さて後残り少ないが,ウイグル西端の街カシュガルに入る.
カシュガルに行く前にガス田や石油基地があったり,また巨大な人造湖があったりする.そして比較的乾いてはいるが田園地帯を越える辺りでは,ロバ車が行き交っている.既に実が収穫された後のトウモロコシの茎を満載し,ロバ車が行く.きつい仕事だが,ちょっと見ではロバの顔は笑っているようにも見える.しかし,実は大変なのだ.
主にはここで製造される装飾の多い刃物が販売されている.軒先や工房で鍛造や研削の現場を見せているところもある.以前買い求めて使った伝統的刃物は,なかなか凝った象嵌などで美しいが,NiやCrを含まない普通の炭素鋼のようですぐに錆びてしまう欠点があった.ちゃんと研ぎながら使う用法を前提としてあるようで,不精者は一考が必要だ.まあ,手頃な値段なので深く考えることはないが.
何の変哲もない肉屋と思いきや,ちょっと違う.肉に蜂がいっぱいたかっているのだ.同行のある人が「蜂を集めておいて,蝿を寄せ付けないのでは」との知見を示された.皆一様に,「な~る程,スゴイ!」と感心したのは言うまでもない.なお,蜂は肉食だそうである.花の蜜もよく吸ってはいるが.
なおエンギザルではこの辺りで昼食を食べたのであるが,ラマダンの期間中なのでウイグルレストランは昼間どこも暖簾を下げていない.そのため,中華レストランとなった.ラマダンは新月から新月の間続くそうで,明けるまであと2週間程あろうか.
この辺り一帯では綿花の栽培も見られる.広大な土地にどこまでも綿花,というのではなく,写真のようにまあ適度なサイズの畑が点在している.それでもちょうど収穫時期の今は大忙し,一家総出で作業に勤しんでいる光景があちこちで見られた.
なお意外な気もするが,この地方では稲の栽培も行われている.ちょうど黄色に色付き,間もなく刈り入れであろうか.
下は,エンギザルとそこまでの眺めあれこれ
大都会で中国化されているが,それでもウイグル文字の看板も多く見られ,道行く人もウイグル人が多い.シルクロードの街の面影はまだ十分感じられよう.
この日の宿泊ホテル,チニワク賓館(Qiniwak Hotel)に着いた.本館と別館から成り,ここは別館のロビー.脇の水槽のシルバーアロワナを覗き込み,立ち上がり際頭をぶつけたことが記憶に残りそうだ.
チニワク賓館の裏庭に位置している.現在レストランになっているが,元々は英国領事館だったそうである.聞くところによるとその昔大谷探検隊がここに泊まった縁があるそうだ.ここで昼食を頂戴したが,デザートのザクロが思い出に残る.日本のそれと比べて大きく,甘い.何分にも巨大なので,”種をそのまま飲み込むが吉”と教わり,その戦法で必死で食べたがなかなか時間がかかった.でも美味しかった.
チニワク賓館の前の通りを横切り,反対の横丁をエイティガール寺院まで散歩してみた.ウイグル帽とスカーフがローカル色を醸し出している.お店や露店が立ち並び,小学校もあった.なのでこの通りはショッピングの人出でなかなか賑わいを見せている.
下は,カシュガル市内,主に横丁の写真あれこれ
さらにカシュガル横丁の写真
お昼にウイグル料理を食べ損ねたので夕食は気合を入れて探してくれた."ALTUN ORDA"と云うゴージャスなウイグルレストランでラグ麺やケバブ,ヨーグルト....など,チベット人ガイドとドライバの皆さん,ウイグル人ガイドと一緒に戴いた.日本人とチベット人は着席し次第食べ始めたが,ウイグル人ガイドのアタジャンさんは,ラマダンの期間中なので,9時近くまで待ってようやく箸を付けていた.ラグ麺は特に美味しかった.イスラム教徒でない筆者にとって,ビールがないのは何とも満たされないものが残ったが.....
中国最大のモスクで,8世紀に遡る建物を元に,1400年代に建立されたそうである.写真の礼拝堂には信者から寄進されたカーペットが敷き詰められ,西方のメッカの方向に窪むミフラーブの脇には導師がコーランを朗読する壇があった.またミフラーブの近くには一日5回の礼拝時間を示す時計が架けてあった.日の出,入りに同期して針を合わすのであろう.この礼拝堂一度に6千人収容できるそうであり,毎日約1~2万人のムスリムがこのモスクに礼拝に訪れるそうである.
この日,金曜はイスラムにとって最も重要な集団礼拝の日だ.寺院内には上述の礼拝堂と,広い中庭があるが,それでも入りきらない人がいる.また女性は寺院内に入れない.しかして寺院前広場にも多くの人が集まり,礼拝を行っている.
礼拝者の他に,礼拝で用いるビニールシートを売る子供,喜捨(ザカート)を期待して来る者,われわれのような観光客,観光ラクダや馬車,記念写真屋....広場にはいろいろいる.
下は,エイティガール寺院の写真あれこれ
この職人さんは,薄い板を曲げて蒸篭(せいろ)を作っていた.加熱工具は言わばストーブと同じで,写真のように内側に廃材を入れて燃やして円筒状のアイロンを加熱する仕組みだ.火の燃え具合という視覚的方法で表面温度コントロールできるし,廃材処理もできるので上手い方法であろう.
ウイグル人は音楽と踊りが好きだそうだ.このお店では色々な楽器を作り,販売しているようだ.写真左側のご主人はそれらを奏でて販売促進に役立てているようだ.なお,2,3年前,NHKの番組に出演しておられるそうだ.
若くきれいなウイグル女性がお店の前を掃除していた.さて何のお店だったか?ウィグル文字が読めれば判るのだが....よく判らないが何れにしても,絵のような光景だ,と自己満足してみる.
コマや枕などの木工製品を作って販売している.これはローカルガイドのアタジャンさんが説明している場面.
下は,職人街の写真あれこれ
カシュガルのバザールは日曜バザールとして有名だ.この日に近郷の農家が野菜,日用品を持ち寄り,路上で商いをする訳だ.しかし屋根付き常設会場があり,日曜以外の日も殆どの店舗は営業している.
この人のお店でスカーフなど買った.こちらの提示価格を言うと,バケツを取り出し,手を清めて,さあ誠実に本気で売値を言うから.....てな感じでドラマチックなのだ.あまり吹っ掛けてくるようなところがなく,面白く,好感が持てた.
下は,カシュガルのバザール風景
路地の両側を繋ぐ廊下状の構造物とかに先ず目が行く.共同体的社会を暗示しているようで面白い.老城には少なくとも漢族は居らず,ウイグル族だけが居住する旧市街であろう.他がどんどん都市化する中,街並み保存のためもあろうが,実際居住している人々にとっても快適な街なのであろうと思われる.ただ多くの住宅は観光のために備え,それなりに装飾しているのも事実だ.
この家を訪問することになった.お父さんは帽子職人であるが,入院中,お母さんは所用で外出中,とかで弟さんと二人であった.居間に案内してくれて,ウイグルダンスを披露してくれた.2年位前にNHKの番組に出たことがあるそうで,なかなかしなやかな舞であった.まだ15歳くらいだそうだが,間もなく結婚するそうである.あまりに若いのではとも思ったが,ウイグルでは特別早いことではないらしい.どうぞお幸せに!
老城の入り口にモスクがあった.戻る頃ちょうど午後の礼拝時間で,ここでもモスクに入りきらない人たちが路上で導師の話を聞き入り,礼拝していた.チベット族の仏教徒も熱心であるが,ウイグル族のイスラム教徒もまた熱心だ.
下は,老城の写真あれこれ
こうしてカシュガルの日程を終え,空路,最後の宿泊地ウルムチに向かった.