遍路24日目(2018年3月24日)晴れShikoku Pilgrimage day 24

この遍路24日目編では,2018年3月24日天徳院宿坊で朝を迎え,本堂で勤行後お暇し,金剛峯寺,壇上伽藍,大門を訪ねて,来たときと同ルートを逆方向にバスと電車で難波に戻り,メトロでJR新大阪駅に行き,のぞみで新横浜に行き,バスで帰宅したときの写真を載せました.

天徳院の朝

天徳院の庭

天徳院の庭

3月24日,天徳院宿坊で朝が明けた.部屋の窓を開け,庭を覗いてみる.これが国の名勝に指定された庭なのかと思うが....未確認.


天徳院の朝回廊を伝い本堂へ

天徳院の朝回廊を伝い本堂へ

6時前になり,一階に降り,回廊を伝い本堂へ行く.回廊は木と紙の落ち着いた色合いの伝統的美の空間だ.また回廊の脇には幾つもの部屋が連なっている.ここも宿坊客室なのでしょうか.


天徳院本堂で朝の勤行

天徳院本堂で朝の勤行

本堂の祭壇前に来た.電気ストーブ一台あり,私一人なのでその脇に座る.

また殆ど同時にお坊さんが見えて,祭壇前に座られた.そして何の説明や指図なく,読経を始められた.お経は般若心経とかではなく,とても長いもので,途中僅かに聞いたことのあるフレーズがあった.

そして終盤になり,お焼香して下さい,と言われそれに従う.その後読経が続き,終了した.お経の後で法話とか一切なく,お坊さん自身の修行がメインの勤行かと思えたほどだ.


天徳院本堂側の庭

天徳院本堂側の庭

勤行の戻りの回廊から本堂方面を覗くとこんな風に見える.普通のお寺さんのように本堂前に立つと,扉越しに本堂内部が覗ける構造にはなっていないように見えるが....

大通りから離れており,とても静かな環境のお寺だ.


天徳院の朝食

天徳院の朝食

勤行の後,また別室で朝食を頂いた.当然精進料理で,がんもどきや海苔などである.


天徳院をお暇する

天徳院をお暇する

朝食後身支度を整え,玄関横執務室に降りる.そしてチェックアウトしてもらうのだが,歩き遍路さんは半額お接待です,と言われ驚く.本格的食事も頂き,お坊さんに御膳を運ばせたり,いろいろお世話になったのに.....大変有り難うございます.


金剛峯寺

金剛峯寺山門(正門)

金剛峯寺山門(正門)

天徳院にほど近い金剛峯寺山門(正門)に来た.さて金剛峯寺(こんごうぶじ)であるが,総本山金剛峯寺という場合,この金剛峯寺だけでなく高野山全体を指すのだそうだ.高野山には117のお寺(うち上記天徳院含め52寺には宿坊あり)があるが,これらは塔頭寺院(たっちゅうじいん)と称されるそうだ.高野山は『一山境内地』と言われ,高野山の全てがお寺の境内であり,山全体がお寺ということなのだ.

さてその始まりであるが,弘法大師が二年の唐留学を終え,帰国の途に就くとき,三鈷(さんこ)を投げると,現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたという.帰国後大師はこの三鈷を求め探していると,犬を連れた猟師に会い,犬に導かれて行くと,今度は女性に出会い『協力致しましょう』と語られ,山中深くに進んでいくと忽然と幽邃な大地があった.そして,そこの松の木に唐で投げた三鈷があるのを見つけ,この地こそ真言密教の地だと判断し,816年この山を開くことを決意した,ということである.

ところでこの門は正門と呼ばれ,金剛峯寺の建物の中で最古,文禄2年(1593年)に再建され,今に続くそうである.


金剛峯寺主殿

金剛峯寺主殿

金剛峯寺主殿は複雑な屋根を組み合わせたとても大きな建物だ.屋根は檜の皮を何枚(多分数十層)も重ね)た檜皮葺だそうで,重厚無比だ.

また屋根上には天水桶が載っており,雨水を溜めておき,他所での火災時,屋根を湿らし,類焼を食い止める役目だという.遍路10日目第54番延命寺手前,旧大庄屋井手家の天水瓶と同じような狙いであろう.ただ屋根面積に較べて桶はあまりにも小さく,まあ実質的には装飾の域を出ないであろうが.

写真左側,普段柵で囲まれた入り口が大玄関で,天皇,皇族や高野山重職だけが出入りする(した)玄関という.一般の僧侶は,昔は裏口,今は右側の一般参詣入口を利用するようだ.


金剛講総本部

金剛講総本部

全国規模で100万人の会員を擁する宗教組織で金剛講なる団体があるそうだ.ググると金剛流御詠歌のCD通販サイトなどヒットする.そうした金剛講の総本部がここにあるようだ.高野山の宗教活動の中心ということだ.

石柱門奥の大講堂は,大正14年に開創1100年記念として建てられたという.


金剛峯寺鐘楼

金剛峯寺鐘楼

写真左側が鐘楼で,入母屋造りだが,基部が鼓形カールの角錐で覆われている.袴腰付と呼ぶそうだ.そしてその袴腰付入母屋造り形式から万延元年(1860年)に大火で類焼後,主殿などと共に元治元年(1864年)に再建されたものと推定されるそうだ.

全て木材で組まれ,造形も色合いも美しい建築だ.


金剛峯寺脇の寺院

常喜院

常喜院

開基は道光大師で,途中廃れ保元元年(1156年)心覚阿闍梨という高僧が再興し,以来850年に続いているそうだ.江戸時代大火により焼失したが,明治3年(1870年)に 現在の姿に復興したそうだ.150年くらいの年月で本堂などの建物はちょうど美しい色合いになっていると思う.


常喜院赤地蔵尊

常喜院赤地蔵尊

山門や本堂に較べて,赤い色彩が派手な,同じ常喜院の赤地蔵尊.入り口の形や色は稲荷神社の鳥居を思わせるようだ.

堂内にはたくさんのお地蔵さまが祀られており(見ていないが),その中で赤地蔵は福徳,財福を大地の如く内蔵しているという.


壇上伽藍

壇上伽藍の中門(ちゅうもん)

壇上伽藍の中門(ちゅうもん)

高さ16m,幅26m二層造りという大きな楼門だ.平安時代819年に創建されたが,火災で何度も焼失し,つい最近2015年完全に再建されたそうである.

一層目左右前後には,1141年制作という多聞天像と持国天像,および京都の佛師松本明慶氏2015年制作の増長天像と広目天像が納められている.


壇上伽藍蓮池と橋

壇上伽藍蓮池と橋

壇上伽藍には池があり,そこに太鼓橋が掛かっていた.池に蓮は見えないが,以前は生えていたらしく蓮池と呼ばれているようだ.

蓮池には善女竜王と呼ばれる仏さまが祀られ,干ばつから守ってくれているそうだ.

太鼓橋は中門と同じように2015年,コンクリート橋脚で作り直されたそうである.


壇上伽藍准胝堂

壇上伽藍准胝堂

御影堂の横に位置する少し小さ目のお堂で,目立たないが美しい.本尊の准胝観音は,弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として,ご自身で建立したとのことだ.


壇上伽藍鐘楼と金堂

壇上伽藍鐘楼と金堂

左の白い建物が鐘楼で,高野四郎とか白鐘楼と呼ばれるそうだ.白鐘楼はそのままとして,高野四郎とは何ぞや?全国寺院の中で4つ目に大きい鐘であることに由来してそうだが....それでもまだよく解らない.

白鐘楼はちょっと見コンクリート製かと思うが,木製本瓦葺き入母屋造りだそうだ.白は漆喰でしょうか.鐘は現在も一日5回,定刻に鳴り響くそうで,最初は早朝4時だそうだ.高野山だからいいが,一般の街なら争いが起きそうだ.

右は金堂で,壇上伽藍では一番大きな建物ではなかろうか.現在の建物は7度目の再建で,入母屋造りだが,耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で昭和7年(1932年)竣工したそうだ.白鐘楼の木造も驚いたが,金堂はそれ以上に意外なコンクリートとは驚く.でも外見はそのように見えない.大した設計だ.

このお堂は高野山御開創当時,弘法大師の手で講堂として建てられ,平安以降高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきたそうだ.


壇上伽藍御影堂

壇上伽藍御影堂

元々は弘法大師の持仏堂として建立され,後に真如親王直筆の『弘法大師御影像』を祀り,御影堂と名付けられたそうだ.向背付宝形(ほうぎょう)造り(=方形造り)で,堂内外陣には弘法大師十大弟子像が掲げられているそうだ.


壇上伽藍金堂と根本大塔(こんぽんだいとう)

壇上伽藍金堂と根本大塔(こんぽんだいとう)

左は上述金堂の別アングル.

正面は根本大塔で弘法大師と,次の真然大徳の二代で,真言密教の根本道場におけるシンボルとして完成したという.

多宝塔様式としては日本最初といわれ,本尊は胎蔵大日如来,周りは諸仏が取り囲み,菩薩像など描かれ,堂内そのものが立体曼荼羅として構成されているそうだ.


大門

バス通りを西に行く

バス通りを西に行く

壇上伽藍を出て,山内バス通りを大門のある西に歩いた.

この辺りもまだお寺がちらほら見える.上述の塔頭寺院の一つということになろう.


高野山大門

高野山大門

高野山の入口に立つ総門がこの大門.二階二層門で,随分大きい.そう言えば八十八霊場のお寺の山門では,二階建てだが楼門形式には幾度か出合ったが,二層門は無かったような気がする.


高野山大門の仁王さま

高野山大門の仁王さま

大門の両側には仁王さま(金剛力士像)が安置されている.写真では一部切れてしまった.

この仁王さまは東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像だそうだ.江戸中期の仏師の作品だという.


難波に戻る

先ずバスで橋本へ

先ずバスで橋本へ

高野山大門を見物し,山内バスでターミナルに行った.そして南海バスに乗り換え橋本駅に向かう.途中バスは写真の結構大きな川を越えた.


難波に到着

難波に到着

南海バスが橋本駅に着くと,次は南海電鉄に乗り換え南海なんば駅に到着.そして地下鉄に乗り換え,JR新大阪へ行った.


新大阪から帰宅

新大阪からはのぞみで

新大阪からはのぞみで

JR新大阪駅からはのぞみに乗車した.自由席で大丈夫だろうとサバを読んでいたが,シートは空いていないようで,車掌さんに指定席の空きを訊ねると,あるとの返事で,席を確保した.ただ間もなく京都に着くと大勢降りたので,自由席も多く空いたかも知れない.

JRは普段どおり,正確な運行で定刻新横浜駅に到着した.


新横浜駅からバスで帰宅

新横浜駅からバスで帰宅

新横浜駅から程なく出発するバスに乗った.バスは横浜スタジアムの脇を通り,その先長く走り自宅近くのバス停で降り,そして帰宅した.楽しかった,おしまい.



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