ギャンツェからはシガツェへと向かった.
4WDドライバリーダー格のビーロブサンさんはとても敬虔な仏教徒だ.運転する車のダッシュボードには数珠を置き,寺に到着すると直ぐにお参りする.またこの後知ったのであるが,テント泊の時は早朝に読経の声が聞こえてきた.何でも以前はお坊さんだったとか.....
途中チベット人の主食の一つ,ツァンパ(tsampa)の水車式製粉工場を見物したりして,シャル寺に到着した.美しい壁画が数多く残ることで知られ,ゲルク派の起源の地で,11世紀に建設されたという相当古い寺だ.屋根などが漢様式の瓦に見える.
下は,シャル寺と周辺の写真
シャル寺を見物してからシガツェへと向かった.距離的には幾らも離れていない.この辺りも麦刈りがたけなわで,家族総出で忙しそうだ.それでもこの時期は夏の終わりの祭りの最中で,何でもギャンツェからシガツェに至る川,名は失念したが,で沐浴すると身体が清められるとかの言い伝えがあるそうで大勢が川に入っている様子が窺えた.ちょっと寒そうであるが....そうこうしているうちにチベット第二の都市,シガツェの街に入ってきた.
車中でガイドのタシさんに,チベットにも檀家システムのようなものがあるか訊いてみた.同じではないであろうが似たようなシステム,つまり普通集落などには特定宗派の寺があり,通常はそこで礼拝したり,法事を執り行うことが多いそうだ.因みにタシさんはゲルク派教徒だという.また先般シガツェに向かう五体投地の巡礼者に出会ったが,そういった行為は本山や総本山格の寺に出かけるのに相当するようである.
タシルンポ寺はシガツェ地区最大にしてゲルク派最大の寺院だそうだ.確かに大きな外観を有している.1447年にツォンカパの末弟子で,後の第一世ダライラマ/ゲンドゥンドゥプが建立したという.1600年第四世パンチェンラマ/ロツァンチューキギャンツェンがタシルンポの住職をしていた時に大規模な拡張工事が行われたそうである.以後歴代のパンチェンラマはみな寺を拡張したのだそうだ.現在この寺には中国政府公認,第11世パンチェンラマ/ギャンツェンノルブが住職となっている模様.実際は殆ど北京で過ごし,ここには滅多なことでは在住しないようであるが.....
タシルンポ寺には歴代のパンチェンラマのミイラが納められた霊塔殿などがある.ただ多くは文化大革命のとき,破壊されたようで,中でも著名なパンチェンラマ4世のミイラは,紅衛兵が破棄し,どこかに捨てたとされるようだ.
下は,タシルンポ寺の写真あれこれ
さてこれからはいよいよ中尼公路を離れ,西チベット/ンガリ地方のサンサンに向かう.