この遍路6日目編では,2018年3月6日民宿シャロンを出発し,小田川沿いを行き,長岡山トンネルを越え,和田トンネルを越え,柳瀬トンネルを越え,梅津辺りを通過し,吉野川トンネルを越え,田渡川沿いを行き,落合トンネルを越え,たちばな旅館へと歩いたときの写真を載せました.
3月6日朝が来て,レストランシャロンでトーストの朝食を頂く.そしてお礼を述べチェックアウトした.
シャロンからは直ちに遍路道に入り,その直後,写真のパチンコ屋さん隣辺りにコンビニがあり,この先一切食べ物が手に入らない可能性大なので,ここで買うようアドバイスされていた.と云うことでここでサンドイッチを買う(結果としては途中蕎麦屋さんが開いていて食べることができたが,閉店時の備えは必要だ).
コンビニから少し行くと松山と久万高原方面の分岐点になった.ここは後者の方向に行く.
地図で見る限り今日のルートは分岐点が少なく簡単な筈で,勘の鈍い私でも間違うことなく目的地まで行けるのではなかろうか,と思う.
分岐すると大きな第44番,第45番への標識があった.先ず間違いなかろうと思いながらも,確信が持てないのでこういった標識が現れるとほっとできる.
この辺りの遍路道は国道379号線で,概ね小田川に沿っている.
小田川は一昨日大洲市で渡った肱川の支流河川だそうだ.この辺りでは大まかには東から西に流れているので,それに沿う遍路道は徐々に高度を上げるのであろう.
広い歩道の遍路道は快適で,徐々に晴れてきた.脇の小田川の流れも,心なしか一層澄んできたように見える.
暫くして長岡山トンネル入り口になった.このトンネルは392mあり,1988年竣工という.左側に少し高い段差のある歩道が設けられている.
写真で見えるようにトンネル右側に,バイパスルートがありそうだが,地図を見ると大幅に距離が長いので,もちろん止める(修行は無視).
長岡山トンネルを越えて行くと和田のエリアになる.そこには写真の無人販売果物店があった.よく判らないが安くて美味しそうで,一袋買ってみた.
不鮮明だが写真右の黒ずんだ辺りが和田トンネル入り口だ.みかん袋を下げ,ここを通過した.
和田トンネルは長さ190m,1985年竣工だそうだ.両側に一段高い歩道が付いている.
和田トンネルを越えると,擁壁に設けた棚にお地蔵さんが並んでいた.花が添えてあったが,他はなかった.先程買ったみかんが酸っぱいので,調子よく供物として上げさせてもらいました(すみませんでした)
和田街道は良く晴れ渡ってきた.緑深いし,実に快適だ.
桃,もしくはそれと同類の花であろうが,満開のようで見頃だ.
先を歩く滋賀のGさんに出会った.Gさんは数年前,親から引き継いだ建設事業を畳んでから毎年のように遍路に出て,今回は5巡目になるという.やはり四国病にかかったようである.
Gさんによれば,少し行った先にうどん屋さんがあり,今日営業していれば寄りたいという.それはいいですね,と私も連れて行ってもらうことにした.なおGさんは,この日私の予定しているたちばな旅館より先まで進むそうである.
遍路道はやがて小田川左岸を通るようになった.小田川の向こう,少し低地には集落が見えている.山間の地なのでどのような生業を営んでいるのであろうか.
そのうち柳瀬(やなぜ)トンネル入り口になった.長さ348m,2009年竣工とかなり新しい.入ると両側に一段高い歩道が設けられ,遍路にはありがたい.
柳瀬トンネルを越えた辺りで事切れたたぬきたが横たわっていた.崖から落ちたか,或いは車にぶつかったか....合掌
ここは内子町営バスの梅津停留所で遍路休憩小屋も兼ねている.なかなか粋なはからいだ.きっとご近所の方がメンテナンスして下さっているようで,きれいになっている.
バス停から少し行くと梅津トンネルに出合う.このトンネルも2008年竣工と新しく,長さは僅か87mということだ.短いが,これがなかった時代は山裾をトラバースする長い通りであったであろう.
このトンネルを越えたところで,遍路道は2つに別れ,南の農祖峠に向かう小田川沿い国道380号線ルート,及び北の田渡川沿い国道379号線鴇田(ひわた)峠に向かうルートに分岐する.私は後者北側ルートに進む.ただし今日は鴇田峠までは進まず,その手前で宿泊となる.
北側ルートに折れると直ぐに吉野川トンネルが待っていた.トンネルをバイパスする道もあるのだが,やはり安易なルートを選んでしまった.
吉野川トンネルは330m,2004年竣工で,両側に歩道を備えている.
時どき休業するという蕎麦屋さん(うどん屋さん)が開いていた.ラッキーだ,これで熱いものが口に入れられる.元々手がかりを有していた滋賀のGさんと揃ってお店に入った.
ここは麺打ち工場を併設,いやそちらがメインであろうか,この食堂隣の工場では複数人が製麺作業していた.
壁のメニューを見ると最初に内子豚の肉そばなるものがあった.これまで一度も家畜小屋に出合ったことがなかったが,内子豚と多分ブランド化した肉が在るんだ~これは食べてみなくては~とその蕎麦を出してもらった.写真がそれで,柔らかく美味しかった.
食べてお茶を啜っていると,『これお接待です,どうぞ』と言いながら青年が草餅を差し出して下さった.草餅はたった今このお店のカウンターで買い,そのまま振り向き私たちに与えてくれたのだ.ありがたく頂戴します.3個入りパックだったので,Gさんと,少し遅れて入ってきた昭島のKさんとで頂いた.ごちそうさまでした.
梅津トンネル後の分岐点から始まる北側遍路道は田渡川(たどがわ)沿いに通っている.田渡川はそれまでの通りに沿っていた小田川の支流で,道の分岐点で,川もまた同じように合流している.
田渡川沿いの通りはときに花壇なども設けられ,歩道が広く素晴らしい.
田渡川の流れはきれいで,所々の急流箇所では渦巻いている.
田渡川沿い遍路道を進むと大きくはないが端正なデザインの神社があった.近くの村の鎮守様であろうか.
さて今日最後のトンネル,落合トンネルになった.落合トンネルは103mと短く,1992年にできたそうだ.
このトンネルはこれまで歩いてきた内子町と,次の砥部町の町堺にあるそうだ.そして抜けた先に現在歩いている国道379号線(そこからは遍路道ではなくなる)と,鴇田(ひわた)峠や久万高原に向かう県道42号線への分岐点があり,またそこにはバス停があるそうだ.
そしてそこで,遍路道から外れているたちばな旅館に電話すると車でピックアップしてくれることになっている.
さて落合トンネルを抜けると,予定通りバス停兼遍路休憩所があった.そしてたちばな旅館さんに電話するが設備の電源offで...とか何とかで繋がらない.大した距離ではないので歩くことにした.
後で聞いたのだがKさんも何度か電話したが繋がらなかったそうだ.ただ今夜宿で新たに知り合った福井のSさんは繋がり,ピックアップしてもらったそうだ.
たちばな旅館は砥部町(のエリア)にあり,やや時代がかった,と云うか寂れた感じの商店街を抜けて歩いた.人は殆ど見かけない.
さて,3,40分歩いたであろうか,たちばな旅館に到着した.通りに面した建屋はかなり部屋数を備えているように見える.遍路道から離れているが,遍路道保存協力会のガイドブックにはちゃんと載っており,利用者もそれなり多いようである.いや逆に温泉ではないし,リゾート地でもないので,お遍路以外だれが利用するのか....地元の皆さんの宴会とかはもちろんあろうが...
到着すると,この客室に通してもらい,お風呂やランドリー,洗面所などの案内をしてもらう.
テーブルには『布団は畳まずそのままに』とのお触れが置いてあるので,なぜなのか女将さんに訊いてみた.するとお遍路さんはとかく湿布薬など貼っている人が多いので,寝具を別にするとか別に洗濯処理するとかのためという.なるほど,でも泊めてもらえるだけありがたいですね.
洗濯やお風呂が済み,また今後の宿泊場所の検討など行い,時間になり一階の食堂に降りた.普通のテーブルと椅子なので楽だ.
食堂に集まったのは前日に引き続き昭島のKさん,初めてお会いする福井のSさん,
私より少し若いKさんは今回13回めのお遍路で超ベテラン,完全に四国病を罹っているようだ.同じように私より少し若いSさんは前年第1番から第39番 延光寺まで回ったところで足の靭帯を痛めて中断し,今回はその続きから始めているという.ただし翌日一部一緒の歩いて知ることになるのだが,Sさんはもの凄いスピードで歩く.普段から登山や山スキーに慣れ親しんでいるのだそうだ.
お刺身に甲羅焼き,ヒレカツ....など,いろいろボリュームがあって美味しかった.スーパードライともマッチする.割烹旅館を謳うだけある.なおKさんは酒類を飲まないという.修行の身だから....ではなく,好みではないそうだ.
13回目を巡っているKさんの納経帳を見せてもらった.な,なんと朱印がべたべた押され,紙の白地が見えないくらいだ.二回目以降は,墨書きはせず朱印のみ押してくれるのだそうだ.初めて知った.
さて明日は予報によれば曇りのようで,何とか降られずに済みそうだ.期待しよう.