないような.....間違っているかな....
境内の真ん中辺りに三重塔が立っている.鎌倉時代末期の建立のようで,かなり歴史のある建物だ.さて何が納められているのか....
本堂前には大きな金剛杵が据えてあった.やはり真言宗系のお寺さんだけある.2つ上写真に見える五色の垂れ幕などもそうだと思う.
弘法大師の鉢を叩き割った衛門三郎が許しを乞うように,この輪をくぐり抜ければそれまでの罪を帳消しするという石の輪.いや,そんな都合良くいくかな.....ちょっと解釈が違っているかも.
またその先のピカピカ石はタッチすることで元気が蘇る.....だったかな~
本堂の横にあり,いろいろな絵や風鈴(のようなもの)が架けられている.
比較的小振りな大師堂は,合格祈願で知られるそうで,お堂前には祈願の絵馬で一杯だ.
上のくぐり輪や元気石など含め,石手寺はご利益がいろいろあるいいお寺だ.
第51番石手寺参拝を終え,ここからは松山市内を横切るように西に進路をとった.そして少し行くとコンビニが見つかり,簡素な朝食をとる.コンビニの中でも食事スペースを設けてくれているところは大変ありがたい.普段コンビニの存在は大して気に掛けないが,遍路旅中は特段にありがたみを覚える.
遍路道の道標に従い歩くとそのうち道後温泉に至った.私は温泉に疎いが,その名だけは聞いたことがあった.遠足の小学生から,私のような通りすがり,観光客,湯治と思しきお客さん,外国のお客さん.....いろいろな人達で賑わっている.さすが大したもんだ.
道後温泉脇には,これまた有名な坊っちゃん列車の駅があり,機関車の方向転換のためにターンテーブルに載せ,二人掛かりで回転していた.結構重量があろうが気合を入れて回す様子は頼もしい.ところでこれはSLの形態であるが,リアルなSLなのでしょうか,それとも失礼ながら側だけSLなのでしょうか?
そこで今ググって見たら,動力はディーゼルエンジンとのことだ.まあ,SLでは厄介過ぎるので当然でしょうね.
道後温泉先から次の第52番太山寺神社まではかなりある.そして神社やお寺に幾度か出合う.一つはこの大きな神社で,なぜか神社名は出して居らず不明だが,境内にはいくつもの社を有する大きな神社だ.案内板には各種催し日程や,厄年に関するお知らせが記されている.
次に赤い山門の千秋禅寺があった.山門も奥のお寺本体も比較的新しく建てられたように見える.新たに創建されたのか,建て替えられたのか興味があるが....判らない.
千秋禅寺の次には浄土宗の来迎寺が見えた.こちらも比較的新しい建物に見える.山号は石柱に記された浄土宗の一派西富山と同じようですね.
ということであれこれ眺めながら第52番太山寺へと進んだ.
やがて遍路道はJR予讃線を交差するようになり,三津浜駅辺りで陸橋を渡り越えることになった.
JR予讃線はこれまでも幾度か関わってきたが,ローカル線ながらこうしてあちこち地域を通り,生活に役立っていることが窺える.
JR予讃線を越えた先を歩いていると,30歳くらいの若い女性から『これ歩き遍路に効くそうです』と生姜茶をお接待して頂いた.ありがとうどざいます.宿でお湯に入れて頂いたが,初めて味わう甘みのある生姜の味だった.
遍路道はやがて市街地を離れ,野の道となっていった.とは言っても立派な舗装道で,遍路には立派過ぎるとも言えよう.
第52番太山寺は大きな寺で,先ず住宅街の通りに木造一層の簡素な門が立っていた.門脇には『一の門』と記された伊予鉄バスのバス停標識も立てられていた.
そしてその一の門から先を望むと見え始め,近づくと,この写真のような大きな二の門である仁王門に至った.二の門には山号ではなく,『太山寺』の寺号が架けられている.
長い第52番太山寺二の門(仁王門)先の参道途中には鳥居や地蔵菩薩の石像などいろいろ祀られていた.また本堂は高い位置にあるので,石の階段や坂道も通過する.
坂を上り,石段を上り,上に来ると三の門に至った.正面には『龍雲山』の山号が掲げられている.
垂木など複雑に組み合わせられ,入母屋造り瓦葺きのこの門はやはりかなりの歴史を感じさせる.
三の門真っ直ぐ先にどっしりした太山寺本堂が建てられている.鎌倉時代の建築で,現在は国宝になっているそうだ.
そして先ずはここで焼香し,ろうそくを灯し,般若心経を唱える.
本堂から三の門の方向に少し戻り,左に行き,石段を上ると大師堂があった.大師堂は写真左の仁王門や本堂と比べるとかなり新しい建築のようだ.そしてここでまた参拝を繰り返す.
参拝が終わり長い参道を下った.きれいな舗装道で,周りは豊かな木立に包まれ緩やかな傾斜なのでルンルンだ.また参道脇には一般民家が数戸あるのも面白い.
参道を下り二の門直前になると横の石段先に納経所があり,ここで御朱印と墨書きを頂く.
第52番太山寺のお参りを終え,次の第53番円明寺へ進む.第52番から第53番の距離は短いので短時間で到着できるであろう.
ちょうど終業時間を過ぎた頃なのであろう,前方を子どもたちが集団で下校中だった.雨も上がり,陽射しが現れてきたのが嬉しい.
遍路道が分岐点に差し掛かり,右手を見るとそこが第53番円明寺仁王門だった.山門は通りに接している訳だ.
山門を潜ると直ぐ右手に手水場,左手に写真の大師堂があり,前方に二層楼門形式の中門が目立っている.
中門には4文字から成る額が架かっているのだが,情けないことに私には読めない.
中門を向けると本堂があった.とてもこぢんまりした建築だ.これは全体がコンパクトな境内の面積に合わせたものであろう.本堂の右上鴨居には左甚五郎作と言われる龍の彫り物があり,行い悪い人が見ると目が光るそうで....見ると行いがバレそうなので見ないようにした.
先ずはここを参拝し,そして中門から戻り大師堂でもう一度読経する.
さて納経所で印を頂き,仁王門手前にきた.そしてこのキリシタン灯ろうを見せてもらった.一般的な十字架よりちょっと見では判別しにくいが,確かに十字の形になっている.またこれも非信徒には判断しにくいがマリア様のようなレリーフが見えている.
キリシタン弾圧時代,伊予国には隠れキリシタンが多く住み,円明寺はそうした隠れ信徒の十字架建立や礼拝を黙認していたようだ.キリシタン弾圧は非常に激しかっただけに円明寺僧侶の仏教的寛容さと慈悲が偲ばれる.
第53番円明寺参拝を終え,この日のお寺は全て済んだ.そしてJR予讃線に差し掛かり,これを越え,暫く行くとまた戻りしつつ,北に向かった.
この先今夜の宿シーパMAKOTOへの遍路道は大まかにはJR予讃線と平行に走っている.
遍路道が海沿いになる前にコンビニがあり,コーヒーと肉まん(またはサンドイッチ)にする.コーヒーは元より大好きなのだが,肉まんは遍路に出てから圧倒的に好物になってしまった.お店で切れているとがっかりする.
遍路道は海沿いになった.瀬戸内海だ.晴れてきたので海も青く輝いて見える.脇の車道を挟み,JR予讃線が通っている.そして電車がときどき通過していく.
遍路道は県道347号線に沿って進んだ後,松山市の郊外の街を通過する171号線を行くことになった.ここから今治まで35kmとの道標が見える.
この辺りはシーパMAKOTOも含まれる北条エリアになるのであろうか.道沿いには商店や病院など見えてくる.
今年は全国的に桜が早いとのニュースが伝えられ,ここ愛媛でもそうなのか,このように時どき桜を見ることができる.ただし,これは早咲き種かも知れない.
さて海沿いのシーパMAKOTO方向に逸れると,北条港があった.プレジャーボートや漁船が多数停泊している.海面はかなり静かなようだが,この日は金曜日であるし,海に出ないのが多いのであろうか.まあ,所有者もいろいろやることが多いであろう.
この日は34kmと結構歩いた末,元々昭島のKさんに紹介されたシーパMAKOTOに到着した.お風呂やランドリー,食事の案内を聞き,キーを貰って二階の部屋に入る.広い和室で,広い洗面室,それと部屋用にしては巨大なバスタブを備え,既に湯が張られていた.ただ今回はサウナのある大浴場が,階下のすぐそこなので,そちらに行き,室内の巨大タブは用いなかった.
ということで洗濯物を抱え,レセプション前の洗濯機に入れ,大浴場に行った.遍路客は少ないのであろう,ランドリー設備は洗/乾1セットで,各300円と高めだ.
嗅覚の衰えた私には天然温泉の匂いはあまり感じられず,また肌がヌルヌルすることもないサッパリ系で,さらにサウナは十分高温で良かった.
時間になり,ダイニングルームに足を運んだ.暗くなってきたが窓の外は瀬戸内海だ.
変わったことにセルフサービスで,この温泉と宿が,市民の日常的頻繁な利用に応えるためかと思われた.尤もセルフサービスと言っても,出来ましたよ~と声がかかり,カウンターでトレイを受け取りテーブルに運び,食べ終えたらカウンターに戻すだけだ.マックでハンバーガーのときと同じだ.
さば煮,酢の物,おひたし,エビやチキンのフライなど出してもらった.普通に美味しかった.
食事を終えると,この日はwifiもあるし,気合を入れて,翌日10日今治アーバンホテル,11日仙遊寺宿坊,12日ビジネス旅館小松に電話で申し込み,それぞれ予約することができた.これで暫く安心して休める.歩き遍路は天気や歩く距離の見込みで適当な宿を取るのが一仕事だ(取れないことがままあるので)