この遍路7日目編では,2018年3月7日たちばな旅館を出発し,三嶋神社辺りを通り,下坂場峠を越え,葛城神社辺りを通り,鴇田峠を越え,久万高原町に出て,第44番 大寶寺を参拝し,一旦いやしの宿へ来て昼食を摂り,八丁坂を越え,第45番 岩屋寺を参拝し,県道12号の遍路道で下山し,いやしの宿「八丁坂」へと歩いたときの写真を載せました.
3月7日たちばな旅館で目覚めた.身支度を整え,階下の食堂に降り,朝食を頂く.前日朝のトースト(自分で注文したのだが)に較べて,こちらは焼き魚も付いてなかなかゴージャスだ.
朝食が済むとKさん,Sさんと共に,たちばな旅館の車で遍路再開ロケーション落合トンネルの三叉路まで送ってもらった.
三叉路からは県道42号線の遍路道を東に歩を進めた.足の速いSさんはあっという間に先に行き,姿が見えなくなった.
若干上り勾配があろうか,単調な県道42号線遍路道を進む.車が少なくて歩き易い通りだ.
そのうち三嶋神社の脇に来て,これをチラリ眺めて通過する.
三嶋神社は遍路に直接関係し,今回は直進だが,遍路のルート検討したり,変えたりする際にはいい参照地点になりそうだ.
元の鴇田峠への道標に,『下坂場近道』の案内がかぶせてある.下坂場峠まで普通のルートで行くより,この山道を行けば近道できる,と云うことらしい.逆らう理由はないのでそれに従って歩くことにする.
改めて地図を見てみると近道でない普通ルートは,どうやら舗装された県道42号線を行くのだが,それがこの区間がいろは坂のように曲がりくねり,えらい時間がかかるということのようだ.
近道を辿り,県道42号線上の下坂場峠に着いた.標識には標高570mと記されている.高尾山より若干低い程度だ.
下坂場峠から緩やかに下りながら歩くと,長い階段途中に葛城神社と掲げた石の鳥居,それに一番上に大きな社が見えた.歴史のありそうな神社だが,苔などで傷むことなくきれいに維持されているようだ.
葛城神社近くでは鴇田峠まで2.1kmの標識があった.トレイルの状態によるが,4,50分くらいかな.
さて遍路道は県道42号線を離れ,山道に入っていった.そして暫く行くとなぜかヤギがいた.普通の家畜としてではなくペットとして飼われているようだ.広々した庭で跳ね回ることができ,ヤギとしても幸福であろう.
トレイルは緩やかな上りになり,鴇田峠に至った.峠の標識は無かったか,あるいは撮り忘れたか,何れにしても残っていなかった.標高790mと云うことで,気温は平地より5℃程度低いであろう.それと,今は問題ないが積雪時はそれなりの装備がないと危ない箇所がありそうだ.
傍らの開設によれば,この十畳敷程度ある岩は,大師が八十八箇所巡りのとき,あまりの疲労と空腹で,自らの修行不足に腹を立て,この岩上でだんじり(じだんだ)踏んで我慢したという.
踏めばかえって疲労と空腹が増すように思うが,素人考えかな.それと一般的な辞書(広辞苑)を見ると,だんじりとじだんだが同意,もしくは関連については一切触れられておらず,ちょっと個人的にはまだ納得できない.ただお大師さまのことなので並の解釈では先に進めない.四の五の言わず,そういうものだと思おう,それが遍路だ.
鴇田峠から下りかかった.トレイルは杉林に包まれ,路面は落下した小枝で覆われている.快適だ.ただ花粉症の人には大変だと思われる.
さて次は久万高原町だ.これ目指し,どんどん下る.引き続きなかなか快適なトレイルだ.
やがてトレイルは畑地帯を通過し,久万高原町の中心部に出た.通っている道路は国道33号線で,北は松山市方面へと連なっている.
久万高原町は『くままちひなまつり』の真っただ中で,どこのお店も雛人形が盛大に飾られていた.久万高原町が地域おこしで実施しているそうで,今年は第4回目,2/25(日)~4/8(日)の日程で開催されているそうだ.ところによっては2,000体も飾ってあるそうで,圧巻だ.
久万町と記されているので,市名改称前からの消火栓蓋であろう.多色刷りの凝った絵柄で,きれいだ.
一緒に写っている私の靴は,この段階ではまだ問題が見えない.実は翌日ソール先端が剥離し,大変なことになっていった.
久万高原町商店街を抜け,小路を東に辿り,第44番大寶寺山門に至った.2層式の大きな門で,菅生山の山号が掲げられ,両側に仁王像が納められ,その内側(通る部分)に大きな草鞋が一足配してある.この草鞋の配置はちょっと変わった形式だ(一般に仁王様の横や背後が多い).
山門を潜り,手水舎で清め,真っ直ぐ行くと本堂だった.そして明かりを灯し,般若心経を唱える.
本尊は十一面観世音菩薩で,701年開基,真言宗豊山派に属するそうである.
本堂右隣に大師堂があった.大きな建物で,回廊が設けられている.ここでも本堂同様読経する.
第44番大寶寺本尊である十一面観音は,そのブロンズ像が厄除け観音と記され,境内にも配置されている.赤いポシェットを下げた左手に携えている壺は薬入れでしょうか?
ところでここ大寶寺は札所第44番なので,ちょうど半分回ったことになり,中札所と呼ばれるそうだ.ただし遍路日程的には,この後の寺は比較的高密度に分布しているので,これまでの総日数より少なく巡れそうである.
第44番大寶寺を打った後,一旦いやしの宿『八丁坂』目掛けて下った.遍路道は鴇田峠辺りと同様,杉林の中を行く.
この日は概ね昭島のKさんと一緒に歩いていた.そして県道12号線に降りる辺りに来ると,大きな神社が見えた.銅板葺の直線的屋根が美しい.
そしてこの辺りで,朝先を歩いていった福井のSさんに再会した.聞けば時間があるのでこの辺りをあちこち逍遥していたそうだ.
ということで,ここから第45番 岩屋寺は一緒に行きましょう,となった.またルートはベテランKさんの案で一旦いやしの宿『八丁坂』に寄りランチ,ただしアポイントメントなしなのでランチあるか不確か,その手前雑貨店(開いていれば)で食料を買い,八丁坂を上り第45番岩屋寺に行き,県道12号線経由でいやしの宿『八丁坂』に戻ることになった.
途中雑貨屋さんは幸い開いており,そこでスナックを仕入れ,一応昼食の準備を整える.そして県道12号線を東に進み,いやしの宿『八丁坂』に到着した.
食事ができるか尋ねると,お蕎麦ができるというので,それをお願いする.熱くて美味しかった.なおうどんは夕食で予定されているという.
私たちの直後に,女性6人くらいのお遍路グループが現れ,やはり食事がお願いできるかどうか尋ね,うどんが可能ということで皆さん喜んで注文されていた.皆さんは四国や静岡の仲良しグループだそうで,区切り打ちの遍路や,スキーツアーなどを時どき催しているそうだ.そりゃいいですね~
お蕎麦のランチの後,いやしの宿『八丁坂』玄関ロッカーに不使用品を入れ,宿前の県道12号線を少し進んだ.そして直ぐに八丁坂入り口があり,右手に折れた.
八丁坂遍路道は3人で進んだが,他に誰とも会わず静かだ.尤もこれまでの鴇田峠や大寶寺ルートでも他のお遍路さんに会うことは皆無ではあったが.
さて入り口から八丁(872m)歩いたのであろうか峠(頂上)に着いた.途中幾度かのアップダウンがあるがいかにも遍路道の味わいがあり気に入った.峠にはお地蔵さんやよく読めないが遍路関連モニュメントが立てられている.
昔この峠には茶屋があり,また南の農祖峠から来るルートの合流点でもあるようだ.
前記峠から下りに入り,暫く行くと,石畳の道があった.土のままでは雨で路面が流し落とされ,歩く人も滑りやすいので敷いたのであろう.第45番岩屋寺は近そうだ.
暫く下ると遍路道脇に南無金剛夜叉明王ののぼり旗と共に明王の石像が据えてあった.そして脇には納め札入れのような簡素な容器が置かれている.
また明王像の他に童子像も多く置かれているようだ.
Kさんによると,こうした明王像や童子像はこの後岩屋寺山門までの間たくさん現れ,毎朝岩屋寺のお坊さんがお参りし,納め札を入れていくのではないかということだ.
屋根付き建物に納められた赤い不動明王像があった.右手に宝剣,左手に羂索(けんじゃく)を携え,怖い顔をしており,いかにも守り神の風貌だ.いよいよ岩屋寺の境内近くになったようだ.
この岩の割れ目は弘法大師が修行したという『逼割(せりわり)禅定』と呼ばれ,木戸はその入口になるそうだ.
逼割禅定は,一人分ほどの岩の裂け目を15m,そして鎖の崖を10m,さらにハシゴを21段上るコースを辿ると岩の頂上に出るそうだ.
納経所でこの逼割禅定への扉の鍵を貸してくれるそうだ.もちろんそのような怖いところを上る根性など私にはありませんが.
逼割禅定を過ぎ,なおも下ると第45番岩屋寺の仁王門になった.木造2層式で,かなり傷みも見えるが,大挙押し寄せる駐車場側の門は裏門,こちらが正式の山門ということだ.
なお仁王門は久万高原町の文化財に指定されているそうだ.
仁王門の後には大師堂になった.明治31年の大火で,上記仁王門と虚空蔵堂を残して焼失し,この大師堂は大正9年に再建された建築だそうだ.本堂より大きいという大師堂は高床式で彫刻の施された部材の木組みは素晴らしい.
納経の順序は正しくは本堂,大師堂なのであるが,通りの関係から先ずはここ大師堂を参拝させてもらった.
前記大火の後,昭和2年に再建された本堂が現在の姿だそうだ.標高560mに位置し,巨岩の中腹にお堂の一部が嵌め込まれたような形態になっている.弘法大師よりさらに昔から修験者が修行してきた伝統を伝えているようだ.
弘法大師がこの霊地を訪ね,木造と石造の不動明王像を刻み,木像は本尊として本堂に安置し,石像を奥の院の秘仏として岩窟に祀り,全山をご本尊の不動明王として護摩修法されたということだ.これでようやく山門を潜る前に不動明王像があちこちに祀ってあった謎が解けた.
本堂右脇の大岩には梯子が立掛けてあった.上ると上に修行場があり,眺めがいいそうだ.ただ山男のSさんでも,一段の幅が大きく大変そうだ,ということで上らなかった.Kさんに聞いたが実際数年前梯子から落ちる事故があったらしい.
順序は反対になったが,本堂で般若心経を読み,県道12号線側に向かった.八丁坂峠以来不動明王の祀られる坂,仁王門から大師堂,本堂の建つ坂,そしてそれを過ぎたこの坂,全て下る一方である.
ただこちら側の坂はきれいに舗装され,本堂まで合わせて266段あるという石段が設けられている.また所々には南無金剛夜叉明王ののぼり旗が立てられている.
道開き不動尊は新しいことを始めるとき,道に迷っときに,進むべき道へと導いてくれるお不動さまということだ.
なおこの近くには納経所があり,ここで朱印と墨書きを頂いた.
こちらが上述の仁王門と別の山門.つまり門は2つあるわけだ.尤も後に訪れる善通寺などは2つどころか,もっと多数の門があるので驚くことはなかろう.参拝者が入るのはこちらの山門が圧倒的に多いようだ.
駐車場脇を通り,県道12号線に降りた.そして程なくトンネルに入った.トンネルは1999年竣工,長さが254mという.両側に歩道が設けてあってよろしい.
県道12号で下山していると,脇に小山が見える.山肌や木の生え方がカルスト地形に見える.一方四国カルストと言われる言葉があり,ググってみると,それは,愛媛県と高知県県境にあるカルスト台地.標高は約1,400m,東西の幅は約25kmと載っている.まあ,ここはその対象ではない.でも地形はカルスト的だな~
夕方いやしの宿「八丁坂」に到着し,チェックインした.受付カウンターに巨大なみかん(の仲間)が置いてあり驚く.岩屋寺に奉納されたものをお裾分けしてもらったのだそうだ.
お風呂やランドリー,食事の間の案内を聞き,部屋に案内してもらう.新築して日が浅いということで部屋はきれいだ.
また案内時,お茶請けに「八丁坂」さん特製ブルーベリー大福を出してもらった.初めて食べる味で,美味しく頂いた.
部屋にはお手洗いも付いている.結構なことだ.
さて部屋に落ち着くと,翌日,そして翌々日の宿の検討をし,それぞれたかのこのホテル,シーパMAKOTOに狙いを定め電話で申し込む.前者はツインしか残っておらず素泊まり12,500と高めだが確保でき,後者はシングルで確保できた(実際泊まったのは大きなバス,洗面付き随分広い部屋だった).これで安心だ.
そして屋外軒下の洗濯機に洗濯物を入れ,3人用お風呂に入る.既にKさん,Sさんが入っておられた.お風呂を出て少しすると洗濯は終了し,乾燥機に移す.そして30分後に取り込む.毎日このようなパターンだ.
時間になり,個人お遍路さんだけの食事の間に集まった.私より少し若いKさん,Sさんに加え大阪のHさんが一緒になった.Hさんはまだ60代前半と若い.Hさんも昨年,行程中程で足を痛め,中断したため今回再開しているのだそうだ.Sさんも私も中程からの再開なので,こうしたケースはよくあるのかも知れない.
さて,出してもらった夕食はこんにゃくの刺し身,酢の物やとんかつ,それに鍋焼きうどんなどだった.
食べながら,翌日からのルートや宿情報を交わし,プランを話す.食事付きの民宿や旅館は,お遍路を集めて食事を提供してくれるので,こうした情報交換ができて大変ありがたい.