ヤムドク湖でランチを終え,次はギャンツェに向かった.
ギャンツェに向かう途中までは,ヤルツァンポ川に沿う中尼公路(ラサからカトマンドゥに向かう道)を進む.ヤルツァンポ川両岸にはかなりの農地が広がっており,改めてその意外性に感心する.
シガツェ手前で中尼公路を南に逸れ,ギャンツェに向かうダートの道を走る.ギャンツェに近づくとチンコウ麦の栽培が盛んで,栽培農家はちょうどこの頃は刈り入れ時で大忙しのようだ.
下は,ギャンツェへ行くとき眺めた風景.街道を離れると,「奥地」と云った趣の家々の並ぶ集落を通過する.
白居寺はサキャ派,シャル派,ゲルク派が共存した寺になっているそうだ.同じ敷地内にそれぞれの派の建物が独立で建てられている.また敷地内にはチベット最大というこのパンコルチョルテンという仏塔が建立されている.8階建て,高さ33m,底辺の一辺は52mあるそうだ.
塔内には祠が多数あり,それぞれの祠には多数の壁画が描かれ,一体から数体の仏像,ラマ像が安置されている.この寺に限られることではないが,赤や青,黒などの像はやはり風変わりに感じられる.
パンコルチョルテンにはネパールの建築家も関わったそうで,塔の上部は四角形でボーダナートやスワヤンブナートなどと同じように目が描かれている.
パンコルチョルテンの最上部からは,周囲に黄色に実った麦畑が広がっている様子が望める.
下は,白居寺(パルコンチューデ)の写真あれこれ.パンコルチョルテンは夥しい数の壁画,仏像があるのに撮影料は10元と格安だ.
多分ここは旧市街.道は狭いままだ.水道の普及が遅れているのか水タンクを背負う人が往来している.
なおここから少し離れた表通りは,他の中国の街と同じように大きな道が通されている.それでもヤギや牛,ヤクなどの家畜が行き交っており十分長閑な印象だ.
下は,ギャンツェ市内の写真あれこれ
ギャンツェゾン(ギャンツェ城)は14世紀に建設され,1903年のイギリス軍侵攻ではここに立てこもり,徹底抗戦したのだそうだ.ただチベット側にも千人規模の戦死者が出たようである.
ギャンツェゾンに登ると盆地状のギャンツェが良く見渡せる.
下は,ギャンツェゾンと周囲の写真
さてギャンツェの後は,シャル寺を経由してシガツェに入る予定だ.